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エピローグ

 生きたい。それが唯一の渇望だった。


 その渇望を自覚することができたのは、唐突に【声】が語りかけて来た時。

 それまではただ本能に従い、何も考えずに生きて行こうとしていた。それだけだったように思える。

 そしてそんな生き方をしていたのは、まるで夢だったのではないかと思うぐらいあの【声】が語りかけてくる前後で、自分という何かが大きく変わっていた。


 それは草原に捨てられたあの時、兄妹達が死んだあの時、同族の群れに拾われ、戦い方を学んでいたあの時や、人に襲いかかった同胞達が殺されたあの時も、生きてはいたがただ死んでいなかっただけではないか。今ではそう思える。


 そう、自分を自己として認識することが出来たあの時。あの時こそが自分にとっての始まりだったのではないだろうか。


 そう思うとあの【声】に、そしてあの時に出会ったエルフ種の冒険者に感謝したいと思う。


 もちろん、あの2人から逃げ出すのは容易でなかったし、死の一歩手前まで追い詰められていただろう。だがあの時の戦いさえ無ければ【声】が語りかけてくることも無かったろうし、傷を負い、この洞窟へ逃げ込まなければヒメ達と出会うこともなかった。


 だが、ここは本当に自分の考えている、あのほら穴の奥……でいいのだろうか?


 その辺りは未だによく分からない。

 確かに洞窟の入り口へ姿を隠した時、意識を失うと同時に足元が崩れ去った覚えはある。

 そして目覚めた時に自分はこの泉のほとりに倒れていた。……となればこの泉の上にあのほら穴の入り口へ続く穴が開いているはずだが……。


 天井を見上げるがうすぼんやりと光る天井には、穴らしき穴が開いているようには見えず、起きた時に周辺へ落ちているはずの瓦礫も見当たらなかった。となるとここは……一体。


『シロ、天井を見上げてどうしたの?』


 もの思いにふけっていると、唐突に【念話】で声をかけられる。

 声の主はヒメ。使い魔契約を交わした契約主であり、今、一番に信頼することの出来る人間だ。


『なんでもない。

 自分がどこから来たのか気になっただけ』

『そう……。

 確かにあなた達は一体どこから来たんだろうね。こういうのもジックに言わせれば、迷宮の謎って答えるのかな?』


 穏やかに返してくれた言葉だが、いまいち意味が分からない。

 ヒメは時々、よく分からないことを言ってくるのだが、これは知識が足りないために理解が出来ない言葉なのだろうか。

 となればもっと知識を得、ヒメのこういった言葉も理解することが出来るようになっていきたい。こんな時ほどそう感じてしまう……。


 ふと空気が動く気配がして、隣で寝ていた筈のヒメが体を起こし、地面に座って膝の上へ自分を乗せた。


 きっと撫でてくれるのだろう。


 目を細め、ヒメの膝の上で体を丸めるとそのまましばらく背中を撫でられ、うとうとと眠気がやってきたころでヒメが問いかけるように話しかけて来た。


『――ねぇ、シロは外に出たい?』


 外……、草原や森のことだろうか?


『ヤダ』


 反射的に否定の言葉を返すとヒメの手が止まり、困ったような雰囲気を感じ取れた。

 どんな意味で聞いてきたのか分からない。だが、あの時のように気づいたらどこか知らない場所に置き去りにされ、傍にヒメがいないなんて嫌だ。


『ヒメの傍にいたい』


 素直にそう答えると、ヒメの体から緊張が解けたような気がして、背中を撫でる手が動き始めた。


『それなら良かった……のかな?

 シロも聞いていたからわかると思うけど、私達はもうすぐこの迷宮から出て、外にある街へ帰るのよ。その時にシロもついてきてくれるかなって意味で聞いたの。

 今の言葉、私と一緒なら外に出ても平気ってことでいいんだよね?』


 ヒメの住む街へ連れてくため、外に出したい。

 さっきの外とはそういう意味だったのか。ならば問題ない。


『それなら外に出る。

 ヒメについて行く』

『ふふっ、ありがと』


 穏やかにヒメはそう答えると、そのまま体を撫で回しながらヒメの住む街の話を始めた。


 ヒメやナイ、ジックが育った教会という施設の説明から始まり、冒険者という仕事とその内容について。

 3人で住んでいるアパートのことや、隣に住んでいるリンカおばさんという人の事。

 いつも食べているパン屋さんのオススメや、冒険者で同期のケイトやウールと言う人の話。

 どこか聞き覚えのある名前もあったような気がしたが、撫でる手がとても心地よく、夢見ながらにヒメの話を聞いているうちにそのまま眠りへといざなわれていった。


 そして眠りに落ちる中、こう思う。

 ヒメと一緒に街へいきたいな。――と。

 この寿命が尽きるまで、ヒメに寄り添うことが出来れば。――と。

 そのためには念話を初め、様々なスキルを使えるようになってヒメの役に立たないといけないな。――と。


 

