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—— side ダンジョンマスター ——


 薄暗い部屋の中、ぼんやりと灯るモニターの明かりが二人の人影を映す。

 一人はボサボサの黒髪と同色の暗い瞳を持った10代後半の少年、着ている服は現代日本で言うところのジャージのようなものだろうか。

 もう一人は少年に付き従うように後ろへ立っているため、上半身がかすかに見える程度だが、理知的な銀縁のメガネと後ろに流した銀の髪がとても映える20後半ぐらいの青年で、執事服を着込んでいるところから少年に仕えているように見える。


 少年はモニターが置かれる机に向かい、ひどい猫背で覗き込むようにして画面を凝視している。

 モニターの中では一組の男女と四匹のオークが戦闘しており、せわしなく動く少年の右手に合わせ、画面も目まぐるしくスクロールを繰り返す。

 映像の中心となるのは戦士の格好をした少年であり、名前をナイと呼ばれていた。

 彼がオークから前蹴りを受け、後方へ吹き飛ばされるとそれを追うかのように画面が移り変わる。

 地面へ転がり激しくむせるナイの元へ、鈍重な足音を響かせながら近寄ってきたオークは棍棒を振り上げ、無造作に振りおろした一撃で地面に脳漿の花を咲かせた。


「始末完了……、っと」


 モニター越しとはいえ、人が一人死んだ。

 その事実にモニターを眺めていた少年は、満足そうに口の両端を釣り上げ、モニター横に置かれたペットポトルを手に取る。

 せわしなく動いていた右手はすでに止まっており、左手でモニターの上部に触れると画面はブラックアウトして消えた。


「これだから勘の鋭い奴ってのは嫌なんだよねぇ、危うく認識誤認に気づかれる所だったじゃないか、まったく。

 この迷宮の存在意義はそこしかないんだからさぁ、生きて返すわけにいかなくなっちゃったよ」


 あははっ。と笑うが、声をかけられたであろう執事風の男は黙して何も語らない。


「でも、流石に宝箱はわざとらしすぎたかなぁ? 下手に手を出せばペナルティを課せられるし、ルールの中で殺すにはあれしかないから仕方ないけど、久々に無茶したからダンジョンのエネルギーがごっそり減っちゃったよ。

 このままじゃ、今月は収支マイナスになっちゃうかなぁ」


 "マイナス"という点を強調して語りかけるが、執事風の男は片眉をピクリと反応させるだけで何も言わない。


「っま、仕組みに気づかれたらこのダンジョンってばタダの美味しい狩場になっちゃうからねぇ。

 そんなことになったら僕の命(ダンジョンコア)は簡単に砕かれるわけで、絶対に情報を持って返すわけにはいかなかった。

 ほんっと、上手くいって良かったよ。ねぇ? 辰巳たつみ


 名前を呼ばれたことでやっと発言を許された。とばかりに、辰巳と呼ばれた執事風の男はゆっくりと口を開き、一言だけ返事を返す。


「そうですね」


 ただし、そこには何の感情は篭っているように感じられない。


 そう、この迷宮にボスとして喚び出された彼には、ダンジョンマスターである少年の許しを無しに、発言することも、自分の管理する部屋(ボス部屋)へ戻ることも、少年に否定的な意見を述べる事も出来なかったのだ。


