初夢
第四章
まだ肌寒い春の日。
上を見上げれば青空が。下を見ればアスファルト。隣には男。
自らを吸血鬼だと言う、変わった男。
「やだ!いらない!」
小さな私は駄々を捏ねる。吸血鬼の男をきっ、と睨み付けるその顔は幼い。
「なんで飲まないといけないの!嫌だよ!マズイしどろどろだしべとべとだし、気持ち悪いもんっ!やだっ!いらない!」
男は「飲まないと駄目だ」としつこい。紙コップに入った赤黒い液体を差し出してくる。
「いやー!」
「飲め」
「やだ!!!」
ばしっ、と男の紙コップを持つ手を払いのける。紙コップは吹っ飛び、中の液体が地面にこぼれ散る。
ばしゃりと言う音に驚いて、小さな私は肩を揺らす。怒られると思ったからだ。
「……っ!」
「どうしても飲まないのか?」
そう聞く男の無表情な顔が怖くて、私は泣きそうになった。だが寸での所で涙を我慢する。
「…っ飲まない…!!」
「そうか」
男は新しい紙コップに新しい液体を入れ直し、それを自らの口に含んだ。
男が近付いてくるのを、小さな私は後ずさりしながら見ていた。目の前にやってきた男は、顔を近付け、小さな私の顎を掴み、
口付けた。
「…………っ!」
どろりとした液体が口の中に入ってくる。慌てて男を突き離そうともがくが、がっちり捕まれていているので敵わない。
げほりと噎せる。喉に液体が流れ込む。なおも口を離そうとしない男に、私は口中の液体を飲み込まざるをえなかった。
私が全て飲んだのを確認したかのように、男がようやっと口を離す。私の口内はどろどろの液体で気持ち悪く、喉はねばねばしている感じで、下は鉄臭い液体の味で埋めつくされていた。
小さな私はついに泣いた。
「…っう、気持ちわるい…うぅ、べたべたするーーっまずいーーっっっっああぁぁーーわぁーーーんっっっっ!!!!」
泣きじゃくる私を男は優しく抱きしめて、宥めるかのように背中をぽんぽんと叩いた。
目を開けると、そこはいつもの私の部屋の天井だった。
「………」
ごろりと寝返りをうった後、ゆっくりと起き上がる。
夢を見ていたようだ。
幼い日の夢。
あれはいつの事だったろうか。多分吸血鬼に会ってまだ間もない頃だろうとは思う。
私が吸血鬼になって、まだ何も理解していない子供の頃。無邪気だった頃。
私はぼんやりとしたまま時計を見る。針は六時十五分を指していた。
口の中に鉄臭い不味い味が思い出される。知らず顔が歪む。
そういえばあの時は、キスされた事よりも口に入ってきた血が嫌だったっけな、とふと思った。今にして思えば、あれが私の初ちゅーと言うことになるのだろうか。
不味いどろどろとした赤い液体。血。
口にするのにさほど抵抗を感じなくなったのはいつからだっけ。人の体に牙を突き立てるのに迷いが無くなったのはいつからだっけ。血を飲み込むのに苦労しなくなったのは。吐きたくなる気持ちにならなくなったのは。泣きそうにならなくなったのは。泣かなくなったのは。
私が人間を捨てたのは、
いつからだ。
私はベッドに倒れ込み、再び目を閉じ眠りにつく。
今年の正月も寝正月だな、と私は小さく呟いた。