 ――――――――――――



「……っ!?」


 違和感を覚え目を覚ますと、隣でナイがヒメの肩を揺すり「視線を感じる」と言って起こしているのが見えた。

 ヒメは何も感じていないようで「気のせいじゃないか」と答えているようだが……これはなんだろうか? 寝る前と何も変わっていないはずなのに、妙に首筋のあたりがチリチリとする。


 集中してあたりを探ってみるが、何の気配も、匂いも感じることはなく、ヒメの言う通り自分の違和感も気のせいだったのだろうか? と首を捻る。


 すぐにヒメから視線を感じないかと問われたが、分からないと返すと3人は首をひねりながらも、魔法を使ったり、天井を見上げてみたりと、しばらく話し合いを続けながらいろいろな場所を調べていた。


 どうにも嫌な感じはするのだが……、それが何か分からないためにどうしようもなくもどかしい。


 未だ首筋のあたりはチリチリとするが、ヒメ達の間でその気配は気のせいだった。ということで収まったようで、話しの内容はそのまま二階へ降りるための打ち合わせへと変わっていった。


 自分の感じた違和感も気のせいで、もしかするとナイが動いた気配に反応しただけなのだろうか? ヒメが言っているのでそうなのかと考えるが、本当にそう納得していいものだろうか。と嫌な感じがどうしても払拭できない。


 再度辺りを見回すがやはり何も感じ取ることはできず、ヒメから「朝ごはん出来たよ」と言われたので、やはりナイのせいだったか。と納得して食事へと没頭した。

 取り敢えず首筋のチリチリが気になる代償として、ナイの朝食から干し肉をくすねてやったのは仕方がない。ヒメに理由を言ったら笑って許されたので特に問題もないだろう。


 そして朝食が終わり、地下二階へ向けて出発する事になった。


 二階へ向けて動き始めると、自分はヒメの側から離れないように、そしてナイの斥候を引き継げるよう、しっかりと動きを見ておくように言われたので、その指示に従い、周囲の警戒を怠らずにヒメの足元を歩くことにした。


 ナイは事細かに、罠や敵の特徴を教えてくれた。

 宝箱には偽装したモンスターが隠れていることがある。床に不自然な盛り上がりや色の違いがあればそこに罠が隠れている。迷宮内のモンスターは特殊な器官があり、近づいてくる魔力の波動で自分達を認識するなど。ヒメに言わせれば全部当り前だが、あそこまで細かく説明するのは自分に死んでほしくないからだそうだ。――ナイの癖に生意気な。


 そして暫く歩いたころ、地下二階へ降りる階段が見つかった。


 だが階段を降りる直前、ヒメから自分は絶対に手を出さず、敵が近づいたら逃げるようにと言われたのには少なからずショックを受けた。

 体格が小さい分、ナイよりも力は弱いだろうがそれを補うことが出来るほど素早く動けるようになった。それに爪や牙も鋭さを増し、コボルト相手なら一瞬で勝負をつけられるようになった。

 ――が、ヒメに心配させてまで我を通すほどのことでは無かった。

 それに傷ついた時のヒールを頼まれたのだ。今は少しでもヒメに褒めてもらいたいし撫でて欲しいので、与えられた仕事を全うして、一流の使い魔である事をアピールしておいた方が良いだろう。

 そう思ってヒメの指示に大人しく従う事にした。


 だが異変は唐突に訪れた。


 階段を下っている途中にナイが唐突に駆けおり始めたのだ。

 ヒメとジックがナイを追うように階段を駆けおりるので、ついて行こうとしたが、階段で待機するように指示され、ヒメの視線からそれが命令であると感じたため、大人しくその場へ留まることになった。


