君という沼がある vorbesc.進藤
『自惚れかすがい君』の進藤さん目線ver。
君に言えない言葉がある。
君に聞けない言葉がある。
どうしても伝えられない、想いがある。
「あ、なら靴とかどうだ?」
鎹が思い出したかのようにそう言った。
「靴?」
どうして靴なのだろう。
その疑問は口には出さず、靴を買うにはどうしても避けられない問題を提示する。
「でも、サイズ分かんないんだけど」
私のその言葉に、自分が知っているとけろりと返してくる鎹。そんな鎹に私は驚き絶句する。
最近の鎹と名々賀は仲が良い仲が良いとそう思ってはいたのだが、それはなかば私個人が一人で勝手に思っていた事で、まさか二人がそこまでの仲だとは思ってはいなかったからだ。
靴のサイズを知っているって、相当仲が良くないと知りようがない事ではなかろうか。
「…………」
本当に仲が良いんだなぁ。
そんな鎹が言うのだからきっと大丈夫だろう。
私は名々賀へのクリスマスプレゼントのお返しを鎹推薦の靴に決めた。もし仮にこれが駄目だった場合、責任は鎹にもあるのだからその時は鎹にも半分責任を取らせよう。
そう画策もしての決断だった。
私は靴売り場が何階か調べるために案内盤へと足を向ける。エスカレーター近くにあるソレに、靴売り場は果たして載っているだろうか。もし載っていなくても、確か近くに地図が置いてあったはずなので、それで確かめればいいだろう。
「えー、と……」
案内盤の前。私は指でなぞりながら靴売り場を探す。この階には無いが、すぐ上の四階に紳士靴売り場があるらしい。それを鎹に伝えようと後ろを振り向くが、そこに鎹の姿はない。あれ、と思い鎹を探す。すると少し離れた場所で高校生ぐらいの女の子と話をしている鎹を発見した。
春らしいロングスカートにカーディガンを羽織っているその高校生の女の子は、しきりにぺこぺこと頭を下げている。ふわふわの可愛い髪の毛がその度に靡いて揺れる。
察するに、どうやら不注意でお互いにぶつかってしまったらしいのだが。
「……何やってんだか」
私は呆れながらもそんな二人に近付いて行く。その間にロングスカートの女の子は鎹から離れ、友達なのだろう男の子の元へと足早に駆けていった。すると、男の子が怒ったようにその子の手を掴み歩き出す。つんのめりながらも手を掴まれた女の子は、男の子と一緒に歩き出した。
「…………」
手を掴まれた女の子の表情は、怒られて悲しいのと手を掴まれて恥ずかしいのと、そして手を繋がれて嬉しいのとが混じり合っている。
ああ、あの子はあの男の子が好きなんだなと、その表情が如実に語っている様だった。
可愛らしいカップル。
微笑ましい二人。
ふと鎹の方を見ると、鎹はあの二人の方へと視線を向けたままだった。「いいなぁ」と呟いた鎹に「何が?」と問えば、「んー、別に」と返される。
そしてまた、鎹の視線はあの子達に向かう。
「…………」
私は一人踵を返す。
そういえば、さっきもスカートがどうのって言っていたなと思い出す。
元々鎹の好みの女の子は、ああいう女の子だ。鎹に直に聞いた訳ではないが、高校生の頃にそんな噂を耳にした事がある。鎹が好きなのは可愛い系の女の子。先程のふわふわちゃん然り、凜ちゃん然り。私とは真逆の女の子。
意味もなく案内盤の前足を止め、靴売り場は見つかったと言うのにそこで棒立ち。
「…………」
暫くして鎹がこちらに近付いて来ているのが目の端にちらりと写る。だけど、それが分かっても私の体はすぐには動けなかった。
どうしてか分からない。
体が動かなかった。
「…………」
目を閉じる。
目を閉じて今考えていた事全てを奥底に閉じ込めるようにそうした後、私は近付いて来ていた鎹に視線を向ける。
「四階みたいだよ」
紳士靴売り場は四階。
すぐそこのエスカレーターに私が乗ると、後ろから同じようにしてエスカレーターに乗る鎹の気配を感じた。
無言。
何も話さずにそうしていると、考えたくない事が頭の中でぐるぐると回り出すから嫌だった。
エスカレーターの持ち手にぎゅっ、と力を入れる。だけど、一度頭の中で思い描いてしまった事はなかなか忘れる事などは出来ない。考えたくなくても、インプットしたこの脳が忘れさせてはくれない。
『考えるな』
エスカレーターが終わる。
私が平地を歩き出すと後ろから鎹が一人何かを叫んだ。ちらりと鎹を見てみるが何を叫んだのかは分からなかった。
「…………」
考えるな。
私は前を向いて歩き出す。
―――――――
靴も買った。
解散しようかと言ったら鎹に買い物に付き合ってくれと頼まれる。何を買うのだろうか。
「鎹君。何買うの?」
「うん」
「…………」
うん、って……何?
