鎹双弥争奪トライアルレース
鎹、という人間以外の血を口にしたのはいつぶりぐらいか。
高校二年。この一年間、鎹と同じクラスになったこの一年間で口にした人の血は、確実に鎹という男の血を一番多く口にしていた。
甘くて美味しい鎹の血。
その血を随分長い間口にしていた。だからなのだろう。ひさしぶりに口にした鎹以外の人間の血は、酷く私を不快にさせた。
鉄臭い。
ドロドロな。
飲み込むのに苦労する。。
ただの血の味。
人間の体液の味。
口に合わない。
血の臭い。
鉄の臭い。
男の臭い。
気持ち悪い。
不快だった。
だけど口にしないといけなくて。私は鎹以外の人間の血を口にする。
鉄臭い味のする血。
鎹の、あの甘い血の味が恋しい。
いつからこんなにも血の味に頓着するようになったのか。血の味など気にしていなかったのに。ただの、私にとって必要なものという感覚だったのに。
鎹のせいだ。
他人の血を飲むのが、
標的を見つけるのが、
牙を突き立てるのが、
口に入ってくる液体が、
こんなにも腹立たしいのは、鎹のせいだ。
不快だ。
―――――――――
「チキチキ、誰が心を掴むかな?鎹双弥争奪トライアルレーーーースッ!」
開会だー!と言わんばかりに腕を振り上げる瀬川の声が教室中を響き渡る。その声に、何が始まるんだと不思議に思った人達が集まり出す。遠くから見ているだけの人間もいれば、近くに寄ってきて何か楽しそうな事が始まったとわくわくしている連中もいる。
「瀬川さん、もう少し静かにできないかな」
私は瀬川に指定された席に座り、机を台にして置いた肘のついた手で頭痛がする頭を軽く支えながら、一応進言してみる。
「嫌。何のために進藤さん達の教室でやってると思ってるのよ。目立たないとおもしろ…、意味ないじゃない」
本音!
私はため息をつく。
目立ちたくないのに。目立たなければならないのか。頭が痛い。
「結局何をするんですか?瀬川先輩」
少し距離を置いて隣に置かれた机に、鎹の彼女である佐倉凛が同じように席に座っている。佐倉の机の上には小さなホワイトボード。そして、私の座っている席にもホワイトボードはある。
「今からやるのは、チキチキトライアルレースよ。鎹双弥が誰に相応しいのか。鎹双弥に相応しいのは誰なのか。必要なのは誰か。必要とされるのは誰か。それを決めるのよ。そうすれば、過去に何があったってどんな噂が囁かれていたとしたって、それは過去であって現在ではない。大事なのは今よ!今、鎹双弥の隣にいるに相応しいのはこの子しかいない!ってのを決める!!」
瀬川が、ぐっとガッツポーズを決める。
「ふしだらな関係などありはしない、等と言う何もない証拠や証明なんて必要ない。好きならば奪い取れ、戦え、そして守れ。愛とは常に闘い、血を流し、涙する戦場のオーケストラなのよっ!」
「…………」
決まった、みたいな顔で立つ瀬川には悪いが、私はもうすでに戦意を損失していた。
まぁ、私の場合『勝ちたい』のではないので戦意など無くても困りはしないのだが、あまりに無さすぎるとそれはそれで少しまずい事になるのだ。
「具体的に何をするのですか?瀬川先輩」
佐倉が淡々と瀬川に質問する。
「具体的には、鎹君に関する問題を私が出して、それを貴方達に答えてもらいます。その正解が多い者が勝者。鎹双弥を我が手にする資格をもつ」
俺はものか、と実は瀬川の隣にずっといた鎹がぼそりと呟く。
それに気づいた佐倉が、慌てたように立ち上がる。
「双弥先輩っ、私は先輩をものみたいに扱ったりはしたくないんです。でも…、不安なんです。私は、双弥先輩の彼女です。ちゃんと彼女になりたいんです!」
熱烈な告白に周りの人間から冷やかしの声があがる。
「分かってるよ。だから好きなだけやればいい。俺は凛ちゃんのことちゃんと彼女だと思っているけど、凛ちゃんが不安なら凛ちゃんが思うようにやりな?」
鎹が優しく微笑む。
佐倉が「…先輩」と感極まっている。
はいはいはいはい。
ちゃっちゃか始めましょーね。
二人の甘甘なやり取りを聞きながら、私は今自分が何故ここにいるのか甚だ疑問で、そして馬鹿馬鹿しくもなってきていた。
そしてむなしい。
「ではでは、チキチキトライアルレース、スタート!」
