ばんぱいあじゃなくてヴァンパイアだから。
靴箱の中に手紙を入れる、などという古典的かつ古風かつ昭和の匂い漂わせる行為をする人間がこの世の中にまだいるとは誰が考えるだろう。誰が知っているだろう。誰が思っているだろう。
誰もいないと思う。
誰もするはずがないだろう。人口の約90%以上が持っているだろう携帯電話があるこのご時世。手紙を使う馬鹿は、きっとこの学校には一人しかいない。ラブレターならまだしも。
手紙の封筒裏には名前が書いてあった。
鎹双弥。
クラスメイトの鎹双弥だ。
手紙には「放課後、東棟三階第二多目的教室で待つ」とだけ書かれていた。
それだけなら口頭でも伝えられるだろう、と一人心の中で鎹に突っ込みを入れる。
何か用事だろうか。
用事しかないだろう。
何の用事だろうか。
放課後のあまり使われていない教室での用事など考えなくても分かる事だ。
「…告白だったら一発ビンタしてやろうかな」
ありえない考えに出来ないだろう攻撃をする事を考えながら、私は自身の教室へと向かった。
一時間目は何だったかな。
放課後。
東棟三階、第二多目的教室。
教室の中には私と鎹しかいない。廊下を通る人影も見当たらない。
「ここ、使われてないんだっけ?」
「いや、部活で使ってる」
だから入る事が出来るのだと鎹は言う。鎹が入っている部活が何だったのかは思い出せない。
「今日は部活ないの?」
「今日は休み」
そうなんだ、とだけ言って私は教室を見渡す。入った事無かったけど他の教室とあまり変わりはない。あるとしたら机も椅子も一つもない事か。物が無い教室。広いな、と思いながらぶらぶら歩いていると、鎹が「もう大丈夫なのか?」と聞いてきた。
「何が?」
「昨日早退しただろ?」
私は昨日早退をした。家庭科の調理実習の最中気分が悪くなりそのまま家へと帰ったのだ。
実際には途中寄り道をしたのだが。
鎹は心配をしてくれていたらしい。
「大丈夫だよ。気分悪いの治ったし」
「……本当か?」
本当だ。
何故なら私は昨日、ある男のペットボトルを口にしたのだから。
「本当。もう大丈夫」
「…誰かの血でも吸ったのか?」
この男はどこまでもそこに話を持っていく。その話に突っ込んでくる。私の存在が珍しいと思うのも分かるが配慮というものも身につけてもらいたいものだ。
「そうだね」
「…そうか」
俺の血を飲んでいいと言った鎹に、私は言った。
鎹の血は甘い、と。
他の人間の血は甘く感じないのに、鎹の血は甘く感じたのだと。
だから飲まないと言った。
飲めないと言った。
飲みたくなかった。
人の血を口にしたくなかった。
「…俺さ、どうしても分からないんだけど」
「何が?」
「俺の血は甘いんだろ?」
そうなんだけど、本人から改めて確認されると頷くのに抵抗を感じるのはなぜだろう。
「…そうだね」
「それが何で駄目なんだ?」
あの時と今日とでは私の人の血に対する気持ちには変化があった。
それは昨日あの男に会ったから。吸血鬼であり私を吸血鬼にした男。
その男と話して少しは考えが変わったのかもしれない。だけど、それをあえて鎹に言うのか?