何を探しているのか。分からなかったけれど、とりあえず鎹に付き従う。百貨店内をうろうろする鎹のうしろを歩き、ぶらぶらする鎹の背中を見る。外は暑いけれど百貨店内は冷房で涼しい。鎹は半袖のシャツ姿なのだが寒くないのだろうか。半袖の袖口から伸びる腕。あんなに大きかっただろうか。背中はあんなに広かったか?
高校生の頃とは違うのだと、後ろから見るとそれがよく分かった。
私達はもう子供じゃない。二十歳を過ぎた大人で、さっきの可愛らしいカップルのような高校生には戻れない。
時間は過ぎていって、時間は過ぎていく。
これからも私達はずっと大人のまま。
鎹が店に入る。
なんだか可愛らしい雑貨屋さんだった。女の子が好きそうな小さくて可愛いものが沢山置いてある。
どうしてこの店に入るのだろう。
どうしてこの店に入ったのだろう。
手に取り眺めている鎹から離れて、私も適当に物を手に取り眺める。可愛い小物。女の子が好きそうな小さくて可愛い小物。
私も好きだけど、買おうとはあまり思わない。
鎹は何を探しているのだろう。
雑貨屋を出てしばらく、人の数が尋常じゃないほどに増えてきた。鎹もそれに気付き、それがどうしてなのか知らなかったらしい鎹に人の数が増えてきた原因を教えてやる。原因は今大人気の『ゆるキャラ』がここに来ているから。
皆それを見たいのだろう。
人波に押されて蹌踉めいてしまった私を、鎹が掴んで支えてくれる。そのまま体を押されて、比較的人垣が少ない隅の方に移動する。ここから見えるのは沢山の人の頭。向こう辺りにゆるキャラは現れる様だ。
それにしても凄い人気だな、と感心と飽きれが私の中で渦巻く中、腕を掴んでいた鎹の手が移動して私の両の手を優しく握る。どきっ、として鎹の方に視線を向けてしまうが、鎹は私を見ていなかった。私の手を握る自分の手を見ているようだ。
「なぁ、進藤……」
どきりとした。胸がざわめく。
この空気を知っている。この言葉を知っている。鎹の声と鎹のこの言葉が示す雰囲気を、私はちゃんと知っている。
「進藤はさ」
「きゃーーっ!!」
鎹の声と群衆の叫び声が重なる。どうやらゆるキャラが現れたらしい。ほっ、と緊張の糸が弛む。弛んだからだろう。私の口からゆるキャラを見に行くかと、言葉が出てしまった。
多分私は逃げたかったのだ。この状況から。この雰囲気から。鎹から。
だけど鎹は「見に行きたいか」と逆に問い返してきた。
私はゆるキャラに興味はない。見に行きたいとは思ってない。
「私は……別に……」
見に行きたい、なんて言えなかった。今、見に行きたいと言ってしまえば、きっと鎹は傷付くだろう。私を見ていない鎹のそれに、そうなんだと気付く。
鎹は私を見ていない。
さっきから視線を反らしている。ずっとずっと、私を見ない。だけど手だけは握られたままで。
私は鎹を見る。
今、私が手を握り返せば、多分鎹は顔を上げる。顔を上げて、きっと私を見る。驚いた様に私を見るだろう。そうしてきっと私が微笑めば鎹も微笑む。微笑んでくれる。
だけどそんな芸当が私に出来るか?
彼のその素直な想いに答えられるか?