「ふふんっ、それにしても余裕ぶった冒険者が絶望にさらされる顔って最高だよねぇ。そう思わない? 辰巳」

「相変わらずの悪趣味だと思いますよ、マイマスター」


 しかし多少の嫌味を混ぜることは出来るのだろう。

 眼鏡の奥に見える、龍人特有の縦に長い瞳孔が不快げに潜めていることから彼の心情がおもんばかれる。


「ふふっ、そう言わないでよ。

 そうとでも思わないとダンジョンマスターなんてやってられないんだからさぁ。ね、辰巳」

「最初はそうだったかもしれません。ですが、今は完全に素で楽しんでますよね」


 その嫌味さえも少年にとっては楽しいのか、先ほどとは種類の違った笑みを浮かべると、大げさな手振りで肩をすくめて話す。


「そこは否定しないよ? 娯楽なんてこれしかないんだから仕方がないじゃない。

 それにさ、これは僕に与えられたおもちゃなんだよ。自分のおもちゃを好きにいじって何が悪いのさ」


 そして辰巳の眼前へと指を突きつける。


「それとも辰巳がなりたいかい? ここのダンジョンマスターにさ。

 簡単だよ、僕の命を刈り取るだけ。

 その後ダンジョンコアに触れればそれだけで新しいダンジョンマスターの誕生さ。っま、それが出来るんなら(・・・・・・)だけどね。ねぇ、たつみぃ」


 辰巳が眉をしかめると、少年はさらに興が乗ったように立ち上がる。


「私は迷宮が吸い上げるエネルギーさえ頂ければ、マスターがどんな性癖を持つ方でも問題ありません。マスターに逆らうような愚など冒しませんよ。

 それより、あのアタックキャットは如何なさるおつもりですか?」

「どうするって、あんな小さいのセンサーに引っかからないから放置するしかないでしょ? 

 使い魔に魔獣を使うのは珍しいけどFランクの魔獣程度、ほっといてもコボルトあたりにぷちっと殺されて終・わ・りでしょ。

 訓練したからかアタックキャットの割にはすばしっこいし、監視するのも面倒だし、そのうち勝手に野たれ死んでくれるからほっとけばいいよ」

「ですが……」

「チッ!!」


 発言を許可した覚えはない。とばかりに少年は舌打ちをすると、続けて何かを訴えようとする辰巳へ、畳み掛けるように言葉を紡いで邪魔をする。


「確かに君のことは友人のように思っているし、気安く話しかけるよう条件付けした。この部屋に常駐できるよう命令もしたし、一部権限も与えている。

 だけどね、僕のすることに反論する権利を与えたつもりは無いんだよ。君は僕の指示に黙って従えばいい。それを忘れたのかっ!! 辰巳ぃっ!!」

「……それもそうでした。

 差し出がましいマネをしてすみませんでしたね、マイマスター」


 おどけるかのように肩をすくめる辰巳に、少年の怒りは激しさを増す。辰巳にむかって「力を抜け」と命令すると、脱力した辰巳のほおを思い切り殴り飛ばす。


「次は無い。いいな、辰巳」

「もちろんですとも」


 2、3歩たたらを踏み、口の中でも切ったのか、口元から垂れる血をポケットから取り出したハンカチで拭った辰巳は、しかし脅すように低い声で言う少年に何事もなかったかのように慇懃にお辞儀で返す。


 召喚された辰巳にとって、契約主である少年には本当の意味で逆らうことはできない。

 それを知っている少年はテーブルの上に乗ったナイフを手に取り、辰巳の左太ももに深く突き立てた。

 それで溜飲がさげることができたのか、辰巳に目で合図をして椅子を元の位置に戻させる。

 

「っかし、意外とあの筋肉バカがキレ者で焦ったわ。そう思わないかい、辰巳」


 話題を変えよう。とでもいうように、先ほど始末を完了した戦士について、少年は砕けた口調で語りながら勢いよく椅子に座りこむ。


「……そうですね」


 変えた話題が結局それか。とばかりに眉間にシワを寄せる辰巳だったが、それを全く感じさせない口調で答える。


「まさか認識誤認の影響下で自分の力を疑えるキレ者がいるとは思わなかったよ。

 ……一体何処で気がついたんだろう」


 少年は少し考え込むと、最初に気づいたのが辰巳だったことを思い出す。


「確か辰巳が気づいた時には既にステータスに疑問を持ってた。そうだよね? 辰巳」

「ええ、その通りです。と言ってもパーティメンバーが誤認していたんで、結局は自分が間違ってると思い込んだようですが」

「ふうん。それはいつ頃? 辰巳」

「私が気づいたのは一階にある回復の泉で、ステータス確認の魔法陣を発動したとアラームが鳴ったからですね、二階へ降りる前日でしたから、昨日の夕方のことです」


 迷宮には侵入者を感知するセンサーが常に張ってある。重量30kg以上の全ての生物に反応するそれは、ダンジョンマスターにとって獲物の到来を告げるアラームであり、ほとんどのダンジョンマスターにとってはとても重要なものではある。

