八話
「それにしてもファニー。本当に、どうして僕はここにいるんだろうね」
僕はテーブルに頬杖をつき、ベッドに座るファニーを横目で見ながら溜息を吐いた。
次の日の朝、調査隊の撤収が皆の前でファニーにより宣言され、早朝から天幕の片づけなど、帰還の準備が行われた。
前日の会議ではまだ、調査隊の結成された名目である『旅商人の証言の事実確認はほぼ達成された』という意見と『制圧されたとされる村の状況確認がまだだと言う』二つの意見が対立していた。
その議論は反目する考えではないが、どちらかと言えば『握手の求めに応じたことで懐の広さを見せ権威も示せたのだから、これ以上大勢で行動して相手を刺激する必要性は無い』とする、所謂穏健派の意見が勝っていた。のだけれど、この時は僕達二人がまだ抜け出す前。僕達、特に責任者であるファニーが判断を決めかねており、調査隊の次の日の動向はまだ決まっていなかった。
しかし早朝の起き抜け、ファニーの「帰るわ」と言う鶴の一声で帰還は決定される。
これには周りにいた穏健派にとっても寝耳に水で、急遽開かれた会議によりまず、自衛隊との交流と言う名目の監視要員と、有事があった際の連絡要員がこの大村に二十名ほど駐留することになり。次に、制圧されたとされる村の状況確認の為に五名の人間が出向くことも決まり、それぞれが選出された。
会議の途中、握手の取り決めの時にも居た斬りたがり武官の発言で、僕は一時残される人員の責任者にされかけたが、それはファニーの反対で免れることが出来た。どうやらあいつの頭の中では、僕とファニーの仲の良さが領主の娘に取り入っているように見えているのかもしれない。
そして現在は領主の町ノウスオンへの帰路、街道の道中にある小さな宿場町。
会議をしている間にも、少しは減ったが八十名を引き連れる帰還の支度は着々と進んでおり、大村を昼前には出立することが出来てなんとかファニーを野宿させずには済んだ。
陽は既に暮れて外は暗い。通常ならば今頃僕は、街道沿いに三張り張った二十名ほどが眠れる宿営用の天幕で、どうすれば八十人が寝れるかを算段している筈だっただけど、何故かファニーに呼び出されて宿泊施設の上客用の一室に居た。その理由は分かり切っているけど、でも何故と言わずにはいられない。
「どうしてって、そんなの昨日の交渉の説明をしてもらう為に決まってるじゃない」
ファニーは、何を当たり前の事を言っているの?という風だ。
確かに説明すると約束はしたが、だからと言って泊まっている部屋に堂々と呼び出すのはやめて欲しかった。しかし、色々とあらぬ疑いをかけられるのは不安ではあるが、呼び出された以上、今更何を言っても仕方がない。
僕は頬杖をつくのをやめ、ファニーに対して正面を向き、話を聞く体勢に入る。
「じゃあまず、何を聞きたいんだ」
「んー・・・いきなりそう言われると困るわね。何しろ書いてある言葉の意味が全然分かんなかったし。そうだ、あのメモを貸してよ。そのほうが分かりやすいから」
確かにそれが良さそうだ。せっかく書いたのだし、何をと急に尋ねられても聞きたいことは定まらないだろう。
僕はメモを懐から取り出し、ページを開いて手渡し、ファニーはそれに目を通す。
「まず笹山って書いてあるけど、これはあの男の名前よね」
「そう、最初に来た男が笹山、責任者が塩崎、途中から話しに加わった女の隊員が木曽。他の人とは特に何も無かったから名前は分からないな」
「じゃあ次は、仏教ってやつね。これは何なの」
「輪廻転生の考えを持っている、向こうの世界の宗教の一つだよ。分かりやすく説明するとそうだな・・・向こうの世界には神様が複数いて、その数だけ神様の教えや決まりごとがあるんだよ」
この説明が正確でない事は分かっているが、他に簡単な言いようが思いつかない。詳しく説明するとなると、地球の人類が歩んできた歴史を事細かに講義しなければならなくなる。そんな時間はない。
この世界に神の存在は一つだけだ。他に大陸があるかは知れないが、少なくとも今のところこの大陸ではそれで完結している。そして神には名前も姿も無く、宗教にも特定の名称は無い。宗教といえばこれしかないのだから、その言葉自体が名称と言えるだろう。
こちらの宗教を総称して日本語で言うのは難しいが、しかし神を表す、名前とはまた別の言葉はある。両方の言葉を知っている僕からすれば聞こえは悪いが、ネフト教と言ったところだろうか。
「またダニエルが訳の分からないこと言い出したわ」
ファニーは天井を仰ぎ見る。この世界で幼い頃から教義を受けてきた彼女の持つ常識から考えれば、神様が沢山いる事はそれだけ世界が有るという事になる。継ぎ接ぎだらけの歪な世界でも想像しているのかもしれない。
