三話
「アニュメスト、ボマージ」
これが僕が最初に聞いた、彼らの話す言葉だった。
それは、まだ日は高いがそろそろ暗くなってきそうだ、という曖昧な時刻。
諸々の後片づけをしていたところ突然外が騒がしくなり、何事かと天幕を出て外を覗いてみると、怪物が迫って来るぞと騒ぎ立てる者が数名いて。気になって街道沿いが眺められる場所まで出向くと、早くもそこでは見物人が群がっていた。
「あれは何だ」と誰かが呟くのが聞こえて、その視線の向こうには、騒音を立てて近づいてくる物体が二つ、小さく見える。
聞き覚えのある音。ずっと昔、聞かない日々は無いというほど聞きなれた騒音。エンジンの駆動音だ。
そして、それを静かな農村に響かせて街道をこちらへ近づいてくるあれは、後部が幌になっている自衛隊の輸送用トラックに間違いない。災害時の報道番組で見た覚えがある。
やはり謎の集団は自衛隊だったのだ。
やがてトラックは調査隊員が群がって見物しているのに気が付いたのか場所から少し離れた、街道の小高く丘になっている場所で二台とも停車し、後ろから降りてきたのは例の旅商人と、十名の迷彩服姿。
旅商人は両手を挙げて抵抗の意思がないことを示し、笑ってこちらに駆け足で来る。
「ご安心ください、これは馬のいらない魔法の馬車でしてな。いやー貴重な体験をさせてもらいました」
そこへ騒動に気づいたファニーが好奇心全開の早足で駆けつけ、呆然と立ち尽くす調査隊員を押し退け先頭に、腕を組み立つ。
「帰ったわねパウロ、明日になるかもしれないと聞いたから、以外と早くて驚いたぞ」
パウロとは旅商人の名だ。中肉中背と身体的に特徴は薄いが、心の内を見透かされないためか常に笑っていて、あまりの徹底振りに顔に笑顔が張り付いているのかもしれない。
「それが、彼等に伝言をしたらこれで送ってくれると言うものですから、それは渡りに船とばかりに乗り込ませてもらったのですよ。まあ馬は一頭村に置いてきてしまいましたが、ハッハッハ」
「見ていたわ、あんな車輪が付いただけの箱が、馬も無しによく走るものね。でもそれよりも、私達はこれからどうすればいい。あちら側は何と言っているの」
「おお、そうでした、そうでした。こちらは領主様が争う意思がない事は何とか伝えたのですが、なにしろ向かっている人数を教えたら驚かれ、警戒されましてな」
「それは仕方のないことよ。でも同時に、私が来たこと自体が事を荒立てる気の無い意思表示でもあるわ」
「いや分かりますとも。しかし彼らには言葉が通じず、現在は絵や身振り手振り、それと簡単な単語でしか意思の疎通は出来ないのが現状なのです。あぁもちろん、向こうの方々にも争う意思が無いのは私が保証しますよ。そこでなんですが、今魔法の馬車の横に彼らがいて、その真ん中に服装の違う人がいるでしょう」
旅商人はトラックのほうに手を向け、いつの間にか手を後ろに立ち整列していた、自衛官らの真ん中に立つ人物を指差す。遠くて似た色の服装なので気が付かなかったが、その人物は周りが迷彩服なのに対し、一人だけ服装が違って制服姿だった。
「彼はあの中で一番位の高い人物らしいのですが、こちらの代表者が歩くのに併せてあちらも歩くので、そこで握手をして互いに戦意が無い事を確認しましょうと。それが彼らのの提案なんですよ。大体あの辺りになりますかな」
そう言って旅商人が次に指差すのは、自衛隊のいる丘と調査隊のいる村の外れとの間、街道の平坦になっている、周りに何も無い部分。
「ふーむ・・・。」
「そのような事をお嬢様がやる必要はありません、代表者と言えどあのような訳の分からぬ連中の相手、私が行けば十分でしょう。いや、そもそもここで斬り捨ててやればよいではありませんかっ」
意気揚々に発言したのはウィンディアム領で武官を勤める男。平民出身の二十五歳と若手ながらも、先年に百人隊長に任命された将来の有望株だ。そして今回の護衛でも副ぐらいの責任者を任されている。
代表者としては確かにファニーよりも危なっかしくない分適任かもしれないが、こいつはファニーの事が根本的に分かっていない。このような面白そうな事を彼女が他人に任せるわけが無いのだ。それに今の発言からするとこいつの方が危なっかしいのかもしれない。
「穏便に事を済ませるのは領主であるお父様の決定よ、貴方如きが口を出すことではないわ。でも、そうね。不測の事態で私に何かあったら困るのも確かだわ」