否。
言うべき必要もないだろう。
考えが変わったからといって、私が鎹の血を飲むことはない。もともとクラスメイトの血は飲まないと決めていたのだから。
「前にも言ったと思うけど、私はクラスメイトの血は飲まないようにしてるの」
「新谷の血は飲んだだろ?」
「ちょうど目の前にいたからね。でも新谷君だけ。例外は彼一人」
「俺の血も舐めはした」
「…鎹君がしつこかったからね」
「新谷だけが例外じゃなかったわけだ」
「…それ、なんか屁理屈っぽい」
「屁理屈じゃないだろ。事実だろ。それに話が何か違う方向に進んでる気がしないでもないんだが」
「………」
「進藤が俺の血を飲まないのは俺の血が甘いから、なんじゃないのか?」
ぐうの音も出ない。
ぐう。
「それはちょっと違う」
私はため息をついてからそう切り出す。
「私が鎹君の血を飲まないと言ったのは人の血を飲みたくなかったから。本当の所、甘いも甘くないも関係ない」
「でも昨日口にしたんだろ?」
人の血を。
「私がそうしたのは考えが変わったから」
「考えって?」
「…鎹君には関係ない」
というか、あの時鎹の家で割と赤裸々に話したつもりだったんだけど。理解していないのだろうか。
「考えが変わったなら俺の血は飲んでもいいわけだ」
「………」
正直飲みたくない。
でも、ここでそう言ってしまうと、また「何で?」と平行線の押し門答が続いてしまうのだろう。
人の血を吸う事に関する嫌悪感はあの時薄れたように思う。吸血鬼に会って、話して、人の血に違いがあるのは普通だと言われて。
私が変わったのではなかったのだと。
それが普通だったのだと。
そう思ったら自然と口にする事が出来た。鎹の血を甘く感じたあの時、人の血を口にしたくないと思ったあの感情は今はもう形を潜めている。
だからと言って血を吸う行為を認めたとは言わない。
やっぱり多少の嫌悪感はある。血を口にするのは嫌だ。吸血鬼となってしまった自分も嫌だ。
だけど私は吸血鬼なのだ。人の血を吸って生きる鬼なのだ。
「どうしてそこまで血を吸われたいの?」
鎹がむきになる理由がいまいち掴めない。吸いたくない、と言われたらよけい吸ってほしくなる、とそんなような事を以前言っていた。
別に特に血を吸われてもいい事など何もないと思うのだが。
それともただの天の邪鬼か。
やれと言ったらやりたくない。
やらなくていいと言ったらやりたい。
あまのじゃく。
一度鎹の望み通り血を飲んでやればそれで満足するのだろうか。
あの時。
保健室で初めて鎹の血を口にした時はそんな事を考えていたっけ。
でも飲むことは出来なかった。噛みつく事は出来なかった。牙を喉元に突き立ててやる事が出来なかった。
だから変わりに舐めたのだ。鎹の血を舐めた。
そして初めて血の甘さを体験した。
血が甘いと初めて感じた。
「どうしてそこまで血を吸われたいの?」
「どうしてって」
「ただの興味本意ならやめて欲しい。気分いいものじゃないから」
興味本意じゃない。
と鎹。
「興味本意じゃないなら何?」
「…ただ力になりたいだけだ」
力にって…。
「それは私が吸血鬼だから?」
「………」
「人とは違うから?」
「………」
「私が吸血鬼だと、知っているのが鎹君だけだから?」
「………」
黙る鎹に私は笑顔を向けた。にっこりと、作り笑顔。人を小馬鹿にしたような笑顔。
別に鎹を馬鹿にしてるわけじゃないけれど。
「鎹君は偽善者タイプだね」
助けて欲しいだなんて言ってない。別に助けないといけないなんて事もない。鎹の助けがなくても私は生きていける。今までこうして生きてきたのだから。それが証明。
普通の人間と一緒に、見た目普通の人間として生きてこれた。
人ではない私が、鬼である私が、皆と違う私が、異質な私が、
『違う』私がそうやって生きてきた。
今までも、これからも。
きっとそれは変わらない。ずっと一生変わらない。
私は吸血鬼で、鎹は人間。
違う生き物。
これで話しはおしまい、とばかりに私は鎹に優しくこう言った。
「私の事は気にしなくていいから。吸血鬼だって周りにバラさなければそれだけでいい。それだけで十分助かってるよ」
話しは終わり。
これで終わり。
そう思って黙ったまま何の反応も見せない鎹を置いて帰ろうとした所で、おもむろに鎹が口を開いた。
「甘い方がいいと思う」
「…何が?」
突然何を言い出すのだろう、この男は。
「口に入れるものは不味いものじゃなくて、甘くて美味しいものがいいと思う」
「………」
それは血の話だろうか。
「俺の血、甘いんだろ?だったら俺の血を飲めばいいと思う」
全然全くこれっぽっちも話が伝わってない気がするのは気のせいだろうか。それが嫌なんだと私は何回この男に言わなければならないんだ。
馬鹿だ。
こんなにこの男が馬鹿野郎だったとは。お願いだから理解して欲しい。
「あの、だからね、鎹君」
「何が嫌なのか、俺にはやっぱり分からないんだが」
だから……。
「もう私には関わらなくていいって言ったの」
「何で?」
何で、って。
「……私が吸血鬼だから?」
自分でも分かるほど疑問形で私は鎹にそう言う。
「吸血鬼だから?」
「…吸血鬼だから…。鎹君とは違うから」
「だから血を飲まないといけないんだろ?」
「………」
「人間の血を口にしないといけないんだろう?」
「………」
「二週間に一回ぐらいの割合で飲まないといけないんだろう?」
「………」
「だから俺のを飲んでいいって言ってるんだって」
「………」
何だろう。
なんだか何で自分が鎹の血をこれほどまでに飲みたくないと思っているのか自分でも良く分からなくなってきた。
「口に入れるなら美味しい方がいいだろ?」
「…そうだね」
「鉄臭い味より甘い味の方が美味しいだろ?」
「…そうだね」
「俺の血甘いんだろ?」
「………そうだね」
じゃあいいんじゃないか?
