8話 再来
高温多雨な地域でありながら幸か不幸か雨が降っていないにも関わらず、湿度は依然と高くじめじめした暑さの中。
豊富な樹種や未だ新種が増え続ける動植物で形成された世界2番目の広さを持つアフリカ熱帯雨林の内部で一般市民が着るような涼しげな服装で観光客に扮装した文月怜人はある場所を探していた。
(こんな暑いだけのくそ環境が悪いとこに本拠地なんか建てるもんかね…)
もうとっくに電波の届かない場所にいる。GPSすら使えないこの地域で迷子になれば最後。見つかるはずもない元の道を探して何日も何日もかけて彷徨うか人も狙う肉食動物や虫に出くわすか。
言ってしまえば飢餓で死ぬか生物に殺されるかなどの様々な死に方の中から『運』という名の人の幸も不幸も生死すらも一瞬で決めてしまう目に見えないチート審判員が1つ選び取るだけの話。
原住民に案内を依頼するのがこの熱帯雨林を歩き回るのに最も安全な方法なのだが、隠密行動ゆえ少しでも怜人がこの場にいることを知る人を減らさなくてはならない。
そのため、怜人はたった一人でアマゾンへと足を運んでいた。
(ったく…くそ上司め。死んだら末代まで祟ってやる)
もし、ここに本拠地があるのであれば、自分の存在を敵に知られた時点ですぐに囲まれる。
敵も馬鹿ではないはずだ。
ここに本拠地を置いている以上その地形に慣れているのが普通である。
それに対し。
怜人はこの場所に訪れるのは初めてであり、戦闘になれば不利すぎた。
いくら経験を積んだベテランといえど、慣れない地形で囲まれれば生存確率は一気に下がる。
実戦では、FPSみたいな甘っちょろいシステムは存在するはずもないのだ。頭を撃ち抜かれれば即死は当たり前。腕に何発も撃たれれば銃を正確に構えることができる訳がなく、胸や腹を撃たれればただひたすら流水の如く血は出続け、逆に体力は奪われていく。
そして。
そのまま死ぬ。
もちろん時間が経てば治癒するだとか体力が回復するだとかのFPS要素はない。
上手く行けば入り組んだ樹木の陰に隠れながらゲリラ戦で敵を殲滅出来るかもしれないが、ベテランの怜人でも流石に、それを100%実行可能と断言できる自身はなかった。
腰のホルスターに入れられているH&K MARK23に手を当てる。
サプレッサーとLAMを付け、自分流に改造した愛銃ではあっても今回ばかりはホルスターから引き抜きたくはない。
そんな未来が来ないことを願いつつ、彼はさっさと仕事を終わらせるべく歩を進めた。
そうは言っても、やはりこの広大すぎる林の中で小さいか大きいか、そもそも建物の形をしているのかすら分からない1つの場所を見つけるのは困難すぎた。
明確な場所や座標を示されたわけではなく、ここら辺と赤いペンで丸く印されただけの情報しか与えられずにこの場所へ放り込まれたのだ。本拠地の形状も分からないからそれらしいもの見つけたら写真とか撮って来てねという何とも雑すぎる命令に従って。
実際、得られている情報が少ないのは分かる。この情報が本物かどうかも分からないが調べる必要があるのも分かる。本拠地の形状だって見たことも写真で撮ったこともないのだから分からないことだって分かる。あまり大人数を投入するとバレる可能性が高まることだって分かる。
だとしても。
そうだとしてもだ。
流石に1人で探せという横暴っぷりだけは怜人ですら理解しがたかった。
(せめて1個小隊…それが無理だったとしても、あと2、3人は欲しかったな。何考えてるんだ、うちの上司は。その命令に従った俺も俺だが。チッ、元自衛隊の性ってやつか)
自衛隊員時代に植え付けられた上官には逆らわないという決まり事のせいで今の上司の命令にも従ってしまったのだと、怜人は自分自身に言い聞かせる。
特殊作戦群に所属していた経歴から隠密活動が得意だと思われたのかもしれない。
確かに大衆に知られることなく対テロ活動、諜報活動を成し遂げ、生き延びて来た彼にとって隠密活動は、他の仲間だけでなく現役通常自衛隊員よりも自信があった。
(って言っても主目標は本拠地の存在を確認する、だからな…。敵の規模も位置も実力も分からない現状で大きく動いてトラブル起こすのはマズイ。下手な小細工をしてバレるよりは地道に捜索した方が安全に進められる。時間はまだあるだろう)
見つけなくてはならない建物は『教会』の本拠地。
敵が人なら話は簡単。
『教会』が2〜5人組の小規模犯罪グループであれば話は別だが、そうではなく全世界へ展開している大規模テロ組織なのだ。大規模な分、大人数を使役するための通信システムや大量の武器が必要になってくる。
それに全世界に展開しているのだから他国にいる仲間から本拠地へ集結する情報量だって馬鹿にならないはずだ。一軒家程度の建物で賄えるわけもない。
とすると、本拠地自体はそれほど小さくなく、人の気配がするところ。必ずこの熱帯雨林内のどこかに「人がいた」もしくは「人が何かをした」という痕跡は存在する。それを辿って行けばいい。
