怒りを通り越した先に在るものは呆れなのかもしれない
翌朝学校に行くと、まだ昨日の事でクラスでは多少騒がれはしたのだが、昨日ほどの騒ぎではなくなっていた。
私が否定しまっくったおかげなのか、何故か変な方向で昨日の事件が終息してしまったらしい。
いわく。
久遠が私を好き。
私は好きじゃない。
久遠フラれる。
という図式に固まってしまったのだ。
全くもってのデタラメなのだが、それで万事騒がれず解決するのであれば私としてはよしなのだ。
だが、久遠はいいのだろうかと思う。好きでもない女子にフラれたという人生の汚点とも言うべき結果がこの先付いて回るのだが。
だがそんな心配も無用というものだった。この日も久遠はいつも通りの久遠だったのだから。
「いや、むしろそんな話が噂されている事さえ気付いていないのかもしれないな…」
やる気なし。
無気力久遠は今日も全開で、朝っぱらから机に突っ伏して眠っていたのだから。
まぁ久遠が気にしていないのなら、私が気にするべきでもないのだろう。こうなった最初の責任は久遠にあるのだから。
私は小さく安堵の息をついた。
その後の学校での久遠もいたっていつも通りで、昨日のカグラが言っていた事はやはり杞憂だったのだと考えていた。
久遠が舐めた私の血は少量にも満たないのだから、何もないと考えてもいいだろうと。
だが、今回の事で私は自分の血について深く注意すべきなのだと改めて感じさせられた。
自分の血が他人の口に入ることなど確率的には0に近いだろうが、久遠のような変わった人間にこの先出会わないとも限らない。それに自分の血が他人の体内に入るのは何も口からだけとは限らない。とりあえず、怪我には重々注意しないとな、と思う。
何かあってからでは遅いのだ。私の血が、吸血鬼である鬼の血が、人間に害を及ぼす恐れがあるのだから。
「…………」
こうなってくると、吸血鬼に会えないのが口惜しかった。
私を吸血鬼にした吸血鬼。名前も歳も、何処にいるのかも何をしているのかも一才解らない。数ヵ月前に偶然会ったあの時、何故聞くことをしなかったのか。
今さら後悔しても遅いのだが、その事をずっと考えている。もしあの吸血鬼と連絡を取る事さえ出来れば、久遠の問題も私の血に対する不安も全て解消することが出来るのであろうに。
はぁ、と長いため息をついた私に声をかけて来る者がいた。
私が吸血鬼だと知る、眼鏡をかけた男の子。
小日向だ。
「進藤さん」
箒を持った小日向が心配そうに私を見る。今は掃除の時間中。一階から四階の東側階段の掃除で、私は塵取り担当だった。
他にも階段掃除担当の者はいるが、今は別の階にいるのだろう。
「小日向君」
私は下げていた視線を小日向に移す。
「大丈夫ですか?」
「あー、うん。ごめんごめん。塵集まったの?今取りに行くね」
私は考えに没頭していた頭を切り替え、ゆっくりと階段を歩き出す。小日向が集めていたらしき塵はすぐ見つかったので、さっさか塵取りに入れていく。
「進藤さん、やっぱり鎹君の事が気になるんですか?」
「は?」
何でここで鎹の名前が出てくるんだ?と、訳が解らなくて小日向を見返してから、昨日鎹と喧嘩していたのを思い出した。
喧嘩というか、私が一方的にぶちギレた感じなのだが。
「…違うんですか?」
小日向が眉を潜め、私を見る。
「えっ、あー、うん…。まぁそこは最早どうでもいいというか」
あんなに怒りに震えていたのに、鎹の事など頭からすっぽり抜けていた私は小日向にそう返してしまった。それが小日向の何かのスイッチを押してしまったらしい。
「どうでもいいって……、どうでもいいってどういう事ですかっ!!」
ぎょっ、として私は小日向を見る。小日向の初めて見るその激情に、慌てて私は小日向を宥めようとするのだが、小日向の顔がまれに見ない怒り顔だったので何も言えず。