 だが、彼らにとってそのアラームはさほど重要なものでは無い。なぜなら……。


「ふぅん……、やっぱりうちの迷宮にとって、そっち(・・・)のアラームの方がよっぽど重要みたいだ。ねえ、辰巳」

「……そうですね。

 誰かさんはオークに捕まった冒険者の監視に忙しいようですので、一人でこの迷宮の仕組みに気付いた冒険者を探し出すには、ステータス確認の魔法陣を察知するアラームの方が余程重要です」

「なら入口の方は切っておこうか」


 そのまま何かを言いたそうにする辰巳を視線で黙らせ、椅子に座るとモニターに何かを打ち込み始めた。

 そして3分も経たないうちに「これでよし」と言って、椅子に座ったまま辰巳へと振り返る。


「という訳で入り口のアラームは鳴らないように設定したから。

 あとは監視の得意な辰巳に全部任せるね」


 にっこりと邪悪な笑みで丸投げ宣言をすると、片手を出して指折りしながら何かを数える。


「あの戦士を含めて、今までで罠に気づいたのは全部で4人。

 なぜか剣士や格闘家系、脳筋ばっかが気づいて、一緒にパーティを組んでる魔法使いにステータス確認の魔法陣を発動してもらうんだよね。

 もしかすると魔法系の罠だから、ガテン系には効果が薄いのかなぁ?

 もしくは僕の知らない感知系のスキルが前衛職には存在する。……か、心当たりはない? 辰巳」

「生憎、私にはとんと検討がつきませんね。

 そもそも認識誤認なんて罠、見たことも聞いたこともありませんでしたし、今までに仕えたことのあるマスターは皆、罠を作るより、より深い階層を、より強いモンスターの召喚をとやっきでしたから。

 ついでに聞くと、ガテン系というのは前衛職の総称ですか?」

「ん〜、ガテン系ってのはガテン系、脳筋の総称かな。僕も響きで使ってるだけだから特に意味はないや」


 ぴらぴらと手を振ると、何かを考えるように人差し指を唇にあてる。


「ま、罠に関しては仕方ないかな。この罠はダンジョンの根幹に関わるから初期のダンションマスタリー時しか選ぶことができないし、そもそも知らないマスターだって多いんじゃないかな?

 ほら、マスターと生体リンクする迷宮にリスキーな存在を選ぶ人なんていないでしょ?