しかし僕の思うファニーの美点は、余分な考えはさっさと捨てて、他の事に切り替えることの出来る生来の気軽さだ。彼女はまあいいやと言って座りなおすと、メモの一部分を指して僕に見せ「じゃあ、これは何」と聞いてきた。
「向こうの文字だよ。僕の前の名前が書いてある。読み方はさくらゆうき。佐倉が名字で、名前が勇気」
「名字があるって事は、貴族だったの」
「いや、向こうでは名字があるのが当たり前の制度だからね。昨日あった彼らも教えてもらったのは名字だけで、当然名前もある」
「ふーん。まあその佐倉勇気の事は聞いてもあまり意味がないと思うからいいわ。それにしてもたいした事書いてないわね、このメモ。ダニエルの事も知ってる話ばかりだし」
「それはそうだよ。最初はこちらの素性を話してただけだからね」
それは自衛隊にとっては信用に関る重要な事だけど、ファニーにとってはさして重要な話でも無い。
前世について彼女はあまり気の無い様子で、僕も気にしてないので詳しく聞かれても困る。
今の僕、ダニエルについては書いてある程度の事ならば、前に話した事もあるはずだ。
「じゃあこれは飛ばして、次ね」
ファニーはメモをめくり、次のページに目を通す。
「気になる事はある?」
「お父様が何事も無く解決したいのはそうだし、私も同じ気持ちよ。自衛隊も向こうからああ言った申し出をしてきたんだから、争う様な気は無いんだろうけど。そうね・・・やっぱり自衛隊についてもう少し詳しく知っておきたいわ」
少し考えてファニーは言った
自衛隊か。塩崎にも言ったが知っているのは本やテレビ、それに覚えてはいないが学校の授業で習ったかもしれない程度の、齧った程度の知識しかないんだが。
「前にも言ったけど、僕は自衛隊に関ったことがあるわけじゃないから、見聞きした程度の知識しかない。ただでさえ軍隊は何処も秘密の多い組織だからね、詳しくは知らないよ」
「それならそれでいいわよ」
「だったら。そうだな、まだこれは言ってなかったと思うけど、自衛隊が所属しているのは日本という国名の国だ」
「日本ね。話の中で何度か出てきた言葉だから聞き覚えはあるけど、確かにそれはまだ聞いてなかったわ。にほんじんって言ってたわね」
「それは日本の人って意味、イズム人みたいなものだよ。自衛隊は日本の軍隊だからね、これから関っていくならよく出てくる言葉だから覚えておいて」
「どんな国なの」
「それなりには広いけど島国だよ、イズム王国とは比べるまでも無い。だけど向こうの世界で経済力は第三位、軍事力は資金だけで言うなら第八位ぐらいだったかな、確か」
しかしそれは僕がこちらで生まれる前の話し。単純に考えて二十年は経っているだろうから、日本の、世界の様相も大分様変わりしていることだろう。
「だから自衛隊は強力な魔道具を大量に持っていて、その力はイズム王国ほどの大国でもどう転ぶか分からないほどに驚異的だ」
だが、こちらの世界にも魔法がある。科学と魔法。それらは特色は違えど、共に強力な軍事力だ。科学は脅威だが、魔法も座して負けるほど脆弱じゃあない。まとも戦えば少なくとも、泥沼は程度には持ち込めるだろう。
「その話だけ聞くと、自衛隊って恐ろしい軍隊ね。そもそも何でそんな奴らがこのウィンディアム領に居るのって思うし、それに何だか昨日の彼らからは結びつく気がしないわ」
「彼らは末端の一部隊だからね、一人一人にたいした力は無い。重要なのは組織力だ。それに自衛隊には大前提の理念として、専守防衛というのがある。守り、防衛を専門とするという意味。だから他国を攻め入ることは無いし、彼らが戦うとしたらそれは、敵国から攻められた場合に原則限られている」
「前に言ってたわね、自衛する為の隊で自衛隊って。態々そう名乗るくらいだからそうなのよね。だったら向こうから攻めてくることは無いと考えてもいいわけ?」
「そこが分からない」
僕が最も懸念しているのはそこだ。僕は自衛隊を平和的な軍隊だと評し、塩崎はその言葉を有難いと受け取った。しかし果たして、異世界に対してもそれは同様なのだろうか。
今すぐ争う意思は無いように感じたが、これからもそうだとは限らない。何しろ、今言った通り二十年の時が経っているのかもしれないのだ。地球は時代の流れも速いから、その変化は想像も付かない。
「僕は自衛隊がこの世界へ来た理由を大きく二つ予想していた。その一つが異世界への扉が開いた場合。そしてもう一つは自衛隊の一部隊、もしくは複数の部隊だけがこちらの世界へ偶発的にやって来てしまった場合」
「よく分からないけど、今回は多分前者なのよね」
そうだが、後者の系統は映画化もされた有名な作品もある定番の展開だ。しかし、知った今からすればそれは希望的観測でしかなかったのかもしれない。