 せめて下の様子だけでも……と、確認しようと覗き込もうとした時、頭の中をかき乱すような妙な音が頭の中で鳴り響いた。

 あの【声】とも違ったこの音は、視界を歪ませるほどに不快で気持ち悪かった。

 歪む視界の中、ジックが自分に向けて何か言っているようにも見えるが頭に響く音で何も聞こえず、ヒメは頭を押さえてしゃがみこんでいる。ナイは変な箱を持ったままオロオロとしているようで……。

 ――唐突にヒメとのつながりが断ち切られた感じがした。


 頭の中へ響いてくる音もぷつりと消え、視界も元に戻ったと思った最中、視界の中に一本の矢が飛来し、ジックの胸元めがけ、吸い込まれるように刺さっていった。


 呆然としながら自分の胸へ突き刺さった矢を見るジック。

 口から血を吐き出し、崩れ落ちようとするがすんでのところでナイが抱き留める。その際にナイが放り投げた箱は地面に落ちるとバラバラに砕け散った。


 ――それに、シロが無傷で待機しててくれればあなたのヒールをあてに魔力を出し惜しみすることなく戦えるの。


 呆然とその光景を見ていたシロだったが、ヒメに言われた言葉が脳裏をよぎり、自分が何をしなくてはいけないかを思い出す。


 ヒールを掛けなければっ!!


 ジックの傷を癒やすため、シロは階段を駆け下りようとする。

 ……なのに、途中から階段を降りることができなかった。


 下の様子を見ることはできるのに、まるで見えない床が現れたかのように下へさがることが出来ない。

 立ち直ったヒメが血まみれのジックをナイから受け取り、矢を引きぬいめ回復魔法を行使するのが見えるが……、光が弾けて霧散している事から状況は芳しくない。


 そして階段のずっと奥、矢が飛来してきた方向には部屋の扉があり、そこでは豚の頭を持った魔獣――オークが室内に入ってこようとするのをナイが抑えていた。


『ヒメ、逃げて。こっちに来て』


 必死に声を張り上げるが、ヒメはジックの体にすがりついたまま何やら泣き叫んでいるようで自分の声が聞こえている様子がない。

 ヒメとの繋がりを感じ取ろうとしても、まるで途中で切れてしまったかのように何も感じ取ることらできない。

 動かないジックを見ると、ヒメが倒れた時と同じ、いや、それ以上に心がざわつくのを感じる。


 もう一度ヒメが両手に光を集めジックの胸へ押し当てるが、今度は浸透すらせずにはじかれて消える。

 その光景を見てざわつきが更に大きくなった。


 ――ほら、ヒメに光が浸透してゆくのがわかるかい? これは肉体が魔力を受け取って回復しようとしている証拠なんだ。だからヒメは大丈夫。充分に回復すればすぐに目を覚ましてくれるよ。

 でもね、光がすぐに消えたり、はじかれるように霧散した時だけは別なんだ。シロ、いいかい? もし、僕やヒメにそんなことが起こったら、魔法をかけようとせずすぐに逃げるんだ。シロは僕たちと一緒に死ぬ必要まではないんだよ。


 魔法を教わっていた時、ジックはそう言っていた。


 つまり、……ジックが、死んだ?


 眼下に起こる光景を認識し、理解した瞬間。頭の中で何かがはじけたような気がした。




 ……嫌だ!! 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!

 まだジックに魔法を教えてくれた礼を言っていない。「ありがとう」を伝えていないっ!!

 死んだなんて嘘だっ!! ヒメと同じように回復魔法をかければ治るはずだっ!!

 

 下へ降りるため、限界まで爪を伸ばすと見えない床をかきむしる。

 手ごたえなど全くなく、つるつると滑るだけだが何もせずにはいられない。


 ヒメがジックから手を離し、ナイの方へ駆けていくのが見えるが手は止めない。


 何故だっ!! 何故下に降りられないっ!!


 力を込めすぎたせいか爪が欠け、血が吹き出してくるがそんなものは関係ない。


 削れろっ!! 削れろっ!! 削れろっ!! 削れろっ!! 削れろっ!!


