脳子さん
奇妙な死体が発見されたのは、これでちょうど三度目だった。
「あちゃー、この子もパックリといかれていますね」
「可哀想に……まだ未来ある若者だというのに」
苦々しい顔をした刑事二人の目線の先には、有名進学校の制服を着た男子生徒の死体が転がっている。後頭部を容赦なく攻撃され、割れ目からはおびただしい量の血があふれ出している。一見すると単純に撲殺されたように見えるが、この死体……いや、以前見つかった二つの死体にも共通することがあった。
三人とも、脳味噌がなかったのである。
「むごいな」
「変質者の犯行でしょうか」
数々の死体を見てきた刑事であっても、この異様な死体をじっと見ることは出来なかった。後頭部の割れ目には引きずり出すときについた血の跡と、脳味噌の破片がこびりついている。他にも何かわからない血管らしきものが飛び出している。
先に殺された二人も、今回の死体と同様に高校生であった。
一人目は心臓を一突きされて、ミイラを作るときと同様、鼻孔にかぎ針のようなものを差し込んで脳味噌を掻き出されていた。
二人目は一人目と三人目よりもむごいことをされていた。頭部左右真っ二つに切断され、右脳と左脳が分かれている状態であったにもかかわらず、綺麗にどちらも持ち去られていた。
そして今回の三人目は、後頭部に出来た割れ目に手を突っ込んで強引に引きずり出されたような形であった。その証拠に、割れ目には指の跡がついており、力を入れたと思われる部分だけがふにゃふにゃになっている。
「とにかく早く犯人を捕まえないと」
「そうだな。これじゃ子供たちが安心出来ない」
二人の刑事は深刻な顔をして話し合っているが、未だに犯人のめどはたっていない。指紋が検出されなければ不審人物の目撃情報も上がらないので半ば迷宮入りしそうになっているほどであった。
というのも、この連続殺人事件が起きるのが、放課後のF高校の校内に限られていたからである。
「今回も何も手掛かりなしですね……」
「くそ、犯人は今頃我々をあざ笑っているに違いない!」
年配の刑事が心底悔しそうな顔をして壁をドンと一度叩いた。
F高校で起きるこの不可思議な殺人事件は、刑事が扱ってきたどの事件よりも陰湿で、残酷であった。
安全なはずの学校で、生徒が殺されるなどあってはならないことなのだ。
しかも、脳味噌を取られるなど正気の沙汰ではない。
三人はそれぞれ各学年の成績トップの者であった。
そのため、この三人の優秀さを妬む生徒の犯行、もしくはF高校に追いつけ追い越せと必死になっている近辺の進学校の者が、評判を落とすためにしでかした犯行かとも思えたが、何しろただの殺人ではなく殺した後に脳味噌を取り出すという通常では考えられないようなことを施されているのがどうしても引っかかる。現在、警察では特殊な趣味嗜好を持つ奇人の犯行だという筋で捜査が進められている。
「そう言えば」
「あん?」
死体から目を背けて、一人の若手刑事が思い出したかのように言った。
「知ってます? 最近生徒の間じゃ、犯行にちなんだ幽霊が話題になっているそうですよ」
「幽霊だぁ?」
信じられないという顔で中年の刑事が、若手刑事の顔を見た。
もちろん、若手刑事だってそんなバカげた話を信じているわけでは無い。
あくまで、勝手に噂しているだけですよと前置きして、若手刑事はつづけた。
「一連の事件の犯人ですがね、脳子さんっていう女子高生の幽霊だって言われているんですよ。何でも昔、F高校に通ってた生徒らしいんですがね、親がそれはもう教育熱心で、毎日のように寝る間も惜しんで勉強させられてたんです。でも、一位にはなれなかった。親は激怒して尻を叩きながら勉強させてたそうです。でもある日、自習室で二学期の中間テストに向けて勉強していると日頃の無理が祟ったのか、席に座ったまま心臓麻痺で死んだそうです。
その時に開いていたノートにはこう書かれていたんですよ。
『もっと、かしこい頭脳が欲しかった』ってね。それで今でも優秀な脳味噌を求めて校内を彷徨っているってのが、脳子さんってわけらしいですが」
「ばかばかしい!」
若手刑事の言葉に被せ気味に、中年の刑事が吐き捨てた。胸がむかむかするような、とにかく不快極まりない気持ちでいっぱいになったので早くそれを体外に出したかったのだ。
「不謹慎にもほどがあるぞ」
「そうですよね。すいません」
「全く。くだらんこと言ってないでさっさと捜査を続けるぞ」
「はい」
脳味噌を求めている奴の名前だから脳子とはいささか単純すぎる。
