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十話


町の東部は中央役場を境に高い城壁に囲まれ、その内側は僕の勤める魔法庁舎や、警邏隊の宿舎などが建ち並ぶ行政地区なのだが、奥の丘陵部は領主伯爵家の私有地となっており、彼らウィンディアム一族が代々住む邸宅もそこに建っている。


魔法の印章の検査はあれから脇目も振らず一時間ほどで全て終わらせ、事務室にはその納品と完了したとの報告をしに一度戻った。その後僕ら二人は魔法庁舎を出て、今はその邸宅の前にいる。


アーネストの話を聞く限り、彼はファニーが領主様の元へ向かった後、暇を持て余すのが嫌で直ぐに僕に会いに来たらしく『でもそれじゃあ、実際に約束を取り付けられたか分からないんじゃないか?』とも思い少々不安だったが、それは単なる杞憂に過ぎなかったようで、門番にも話は伝わっていて僕はすんなり敷地内へ進入することを許された。


僕は領主様の息子のアーネスト、娘のファニー、この両者共と親しい友人関係なわけだが、これまでそれらしい機会も無く、このウィンディアム家邸宅どころか、彼らの私有地にすら入った事が無かった。


だからこの邸宅を間近で見るのも初めてで、僕は少し緊張していた。


しかしそんな僕の心境を知ってか知らずかアーネストは、馬の頭身を象った銀細工が飾られた重厚感ある玄関扉をリィィンとドアベルの音を鳴らして気安く開き、そのまま半身で扉を押さえて僕へ中に入るよう促す。

『こんな風に自然に紳士的に振る舞える所に女性は惹かれるんだろうな』なんて、そんなことを思いつつ僕はその厚意に甘え、緊張感で溢れた手汗を握りつぶして邸宅内へ足を踏み入れた。


中に入ってまず目を奪われるのは幅広の正面階段。それと、その横に立つ二対の大地の精霊像。

エントランスはロビー状になっていて、階段の横には来客の待合用と思われる革張りのソファーと一枚板のテーブル。床には真紅の絨毯が隙間なく敷き詰められている。

上を見上げれば天井には、芸術的に美麗なガラス製のシャンデリアが吊るされ、エントランス全体を暖かな魔力の光で明るく照らす。


流石は豊穣な農業地帯を長年に渡って管理し続けている領主伯爵家の邸宅だ、玄関からして佇まいが違う。内装の家具はそれぞれが上物の一品であると一目で分かるが、豪奢ながらも悪目立ちしない程度に調和しており、歴史も感じさせる洗練された空間となっている。


僕の口から思わずほっと熱い溜息がこぼれた。




「ようやく来たわね。お兄様、ダニエル」


上方からエントランス中に響き渡る溌剌とした声が聞こえ、そちらへ向くと手摺から飛び出る勢いで身を乗り出すファニーがいた。彼女はそのまま手摺に手を添えて二階の廊下をバタバタと走り、正面階段を一気に駆け下りてくる。


「遅かったじゃない。部屋に戻ったらお兄様がいなかったから、てっきりダニエルを呼びに行ったとばかり思っていたのに」


ファニーは立ち止まると、腰に手を当て仁王立ちをする。その顔は僕らに呆れた風で、待ちくたびれたといった様子だ。


「呼びに行ったさ。だがダニエルにも仕事があるからな。今日中に済ませなければいけないらしくて、それが終わるのを待っていたんだよ」


「まあ、仕事なら仕方ないけど。でもお父様に、お兄様が呼びに行ったみたいだからすぐに来ると思うわよって言っちゃったのよね」


「ファニー、お前は少し急ぎ過ぎだ。親父もそれほど暇じゃないだろうに、あまり困らせてやるな」


「それは、申し訳ないと思ってるわ」


しかし全くそうは思っていない口調だ。


「でも今回の事は本当に緊急事態なんだから、急いだくらいでちょうどいいのは事実よ」


ファニーは目を爛々と輝かせて「ねえ、ダニエル」と僕に同意を求めてくる。


「まあ、アーネストはいつまでもこちらにいられない身の様だし、早いに越したことは無いと思うよ」


邸宅に来る道中で王都の様子を詳しく聞いたが、聞けば聞くほど状況は芳しくないようで。アーネストは心の半分ほどを向こうに残してきたままの様子だった。


それに彼は謂わば国家公務員だ。先程は骨休めとも言っていたので、緊急事態もこれほどの事とは思っておらず、数日で片付けて帰る予定だったのだろう。だとしたら国務省にはそのように申請した上で休みを取っているはずだ。あまり長くこちらに拘束する訳にもいかない。