 それでも全く手応えのない床をかきむしっていると、視界の中にナイとヒメが飛び込んできた。

 二人共弾き飛ばされるかのように勢い良く背中から地面に倒れる。


『ヒメっっっ!!』


 名前を叫ぶがやはり反応は返らない。

 ――いや、一瞬だけ視線が合った。

 ヒメは自分の方を見て一瞬だけ微笑むと、すぐに視線を近づいてくるオーク達に戻した。

 四匹のオークは二匹がヒメの側に立つと、もう二匹がナイの方へ掛けてゆき、棍棒を振りかぶると勢いよく……。


『あああああああああああああっっっっっっっっっ!!』


 ナイがっ!! ナイがっ!! ナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガナイガっッッッッ!


 必死に床をかきむしるが、全く削り取ることができない。

 爪が一本吹き飛び、二本吹き飛び、強烈な痛みと共に血が溢れ出る。自分は下に降りる事が出来無いというのに、吹き飛んだ爪と血だけが下へ落ちてゆく。


 何故だっ!! 何故だ何故だ何故だ何故だ何故だ何故だっ!!


 そんな中、ヒメの側に残ったオークも棍棒を振り上げ……。


 『ヒメっ!! ヒメェェッッッ!!』


 声の限り叫び、力の限り床を削るが、ヒメはおろかオークですら自分の方に向き直りすらしない。

 振り上げられた棍棒は勢いよくヒメへ向かって行き、打ち下ろされた先端はヒメの右足を深々とえぐった。


「――――っ!!」


 ヒメの顔が歪み、悲鳴を上げているだろう表情をするが中の音が全く聞こえない。

 もう一匹のオークは弓を投げ捨てると、空いた手でヒメの皮鎧を掴み、勢いよく引きちぎった。

 ヒメが涙を流す。悲鳴を上げる。助けを求める。それなのにその声は全く声は届いてこなく、棍棒は何度も何度も、執拗にヒメの両足へ振り下ろされ、その度にヒメの両足が変形してゆく。


『消えろっ!! 消えろっ!! 消えろっ!! 消えろっ!! 消えろっ!! 床ァァァァァッッッ!!』


 右手の爪が完全に吹き飛び、左手の爪ももうすぐ折れそうだがそれでも諦めるわけには行かないっ!!


 ヒメの足はふとももより下は完全にミンチと化し、身につけているのはサークレット状の防具と右腕に付けられた銀の腕輪だけ。

 ナイを殺した二匹のオークもヒメの下へ駆け寄って、顔や腹部に暴行を加えている。


『ガアアアアアアアアッッッ!! ――あっ……』


 そしてついに耐え切れなかったのか、左手の爪も折れて地面に落ちていった。


『あっ……、あぁ……』


 もう削る術は……。……いや、まだ牙がある。

 大きく口を開けると見えない床へ、ぶつけるようにして歯を立て……。え?

 牙は見えない床に阻まれず、バランスを崩した自分はそのまま階段を転げ落ちていった。

 

『……ぐっ』


 階段の半分は転げ落ちただろうか、だがバランスを立て直し、階段上に立つとオーク達の視線が自分へと向いているのが分かった。

 ヒメとの繋がりも戻っていて、原因は分からないが自分は見えない床を突き破ったのだと悟った。


「ブヒィィィッ!!」


 一匹のオークが嘶き、ヒメの体を投げ捨てると二匹のオークが棍棒を掴み、階段を登ろうと駆けてくる。

 更に一匹のオークが床に捨てていた弓を拾い、矢をつがえようとしている。


 階段を転げた時に少しは冷静に戻れたのだろう。その光景を見てヒメの言葉を思い出した。

『遠距離攻撃が出来る敵っていうのはかなり厄介よ。前衛の攻撃の隙間を狙って的確に攻撃してくるの。

 でもね、後衛で戦う敵は急に接近されると脆いことが多いの。

 いい? 前衛は私達が食い止めるからシロは低い体勢で後衛に接近し、不意をついて攻撃手段を奪いなさい。いっそ一撃で首を狩れたりすれば良いんだけど、さすがにそこまでは期待するのはまだシロには早いかな』


 オーク達の位置、階段から床までの高さを確認すると、体に力をみなぎってくるのが分かる。


 ――っいける!!


