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「——いやぁぁぁっ」


 目に映った光景に全ての思考が止まり、口から勝手に悲鳴が漏れ出す。

 なぜなら……、私の目に映った光景は、口から血を吐いて崩れ落ちるジックと、それを支えながら鬼のような形相で盾を構えるナイだったからだ。

 崩れ落ちようとするジックをナイは右手で抱きとめ、左手に構えた盾を突き出しながらどこかを睨んでいる。

 ジックの顔色は蝋のように真っ白で、口からは絶えず血を吐き出し続けてていて、瞳は力なく閉じられ、体は弛緩したようにだらりと垂れ下がっている。——そして、背中から突き出した矢はその存在を主張するように赤く染まっていて……。


「ジックッ!!」

「ヒメっ、立つんじゃねえ」


 慌てて立ち上がろうとする私へナイの叱咤が飛ぶ。


「あれは俺が抑える。……ジックを……頼む、助けてくれ」


 タスケル? ……そうだ、回復っ!!

 ナイが私の後ろ側へ駆けて行くと同時に、私に覆いかぶさるようにジックの体が崩れ落ちてきた。慌ててその体を受け止ると指先にわずかな鼓動が伝わってきた。


 ——トクン……、トクン……。


 生きてる。

 鼓動は微かなものの、ジックの心音はまだ失われていない。

 わずかに聞こえる鼓動とジックのぬくもりは、焦ろうとする私の心をを少しだけ冷静に引き戻してくれた。

 気を抜けば震えそうになる手と口を懸命に抑え、突き刺さった矢がこれ以上ジックを傷つけないように気をつけながらゆっくりと床におろす。吐血が気道を塞がないよう、気道を確保しながらジックの体を確認すると、突き刺さった矢は左胸から背中へと貫通している。

 頭をよぎる嫌な考えを振り払う様に一度ぎゅっと目をつぶると、深呼吸をして魔力を練り、回復の呪文を唱える。

 目を開き両手に淡い光が集まったのを確認したところで、ジックに刺さった矢を途中から折って勢いよく引き抜く。

 矢の刺さっていた場所から鮮血が吹き出し、ジックの体が小さく痙攣を始める。

 飛び散った血が顔にかかるけど、こんなことでひるんではいられない。

 似たようなことは教会の手伝いで散々やってきたんだ、こんな時こそ焦らないで落ち着いてやらなければ……。

 淡い光を放つ両手で血を押しとどめるように矢傷を押さえつけ、祈る。祈る。祈る。


 ――治れっ、治れっ、治れっ、治れっ!!


 祈りを現実に変えるため、全力で魔力を注ぎこむ。……なのに普段ならすぐに血が止まり、塞がるはずの傷がなぜか塞がる気配を見せない。


「なんでっ!?」


 間違いなく回復の魔法を口にしたはずだ。手のひらから放たれる光は間違いなくジックを包み込んでいる。……なら間違いなく傷は塞がり、血の気だって戻ってくるはず。くるはずなのにっ!!


「お願い治って。治ってよ。なんで治んないのっ!?」


 なのに傷がふさがらない。それどころか引き抜いた矢傷のせいで出血が続き、床に血だまりが広がってゆく。

 人の血液は大体5リットル前後。それが2リットルも抜ければ失血死を起こしてしまう。早く血を止めないとっ!!

 ジックの顔色が白から土気色に変わり、残っていた温もりすら急速に失われてゆくように感じる。出血はとめどなく続き、ジックを包み込んでいた回復の光まで消えようとしている。


「なんで治らないのよっ!!」


 もう一度詠唱を唱えようとしたところで、冷たい何かが頬に触れる。


「ヒメ……、死、……な、よ……」


 その冷たい感触はジックの手だった。血が止まらないのに意識だけは戻ったみたいで、本当にかすかな声が何かを紡ぐ。あぁ、なんでがちゃがちゃうるさいんだろう。ジックの声が聞こえないよ……。

 でも、こんな時人が何を口にするのか、想像だけはつく。


「大丈夫、大丈夫だからっ、もう一回っ!!」


 だから詠唱もそこそこに、集まりかけた回復の光をジックに押し付ける。……けど今度は、光はジックを包むことなく霧散する。


「なんでっ!?」


 分かってる。この現象がジックの手遅れを伝えてきているぐらいの事は。そしてジックの意識が戻ったのは、回復してきたからじゃなくてロウソクの火が消える前の輝きのようなものだってことを。