と鎹。
何故か鎹に流されてる感が否めない。
何だろう。なんだか自分がどんどん馬鹿になっていく気がする。
なぜだ。
暫く沈黙が続く。
そして唐突に「あのさぁ」と鎹。
「もし吸血鬼が進藤じゃなくても、俺は同じ事してると思う」
そう言って、鎹は自分の言葉に「うん、そうだ。そうだな」とでも言うようにこくこくと頷く。
「俺の血が甘いんだったらあげてると思う。もし甘くなくてもあげてると思う。俺の血がその吸血鬼の役に立つんなら喜んで俺の血をあげる。欲しいんだったらあげてる」
誰が吸血鬼だったとしても俺はそうしてる。
「誰でも?」
「うん」
「……吸血鬼が新谷君でも?」
「………そ、うだな」
鎹が返事に戸惑ったのは、新谷が男だからだろうか。
さすがに男に首元噛みつかれるのは嫌なのだろう。
私も想像してみたが、絵的にちょっとな、と思ってしまった。どちらも絶世の、漫画に出てくるような美男子だったのなら…………、どちらも美男子ではないのでやっぱり無理。
誰が吸血鬼だったとしても。
私が吸血鬼だったとしても。
私以外が吸血鬼だったとしても。
血をあげる。
血を吸ってもらう。
血を飲んでもらう。
それがその人の役に立つのなら。
それでその人が苦しくなくなるなら。
誰であっても
私であっても
知らない人でも
知ってる人でも
鎹はそうするのだろう。
そうしてくれるのだろう。
そういう男。
鎹双弥はそういう男。
鎹の事を私は偽善者タイプだと言ったが、それはもしかしたら間違いなのかもしれない。
鎹は偽善者ではなく、
自己犠牲野郎。
鎹は自己犠牲タイプだ。
だから血を飲んでもいいと、あんなに簡単に言ってしまえるのだろう。
他人のために簡単に血を差し出すと言ってしまうのだろう。
バカだなぁと思う。
アホだなぁと感じる。
笑える。
なんだかだんだん馬鹿バカしくなってきた。
色々考えている自分が。色々悩んでる自分が。
吸血鬼である自分が。人間でない自分が。
それがどうしたんだろう、と。
バカには馬鹿しか通用しない。
目の前には鎹がいる。
血を飲んでもいいと言った鎹がいる。
血の甘い鎹がいる。
鉄臭い血じゃない鎹がいる。
「血、飲んでもいいの?」
私は最後確認として鎹にそう聞く。
だけどそんな確認もいらなかっただろう。
鎹は始めからそう言っていたのだから。
鎹が「ああ」と言うか言わないかのタイミングで、私は鎹を壁にガンッと押し付けそして有無を言わさずすぐさま口を開いて、
首元に牙を付き立てた。
鎹は「っいっ!!!!!」と呻き、ガンッ!と拳で壁を叩く。痛みを和らげようとしたのか、あまりの痛みに何かにやつあたりでもしないと我慢できなかったのか。拳の痛みで首の痛みを忘れようとしたのか。
だから痛いって言ったのに。
だけどすぐには離してやらない。
痛がればいい。存分にこの痛みを知るがいい。
鎹が言ったんだから。我慢できると。
鎹の血はやっぱり甘かった。
吸血鬼の男に貰ったペットボトルの中の女の人の血よりも。
甘かった。
「痛かった?」
「………」
「だから痛いって言ったのに」
「……じんじんする」
「そ」
「………」
「私は最初に言ったよ?」
「………」
「ね、鎹君」
「……何?」
「鎹君の血ね、やっぱり甘かったよ」
「……そいつは何より」
私は笑った。
「あとね、『ばんぱいあ』じゃなくて『ヴァンパイア』、だから」