 弓をつがえたオークから矢が放たれるのと、階段上から身を翻し、放った後に硬直したままのオークへ襲いかかるのはほぼ同時だった。

 左後方からカツンと乾いた音――矢が階段に当たった音が響くのを聞きながら中空を踊り、落下の力を推進力に変え、弓を持ったオークへ向かって大きく口を開く。

 次の矢をつがえようとしていたオークだったが間に合わないと踏んだのだろう、矢を逆手に持つとこちらへ矢じりを向けて振り下ろしてきた。


 ――それがどうしたぁっ!!


 振り下ろされた矢じりの速度は速く、コボルトのように余裕を持って避けることはできなかったが、ヒメとの訓練で培った技術は振り下ろされた矢じりを皮一枚切らせる程度で回避させてくれた。

 そのまま無防備な姿となったオークの首筋に食らいつき、勢い良く上顎を閉じるとゴソッと肉を削ぎ落すことが出来たようだ。


「ウ゛ッ……」


 弓を持ったオークはくぐもった音と鮮血を撒き散らし、そのまま前のめりに倒れてゆく。


『必ず敵の位置は把握しておくこと。一瞬でも見失えばそれが命取りになるからね。一対一の状況でも常に視野は広く持ちなさい』

 再びヒメの言葉が頭をよぎる。


 口の中の肉を無理やり喉の奥に押し込むと、そのまま体を反転させながらヒメの側に立っていたオークと、階段に向かっていた二匹のオークの位置を確認する。


 一匹はヒメの側から動いていないが、階段を登っていたオークのうち、一匹が棍棒を片手にこちらに飛び降りてきて、もう一匹は階段上から棍棒を投擲していた。


 飛んでくる棍棒は先ほどの矢と違い、余裕を持ってかわすことが出来たのでギリギリの位置でかわし、飛び込んできたオークの迎撃に集中する。


 オークへ肉薄する寸前、体に力が湧いてくるのを感じた。

 この感覚は既に何度も味わっている。さっき喉をえぐったオークを喰らったのだろう。実感できるほど、身体能力が飛躍的に増大するのを感じながら舌なめずりをする。

 先ほどまで目で追うのがやっとだったオークの動きが、コボルトのように余裕で見ることが出来る。


『余裕があるならギリギリまで待って寸前で躱しなさい。躱す時の隙が少なければ少ないほど攻撃に転じやすくなるわ』


 ヒメの教えを守り、風圧を感じる程度の距離で棍棒を躱し、ガラ空きの胴体に向けて再生された爪を伸ばす。


『いい? シロの爪は私達の武器と違って取り外すことのできない、たったひとつの武器なの。胴体に食い込んだり、深く突き刺さってしまうと身動きが取れなくなるわ。

 狙うのは関節や厚みがない場所。それも無理なら浅く切りつけるだけにとどまりなさい。必ず次の攻撃に繋げられるよう考えて動くの』


 再び頭をよぎる言葉に従い、爪の軌道を変えて棍棒を持った肘の内側を切りつける。そのままオークの股の間を抜けるようにして両足の健を切り裂くと、まだ階段の途中にいる棍棒を投擲したオークへと向かって駆ける。


 棍棒を投擲し、素手となったオークは両手の平を握りしめると打ち下ろすように殴りかかってきた。


 戦い方に工夫はないのだろうか。


 紙一重でかわすと弓を持ったオーク同様、首がガラ空きの状態だったので勢いをつけ、すれ違いざまに跳躍しながら爪を振るう。

 確かな手応えとともにオークの首が胴体からずれ落ち、鮮血を撒き散らしながら大きな音を立てて地面へと崩れ落ちた。


 残る敵は二匹。石段に爪を食い込ませながら反転して様子を伺うと、先ほど健を切ったオークは地面の上でもがき苦しんでおり、ヒメの横に立ったオークは棍棒を構えているが動く様子を見せない。


 しかし本能的にあのオークは手強いだろうと認識する。

 奴がこの群れのリーダーだろう。本能は用心しろと囁いてくるが、ボロクズとなったヒメの体が目に入った途端、ただ何も考えずに飛び出していた。

 一つ覚えのように、振り下ろされる棍棒は先ほどまでのオークに比べ圧倒的に早い振りだが、今の自分を仕留めるには少し遅い。

 紙一重でかわすとそのままガラ空きの喉へ向けて爪を――。


「……カヒュッ」


 息がつまり、体から力が抜けるのを感じる。

 立っていられなくなり、そのまま地面へ崩れ落ちようとしたが何かに支えられるように宙に浮く。


 攻撃を食らった? しかし何故?