 ……だからと言って諦めることなんて絶対にできない。叫ぶように詠唱を始めると、頬に触れた手が力なく崩れ落ちていった。


「ご……んね……ミヤ」


 ジックにとって誰よりも大切な人の名前を残し、その瞳から光が消えてゆく。

 意思のなくなった瞳は光を映さない。つまり……。

 ジックが……"死"んだ。


「いやぁぁっ……」

「ヒメっ、悲しむのは後だっ!! 駄目ならジックは諦めてっ、ぐっ……、うっ……」


 崩れ落ちそうになった私へ再度叱咤の声が飛ぶ。


「ナイ……、ナイっ!?」


 私は何度後悔すればいいんだろう。

 ジックが矢を受けたのなら矢を放った誰かがいる。ナイはさっきなんて言った? 抑えるって駆けて行ったんだ。なら、私は気付かなければいけなかった。

 贅肉だらけのピンクの体に豚の頭が乗ったモンスター——豚面人身(オーク)が、宝箱のトラップ——敵をおびき寄せるというアラームの罠によって集まってきたことを。


 私達を背に、部屋の入り口と言える扉の前で、中に入ってこようとするオークどもを押しとどめるため、ナイは剣を振るい続けていた。

 一匹のオークの棍棒を盾で受け止め、別のオークが口を真っ赤に染め上げて肩にかじりついている。その後ろにはさらに何匹ものオークがよだれを垂らしながらこちらを伺っていて、その中にはジックを射ったであろう、弓を構えたオークが次の矢をつがえていて、その弓矢が狙う先は……。


「ナイに……、触れるなぁっ!!」


 かっと頭が熱くなり、傍に置いていたメイスを掴んでオークに向かって駆け出す。


 ——間に合えっ!!


 放たれた矢がナイの頭部へ向かって飛んで行く。

 渾身の力を込め、矢を叩き折りながらナイの肩にかじりついていたオークの頭部へ振り下ろす。


「ヴヒッ」


 グジュっ、という音がしてオークの頭部が陥没すると、そのまま前のめりに崩れ落ちてゆく。

 先程矢を放ったオークが次の矢をつがえているのが見えたので、妨害するようにメイスを投げつけ、詠唱を開始する。


「ナイっ、すぐに回復をっ!!」


 光る両手を肩に当て、傷を癒すけれどナイは首を振る。


「無理……だっ。それよりっ……逃げろっ」

「そんなことはない、例えオークが多くても今のナイなら簡単にっ」


 地面に落ちていたオークが使っていたであろう棍棒を掴み、そのままナイを押さえつけるオークめがけて振り回すけど、途中で固められたかのように動かなくなってしまう。


「ブヒッ」


 別のオークが片手を上げて棍棒を受け止め、いやらしい笑いを浮かべていた。


「そこが間違いっ……、だったんだ。

 良いから逃げろっ!! 俺じゃオークに勝てねぇ」


 今度こそ回復は効いたみたいで、全快したナイは油断しているオークに向かって前蹴りを決める。腹部を蹴られ、たたらを踏んだオークは後ろへとさがり、棍棒を掴んだオークは手を離すとナイに向かって威嚇するように鼻を鳴らした。


「どういう事?」


 ナイの隣に立って構えようとすると後ろ手で制される。


「言葉通りだ。俺程度じゃオーク一匹にすら勝てねぇ……」

「……え?」

「ガアッ」


 言葉の意味がわからず、再度確認しようとした所へ、一度押し戻されたはずのオークが棍棒を振り上げ、ナイに向かって勢いよく振り下ろした。

 ナイは棍棒を盾で受け止めるとそのまま押し戻……。


「ぐあぁっ」


 盾で受けたはずの一撃は、骨が折れる時特有の嫌な音を響かせて盾ごとナイの腕を持っていった。そのまま畳み掛かるように打ち下ろされる連撃は、垂れ下がった腕から盾を弾き、肩や腹部へと打ち下ろされる。その度に嫌な音が響き、地面へ崩れ落ちようとするナイの腹部へ、先程のお返しとばかりに前蹴りが入るのが見えた。そして直撃を食らったナイの体はまるでボロ雑巾のように私の横を転がっていって……。


「……なん、……で?」


 理解が追いつかない。ナイの体力値は30、対してオークの体力値は25が限界のはず。個体差による違いはあってもその差は歴然としていて、純粋な力量でナイが負けるはずがない。それなのに現実には一方的にナイが押し負けていた訳で……。いけないっ、このままじゃナイがっ。