君に言えない言葉がある。
君に聞けない言葉がある。
君に伝えられない、想いがある。
どうしても二の足を踏む。
進みたくない。
『進みたくないのは、どうして?』
鎹が顔を上げた。
真っ直ぐに私をその瞳で射る。私は動けなかった。私の手を握る鎹の手に力が込められ、ピクリと揺れてしまう。だけどやっぱり私は動く事が出来なかった。
ゆっくりと、だけど確実に鎹の顔が私に近付く。近付いて来る。これが何を意味しているのか知っている。これが何を意味するのか知っている。
動けない、と思った。
動きたい、と思った。
だけどここで私が逃げて、そして鎹が離れて行ったらと思うと動けなかった。今、ここで逃げたらきっと、鎹はもう戻らない。手を離す。私の手を離してしまう。
だけど動かなきゃ進むのだ。進んでしまうのだ。後戻りは出来ない。私達はもう、高校生の子供なんかじゃない。
鎹の匂いが近くなる。鎹の鼓動が、息遣いが近くなる。手は握られたまま、私の体は硬直した様に動けない。逃げたいのと逃げたらと思う気持ちが鬩ぎ合う。鬩ぎ合って、どちらも自分では選べないから動けない。動かない。
どちらも選べない。
自分では何も、選べない。
「双弥っ!!」
鎹が私に触れる。
その直前、鎹の名前を呼ぶ誰かの声。ピタリと鎹の体が停止した。後ろを振り向く鎹に私も視線をやると、そこには見知らぬ男女が数名。
「ほらやっぱり。双弥だっただろ?」
「ホントだね。びっくりー」
遠くからこちらに歩いてくるその人達は、きっと鎹の大学の友人なのだろう。顔も名前も知らないその人達は鎹に向けて笑顔で手を振る。
私の知らない、鎹の世界がそこにある。
「…………」
そこにいる女の子の格好はやはり春らしいロングワンピース。ふわふわちゃんとは少し違う大人の可愛さがそこにある。
長い髪の毛を一つに纏めて結い上げている子はきっと、鎹の好みのタイプのはずだ。
鎹を見る。が、鎹の表情はここからは見えない。
私の知らない鎹の世界が近付いて来る。
「……鎹君、私、向こうで待ってるね」
そう言って、私の手を握る鎹の手を振りほどき、私はついに逃げ出した。
フードコートで一人座って顔を伏せる。どうしようかとそればかりが頭の中を駆け巡っている。そのうち鎹はこちらに来るだろう。
そうしたらどうする?
変わらず彼に接すれるだろうか。分からない。
それならいっそ先に帰ってしまおうか。
メールか電話で連絡して、いっそ本当に今日あった事全てから逃げ出してしまおうか。そうしたらどうなるだろう。
高校生のあの時、私が逃げ出したら鎹は追いかけてきた。だけど今、大人になった今、鎹の対応はどう変わる?
鎹が好きなのは可愛い系の女の子。
今まで付き合ってきた女の子は、きっと全てがさっき見たあの子と同じような女の子。だったら私は?だったら私は何なんだろう。
『鎹君が私を好きなのは、―――――だからでしょう?』
「…………」
君に聞けない言葉がある。
「進藤さんっ」
ビクッ、と肩が揺れる。名前を呼ばれ、鎹かと思い机に伏せていた顔を恐る恐る上げると、そこには眼鏡の男の子がいた。どうして彼がここにいるのだろう。
「小日向君……、どうしてここにいるの?」
小日向がその私の言葉に焦る。
「えっ、とあの、えーっ、と、その……。偶然ですね!」
「…………」
偶然な訳がない。
「つけてたの?」
「えっ!えっとっ、ちがっ」
私はため息を吐く。
「はぁ……。瀬川さんはどこ?」
彼が一人でこんなことするわけがない。100%の確率で、あの女が一緒にいるはずだ。だが、近くに見当たらない。まさか逃げたか。
「えっと、空ちゃんは鎹君の方に……」
鎹の方にいるのか。
何か余計なこと、言わなければいいけど。そう鎹がまだいるだろう方へ視線を向けていると、小日向が「大丈夫ですか?」と問いかけてくる。小日向達は一体いつから見ていたのか。
「……大丈夫だよ。ご心配どーも」
喧のある言い方になってしまった私のその言葉に、小日向が申し訳なさそうに謝ってくる。
「すみません……」
「……ごめん」
そんな小日向に私も謝る。ため息。
「……ねぇ、小日向君。ちょっと手、貸して?」
意味不明なそれに首を傾げながらも、小日向はすっ、と手を差し出してくれた。私はそれを握る。
「…………」
握る。
さっき、鎹の手を握り返す事が出来なかったにも関わらず、こうやって小日向の手なら簡単に握り締める事が出来る。力を入れられる。こうやって、掴む事が出来る。