 熱い塊が喉の奥から込み上げ、吐き出すとそれは血の塊だった。

 目の前のオークの顔がにたりとゆがみ、視界の中に振り下ろされた左手とは別に突き出された右手が見え、その手にはヒメの使っていたメイスが握られており、その先端は自分の腹部へと突き入れられていた。


「ブヒッ」


 勝ち誇った顔でメイスを引き抜かれると、支えを失った自分の体が地面に落ちる。

 オークは鼻を鳴らしながらゆっくりと棍棒を振り上げると、頂点まで振り上げられた棍棒は自分の頭部へと目掛け、勢いよく振り下ろされてくる。





 ドンっ

 グジュッ


 唐突に横から衝撃を受け、何かに弾き飛ばされたと認識したのと、何かがつぶれるように湿った音が響いたのはほとんど同時だった。


「あっ……、ぐうっ……、……ロッ、……まっ!!」


 一瞬、白く塗りつぶされていた意識がかすかに聞こえてきたヒメの苦悶の声と、名前を呼ばれたという認識で帰ってきた。

 渾身の力で振り下ろしたのか、棍棒が地面を穿つとオークの動きが止まり、首の後ろがガラ空きになっていた。

 体中をばねのように弾かせて、地面を跳ねるとオークの背後へ飛び上がり、ガラ空きの首へ滑らせるように爪を這わせる。

 首と体を切り離すまではできなかったが、半分まで首が裂けるとそこから鮮血が吹き出す。


『シロッ、おく……もっ』


 着地した体に暖かい何かが触れ、体に淡い光が灯った。

 息苦しさが消え、体に力がみなぎる。

 ヒメの念話に従い奥のほうを見ると、健を切り裂かれて苦しみもだえていたオークが棍棒を投擲しようとしていた。


 すぐに射線をヒメから外すように移動ながら駆けてゆくと、投擲を諦めたのか、がむしゃらに棍棒を振り回してきたので、その合間を縫いながら喉を切り裂く。

 オークは痙攣するように小刻みにはねるが、すぐに体から力が抜け、自分の中へ何かが入り込んでくるのがわかった。

 だがそんな事、最早どうだっていい。

 ――生きていた。

 ヒメが生きていたんだっ!!


『ヒメッ!! ――え?』


 喜んで振り返ると、右腕の肘から下が千切れ、両足を失っているヒメが、青い顔のまま無理をして微笑もうとしていた。

 足の出血はほとんどないが、右腕からは湧き出るように血が溢れ出している。


 その姿を見て理解した。先程、棍棒から救ってくれたのはやはりヒメだったと。右腕を犠牲にして自分をかばってくれたのだ。


『ヒメッ!!』


 慌ててヒメの元へ駆けより、ジックに教わったヒールの魔法を発動させる。


『シロ……』


 尻尾の先に灯った光をヒメに押し当てると、光はヒメの体をほのかに光らせる。


『ありがとう。でも、やめなさい』


 しかし帰ってきたのは拒絶の念話(ことば)


『ヒメ、なんで?』


 訳が分からずそう聞き返すと、ヒメは今までの暖かい笑みとは違い、どこかもの悲しそうな笑みを浮かべた。


『これはもう治らないの。

 私達じゃ潰れた足を治すことはもちろん、ちぎれた腕だって繋ぐことはできない。

 回復魔法を使ったところで止血ぐらいしかできないのよ。だからね、シロは今後のために魔力を節約しておきなさい」


 そして手招きされたので、ヒメのすぐそばに寄ると左手で抱きしめられ、顔を寄せられた。


「シロ……、あなただけでも無事で良かった』


 どうしていいか分からず、涙だけでもと思い舌で掬いとると少しだけくすぐったそうな顔をした。


『ありがとう。

 シロ……、聞いて。私達は引き際を誤った、だからこれは仕方の無いことなの。でもね、あなたは違う。私達と一緒に朽ちる必要はないのよ。

 ……そうねシロ、命令を与えるわ。

 私の千切れた腕の横に転がっている腕輪……、そう、あそこよ。それに左前足を差し込みなさい』


 ヒメの視線の先を追うと、銀の光沢を持つ十字の模様がかたどられた腕輪が転がっていた。右腕が千切られた際に転がったのだろう腕輪は、その半分程をヒメの血に沈ませていた。