だがしかし、そんな噂をしているのがまだ十六、七歳の子たちだと思うと、実に子どもらしい発想だなと妙に納得してしまったのだ。
進学校に通う生徒など大抵大人びているか、冷静すぎるほどの現実主義な奴ばかりだと思っていたのだが。
日付が変わって翌日の放課後。
毎日遅くまで練習している運動部もとっくに帰り、節電のために一つ置きにしか蛍光灯を付けられていない廊下を、高校三年生の祐樹は歩いていた。
三十分前までは窓から射す夕日の光のお陰で明るく感じていたが、あっという間に夕日は地平線の向こうに沈み、すっかり真っ暗である。
先生もほとんど帰ってしまい、残るは宿直の先生だけとなった職員室に入っていく。
「失礼します。自習室の鍵を返しに来ました」
「ああ、お疲れ様。そこに掛けといてくれ」
「はい」
祐樹はハキハキとした口調で返事をし、お辞儀をして職員室を出た。
遅くまで自習室で資料のコピーを取ったり、ノートを写したりと来週のテストに向けて準備を進めていた祐樹は、ふと何か嫌な予感が胸によぎるのを感じた。
カリカリカリカリ……
再び自習室の前を通った時、確かに音がしたのだ。
それは微かな音ではあったが、祐樹の耳に間違いなく届いた。
カリカリカリ……カリカリ……カッカッ……
じっと息を殺して聞いていると、それが鉛筆を走らせる音だと気付いた。
いくら力強く描いているからといって、部屋の外にまで響いてくるものだろうか。
それに、自習室なら先ほど確かに鍵を閉めたはずである。
「もしかして誰かほかに残ってたのか?」
それならばもう一度職員室に行って鍵を取って来なければならない。
しかし、鍵を閉めるときに電気も消したのだから、誰かいたのならその時にきゃあとか消さないでとか何かしら声が上がったはずだ。
大きく深呼吸して一歩一歩と自習室のドアに近づく。
「あれ? 鍵が開いている?」
ドアの隙間から、弱弱しい蛍光灯の光が漏れていた。
そっと覗くと、どうやら自習室の一番奥にある机のライトだけが付いているようだった。
音を立てないように用心しながら静かにドアを開き、祐樹はまた自習室に足を踏み入れた。相変わらず激しく鉛筆を走らせる音が響いている。
部屋に入ると、ぶつぶつと何か言っている声も聞こえた。
「今度の中間こそ一位にならなきゃ……今度こそ……」
(中間だって?)
祐樹は自分の耳を疑った。
確かに、来週にはテストが控えている。ただし、それは中間テストではなく二学期の期末テストである。なのに、声の主は中間、と言った。
ここまで来て、祐樹は急に脳子さんの話を思い出してしまった。中間テストの勉強中にここで死んでしまったという女子生徒。もちろん、祐樹はそんな噂を信じるつもりはなかった。クラスメイトが話しているのを聞いて内心馬鹿らしいとすら思ってたのだ。
先週、先々週、そしてその前の週と三週連続で各学年のトップが相次いで何者かに殺されているのは知っている。犯人が脳を持ち去るなんて普通では考えられないことをしていることも。
けれども、だからといってそれが霊の仕業だと言われても祐樹は馬鹿だとしか思えなかった。きっと真犯人が、自分の罪を隠すためにそんな変な話をでっちあげたに違いない。
変質者が学校に出入りしているのは、それはそれで恐ろしいが、自習室で中間などと言っているのは間違いなく生徒のはずだ。変質者の訳はない。
普通、事件が起きれば学校は休校になるようなものだが、F高校では実施されなかった。それは、この事件を一種の学校の監督不行き届きであると批判されるのを恐れたためでもある。進学校としてのプライドの高さとありったけの財をもって、遺族や警察までも懐柔し、生徒にも半ば嚇すように緘口令を強いた。
祐樹はそんなF高校の対応に、エリートコースを歩むためならやむを得ない事だと黙って従っていた。
ただ、勉強ばかりの高校生活に退屈をしていたのも事実である。
鉛筆の音はまだ続いている。ちょっとずつ声の主に近づいているのだが、相手は集中しているのか祐樹の気配に気づく様子はない。
やがてもう少しというところで、コロコロと鉛筆が転がる音がして、祐樹はぎくっと足を止めた。
「うーん、ちょっと休憩しようっと」
F高校の自習室では飲食が禁止にされていない。糖分は脳に良いとしてよくチョコレートを静かに食べている生徒もちらほらいる。
がさごそとカバンか何かを漁る音がし、そしてサワサワとビニル袋か何かがこすれる音がした。何を取り出したというのか。