いとも容易くそうすることが出来ると言うのに。
「進藤さん……」
じっと手だけを見ていたら小日向が静かに口を開いた。
「進藤さん。鎹君の事、好きですか?」
小日向を見る。
小日向は優しげな瞳で私を見る。高校生の頃とはまた違う、だけど変わらない優しさを彼は持っている。暖かく包み込むような優しさを感じる。
「……好きだよ」
だからだろう。
素直に言葉が口から出る。鎹には決して言えない言葉。鎹に向けては言えない気持ち。鎹には伝えられない想い。
小日向が優しく笑う。
「それを鎹君に言えばいいだけですよ?」
「…………」
分かってる。
分かってはいるのだけれど。
「……不安なんだよ」
不安だ。
「……怖いんだよ」
怖いんだ。
鎹に真意を聞くのが怖い。鎹が気付いていない真意を掘り出してしまうかもしれないのが怖い。だけど、聞かずに進んでもし途中で鎹が気付いたら。
「進藤さん。鎹君は」
小日向が何か言おうとする、その途中でバンッ!と机が叩かれる。机の上に誰かの手。驚いて見上げて見てみると、そこには眉間に皺を寄せ怒気を漂わせる瀬川の姿。私を睨み、そして小日向を見て皺をさらに寄せた。勿論、私が握っている小日向の手にも視線は行った。私は小日向の手をぱっ、と離す。
「あぁ、そう。そういう事。私にはあそこで待っておけと言っておいて、瑛士君は進藤さんと仲良くするわけだ?へぇー、そう。そうなんだそうなんだ」
これは不味い、と思い私はすぐさま言葉を口にするが。
「あの、瀬川さん。分かってるとはおもうんだけど」
「何がっ?」
ギロッと瀬川に睨まれ開いた口を閉ざす。弁解の余地なし。
ヤバイ。なんか滅茶苦茶怒ってる。
「あと、さっきの進藤さんの言葉だけど、怖いって何よ」
「…………」
突然の瀬川の追求に何も言えなくて黙り混む。そんな私に瀬川は容赦しない。
「進藤さんってば昔からそう。いつまでも誰かが守ってくれるんだ、なんて甘い事思ってたら痛い目見るからね」
「空ちゃんっ!」
小日向が窘めるように言うが、瀬川は小日向に視線を向けない。私だけを見ている。
「だってそれは、鎹君を信用してないって事でしょう。鎹君の気持を信じてないって事だわ」
「…………信じてない、わけじゃ」
「数年間。貴方だけを探してた鎹君を、どうして信じてあげられないの?ずっとずっとアナタだけを想ってた、鎹君をどうして信用してあげないの」
信じてない訳じゃない。
信じてない訳じゃない、って。そう思うのに、私は信じていないのだろうか。鎹を信用していないのか。
「それとも進藤さんは、自分に自信が無いの?」
「…………」
自信なんて持ってない。
私は昔から、自分自身に誇れる所などありはしなかったのだから。誇りを持とうとも思ってこなかったのだから。
「進藤さんは逃げてばっかり。……ズルイわ」
静かに瀬川はそれだけ言って一人踵を返し歩いて行く。小日向が名前を呼ぶが振り向かない。そのまま歩いて離れて行く。
「小日向君、行って」
追いかけるかどうか、私と瀬川とを交互に見て迷っている風な小日向に瀬川を追いかけろとそう言うと、小日向はそれでも迷った挙句瀬川を一人追っていった。私はそんな二人を見送った後、脱力感に襲われ椅子に深く身体を預ける。
『進藤さんは逃げてばっかり。ズルイわ』
「……その通りだよ」
瀬川の言うとおり。私はずっとずっと逃げて逃げて、現状のままが良くて進まなくて。鎹が一人距離を詰めようとするのに、私はそれに気付いて距離を取る。
ずっとこのままでいたい。
ずっとこのままでいい。
このままの状態で何も望まない。何も望まないから何も失うものもない。私が大事なのは今のこの時間で。私が欲しいのは今のこの時間だ。先にあるものに、私は何も望まない。『今』を無くしたくない。
だけど、君を無くしたくないのに君を無くした時のことを考え、先にある恐怖を思考する。考えたくないのに考える。
一年後十年後百年後の未来より、今日と明日と明後日の自分が大事。だからこれはただの私の我儘で私の願望。私一人の勝手な我情。
そんな些細な事で『今』が揺らぐのが怖いのだ。
どうしても伝えられない想いから逃げ出した。
どうしても確かめる事の出来ない気持ちから逃げ出した。
目の前には沼。
君という沼がある。
沼に嵌ったら抜けられないから、私はその沼に入るのに躊躇する。
だけどその沼は、いつまでそこにあり続けてくれるのだろうか。