 ヒメの顔を伺うと真剣な顔で返されたので、血溜まりの中に左前足を差し込むと、指の半分程が血に沈んだ。

 腕輪は人用の大きさなので、指示通りに左前足を差し込み、ひっかけて持ち上げるもすぐに落ちてしまう。咥えて持っていけばいいのかと思ったが、すぐにヒメから次の指示が飛んだ。


『そう、いい子ね。少しだけそのままで』


 ヒメの口がわずかに動き、ヒューヒューと声とも音ともつかない何かが耳に届き、その音に呼応するかのように腕輪がすっと光を放つと、ゆっくりと形状を変えていった。

 輪の大きさが少しづつ縮まってゆき、反対にその幅が広くなってゆく。

 足にぴったりと張り付いたそれはまるでガントレットのようで、関節と関節の隙間を覆うようにその形状を変化させると、腕輪だった時と同じように十字の模様が浮かび上がり、安定したとばかりに光が消えていった。

 締め付けるように苦しいわけでもなければ重さを感じるわけでもなく、反射的に足を振るが動きが阻害される感じすらなかった。

 足に張り付いた金属とヒメと、交互に視線を動かすとヒメが薄く笑って言った。


『あなたにあげる。

 それはね、私が捨てられた時に一緒に持たされていたものらしいんだ。けど、冒険者になった今でもそれが何か全く分からないの。

 でもね、恐ろしいほど固いのに全然重くないからシロの防具にいいかなって思ったんだ。渡す機会が無くて遅くなったけど、渡せてよかった。邪魔じゃない?」


 肯定するように首を振ると、ヒメは嬉しそうに返す。


『よかった。サイズ調整の魔法(エンチャント)がかかってあったから大丈夫とは思っていたけど、まさか細身の腕輪がガントレットのようになるとはね。

 思ったよりシロに似合っているみたい。大事に使って』


 もう一度うなづくとヒメの目が細まる。そのまま軽く上を向いて深く目をつむった後、しっかりと自分を見据えるように目を開くと、


『そして最後の命令よ、私を殺しなさい』


 と言って来た。

 

『ヤダ』


 言葉の意味を理解する前に、想いが言葉となってヒメへ届く。


『シロ……』


 ヒメが悲しそうに自分を見る。


『お願いシロ。このままここに居てはまたオークが来てしまうの。

 回復魔法を使ったからすぐに死ぬことはない。けどね、だからこそオークが来たら繁殖のために生かされ続けることになるわ。……それだけはどうしても耐えられないの』


 言っている意味は分かる。今のヒメは自力で動くことが出来ないし、オークやゴブリンなど一部のモンスターは人を苗床としてその数を増やすことが出来る。さっき得ることの出来た知識だ。


『なら、ここでヒメを守る』


 もちろんヒメにそんな事をさせるつもりはない。でも、ヒメはその答えに困ってしまったようだ。


『シロ、それは無理よ。

 ここは階段だから他の冒険者が来る可能性が高いの、そうなったら私は冒険者ルールの適用で処分されることになる。そしてここに降りてくる冒険者なら間違いなくオークより強いしシロよりも強い。シロが私を守ろうとしてくれても無駄に殺されるだけよ。それこそ耐えられないわ』

『……何故?』

『こういった場所で身動きの取れなくなった女性はモンスターの苗床となる危険性が高い、……冒険者の矜持を守るために必要なことなのよ。そして、刃向かってくる魔獣は使い魔だったとしても関係ない。

 ……だからお願い、私はシロに殺してほしいの』


 悲壮な決意が伝わってくる。そして最後の一言は懇願に近く、一言一言ゆっくりと紡がれた。


『……』

『私は冒険者になる時、こうなる覚悟だってもちろん持っていたわ。

 予想よりずっと早くなっちゃったけど、だからって死ぬことに後悔なんてしてない。

 唯一心残りなのはシロ、あなたの事よ。街へ連れてってあげるって約束したのに、つれていけなくてごめんね』

 