「では私をお連れください。もしもの時はこの私の剣技をもって、あの代表者の男を即座に斬り捨てて見せましょう」
斬りたがりかこいつは。やはり危ないやつだ。
「ダニエル」
ファニーが僕の名前を呼ぶ。嫌な予感しかしない。
「はい何でしょうお嬢様」
「彼を護衛に連れていくわ、それならいいでしょう。バウロ、向こうの方々にそう伝えてきなさい、行くのは二人よ」
「お嬢様、何故魔法文官などを、せめて連れて行くのなら護衛の武官の中からお選びください。そして出来るならば私を」
「貴方少し煩いわ、黙りなさい」
そうファニーに窘められた男は僕を睨み、それどころか周りの武官数十名までもが僕を睨んでくる。
恨まれるぞこれは。
しばらく訓練所や詰め所など、武官が立ち寄る場所には近づかないでおこう。本当に斬られかねない。
その間にも旅商人はさっさとファニーの命を受けて自衛隊の元へ行き、こちらの要求を伝えようとしているようだ。遠くて分かりづらいが、何をしているのかは分かる。
旅商人はまず両手の人差し指を立て一人ずつである事を表し、それらをゆっくりと近づかせ、触れようとすると離して手と首を振った。そして次に中指も立てる事で二人を表し、近づかせ今度は指を触れさせて何度か頷く。
言わんとしていることの分かる、いい説明だ。手話の様なものかと、その様子を感心して僕は見ていた。
「頭のいい奴ですね、あの商人」
「そうなの?面白くはあるけど、頭がいいかは分からないわ」
「そこも含めてね。それと、どうやら了解されたようだ」
旅商人は頭の上で大きな丸を作り、こちらへ駆けよってくる
「あちらも頷かれたので分かって頂けたようです。では、ファニーお嬢様と、そちらの方は」
「ダニエルです」
「ではダニエル様。お二方があちらに向かって歩き出しますと、それに併せて向こうも歩き始めますので、いい距離まで近づいたら立ち止まって握手をお願いします。それでこの場は終了となりますが、これからも交流がおありなのでしたら、是非また私にお任せ頂ければと」
「そうね。でもその前に互いに争う意志がないことを確認しあう事が重要よ。それさえあれば人をやり取りして交渉することも言葉を教えることもできるのだから」
「それはそうです。まあ私のような旅商人からすれば争いはない方がよいですからな。道が閉ざされれば商売上がったりです」
しかしその時は旅をせず、争いを飯の種に金を稼ぐのだろう。商人とはそういうものだ。
「さあ行くわよ、ダニエル」
そう言ってこちらを見るファニーの顔は、どうだと言わんばかりの笑顔だ。
彼女としては、昼間に言っていた通り接触する機会を作ってやったぞ、とでも言いたいのだろうが、あまり目立ちたくない身の僕としては、それほど有り難くは無い。
しかしこうなっては仕方がない、張り切っていこう。
「はい、お嬢様」
力無く頷いて僕は、ファニーについて歩き出した。
一歩二歩と代表者と付き添い二名の足は進み、手の届く距離まで近づいたところで、向かい合う形で両者は立ち止る。
そして互いの後方にはもしもの時のため、五十名の武官と八名の自衛隊員が警戒心むき出しで控えている。
そこで言ったのが冒頭の言葉だ。
もちろん日本語ではなく、それはこちらの世界の言葉だった。
言ったのは代表者として紹介されていた、一人だけ制服の自衛官だ。
年の頃は四十代後半辺りか。濃い皴の刻まれた迫力のある顔面で、背丈は僕よりも少し高い程度なのだけど、日々の訓練の成果かこの年齢でも体格が大きい。日本で言えば中学の二年生にあたるファニーと比べればその差は歴然で、半分ほどの体積しかないのではなかろうか。
そして、その背筋が伸び姿勢のいいその立ち様は堂に入り、顔と違って皺一つ目立たない制服姿には威厳も感じる。
しかしこの言葉は頂けない。
これは、この世界で最大限に礼を尽くした挨拶の言葉だ。主に正式な場、正式な儀式などが行われた際に、十分な地位を持った格上の方に対して、尊敬の意を込めてする挨拶の言葉だ。
何故この自衛官が知っているのかと考えれば、村の誰か、それとも旅商人のパウロにでも教わったのだろうけど、しかしこの場では似つかわしくない礼儀。失笑ものだ。
これでは彼らが非常に卑屈な態度をとっているように見えてしまう。そうでない事は手を差し出す堂々とした態度で分かるのだけど、すくなくともこの類の挨拶の言葉は、どのような場合でも握手を求める時にするものではない。
