01
私こと冒険者ケイトは、目の前の光景に呆然となっていた……。
私は今朝、パーティーメンバーにして共に駆け出し冒険者仲間の魔法使いウールを連れ、Fランク向けの討伐クエスト【戦闘猫の間引き】を受注し、ここ街近くの草原へとやってきた。
アタックキャットと言うと魔獣的な響きが強いけど、実際にはただの猫で、街で飼われていた愛玩用の動物が逃げ出したり、もしくは森に捨てられた挙句に魔力にあてられただけの可哀想な存在。
体長は20~30cm程度で爪に引っ掛けられても最悪破傷風になる程度の、安全に駆除することが出来る駆け出し冒険者にぴったりのお使いクエストのようなものだ。
猫のような愛玩動物を飼うのはせいぜい貴族様ぐらいのもので、餌付けされて育った分、魔獣化しても脅威にはなりづらいんだよね。
かと言っても、そんな連中が領内でゴミ漁りや鶏小屋を襲うなんて迷惑以外のなにものでもないし、近隣に魔獣を飼ってるなんて風評がたったらこの街の領主様は領民や近隣領主に侮られてしまう。その為にそれなりの報酬を出して、定期的に発注してくれるから割のいい仕事で人気が高い。
討伐依頼としては危険度に比べてとても実入りが良いし、駆け出しの冒険者にはかなりありがたいクエストの一つでもある。
私だって冒険者ギルドに顔を出した際、ちょうど目の前で依頼が張り出されたから受注出来ただけで、そんなラッキーが無ければきっと受注できなかったと思う。
え? 猫が可哀想だったんじゃないかって?
可哀想とは思うけど、それとこれとは別の話。冒険者にとって美味しい仕事ってのは、何よりも優先すべきことで生きるためには仕方ないことなのよね。
――でも今回だけは、このクエストを受けなければ良かった。……そんな予感がする。
そう、ウールと共に森に近い草原に拠点を作り、駆除作業を行っている途中、アレと出会ってしまった。
最初に見つけた15匹程度の群れを潰し、次に会った20匹程度の群れの駆除中、半数を処分した頃に1匹のアタックキャットが奇妙な行動——同士討ちを始めたのだ。
「仲間割れっ!?」
思わず声をあげるのはおかしいことじゃない。だって、いつも通り無造作に襲いかかってくるはずのアタックキャットが、急に私達じゃなく、同士討ちを始めたのだからそれは誰だって驚いてしまう。
見る間にその数は減って行き、その数は5、いや、今もう一匹殺されたから4匹まで数を減らしていた。
「一体何が?」
驚いた私は博識なウールに問いかけようと振り返ろうとした。
「戸惑ってはいけません、直ぐにそのモンスターを殺して下さい。
"なりかけ"です!!」
冷静なウールからの、焦ったような叫び声で思考を呼び戻される。
この言葉、というよりも”なりかけ”と言う名称ににハッとしてウールを見ると、既に彼女は魔法を放つための準備に入っていた。
"なりかけ"――それは特殊な行動をするネームドモンスターへ進化が始まった個体の総称。
最終的に災厄にまで進化する可能性のあるそれは、進化の過程で必ず駆除しなければならない——もしも駆除できなかった場合、後々手をつけることが出来ない存在となり、最悪国が亡ぶとまで言われている存在のことだ。
私達冒険者の使命には、それを見つけ次第全力を持ってその駆除に当たらなければならない。という一文すら記載されている。
つまり、それほどの大事だったという事だ。
でも私はその叫びを聞いてもすぐに納得することが出来なかった。
だって、こんな低級モンスターが進化するなんて、とうてい考えることなんて出来ない。
ネームドモンスターはいずれも凶悪な存在で、大元となるモンスターはどんなに弱いものでも中級のなかばほどからで、こんな、ただの動物と変わらないような、低級の中でもさらに低級でしかないモンスターがネームドモンスターと呼ばれてもすぐに飲み込むことが出来ない。
しかし、私の疑問をよそにウールの魔法は形を成してゆき、朗々とわたる詠唱が終盤に近付くにつれ周囲の魔力が強く蠢き始め、杖を振るうとアタックキャットの足元に魔法陣が浮かび上がった。
相手の虚をつく形で放たれたそれは、必殺のタイミングでアタックキャットに襲い掛かる。
……のはずだった。
「うそ……」
声になるかどうかの呟きを、思わず漏らしてしまう。
あのタイミングであの威力、たとえ上位存在である刃猫だって一撃で倒すだろうレベルの魔法を、あのアタックキャットは初見にもかかわらず、ほんの少しの負傷で避けて見せたのだから驚きの連続だ。
さらにアタックキャットはウールを標的と見定めたのか、恐ろしいスピードで襲い掛かろうと飛びかかろうとしていた。
「させないっ!!」
慌てて投げナイフを構え、アタックキャットの進行方向に向かって投げる。
……けど残念ながら、アタックキャットはバックステップでナイフを避けた。
「ちっ!!」