わあっ、と周りが湧く。
「第一問、鎹君の誕生日は?」
あまりにも基本問題過ぎる基本問題に、ざわざわと騒ぐ見物客。佐倉は机の上に置いてあったホワイトボードにすらすらと書き込む。
一方私はペンを手に持つが微動だにしない。何故なら。
知るわけがないから。
知るわけない。
興味ないんだから。
聞こうとも思わない。
無回答という訳にもいかず、とりあえず適当に書いてみた。
瀬川、及び瀬川の隣にいる鎹に向けて、私と佐倉がホワイトボードを見せる。
両方を見て、鎹が佐倉の方に手を向ける。
「正解者は佐倉凛ちゃん!さすが彼女ちゃんですねー」
わぁー、とそこかしこで拍手が上がる。佐倉に対する賛辞だ。
「それに比べて……、進藤さん。貴方、やる気ある?」
「…………」
月も日付も掠りもしていない私の解答に、瀬川がじとりと目を細める。
嘘でもやる気出してる所を佐倉に見せないと、意味ないんだけど、と暗に語っているのだ。
しょうがないではないか。知らないんだから。
目線でそう伝えて見ると、瀬川が何で知らないのよと睨んできた。
何でって言われても。
それなら最初から出す問題教えておいてくれたら良かったのに。
だが、瀬川はそれを良しとしなかった。たとえこれが佐倉に自信をつけさせるためのただの愚案から来たゲームだったとしても、やはりやるからにはフェアプレーで、と。
まぁフェアプレーでやって、これが上手くいかなかったら、それこそ意味なさそうだけど。
そう。
これは佐倉に自信をつけさせるために瀬川が考えた案なのだ。
「何もないということの証拠は見せられない。証明も出来ない。だったらどうするか。それは相手の考えを変えること。不安で不安で仕方ない鎹君の彼女さんの気持ちを変えること。私はこの男の過去に何があったって好きだ。好きでいる。過去なんて関係ない。噂なんてへのかっぱ」
そんな気持ちになれば、証拠などと言ってはこないだろう。だってそんなもの必要ないから。
で、始まったのがこれだ。
「第二問、鎹君の血液型は?」
これまた基本問題だ。
しかもさっきよりも正解が出る確率は格段に上がっているだろう問題に、周りの人間からは簡単すぎると笑いの声。血液型ぐらいは知っているだろう、という瀬川の私への優しさか。
「………」
その優しさが私を苦しめる。そんな優しさ寧ろいらない。
何故なら私は、
鎹の血液型を知らないから。
「…………」
どうする。
ペンを握ったまま動かない私に周りはざわつく。瀬川も、まさかといった感じで私を凝視する。
そのまさかです。
知りません。
だが所詮血液型だ。
四択問題なのだ。
鎹の性格を考えろ。
鎹の性格を思い出せ。
性格と血液型には何かしらの繋がりがあるのだから。
鎹は重度のお人好しだ。そして自己犠牲野郎だ。痛みが好きなどMでもある。だが、そのどMは本来持っていた性癖ではないのかもしれない。私に咬まれすぎてそうなったのかもしれないから除外だ。
他は何だ?
意外としつこい。頭いいくせに内面バカ。引くことをしない。押し付けがましい。あまり怒ってる所は見ない。不本意だが優しい。他人を見ている。
ここから導き出される答えは……。
私はガガガッ、とホワイトボードにペンを滑らせた。
瀬川が佐倉と私のホワイトボードを交互に見る。何故か周りは静けさを保つように沈黙してそれを見ていた。
「……両者、正解ー。どちらもさすがですね!」
私はふぅと息をはく。椅子に背中を預ける。周りがまた騒がしくなる。
何とか正解を導き出せた。だが、佐倉が鎹の血液型を知っていたのに対し、私のは明らかに『勘』だった。周りから見ている者達が全員分かるぐらいに。
正解と言えるのだろうか。
そんなこんなでチキチキトライアルレースは第十問まで続き……。
勝者は佐倉凛と相成った。
拍手と佐倉への賛辞で教室中が騒がしくなる。佐倉の周りには人だかりが出来る。佐倉はその和の中で笑っている。
白熱した戦い、とまではいかなかったが瀬川の目論み通り、佐倉の気持ちに変化は訪れてくれたのだと思う。
私の周りにも慰めの言葉をくれる人間が何人か集まってきたが、私は席を立ちそれに手を振って返事とし、教室を出る。
敗者はこの場にいるべきではない。