階段を通りがかる生徒、廊下にいた生徒らが、ちらちらとこちらを振り返る。
「ちょ、小日向君っ」
「鎹君も鎹君ですが、進藤さんも進藤さんです!あれだけキツい事言っておいてどうでもいいって…っ。それじゃああまりにも鎹君が可哀想です!そうは思わないんですか!?進藤さんの鎹君に対する気持ちはそ」
「こ、小日向君小日向君小日向君っ!ちょ、ちょっと場所変えよう、こ、ここはちょっとマズイからっ!」
幸いにもここは上級生、三年生しか普段使わない階段なので、同学年の生徒がいることは滅多にないが、このままではまた余計な噂やらを立てられてしまうかもしれない。階段掃除の他の生徒もいる。
それに、こんな状態の小日向から『吸血鬼』という単語が誤って出ないとも限らない。それだけは避けなければ。
どうかしたの?とわりと近くにいた他の階段掃除のクラスメイトが顔を出す。
「な、何でもない。ごめん、小日向君が気分悪いみたいで。あと掃除お願い出来る?私保健室に連れていくから」
分かった、と快く了承してくれたクラスメイトに礼をのべ、私と小日向は早足でその場を離れた。
「すみませんでした…」
校舎裏。人の通りの少ないそこに私達は身を移した。小日向が申し訳なさそうに頭を下げる。しょんぼり、という言葉が似合うその小日向に、私は「私も言い過ぎた」と反省した。
「どうでもいいは言い過ぎだよね。小日向君が怒るのも無理ない」
「………」
少しの間の後、「本当の所はどうなんですか?」と小日向が訊ねる。
「鎹君の事、どう思っているんですか?」
「どうって…」
「僕が聞くべき事じゃないのかもしれないですけど、見てて無性に腹が立ちます」
「小日向君も意外とハッキリもの言うよね」
鎹の事をどう思うか、と聞かれても。
「感謝はしてるよ。吸血鬼だってバレても他の人にはバラさないでいてくれてるし、血もくれる。私の事、色々心配してくれてるのも分かる」
鎹はお人好しで、私のような『人とは違う者』を放っておけない人種なのだろう。しかも、それを知っているのが自分も含めて数人しかいないとなれば、さらに見捨て去ることが出来ないのだ。
「でもだからといって彼女が出来ないのを私のせいにしたり、ズルいとか意味不明な事言ったりましてや不誠実とか……っ、不誠実って言ったんだよ?私のどこが不誠実なのよ、不誠実ってのは彼氏がいるにも関わらず他に男作ったりとか、奥さんいるにも関わらず若い女の子と浮気したりだとか、旦那も子供もいる奥さんに手を出して不倫するだとかそう言う事を言うのよ。私には彼氏も彼女も旦那も奥さんもいないのにそんな事出来るわけないじゃない!そう思わない?思うよね?それをあの男は何をとち狂ったのか不誠実不誠実と。しかも、久遠君とは何もないと何度も何度も言ってるのにねちねちねちねちしつっこいし。お前は私の何だ?親か?親なのか?って言いたくなるわ。それに」
「し、進藤さん…」
話してたら怒りが再熱してきた私を小日向が止める。
「鎹君に対する怒りが蘇ってきたわ」
「………」
小日向が無言のまま頭を押さえた。
「進藤さん……、鎹君も悪かったと反省してるみたいなので許してあげてもらえませんか」
「小日向君はやけに鎹君の肩を持つのね?」
そんなに仲がいいわけじゃないと思っていたのだが。
「まぁ…。鎹君と進藤さんの口論の現場に僕もいましたから」
「そういえば、どうしてあそこにいたの?」
小日向が、私と久遠の馬鹿馬鹿しい噂関係がそこまで気になるとは思えない。私と久遠をどうしても「何かある」としたかった鎹ならまだしも。
「鎹君に声をかけられました」
「そうなんだ?」
一人で突っ込んでくる勇気は無かったというわけか。
「…鎹君、気になってしょうがなかったんじゃないですか?」