好奇心に任せて祐樹はそっと身を乗り出した。そこには、椅子に座り前かがみになりながら何かを食べている女子生徒の姿がった。
ごくりと唾を飲み込み、祐樹は様子をうかがった。袋から何かを取り出して食べているのだが、それはチョコレートではなさそうだった。
ズルっ……ズルズル……
何か麺類でもすすっているような音を出して夢中で何かを食べている。
飲食が禁止されていないとはいえ、インスタント麺を作れるようなポットなどは存在しない。何を食べているのか気になって祐樹はさらに体を前に乗り出す。
「今日はこれくらいにしましょう。残りはまた明日」
手で口を拭っているのだろうか。折り曲げられた右の肘が上下に移動している。
そしてゆっくりと女子生徒が頭を上げたのを見て、祐樹は思わず叫んでしまった。
「うううううううううううううわあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!」
ドスンと勢いよくカバンを落とす。中にしまっていた数枚のプリントが床にばらまかれた。しかし、それらを拾う余裕もなく、祐樹はそのまま尻餅をつき、口をパクパクさせた。
「なあに?」
くるっと後ろを振り向いた女子生徒は、長い髪をばさばさ揺らしている。
異常なほどに頭部が膨らんでいた。
「で、でっ………」
「自習室は静かにしなきゃだめよ?」
つま先から順に見上げていって、鼻の頭くらいまでは何の問題もない、どこにでもいそうな女子生徒の姿をしている。
しかし、そこから上は、もはや人間の形をなしていなかった。頭頂部がぱっくりと割れており、その隙間から若干脳味噌が見えている。割れたというよりも裂けたと言う方が正しいのかもしれない。
頭がこんな状態であるのに、普通なら生きていられるはずはない。
「の、のう……子さん……」
「ん?」
彼女は笑っているつもりなのだろうか。
頭の重みで目の部分が押しつぶされており、わずかに白眼だけが見える。
「あら、落としてるじゃない」
彼女がゆっくりと祐樹に近づいてくる。頭が重いのか、足取りがおぼつかない。よたよたと向かってきたと思ったら、かがんで祐樹のプリントを拾ってくれた。その時にはっきりと彼女の頭頂部の割れ目が、祐樹の目に飛び込んできた。
割れ目から中身が見えている。
彼女は、いくつも脳味噌を有していた。
なるほど、彼女の頭が割れてしまったのは、本来持っている頭蓋骨の大きさに対して、脳味噌が詰まりすぎているからなのだ。
さっき彼女が食べていたのはおそらく、一番最近殺された生徒の……。
「はい……あらこれって」
彼女が何かに気付く。
祐樹は声が発せず、ただただ彼女の動作を見るだけであった。
ぽたりぽたりと、頭から血液とも体液ともつかないものが垂れ落ちて、祐樹のプリントにシミを作っていく。
「だめじゃない。こんなんじゃ」
プリントを近くの机に置いて、またしてもよたよたと近づいてくる。
祐樹はもはや気を失いかけそうだった。
職員室から盗んでコピーしたテストの解答など、もうどうでもよかった。
「私が編み出した、賢くなる方法試させてあげる」
そのまた翌日。
一昨日来ていた若手刑事と、中年の刑事はまたしてもF高校にいた。
場所は自習室の奥の席である。
「はぁ……」
中年の刑事は手のひらで額をおさえてため息を吐いた。
若手は前回と同じ苦々しい顔をしている。
「俺はもう、何がしたいのかわかりません」
「全くだ。脳味噌が欲しいんじゃなかったのか」
そんな会話をする二人のそばで、祐樹が頭をぱっくり割られて倒れている。
当然、呼吸なんてものはしていない。
「模倣犯か」
「こんな猟奇的なことをですか?」
「世の中変な奴だらけだからな」
「この少年は運が悪いですね」
「ああ。悪いことは出来ないとは言うがまさか、な」
祐樹の死体は、頭が割れているというのは前回、前々回の被害者と同じだった。
しかし、決定的に違う点があった。
「悪趣味すぎますよ。何かの儀式でしょうか」
「学業に関するか?」
祐樹は、脳味噌を持ち去られていなかった。
それどころか、他人のものと思われる脳味噌が、割れ目から無理やり押し込められている。
その上には、真っ白の砂糖がまぶされていた。
「糖分は脳に良いとは言うが……」
中年の刑事は再び祐樹の死体に目をやったが、その悪趣味な死体を凝視することは出来ず、すぐに別のほうを向いた。
脳子さんは、まだF高校のどこかで、祐樹にあげた分と同じ質量の、誰かの脳味噌を探している。