地道だが、それが最も確実だった。
その時、人が歩いた後のような跡を見つけた。
手がかりなのかもしれない。小さな痕跡であってもそれが大きな収穫へと繋がる可能性もある。見逃すわけにはいかなかった。
怜人は身の丈ほどある草を掻き分け、木を避けながら森の奥へと一つ一つ足跡を確認しながら向かった。
その足跡を辿って行けば、何かが分かるだろうと。
そして辿って行った先には馬鹿デカイ何かがそこにいた。10mくらいあるだろうか。
世界中の生物図鑑をくまなく見ても載っていないであろう生物がそこにいた。幻獣図鑑とかなら載っているかもしれないが、どちらにせよ自然の生物ではないことは明らかである。
答えは一つ。
災厄の象徴。地獄を。絶望を。悲劇を。作り出した生物。どんな犯罪者よりも残忍で無情で残酷な──────────────────────────────────
………フォボス。
それがそこにいた。
怜人が『奴』の存在に気付いた時にはすでに『奴』の近くにいたのではっきり分かる。
下半身の部分は緑の大蛇。上半身は人の形をしていながら、肌色は緑で手は6本あり、その全ての手に体の大きさに合った長剣を持っていた。
『奴』の近くには上半身と下半身が切り離された原住民の思わしき男が転がっている。おそらくさっきの足跡は彼のだろう。
不運にもここに足を踏み入れてしまい殺されたようだ。
怜人は驚きを隠せなかった。死んだはずの人間が自分の目の前に立っているのを見たかのように。
(なんだ?なんでだ?何故ここにいる?解放戦で全滅したんじゃないのか…?)
草木に上手く隠されてて見えなかった。いや、逆に植物の密集度を利用して隠していたとしたら?こいつを『教会』が何かしらの方法で作り出した個体だとしたら?
それならわざわざ熱帯雨林という場所にいるのも分かる。
そう思う理由は二つある。
上手く隠されすぎていること。植物が密集してるアフリカ熱帯雨林とはいえ先が見えないほどの密集地帯は多くはない。
それなのに先が全く見えないこの場所にちょうどいた。偶然だと一蹴することは難しい。
そして、今までの情報にない新種の個体だったこと。
資料でも見たことがない。フォボスが全滅したこの世界で新種が現れるパターンはフォボスから採取した血液に人工的な力を加えない限り不可能なのだ。
なんにせよここから離脱しなければならない。
攻略法も動きも弱点も分からないような未確認の個体に拳銃一丁で立ち向かうにはリスクが高すぎた。
『奴』以外にもいる可能性も捨てきれない。
今の武装では勝ち目がないのは目に見えている。
(くそっ!!ふざけんなよ、建物1つ見つけるつもりが…とんでもねえもの見つけちまったじゃねえか…!)
驚きのあまり一秒でもその場に立ち竦んでしまったのが運の尽きだったのかもしれない。
隠密活動のプロフェッショナルである自衛隊特殊作戦群の元隊員が驚倒するほど、あり得ない光景だったのだ。
そもそも存在自体あり得ない。いるはずがない。予想外すぎる。
だからこそ。
動けなかった。動けるわけもなかった。
そう理由をつけてもフォボスがそんな人の事情を考えてくれるわけがないのは明確なのは言うまでもないだろう。
『オオオオオオオォォォォォォォン!!』
硬直する怜人の後ろから突如遠吠えに似た鳴き声が響いた。
怜人の全神経が後方の危険を察知する。
(な…っ!)
バッと瞬間的に振り向いた先に見えたのは犬。
いや違う。
大型犬の3倍はある。
それに加え頭が3つあり、体は脂肪がすべて無くなったかのように筋肉で覆われ硬化している。足や顔、
尻尾などに浮き上がっている血管のような筋はマグマの如く真紅と橙に染まっていた。
例えるならば炎のケルベロス。
すでに10年前の第一次人神戦争で確認されている個体で犬がフォボス化したものである。
その個体からすれば、炎を纏うことも炎を吐くことも容易いはずだ。
【魔法のような力】によって。
それなのに当のケルベロスのようなフォボスは、怜人を見据えるだけで攻撃こそ特にしてこなかった訳だが、重要なのはそこじゃない。
こいつは鳴いたのだ。つまり、音を出した。
それはアフリカ熱帯雨林全域という広い土地で考えれば、所詮たった一匹の狼や犬程度の鳴き声にしかすぎず、轟音というほどでもなかった。
ただ、問題なのは。
10mしか距離が離れていないところに『奴』がいること。そして、その鳴き声を『奴』の耳に入れるには充分すぎるほどの音量だったということだ。
そして─────。
音の正体を知ろうと『奴』が振り向いた先には怜人がいるということ。
「──っ!しま…っ!」
──気づかれたッ。とそれを察する。
が、そう思った時には。
もう遅い。
「っっっ!!!!」
回避態勢に入った時にはもう、怜人の正面まで距離を詰めていた。巨体に似合わず動きが速すぎる。
躊躇いなく『奴』の剣が振り下ろされた。