「ほらね。それに急ぎすぎと言うよりも寧ろ、お兄様を待っている時間が無駄すぎたくらいだわ」


アーネストの到着が遅れたのは王都との距離や彼の立場上仕方のない事だとは思うが、ファニーは余程到着を待つのに焦れていたのか、今日の昼間などはとても不満気だった。

それは、三日前までは『お兄様はまだかしら』と待ちわびるものだったのに対し、今日などは『お兄様は本っ当に遅いわね』と声に怒気を窺わせるものに様変わりほどに。

だから彼女がここまで積極的になっているのは、その反動もあるのだと思う。


しかしアーネストは彼女のその言動と態度にイラッときたのか、無言でファニーに近づき、大きく両の腕を振り上げる。それに彼女は身体をビクリと震わせ「な、なによ」と言って怯え、そしてアーネストの両手はファニーの頭へと振り下ろされた。


ワシャワシャワシャ。と、そんな音がこちらまで聞こえそうなほどアーネストは彼女の頭をしっかりと掴み、髪を激しく洗うように撫で回す。

ファニーは彼の腕を掴み「やーめーてー」と言って止めようとするが、成人男性と少女では力の差は歴然で全く適わない。そのまま上半身ごと振り回されるばかり。

そして、ファニーが嫌がっているのに比べて、彼はとても愉しげだ。口元は歪み、目は輝き、とても悪い顔をしている。

暫くすると満足したのか、アーネストは一息吐いてようやく手を離す。ファニーは頭を振り回されてフラフラで、いつもの様に後ろに紐で結んだ髪は解れ、ボサボサになってしまっている。


「ハハッ」僕は思わずファニーの哀れな姿に笑い声を上げてしまう。


するとファニーは「うー」と恨みがましい呻き声を出す。彼女の乱れた髪の隙間から見える瞳が、恥ずかしげにこちらを睨んでいる事に気が付き、僕は「ゴメンゴメン」と一応謝る。


学生時代にアーネストの妹話はよく聞いていたので、兄妹仲が良好なのは知っていたのだが、以前に三人で顔を合わせた時は挨拶だけで、大した会話という会話も無かった。だから二人の馴れ合いを実際に見るのはこれが初めてだ。


僕の家も兄弟仲が悪いわけではないが、このようにスキンシップをとるかと言ったら違う。どちらかといえばもっと冷めた関係で、それは代々騎士を輩出する軍人の家系で父が厳しい人だったからというのもあるが、僕の前世という背景の異質さも理由にある。


だからこの二人の関係は微笑ましく見え、羨ましく思えた。

僕にも妹がいたらこんな感じだったのだろうか。






「アーネスト、ファニー。客人の前なのだから、少し大人しくしなさい」


この場には僕達三人しかおらず、少し騒がしくはしたが煩くは無かった。だからその声は控えめな声量ながらもエントランスに響いて聞こえた。


音の反響で判り辛かったが、一階の奥へと続く廊下辺りから聞こえたと思い、僕はそちらへ身体を向ける。


そこは薄暗がりだけど、人影はうっすら見えて。それが近づいてくるにつれ、茶のガウンコートを羽織った男性がこちらへ向かって歩いてきているのだと判った。


男性は後ろに二人の人間も引き連れて。一人は裾が長い燕尾服を着た執事風の男、もう一人は純白のエプロンドレスを着たメイド風の女。両者とも風とあえて言ってはみたが、実際にそうなのだろう。この家はそういう職種の人間がいて当然の場所なのだから。


そしてガウンコートを羽織った男性の顔は、遠めで数回ほどしか見たことは無いが、しっかりと覚えはある。このウィンディアム領の領主、オムレント・ロナ・ウィンディアム伯爵様だ。


気付き、僕は姿勢を正す。


「君が、ダニエル君だね」


領主様はこちらに適度に近づいたところで立ち止まり、真っ先に僕に話しかけてきた。

アーネストが僕の頼みで急に帰省したことも、この集まりも僕が主催しているということも、ファニーから既に聞き及んでいるからだろう。


領主様とは面識も無く、僕について何処まで知っているのかも分からない。

何の許可も無くアーネストの一存で僕の就職が決まったとは考えられないので、息子の友人が領内で働いているぐらいの認識はあったのかもしれないが、興味が無いのか、向こうから接触してくることは無かった。そして、息子の友人だからと変に勘繰られても面倒なので、こちらから接触するのもこれまで控えてきた。


しかしファニーとの出会いはまた違い、どうやらアーネストは彼女には僕の事を詳しく伝えていたらしく、仕事の合間に芝生で昼寝をしていたところを急に話しかけられた。

その第一声は「へぇ、貴方がお兄様の友人のダニエルなのね」だ。

仁王立ちで僕を見下ろすその姿は、その頃から美しい少女でありながら少年のような出で立ちで。それがまるで、入学当初のまだ幼かった少年時代のアーネストのように僕の目には映り、懐かしく感じたのを覚えている。


このようにアーネストの、父と妹に対する僕の対応には違いがあるのだが、彼が言うには特別に理由があるわけではないらしい。それならば顔合わせだけでも済ませておけばよかったと思わないでもないが、まあそれも今更だ。これからの関係も考慮して、精々好青年らしく見えるように心掛けるとしよう。