 この罠を選択すると初期の階層は浅くなるし、場所は大きな街の近くへ自動的に設定される。これだけのデメリットがあるのに専用効果なんてこれだけなんだよ?」


 少年が後ろ手でモニターを操作すると、モニターには認識誤認の詳細説明が表示される。


「侵入者の実力を過大認識させることができる。成長に従ってより効果は強くなり、隠蔽効果が高くなる。ってね」


 内容を覚えているのか、モニターを見ずに一言一句違えずに説明する。


「普通に考えたら、実力を過信させたからどうなるって話だよね〜。辰巳ならそれだけの効果に命をかけられる? これってどう考えても地雷だよね。

 実際、迷宮創造時のオプションもこれだけ隅っこにポツンと表示されてたし、あの人は今まで選んだ人がいないって驚いてたからね」


 何かを思い出すように、くふふっと笑うと、辰巳を見下すように言葉を続ける。


「そんな地雷を選ぶんなら、少しでも深い階層を、少しでも強い魔物がはびこる土地をって考えるのが選択を迫られた者の心情だと思うんだよ。

 例えば辰巳、お前の今までの主人達のようにね」


 ギリッ、と歯ぎしりをする辰巳を楽しい物でも見るかのように少年は高笑いを始める。


「まぁ、彼等には感謝しておくよ? 尊い犠牲があったおかげで君のような竜人族が、マスターすら守れない不良品って事で安く手に入ったんだから。

 でもね、僕は違う。

 そんな無能なダンジョンマスターと違い、僕はあえて地雷を踏むことで力を得たんだ」


 口の端を吊り上げ、笑い続ける少年を見て、辰巳はいつものように冷ややかな目でそれを見続ける。


「それは何故か判るかい? たつみぃ」

「ゲームの知識——って奴ですね」


 そう。辰巳の言うように、地球からダンジョンマスターとして召喚された少年には、異世界の知識(チート)があった。

 ゲームや漫画、WEB小説で学んだ知識から、地雷こそが最強の切り札、そう彼は考えていた。

 だからこそ、自分の命とも言えるダンジョンにこの罠を創造し、事実、何人もの駆け出し冒険者や迷い込んできた一般人を葬って、ダンジョンを大きくしてきた自負があった。


「その通り。僕には他の誰にもない知識がある。

 僕が知ってる限り、地雷と呼ばれる存在は全てチートクラスの強力な使い道があるんだよ。でも常人では価値に気づかない、その使い道を考えることすらできないから地雷と呼ばれるし敬遠される。