 その言葉にはかろうじて首を振ることが出来た。けど、街に行きたかったのは、ヒメが一緒に連れて行ってくれると言ったから。そうじゃないなら……。


『いつの間にこんなに大きくなっちゃったんだろうね。

 最初は成猫になりかけ程度の大きさだったのに、目を離したすきに二周り近く大きくなっちゃって』


 ヒメに言われて初めて気づく。視界に入る自分の体が昨日までに比べ、一回り近く大きくなっていたことを。


『コボルトを倒したとき、わずかに大きくなったような気がしたのは気のせいじゃなかったんだね。

 これがあなたの種族、【魂喰い(ソウルイーター)】の特性なのかな? 敵を倒せば成長する。私たち人族とおなじだね』


 オークを倒したときに急激に力が強くなり、腕の傷が消えたような気がしたが、それは体の成長も合わさって行われていたのだろうか、……わからない。


『私たち人族を殺したときの経験値って、実は結構すごいらしいんだよ。だから冒険者にとって介錯をするのは魔素を稼ぐ最高の手段と言われていて、それ目当てにダンジョンに潜る人もいるぐらいなの。

 だからね、シロ。強く生きるために私を糧にしなさい。

 見ず知らずの冒険者の糧になるぐらいなら、私はシロの糧になりたい』


 まっすぐに目を見ながら言って来る言葉に、自分は何も答えられない。力よりヒメと一緒にいたい、だがヒメはもう……。


『……と言ってもシロは優しいから無理でしょうね」


 ヒメがふっと微笑むと、真剣な顔になって言葉を紡ぐ。


「……ごめんなさい。でも、これが私の望み。

 もうあなたの側にはいられないけど、これからはずっとあなたの中で一緒になるわ。

 ”強制命令執行”シロ、私の首を落としなさい』


 ヒメの瞳に魔法陣が浮かんだ。


 ――しまった。


 使い魔へ強制的に命令を下す魔法。それをヒメが使った事は認識できたが、抗うことができない。体に力を入れて抵抗するが、意思を無視して右前足から爪が飛び出す。


『ヒメっ、いやだっ!! やめさせてっ!!』


 何とか念話だけでも飛ばすが、ヒメは穏やかな瞳のままじっと自分を見て動くことはない。

 意志に反して体はゆっくりとヒメに近づき、右前脚を振り上げる。


『いやだっ!! ヒメっ!! ヒメっ!! ヒメっ!!』


 ヒメの口がゆっくりと開き、わずかに言葉を形作る。

 もはや言葉にならないヒューヒューという音の中に、かすかに”ありがとう”という言葉と”ごめんね”という言葉が聞こえた気がした瞬間、振り上げられた爪がヒメの首筋へと吸い込まれていった。


『ヒメェェェェェェェェェッ!!』


 無機質な音を響かせ、穏やかな表情でヒメの首は石の床をゆっくりと転がり落ち。胴体から舞い上がった血しぶきはあたり一面を真っ赤に染め上げる。

 まるでその赤は自分の中に渦巻く怒りを具現化したように思え……。

 体の中に何かが入ってきた。オークを倒した時とは比較にならないような何かが体中を駆け巡り、湧き上がってくる力と、入り込んでくる記憶が更に怒りを加速させる。


「アアアァァッ!!」


 

 体が作り変えられてゆくのが分かる。ヒメを喰らった事で得た新しい力。話だけでは到底知り得ることができなかった知識。

 その全てがただただ虚しく、苛立ちをぶつけるものは何もない。

 そして無性に湧き上がる怒りはヒメを助けることができなかった自分へひたすらに向けられて……。


 いや、違う……。


 新しく得ることができた知識の中、この怒りをぶつける相手がいることを知った。

 この迷宮を統括する者、ダンジョンマスター。

 時には龍族、時には魔族、時には人族が迷宮の核を取り込み、変異した成れの果て。この迷宮にも存在は確認されてないが、そんなモノが居るらしい。


 ならばこの怒りを、ヒメやナイ、ジックを失った悲しみをぶつける相手はそいつしか居ないだろう。

 だが自分は最弱と呼ばれる戦闘猫(アタックキャット)だ。今の自分では深層のモンスターには手も足も出ないはず……。

 ……ならば力を蓄えよう。何、獲物ならこの地にいくらでも居る。

 ヒメ達を直接手に掛けた憎き豚共。まずは奴らを根こそぎ殺し、その力を奪い、いつかこのがヒメの仇を取ってみせる。

 そう決意すると豚の匂いを追って、迷宮に吸収されてゆくヒメ達を振り返ることはせずその奥へと駆け出し初めた。

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