「ナイッ!!」


 ヒールの詠唱を口の中で唱えながら振り返り、地面に横たわるナイの元へ駆け寄ろうとしたところで、突き飛ばされたように体が前方に浮いた。


「え?」


 左肩に激痛が走った。

 バランスを崩して地面に投げ出された私の目に入ったのは、——ジックを殺したのと同じ矢だった。ナイを振り返った――つまり、連中に無防備な背中を見せてしまった私に射かけてきたのだろう、嫌らしい笑い声が耳に響く。

 怯みそうになるものの、今はとにかくナイを回復させるのが優先だ。立ち上がろうと腕に力を込めると、かくんっと力が抜けて地面に倒れ伏してしまう。


 ——あれ?


 体に力が入らない。

 立たなきゃと思うのに思い通りに体が動いてくれない。


 焦る私の思いも裏腹に、重量感のある足音がいくつも近づいてくる。

 目の前を過ぎてゆく足は二匹分。ナイの転がっていった方へ向かう足取りはゆっくりと、まるで獲物をいたぶるのが楽しそうなうなり声を上げながら近づいてゆく。


 ——信じられなかった。

 どう見てもあれはごく普通のオークだった筈。体力値30のナイが力負けをするはずも、一方的に蹂躙されるなんてない、ただのモンスターの筈だった。

 たとえ迷宮の罠で感覚が狂っていたとしても常に感覚強化の魔法はかけていたし、考えられるのはステータス確認の魔法陣が誤作動を起こす事ぐらいだけど、そんな事聞いたこともない現象で……。

 アラームの罠は周囲の魔物をおびき寄せるだけという罠だったから特殊な個体が入り込んできたとも考えられないし……、いやっ、もしかしてこの迷宮のオークは特殊な個体ばかり? シロがそうだったように、見た目と違ってオークじゃない可能性も……。そうだっ!! シロはっ、シロは無事っ!?


「あぐうっ!?」


 腹部に強烈な痛みが走って視界が反転しかける。

 飛びそうになる意識を懸命に手繰り寄せると、うつ伏せにされたのがわかった。視界に映ったのは棍棒を振り上げ、下卑た笑いを浮かべる二匹のオークと天井。そして視界の端に階段が見えてシロの姿が見えた。

 言いつけ通り階段を登っていたはずのシロは、天井との境があるはずの場所で懸命に爪を伸ばし中空をかきむしっている。必死に叫んでいるのだろうか、口は動いているけど念話すら届いてこない。

 そうか、結界……。アラームの鳴った部屋は指定されたモンスター以外、一定時間はだれも侵入できない。ついでに言えば中に入ったものはだれも外に出ることはできない。それならシロだけでも助かる。良かった……。


 オークの振り上げた棍棒が振り下ろされるのを見ながら、らしくないと考えつつも、最後にシロの無事だけでも確認することができてよかったと胸をなでおろす。

 近づいてきた棍棒が目の前に迫った頃、ナイが飛んで行ったはずの場所から湿った鈍い音が響いた。


 ——そっか、ナイも殺されちゃったか……。


 意味がわからないまま殺されるのはすごく悔しい。でも冒険者になるって決めた時にこうなるのは覚悟の上だった。


 ——なら、仕方ない……かな。


 驚くほどあっさりとその結論に到達すると、ゆっくりと近づいてくる棍棒や周囲を観察する余裕が生まれてきたみたいだ。


 ——でも、私はまだ覚悟が足りなかったみたいだ。


 余裕ができたせいで気がついてしまった。オーク達が浮かべる下卑た笑みの下には、股間のふくらみがそそり立つほどに直立していたことを。

 オークやゴブリンは捕らえた女性を苗床にし、その数を爆発的に増やすと言われている。それは地上でも、そして迷宮でも変わらない事実だったはず……。


 棍棒は私の顔を素通りし、高い音を響かせて右足を砕いた。


「あっ……ああ゛あ゛っ」


 痛みに悲鳴が上がる中、そのままもう一匹が掴みかかってきて、私の皮鎧をまるで紙を引きちぎるかのように破り捨てた。

 下卑た笑みを浮かべたオークと目があった瞬間、私は何を期待されているのか理解する事が出来た。


「!? っいやぁぁぁぁぁっっっ……‼」


 ……私の場合、殺されるだけじゃ終わらないんだって事を。


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