それぞれの vorbesc.凛・鎹・玲衣
気付いてた。
だって貴方を見てたから。
ずっとずっと見てたから。
だから貴方があの人を見ているのを知っていた。
知ってたよ。
知ってたけど、貴方は私の彼氏だもの。私を彼女としてくれた私の愛しい彼氏だもの。貴方が私を選んでくれたの。私の想いに答えてくれた。貴方は私の彼氏だったから。
双弥先輩が怪我をした。
飛んできた何かで切ってしまったようだ。
「大丈夫ですかっ?」
私は双弥先輩の怪我を窺いながら聞く。手の甲から血が流れている。痛そうだ。
「大丈夫大丈夫。軽く切っただけみたいだから」
双弥先輩はそう言って優しく微笑んでくれたが、私は落ち着かなかった。
「鎹先輩!」
玲衣が慌てた様子でこっちに来てくれた。
「飛んできた何かで切ったみたい」
玲衣にそう伝えると、さっきと同じように、「大丈夫大丈夫」と玲衣に笑う双弥先輩。
大丈夫じゃない。痛いはずだ。だってさっきからずっと傷を負った手をぎゅっと握りしめているじゃない。
「そうだ!絆創膏、絆創膏私持ってます!」
私は自分の鞄を探る。焦っているためか、どこに入れていたのか思い出せなくてばさばさと鞄の中を荒々しく漁ってしまっていた。
やっと見つけた、と安堵した時、玲衣の「…進藤先輩?」という声が聞こえた。
不審に思い玲衣の視線の先を見る。その先には進藤先輩がピクリとも身動きせず立っていた。その姿が私の目に不気味に映った。ぞくっと背筋が凍る。
誰も何も言わない。
ただ立っている進藤先輩を皆が見る。
じゃり、と進藤先輩が足を一歩踏み出した。
顔の表情が分からない。顔は見えているのに、進藤先輩の表情が分からなかった。
まるで抜け殻のようだ。魂がない人形だ。
じゃり、じゃり、と進藤先輩が一歩一歩こっちに近付いてくる。
私は動けなかった。
近付く進藤先輩を見ても、私にはそれが本当に進藤先輩なのか自信が持てなかった。でも、間違いなくそれは進藤先輩で。進藤先輩にしか見えなくて。
進藤先輩がすぐ目の前まで来た。
目が怖かった。暗い瞳。黒い瞳。さっきまでと全然違う。感情ない瞳。だけど何かに餓える獣のような瞳。感情がないのに、何かを欲しているのが分かる。
何を見ているのか、進藤先輩の視線の先に何があるのか。進藤先輩はただずっと一点だけ見ているようだった。だけど何を見ているのか分からない。
すっ、と進藤先輩の腕が動く。すぐ近くにいる進藤先輩の手が動く。
その先にあるのは。
「進藤っ!!」
びくっ、と私は肩を揺らした。
叫んだのは双弥先輩だった。怒ったような、必死なような、何かを慌てて止めるような。
そんな双弥先輩の叫び声。
双弥先輩が進藤先輩の名を呼ぶ声。
そんな先輩、見たことない。
いつも優しい先輩しか私は見たことない。
私の前では、いつも優しい。
そんな先輩が、そんな声を出すんですね。
そんな必死な顔をするんですね。
そんなにも感情を表に出すんですね。
進藤先輩の顔色は悪かった。進藤先輩の様子がおかしいのは誰の目から見ても明らかだった。彼女に何が起こったのか。
進藤先輩がふらふらと歩きだす。玲衣がそれを追いかけた。
私は追わなかった。
双弥先輩も追わなかった。
双弥先輩は、ただじっとその背を見ていた。
手の甲の傷など、忘れてしまったかのように。ただじっと。
そんな双弥先輩に、私は絆創膏を差し出した。それに気付いた双弥先輩は「ありがとう」といつもの優しい笑顔で微笑み絆創膏を受け取った。血をハンカチで拭ってから絆創膏を貼りつける。
そして、じっとそれを見ていた。
「…双弥先輩」
そんな双弥先輩に、私は声をかけた。
「どうかした?」
「双弥先輩…、もし進藤先輩に何かがあっても、私と一緒にいてくれますか?」
最低だ。
私は今、最低な質問をしている。人として、やってはいけないことをやっている。
進藤先輩の様子がおかしいのに。明らかに放ってはおけない状態なのに。一人になんてしておけない状態なのに。
こんな状況で、その進藤先輩を、だしにするかのように、私は今、双弥先輩の真意を聞きだそうとしている。
双弥先輩を試している。
「何か…」
双弥先輩が小さく呟く。
視線の先には進藤先輩。
その進藤先輩が膝を折り崩れ落ちた。
たっ、と双弥先輩が走る。
走っていった。
それを見ている事しか出来なかった。
私は最低だ。
最低な人間だ。
走っていった双弥先輩の背中をみて、
進藤先輩が憎いと思ってしまったのだから。
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「双弥先輩…、もし進藤先輩に何かがあっても、私と一緒にいてくれますか?」
何か。
何かとは何だろう。
進藤に何かが起こるのだろうか。
遠くにいる進藤を見る。さっきの進藤は明らかにおかしかった。いつもと違っていた。進藤ではなかった。
そして、進藤が手を伸ばした先にあるものが何なのか、俺には分かった。
『血』だ。
絆創膏を撫でる。
この下にあるのは切り傷で、血だ。
進藤が見ていたのは血だった。
吸血鬼が飲む、血だ。
それに気付いて俺は叫んだ。
進藤、と叫んだ。
何かが俺を突き立てた。
止めろ、と。
このままじゃまずい、と。
遠くにいる進藤を見る。
凛は「進藤先輩に何かが」と言った。
何かがあるのだろうか。
何かが起こっているのだろうか。
進藤の身に、何か。
危ない、何かが。
進藤が膝を折り崩れ落ちた。
俺は走った。
無意識に、足が動いていた。
___________
「進藤先輩…」
どれだけ呼びかけても進藤先輩の反応はない。聞こえていないのだ。俺の声が。
さっきもそうだった。俺の声は届かなかった。
だけど。
「進藤っ!!」
叫び声が俺の耳にも残っている。その人物は今も凛の傍にいる。
凛の隣にいる、
凛の彼氏だ。
進藤先輩は今、正気に戻っている。なのにいつもと違う。今にも壊れてしまいそうだ。
なのに俺は何も出来ない。
この人のために、力を尽くす事が出来ない。
俺の声は届かない。
俺の言葉も届かないだろう。
虚しかった。
苦しかった。
助けてあげたいと思っているこの人に。
力になりたいこの人に。
何も出来ない自分が。
ただただ悲しかった。
悔しかった。
進藤先輩が膝をついて崩れ落ちる。俺も慌てて膝をつく。
何も出来ないのに。
ただ黙ってそばにいるだけが、俺に出来ることなのに。
俺の声は届かない。
俺じゃない誰かの声は届く。
足音がしてふと見上げると、そこには鎹先輩がいた。
「大丈夫か?」
鎹先輩の後ろ側。
ずっと遠くに凛の姿。
見えなくても分かる。
双子だから分かる。
凛の気持ちが。
凛の感情が。
凛のことが。
凛の考えていることが。
痛いくらい分かる。
向こうには凛がいる。
ここには進藤先輩がいる。
鎹先輩が、
初めて憎いと思った。