必殺のタイミングを避けられた事で大きく舌打ちをするが、一瞬とは言え勢いをそぐ事が出来たのは大きい。
おかげでウールは体勢を整えることが出来たようで、杖を構えなおして迎撃の体制に入っている。
先ほどの魔法は威力も高いけれど、それ以上に消費魔力も馬鹿みたいに大きい。多分彼女の魔力は残っていないはずだけど、体勢さえ整っていれば杖で身を守る事ぐらいはできるはずだ。
ウールから視線を外し、更に襲い掛かってくるであろうアタックキャットを警戒するため、急いで次の投擲準備をする。
けどアタックキャットは襲い掛かって来るどころか、体を反転させると逃げ出すそぶりを見せた。
「ケイトっ!! 逃がしちゃダメ!!」
「分かってるっ!!」
ウールの叫び声にそう応える。
その通りだ。
一連の動きで疑惑は最早確信へと変わっていた。
魔獣とは死の恐怖など無く、ただガムシャラに獲物へと向かってくる存在のはず。
それなのにあの"なりかけ"は、まるで意思でも持っているかのように、敵わないと知ると逃亡する思考を持っていて。敵前逃亡なんて魔獣らしくない行動、そんなのっ、見たことも聞いたことも無いっ。
全力で仕留めにかかるため、両手に用意した6本の投げナイフ全てを全力で投擲する。
もちろん余力なんて残している余裕はない。
軌跡を描きながら飛んで行った投げナイフは、その全てがアタックキャットに突き刺さる軌道で飛んでいったが、そのまま突き刺さるかと思えた瞬間、アタックキャットは後ろに目がついているかのように、振り向きもせずにその全てを避けて駆け抜けてゆく。
――今逃がしちゃダメだ。
そう思った私は虎の子である"必中"の加護を受けたナイフを太もものベルトから抜き放ち、魔力を捧げるように込め、そして投擲する。
必中の加護とは、迷宮産アイテムのみに宿る不可思議な力の一つ。
正確には命中率向上の加護だけど、消費魔力と術者の腕次第では文字通り必中させることが出来る事からそのように呼ばれている。
必中と聞けば誰もが欲しがる加護と思うけど、実際には剣筋が歪むことで体勢を崩したり、致命的な隙ができると言うことで訓練用、もしくは投擲武具ぐらいにしか実用性を見出すことは出来ない。けど、私のように投げナイフに付いている分にはとても実用性が高く有用な武器だ。
まぁ……、価値が低くて安いといっても、私程度じゃ逆立ちしたって手が届かない代物ではあり、師匠からの贈り物なのでお守り代わりに大切に持ち歩いている。けど今はそれを使うときと判断した。
ナイフは淡い水色の軌跡を描きつつも、アタックキャット目がけ一直線に飛んでいった。
アタックキャットはこのナイフも避けようとしたが、ナイフはアタックキャットを追うように曲線を描いてアタックキャットへと向かってゆく。
「入ったっ!!」
私の実力じゃ突き刺さりまではしなかったけど、ナイフは胴体に深い裂傷を刻み込み、そこで必中の効果が切れたのか、ナイフはそのまま明後日の方向へと飛んでいった。
しかし思わず声を上げてしまったのも当然だ。突き刺さらなかったとはいえ、あの裂傷の深さは内臓まで届いているはずで、致命傷を与えたのだから後はとどめを刺すだけになる。
さすが"必中"の加護。心の中でこのナイフを譲ってくれたお師匠様にお礼を言いつつ、アタックキャットへ追撃をかけようと走りだす。
「っなっ!?」
けど私の考えは少し甘かった。傷を負ったアタックキャット程度すぐに追いつけると思ったけど、奴は深手を負ったというのに速度を緩めることなく草原の奥へと駆け抜けてゆく。
「"なりかけ"って言ったでしょ!! 油断しないのっ!!」
「つっ!!」
ウールの声に否定はしたいけど、一瞬油断してしまった事実を消すことなんてできなくて、追いつこうと全力で駆けてもアタックキャットとの距離は縮まるどころかどんどん引き離されてゆくばかりだ。
「ちくしょうっ!! 早いっ!?」
すでにナイフは投げつくし、残る装備はショートソード一本のみ。
走りながらじゃウールの魔法だってあてにすることはできない。
必死で後を追いかけるも足元は走りづらい獣道の中で、どんどんと引き離されていって、ついにはその姿を見失ってしまった。
「どうしようウールっ!!」
立ち止まり、慌てて後方を見るとウールは落ちつきはらった様子で後から追いかけてきていて、ナイフを拾いながら追いついて来たみたいで両手にナイフを抱えていた。
「追いつけないものは仕方ないわ。それよりも武器を回収して後を追いましょう」
「でも見失っちゃったよっ!!」
慌ててウールに言うと、彼女はゆっくりと首を横に振る。
「大丈夫。最後に深手を負わせたでしょ? なら、その血をたどっていけばそこに居るはずよ」
その冷静な言葉で頭が冷え、自分が熱くなってその程度も判断できなかったことに今更気づく。