「そうだけど、詳しく説明させてもらうと僕の予想していたこの二つには、大きな利点と欠点がいくつかある。まず外れたほうだけど、異世界に突然放り出されるわけだから当然補給がない状態だ。求めるものは水と食料。その場合、こちらも相手の求めるものが分かるから交渉もしやすいけど、彼らも生き残るためには大前提を破棄して、戦う事を躊躇はしないかもしれない。だからこちらの場合は、交渉に失敗したら争いになる」
「それはそれで嫌だけど。でも今回の状況に比べれば、いくらかましに思えるわ」
「そうだね、こちらがよほど高圧的でもなければ争うような展開にはならないだろうから、僕も後者の予想である事を願っていたよ。でも前者と違って自衛隊は今、明確な目的があってこちらの世界に来てるわけじゃない」
日本とその穴で繋がっているのならば食糧などの補給には困っていない筈だし、それならば彼らに無理をして戦う理由はない。だから大前提が生きてくる。
「そこで、僕はこちらの望む状況で話を進めやすいように、先に交渉の材料を提示して彼らに目的を与えたんだ」
「それが火を出した理由ね。でもいきなりで驚いたわよ、少し怖かったじゃない」
ファニーはあの時の事を思い出して不満気だ。
「ごめん。でも、ああいうのは不意にやるから効果があるんだよ。意味有り気な行動で、意味有り気な事を言って、僕らへの判断基準を鈍らせる」
「最近ちょっと思うけど、なんだかダニエルって詐欺師みたいなところがあるわよね」
「詐欺師とは失礼な、交渉だよ交渉。時に自分を小さく見せて相手を油断させ、時に自分を大きく見せて相手に一歩引かせる。これが正に高尚な交渉だよ」
「そういう所が詐欺師っぽいって言ってるのよ」
僕が身振り手振りでお道化て言ってみせると、ファニーは少し呆れた顔をして、次の瞬間には打って変わって笑顔になる。確かに僕のこういうところは、少し詐欺師っぽいのかもしれない。
「でも結局のところ、何で森にそんなものが出来たのかって話よね」
ファニーはページを捲り、次のページに目を通す。
「穴って書いてあるけど、穴でいいのよね。どんなものなのかしら」
「そうだな。穴と言われるとまず基本的に地面にあるのを思い浮かべるけど、後ろを振り向いたら穴があったと言っていたからな。森のどこかに大きな壁があって、そこに穴が開いているのか」
それとももしかしたら、漫画やアニメである表現みたいに、何も無い空間に穴だけあるのかもしれないな。現実、と言ってしまうのも滑稽だが、現実にそんな事が有り得るのかは分からないが。
「穴ね・・・でも突然そんな事を言われても信じられないわ。さっき二つの予想を言ってたけれど、彼らが嘘を吐いてる可能性は無いの」
「さすがにそれは考えられないよ。彼らに嘘を吐かれない為に、わざわざ領主様の指示で来てるって嘘までついたんだから」
「そうよね・・・」
嘘だとしたら、それは互いの信頼に関る。それほどまでに軽率な発言を自衛隊が簡単にするだろうか。それに木曽の体験した証言も、咄嗟であれだけの嘘を吐けるようにも思えない。
「この猛獣って、やっぱりトムルダから降りてきたのかな」
「そうだね。その可能性は高い」
木曽は随分と派手な事を言っていたが、それほどに悲惨で凄惨な状態だったのだろう。
あの日本でそんな凶暴な猛獣が突然現れたとは考えにくい。
ライオンやトラだとしたら既に判明していて、僕にそれを話すこともない。ならばトムルダの怪物があちらの世界に行ったと考えるのが妥当だろう。
「ダニエルはトムルダについてどれぐらい知ってる?」
「それほどは知らないよ。多分ファニーと大差は無いと思う」
「そうよね」
好奇心旺盛なファニーでもさすがにトムルダに興味は沸かない。僕もトムルダについての逸話はいくつか知っているが、あんな場所へ好んで向かうやつの気が知れないほどの、常軌を逸した話ばかりだ。
「あと帰ってから調べるけど、あの辺りの亜人の集落についても知りたい」
「そうよね、森の事だから亜人のほうが詳しいわよね。もしかしたらその穴も、亜人の仕業かもしれないし」
「いや、自衛隊も亜人は見かけてないと言っていたからな。亜人がそんな大それた事をしたとは思えないし、亜人の仕業なら既に接触しているだろう」
亜人は人間より身体能力は総じて高いが、逆に魔法は先天的に不得意な分野だ。それほどの異常な現象を引き起こせるとは考えにくい。だがそれでも、離れてはいるが確か亜人の小さな町がトムルダの大森林にもあったはずだ。機会があったら話を聞いてみたい。
「メモに書いてあるのはこれぐらいね。後の問題は、お父様に今の話をどう説明するかよ。はっきり言ってこんな話、そう簡単に全部を信じてもらえるとは思えないわ」
「大丈夫だよ、それについてはもう手を打ってある」
「何をしたの?」
「出かける前に、アーネスト宛で手紙を頼んでおいた」
「お、お兄様を呼んだの」
ファニーは実際にベッドから飛び上がって驚いた。