「はい、ダニエル・サニー・モラトリアムと申します」


僕は折り目正しく名乗り、二歩近づいて手を差し出し、握手を求める。


「知っているとは思うが、私がオムレント・ロナ・ウィンディアムだ」


領主様は僕の求めに応じて握手を交わし、互いに手を離すと僕はまた後ろに二歩下がった。


「夜分に失礼とは思いましたが、お時間を取っていただき有難うございます」


「娘から大事な話があると言われては、聞き入れない訳にもいかんからね。他に仕事もあったが、こちらを優先した」


「それと、本日は魔法印章の検査日だったためそれを今日中に終わらせなければならず、このような時間まで遅くなってしまった事をお詫び致します」


「確か君は、魔法庁舎で働いていると聞いたが」


「はい。魔法文官を勤めさせていただいております」


「そうか。まあ、魔法印章の検査ならば仕方が無い。あれは我が領にとって重要なものだから、急がれて不備があっては問題だ。そんな事があっては息子の友人と言えども罰せねばならん」


「ええ、ですから毎月検査日には僕共々、魔法文官全員が神経を尖らせております」


「それならばよいのだが。それにしても魔法文官か。息子と貴族学校で同期だったと聞いているが、その歳で正規の魔法文官とは珍しい。よほど優秀なのだろうね」


「はい、学生時代から魔法学に関しては自身がありまして。魔法文官の仕事も十二分にこなせていると自負しております」


「それは心強い。君がそのように優秀なのだとしたら、我が領に引き抜いてくれた事を息子に感謝せねばならんな」


「このような環境の良い職場に誘っていただいた御子息には、本当に感謝しています」


領主様が「ハハハ」と笑うのに対して、僕も合わせて「フフフ」と互いに笑いあう。そんな和気あいあいとした雰囲気で初対面の会話は進んでいった。脇に退いたアーネストとファニーが若干引いているが、気にしてはいけない。






「それで、私に重要な話があるとのこと「そ、その前にお父様」だが・・・」


暫く話して、話題が尽きた頃に領主様は真剣な表情になって話の本題を切り出そうとしたのだけど、それをファニーが引きつった笑顔で恐る恐る手を上げ、領主様の言葉をぶった斬る。


「何だ、ファニー」


領主様は顔と身体をこちらに向けたまま、目線だけでファニーに応える。


「こんな所でいつまでも話してないで、会議室に行きましょう」


「・・・会議室?確かにそんな部屋もあったが、しかしあそこは暫く使われていないはずだが」


領主様の言うとおり、会議室と呼ばれる部屋は長い間使われること無く放置されていたそうだ。


それは、不特定の人物までが邸宅や敷地内に出入りする事を嫌った領主様が、先代が亡くなって伯爵位を継いだ際に入場制限を厳しく設けた為らしく、僕がこれまで私有地に入ることさえ無かった理由の一端もそこにある。

この話からも分かるとおり領主様は少々神経質気味の性格で、ファニーが言うに、執務室には領主様自身が室内いる時以外には、誰一人として部屋に入れる事は決して許されないらしい。

そのような性格の人間を相手取るに際して、ただでさえ娘の願いという形で話を聞いてもらうのだから、これ以上場を荒らして機嫌を損ねるようなまねだけは避けたかった。

そこでファニーに、落ち着いて話が出来て、領主様を刺激しない場所を考えてもらったところ、思いついたのが会議室だったわけだ。

そもそも彼女もこの部屋の存在は忘れていたらしく、執事に言われて漸く思い出したそうだ。

そういえばそんな部屋もあったわね、という感じで。


「お嬢様にお頼みされて、使用出来るよう三日前に清掃を済ませてございます。旦那様」


領主様の後ろに控えるメイドが上品にお辞儀をして発言する。


「そうなのよ。だってお父様、執務室にはダニエルを絶対に入れたくないでしょう」


「それは、確かに彼を執務室に入れる気は無いが・・・」


「でも重要な話だから、ちゃんとした場所で聞いてもらいたいの」


ファニーに真っ直ぐ目を合わせ言われて、領主様は眉間に皺を寄せて微妙な顔をする。娘に気を使われていることが判ったようだ。

しかもそれが僕の提案であることにも気が付いたようで、その顔のまま僕を睨んでくる。


「・・・君はなかなか用意周到な人間のようだな」


「性分なんです」


領主様は暫く僕を値踏みするかのような眼で見ると、納得したのか頷いて、何も言わず振り返り、正面階段の方へと歩き出す。

どうやら一次面談は合格したらしい。

会議室の場所をファニーから聞くのを忘れていたが、おそらく二階にあるのだろう。

長い間使用されていなかった部屋とはいえ、住んでいる人間にとっては周知の場所らしく、他も一斉に歩き出す。


僕はほっと一息吐いて、彼等に数歩遅れて後ろに着いて歩き出した。


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