「そっか、そうだよね? それにあれだけの傷を負ったならほっといても死んじゃうよね?」
「ええ、でも死体の確認をしない内に安心する訳にはいかない。
……はい、これで最後。全部で8本よね?」
立ち止まり相談をしている間にも、ウールから受け取ったナイフを腰の皮ベルトや太ももの特性ホルダーに収めてゆく。
「ありがとう。これで全部よ。
それじゃ、気をつけて血の跡を追いましょう」
「……ええ」
若干の間が開いたけれど、ウールの肯定を受けて茂みに残った血痕を追い森の奥へと入って行く。
「ウール、魔力は?」
「やっと5割程度。火柱一本だせるかどうかよ」
「そっか、ならモンスターが出てきたら私が相手するね」
「お願い」
「うん、任せといて」
お互いの戦力を確認しながら血痕を追うと、茂みが開け、草原のような場所に出た。
「これは?」
「薬草の群生地ね、……不味いわ」
普段ならこんな群生地を見つけられたなんてラッキー。と思うんだけど、今はお互いに顔を見合わせると渋面を作る。
血痕の通り道に強くこすられた跡や、食いちぎられた薬草が多数存在する。つまりは……。
「回復したかな?」
「あの深手に薬草程度では焼け石に水、簡単には回復しないはずよ。
でもあの傷であの動き、それに傷の手当てができる知能があるだなんて……。油断だけは出来ないわね」
ウールの言葉に無言で頷くと、ゆっくりと、そして慎重にその足取りを追う。
草原の奥に広がる薮を抜け、足跡の多い道にでると唐突に声が上がった。
「待って、確かこの先は……」
何かを思い出したかのようにウールが静止の声をかける。
この先? 頭の中で地図を検索してみるけど、何も思い浮かぶあてはない。
「見覚えがあるの?」
大人しくウールに聞いてみると、彼女は若干顔を青ざめながら教えてくれた。
「ロズウェル……、の洞穴」
ウールが洩らしたその名前に、私も表情が凍りつくのが判った。
"ロズウェルの洞穴"――それは冒険者にとって最初の、そして最大の試練となる場所だ。
洞穴と呼んでいるけど、本来は一端のダンジョンでその大きさもかなり大きい。深さだって確認されている限り、地下四階以上あってそれより下にもぐったパーティーは一切帰ってこれない恐怖の大迷宮。
そしてこの迷宮最大の特徴は、階層毎にモンスターの強さが変わるのはどこの迷宮も一緒だけれど、この迷宮はその振れ幅に恐ろしいほどの差が存在するのだ。
最初の階層で調子に乗った冒険者が次の階層へ軽い気持ちで下りてゆき、そして誰も帰ってこないなんてよくある話。
そしてその、よくある話、であるのが一番恐ろしい。
モンスターを倒せば、そのモンスターが持っていた魔素が自分の中に吸収され、身体が強化されてゆくのは誰でも知っていることなのだけど、この迷宮ではその割合が格段に強く、少ない魔素の量で格段に強化される。
すると魔素に酔うという現象が起こり、正常に判断しているつもりが強くなったと錯覚し、自分の力を過信したパーティーがさらに下の階層へくだり、そこでなす術もなく蹂躙されてしまう。
ステータスを簡単に確認することができない以上、自己判断が狂ったパーティはこの罠にとても陥りやすいのだ。
この美味しい迷宮、下の階なら更に美味しいんじゃないか? って感じでね。
そのためにこの迷宮は入って出てくるだけでも、初心者を卒業した。と認められるほど難易度の高い迷宮として周囲には知られている。
そしてこの血痕は、その"ロズウェルの洞穴"の中に向かって続いていたのだ。
「どうする?」
私の問いに、ウールは青い顔のままかぶりを振る。
「私達にはどうする事もできないわ。ここに入るだなんて無駄死にに行くだけよ。それになりかけとはいえ、フィールドにいる魔獣が迷宮へ入るなんて、そんなこと出来る訳がない」
常識として、魔獣には生息域と言うものがある。
たとえば魔獣は迷宮の中に現れず、そして入ることができない。などで逆もしかりだ。その生息域を逸脱する行為は何故か行う事ができなくて、その常識が覆されるという事はどうあっても考えにくい。
「そう……、だよね。
もしかしたら迷宮に入る他の冒険者がいて、偶然見つけたアタックキャットを食料として血抜きしながら持っていった。って可能性だって有るよね?」
願望に近い予想をウールに告げると彼女も首頷して返す。
「……そうね、かなりのゲテモノ食いだけど少なくは無い。可能性としてありえなくはないわ」
私に続いて入り口を見つめるウールが、早く帰りたいとばかりに私の肩を引く。
「ね、念のためギルドへ報告だけして後は任せましょう」
「そう……、ね」
私だってこの洞穴に進んで入りたいとは思えない。
私達は互いに身を震わせると足早に先ほどの戦闘跡に戻り、死体となったアタックキャット達をズタ袋に押し込んで一目散に街へと帰る。
ギルドへ討伐の報告と、"なりかけ"に関する顛末を報告する為だ。