「そうね。私に彼氏がいて、鎹君に彼女がいないんじゃ面子丸潰れだものね。それが鎹君がラブレターの彼女をふった後だ、ってのがまた腹がたつんでしょうね。あの男は」
「………」
「とことんめんどくさい男だわ。もう本当に私の事気にせず彼女作ってくれたら早いんだけどね」
その時、遠目にではあるが久遠の姿を発見した。とことこと歩いている久遠。帰るのだろうか。体調は大丈夫そうだ。まだ油断は出来ないが。
そんな久遠を見る私を、小日向が見ていた事を私は知らない。
「…進藤さん、久遠君の事実は好きとかないですよね?」
私は久遠に向けていた視線を小日向に移す。私の冷ややかな視線に小日向がたじろぐ。
「す、すみません。ないですよね。当たり前ですよね」
私は盛大なため息をはく。
「何なの?小日向君まで。私と久遠君をそんなにもどうにかしたいわけ?」
「いや、そういうわけではないんですが……、気にしてるみたいなので」
そりゃ気にするよ。
気にしないでか。
私は小日向に、昨日カグラに聞いた話の、私の血に関する所だけ話した。カグラやヒナ、蝙蝠の事は話してよいか分からず、とりあえず黙っておくことにした。
「吸血鬼になるかもしれない……、でも進藤さん、人を吸血鬼にする事は出来ないって前言ってましたよね?」
小日向が「吸血鬼にして下さい」と言ってきた時に、私は確かに「出来ない」と言った。
「あの時はああ言ったけど、実際には分からなかったの。私に誰かを吸血鬼にする力があるのかどうかなんて」
分かるわけがない。
そんな話、吸血鬼のあの男とはしていないのだから。
「それじゃあ…、僕は騙されたということに」
「別に出来たとしてもやらなかったし。同じじゃない」
結果、それなりに上手くいったみたいだし。
「吸血鬼にはならなくても、もしかしたら何かしらの異変なり害なりが出るかもしれないから注意して見てたの。まぁ舐めさせたわけじゃなく久遠君が勝手に舐めたから非は向こうにあるけど…、やっぱね」
心配だし、と私は小日向に苦笑した。
小日向は納得したのか、「そうだったんですか」と口にした。
「そもそも、どうして久遠君は進藤さんの血を舐めたんですかね?」
「さあ…?」
そういえば色々後から後から問題が出てきてないないになっていたが、何故だろう。
小日向が私をじっと見る。それに気が付いて視線を小日向にやると、小日向はさっと視線を外した。
「………」
「……………」
「…小日向君、何?」
「えっ?あ、いや、う、別に、ないです、よ」
明らかに何かある。
じー…、と小日向を睨む私。視線を合わせない小日向。先に根をあげたのは小日向だった。
「…はぁ。いや、久遠君もしかしたら進藤さんの事好きなのかなーって…」
思いまして、と尻すぼみになりながら小日向が言ったその言葉に、私は呆れ果てた。
「小日向君、君はいつからそんなに恋愛脳になったの?」
いや、そもそも小日向は元から恋愛脳だったか。
「いや、でも可能性としてはそれしか……」
「ない。それは確実にないわ」
きっぱり言った私に、小日向は口を紡ぐ。
久遠が私を好きとか、ありえない。確実に。100%ない。死んでもない。
それに、久遠が好きになる子なんて………。
私はある女の子の姿を思い浮かべた。
多分あるとしたらその子だろう。何となくだがそんな気がした。
「あの、じゃあ久遠君が進藤さんを好きなのは」
「ない」
「…として、進藤さんが久遠君をす」
ギロリと睨む。
「…のもない、として。……それ、鎹君に伝えた方がいいんじゃないですか?」
「……何で?」
というか、昨日さんざ何もないと言ったのだが。
「いや、だって…」
小日向がいいよどむ。
「小日向君、あのねぇ…」
恋愛脳なのもいい加減にしろよ。
私は心底疲れはてた。