 でもね、僕はそんな凡庸な奴等とは違うんだ。

 例え認識を誤認させるだけの単純な罠だって、一つの階層に一種族のモンスターしか用意しなければ自分の実力を疑いづらくなってしまう。

 ステータス確認の魔法陣だって認識誤認の影響を受けてバグった表示しかされないんだからね、尚更に疑うことはできなくなる。

 なにしろ、ステータス確認の魔法陣とやらは、彼らにとって絶対(・・)らしいからね。

 そして実力を見誤った冒険者が階下に降りたところで、ごく普通の実力を持ったオークに襲わせればっ!!」


 そこで先程のパーティを思い出したのだろう。興奮し、いつしか止まっていたはずの笑いが再度込み上げてくる。


「辰巳も見たでしょ? 無警戒に階段を降り、発動したトラップに動揺したうえ、矢を射られて死んだ魔法使いのあの間抜けな顔。

 脳筋が膂力で負けるはずがないって信じていた神官の、オークに押し込まれて苦悶する姿を見た時のあの絶望した顔。

 さらにオークに犯されると気付いた時には悲鳴でもあげてたんだろうねぇ。あの絶望に染まった顔のそそる事そそる事。

 宝箱の設置で予想外のエネルギーを使ったけど、久しぶりに最高のショーを見ることができたよ。これも認識誤認様々だよ。

 ね、辰巳」

「……相変わらず悪趣味な事で」

「失敬だなぁ。流石に豚に嬲られる女の子を見るのは忍びないとモニターの電源を切ったんだよ。ほら、紳士じゃないか」


 心外だなぁ。とばかりにオーバーアクションで首を振る少年に、辰巳は内心白々しいことを。と思うが、発言を許可されていないので口を開かずにそのまま流す。


「だからさぁ、もちろん僕の命を守る為って意味もあるんだけど、何よりも僕の楽しみのためにあの脳筋のような迷宮のシステムに疑問を持つ奴はいちゃ駄目なんだよ。

 あのお馬鹿魔法使いのように上手く騙されてくれなくちゃ。

 ——そう、ここは僕の楽園でなければいけないんだ。

 腐った世界で虐げられてきた僕は、今まで不幸だった分他人を不幸にする権利があるんだ。

 僕を虐げるような人間は、みぃーんな僕の手のひらで踊り続ければ良いんだよ!! ひゃはっ、ひゃはっ、ひゃはははははははっ」


 そして狂ったように笑い始めた少年を、辰巳は退屈そうに、耳を小指でほじりながら、まるでゴミを見るかのように目を細める。


「……その為にはもっとエネルギーが必要だ。

 あの方は教えてくれた。僕と同じようにあいつらもこの世界に喚ばれたって。

 恵まれた僕と違い、勇者(奴隷)として喚ばれたあいつらはいつかこの迷宮に足を踏み入れるだろうって。

 その時までに僕はこの迷宮を難攻不落の要塞に変えなくちゃいけない。

 殺してやる、絶対に復讐してやる。

 あの屈辱にまみれた日々にサヨナラするには、奴らをこの僕の手で、僕の作ったこの迷宮(ダンジョン)でくびり殺さなければならないんだ。ひゃはっ、ひゃはははははっ

 わかったかたつみぃぃぃ」

「へいへい、マイマスターのお望みのままに」


 そのおざなりな返事が届いているのかいないのか、狂ったように笑い続ける少年を辰巳はいつまでも眺め続けた。



--------



 辰巳にとってとても長い、退屈な時間は現実には約30分、焦点の戻ったダンジョンマスターはポツリと呟く。


「分ったなら自分の部屋に戻っていていいよ。僕はこの後一人になりたい気分だからさ。ね、辰巳」

「かしこまりました。じゃ、失礼します」


 慇懃にお辞儀をする辰巳の背後へ虚空から青い扉が浮き出し、マスタールームから出る唯一の扉を開いた辰巳は、ナイフが刺さっているとは思えないほど確かな足取りで、扉の奥のゆがんだ時空を通り、自分の部屋へ戻って行く。

 その姿を見送った少年はモニターへと向き直り、ヒメの足取りを追跡するよう設定していたチャンネルを開いた。


「ふへへ、辰巳にはああ言ったけどさ、このぐらいの役得ってのは必要だと思うんだよね。

 あの神官、結構好みだったのに勿体無いなぁ、いっそ壊れて抵抗出来なくなった後にでも、オークから取り上げていただいちゃおうっかなぁ〜。エネルギーは食うけど、設定いじれば外側だけ新品に戻すこともできるしさぁ」


 ——が、神官についていたはずのチェックはターゲット消失を表し、モニターはブラックアウトから変わることがない。


「……は?」


 文字の意味を理解した少年は一気に不機嫌な表情となり、椅子から立ち上がるとモニターを凝視する。


「うっそ、マジかよ。消失ってことは勢い余って殺しちゃったってこと?

 あっちゃぁー……、仲間がぽっくり行ったんで心が折れたと思ったのに。放置したのはちょっと不味かったかぁ……。

 変に抵抗でもしてオークに殺されたのかなぁ……。あぁ、勿体無い勿体無い。殺さないよう命令しておくべきだったよ」


 頭をガシガシと掻くと、左手でモニターの設定をいじる。


「まっ、栄養になったものは仕方ない。他にも良い女冒険者は一杯いるし、そっちで楽しませてもらうとしますかね」


 そのままモニターの電源を落とし、その場でズボンとパンツを脱ぎ捨てながら左隣に開いた赤い扉を下卑た笑みを浮かべながらくぐってゆく。


 ——彼は知らないし興味を持たない。なぜターゲットが消失したのかを。彼にとっては秘密を知る者さえ居なければそれでいいのだから。



————



「……ふぅ」


 マスタールームの扉から繋がる、八畳一間ほどのベットしかない部屋へ戻った辰巳はため息を吐き、太ももに刺さったナイフを抜く。

 出血の全くない太ももを軽くひと撫ですると、傷跡が最初からなかったかのように消え、服に空いた穴すらも元に戻った。


「相変わらず悪趣味なマスターだ、反吐が出る」


 そのままジャケットを脱ぎハンガーに掛けると、ネクタイを外し、シャツのボタンを緩めてベットに腰掛ける。


「……っかし、あの猫は一体何だったんだ? マスターは気にしちゃいないようだったが、一瞬でオーク共の首を刈り取り、さらには使い魔のくせにあんな行動までとりやがった……。

 この迷宮で産まれた存在じゃねぇのは確かだし、あの波動……、どっかで見た記憶も有るんだよな……」


 何かを必死に思い出そうとするが、心当たりが見つかったのか、一瞬目を見開くとかぶりを振って気を取り直す。


「まぁ、いい。確かにあの体躯じゃ監視は厳しい——っつか、ありゃ無理だな。小さすぎてマーカーをつけらんねぇ上に、すばしっこいから見失っちまった」


 片手で乱雑にメガネを取り外し、ガラスの内側に小さく映ったモニターを一瞥する。


「報告は……、ま、必要ねぇよな。

 そもそも無視するように言われたし。契約は襲ってくる人間共からマスターを守ることに限定してある。

 利用することは……、可能か? 

 ……願わくば」

 

 彼は一人そうごちると、執事服のままベットへ埋もれるように倒れ、ゆっくりとまぶたを閉じて行った。


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