後ろの方では、言葉も喋れぬサルが、と馬鹿を見る優越感にしたって、ほくそ笑んでいる者が多くいるだろう。声を潜めた笑い声が聞えてくるようだ。
しかしファニーは、一瞬きょとんとした顔をしていたけど、また真剣な顔で微笑み、相手の顔を見つめている。
制服の自衛官としては、こちらの言葉を使って意表を突こうとあのような挨拶をしたのだろうけど、それは微妙な感じで失敗した。
前世でも確か、外交などの場面で相手国の言葉を使って挨拶をすることで、親近感を覚えさせる手がよく使われていた。
考える事はたとえ自衛隊でも同じだ。
そして僕らもここに来る道程で話し合い、何を喋るのか決めてある。
完璧な言葉だ。
「コニチワー」
思わず噴出しそうになる。
しかしここで笑ってしまったらすべてが水の泡だ。自衛隊に僕が言わせた言葉だとここでばれたら、少々ややこしい話になる。
そして今のは間違えて教えたのではない、わざとだ。
僕自身笑いそうになっているのも事実だが、考えなしに言わせたわけではなく、ちゃんと狙いはいくつかある。
一つ目の狙いはやはり、こちらが日本語を知っているのを自衛隊に知らせる事にある。
恐らく彼ら、制服姿の自衛官と付き添いの自衛官、それに今のが聞えただろう整列している内の数名。分かりやすく言うと、ファニーの言葉を聞いて身体がびくりと反応した五名の自衛官。それらの人間は恐らく今、何故日本語をと疑問に思っているだろう。
まずは疑われなければ始まらない。
この後彼らは話し合い、どう対応すべきか検討し、そして確実に接触してくる。
次に二つ目の狙いは、不測の事態を避けたかった事。
彼ら自衛隊がどのような方法でこの世界に現れたのかは予測も付かない。
昨日は、西暦三千年の未来から超時空自衛隊が次元の壁を飛び越えてきたのではないか!!とイカレた妄想にまで飛躍したほど考え抜いたが、さすがにそれは無いかと思い直した。
しかしそれがどのような方法であれ、自分たちがここにいるのだから他にも同じ境遇の人間もいるのでは?彼らがそう考えたのではないかと僕は推測した。
そんな時、完璧な日本語を話す人物が目の前に現れたら彼らはどのような反応をするだろうか。このような緊張の場面で自衛官が冷静さを欠いた行動をとるとも思えないが、ファニーに詰め寄るような事が無いとも言えない。
そんな事になれば即座に五十名の武官が駆けつけ戦闘行為が始まり、調査隊の目的とも領主の意向とも違った結果に終わってしまう
しかし見た目が完全に日本人ではなく子供のファニーが、中途半端な日本語で間の抜けた挨拶をしたらどうだろう。疑いはしても、流石にそこまでの行動には至らないだろうと考えた。
重要なのは自衛隊に適度な疑問を抱かせる事。相手が反応する微妙なところを突かなければならない。それがこの言葉だ。
三つ目。これは個人的ではなく、調査隊全体の目的にも繋がる。
先程旅商人は、こちらの争う意思が無い事を伝えたと言っていた
それはそうなのだろう。でなければ、この様に戦意の無さを確認しあう事にはならない。
恐らくこれが無ければ互いに睨み合う形で使者をやり取りし、ゆっくりと交渉を進めていったのだと思う。
だからこの握手は、良好な関係で交流を一気に進めるいい手なのだが、それでも自衛隊の警戒心が一定を下回ることはないと思う。何しろこっちは百人の大所帯で着ているのだから。
そこで先程言った、相手国の言葉を使って親近感を沸かせる方法だ。
さらに、それを十四歳の少女が言うのだ。これほどに戦意の無さを示し、相手の敵愾心を削ぐのに効果的な方法は無いだろうと思う。
しかし、この様に尤もらしい理由をいくつか並べてはみたのだが、結局のところ四つ目の理由として僕は、ファニーに今の間の抜けた言葉を言わせて見たかっただけなのかもしれない。
そうして制服姿の自衛官が差し出された手に、ファニーも手を伸ばしてそれに応え、異世界地球の日本国と、イズム王国ウィンディアム領の正式な第一次遭遇は平和の内に終了となった。
これは互いにとって、いや人類にとって大きな一歩なのかもしれないが、僕にとってはこの後の秘密裏に行う第二次遭遇のほうが重要だ。
もう手は打った。
自衛隊は夜が更けた頃に、接触してくるだろう。
言葉の通じない相手に分かりやすく友好を示す方法を考えて、握手しかないと思いました。