瀬川から言われていた通り、私はそうそうに教室から退出した。
これでかたがついたと、ほっと胸を撫で下ろす。私の何かが物凄く傷付いたが致し方ない。これも佐倉のため。鎹のため。これを鎹へのこれまでの感謝の意として諦めよう。
廊下を歩いていると目眩がし、ぐらりと体が傾いたので壁に手をついて足を止める。そのまま暫くじっとしたまま目を閉じる。
「……まずいな」
頭がぐらぐらした。
その原因は知っている。知っていた。
どうすればいいのかも。どうするべきなのかも。
鎹の血を飲まなくなった。だから私は他の男の血を飲んでいる。だが、鎹の血のように甘くないそれを飲むのは私にとって苦痛だった。
だが、飲まないといけない。だから飲んだ。甘い血の味を覚えた舌に、それは苦痛でしかなかった。
血を飲む量が減った。
極端に減った。
二週間に一度で良かったものが、一週間に一度となった。量が減ったのだから当たり前だ。
一週間に一度来る苦痛。
量を増やせば問題は解決するが、すぐに解決できる問題ではなかった。そして、多分この苦痛は血の味だけの問題ではなかった。
今日もまた、血を飲まなければならない。
今日もまた、誰かを襲わなければならない。
吸血鬼の瞳を使い
自由を奪い
牙を突き立て
鉄臭い血を喉に流す。
一週間に一度来る苦痛。
早く慣れてしまわないといけない。昔の感覚に戻さないといけない。昔の私に戻らないといけない。
「…早く」
はやく。
「進藤?」
後ろからかけられた声に、壁に手をつきうつ向いていた私は振り向く。
誰かは声で分かっていた。
鎹だ。
「敗者に声をかけるのはよろしくないと思うよ、鎹君」
私は何気ない感じで苦笑しながら鎹に言う。
「あ、ああまぁそうなんだが。具合でも悪そうだったから」
そんなこと、気づかなくていいのに。気づいても気にしてくれなくていいのに。
「そ?普通だけど。今、俯いていたのだってレースに負けた敗者だから落ち込んでただけだし」
「…そうか」
鎹は、私が落ち込んでいたというのを心底心配しているように呟いた。
いや、そこは突っ込んでくれよ。
小日向から今回の件についての意図は聞いている筈なのだから。
「冗談ぬきで、鎹君は佐倉さんの所に戻りなよ。こんな所見られたら、今回私が負った傷が無駄になるじゃない」
明日から私は『負け者』や『フラれ屋』『しつこい女』と呼ばれるのを覚悟で今回の件に取り組んだのだから。
そんな女に見られてしまう。そう思うと涙が出そうだった。まぁ、鎹との仲を否定しまくっていた私をそうやって呼ぶのは、きっと冗談半分になるのだろう。
そう思っていても、やはり私が鎹を好きなのだとの誤解はなかなか解けなかった。だから、やはり私の体裁とか外聞とかは傷つくのだ。
だが、鎹はまだ心配そうな目で私を見る。
「冗談ぬきで本当に大丈夫か?ここ最近、何度か体調悪そうなのを見るんだが」
「鎹君はその気の使いようを彼女にしてあげなよね。冗談ぬきで」
私には構わなくていい。
ほっといてくれたらいい。
無視してくれたらいいから。
なのに、何故鎹は私を気にするのだ。何故私を心配するのだ。
もう何の関係もないのに。
ただの、同じ学年の同じ教室にいる他人である生徒。
ただそれだけなのに。
ずきずきと、頭が鈍い痛みを訴えてくる。体がだるい。ふらふらしそうだ。限界だった。これ以上の平気なふりはもちそうにない。
私は「じゃあね」と明るく言って鎹に背を向け歩き出した。歩き出した直後、頭の痛みがさっきよりも増して顔をしかめる。と同時に立ちくらみを起こしたかのように目の前が白く霧がかるが、立ち止まらずにそのまま歩く。
大丈夫。この先に障害物はなかったはずだ。
頭の痛みはズキズキと増すが、目の前の霧は徐々に晴れていった。
角を曲がって鎹からは見えない位置に来て、私は少しだけ立ち止まり、そしてまた歩き出した。
今日もまた、血を飲まなければならない。
今日もまた、誰かを襲わなければならない。
吸血鬼の瞳を使い
自由を奪い
牙を突き立て
鉄臭い血を喉に流す。
一週間に一度来る苦痛。
きっとそのうち慣れるだろう。血の味も。罪悪感も。恐怖感も。
昔のように慣れていくのだ。
時間はかかりそうだけど。




