どうしてくれるんだ
場所は変わって人気のない夜の公園。私、久遠、カグラ、ヒナ、この四人が今この場に集まっている。
「で、しーちゃん。貴方が吸血鬼なのは本当なわけね?」
私はカグラのその言葉にこくりと頷く。
「で、吸血鬼だけど純血ではないわけね?」
私は頷く。
「吸血鬼に吸血鬼にされた、元人間の半端者吸血鬼なわけね?」
私は少し戸惑いながらも頷く。
はあ、とため息一つ。
カグラが先程までの態度はなんのその、敬語を使うこともなく盛大なため息をついて愚痴た。
「先に言いなさいよねぇ。喜んで損しちゃった。テンションだだ下がりぃー。ようやく吸血鬼様に出会えたと思ったのに」
そんな事言われても困る。私はただただ途方にくれた。
「ヒナもさぁ、そこんとこ分からなかったの?本物か偽物かどうか」
偽物、とは私の事か。
確かに本物かと言われれば違うような気がしないでもないが。
ヒナと呼ばれた男の子は、困ったような顔をして「…でも」と口にした。
「吸血鬼なのにはかわらないよ?」
「吸血鬼は吸血鬼だけどさ、『蝙蝠』である私達が遣えるべき吸血鬼様は本物の吸血鬼様なの!半端者に遣えても意味がないじゃない」
カグラはヒナに「分かった?」とそう言い聞かせ、ヒナは押し黙った。
その後、「しっかし」とカグラが私の方に向き直る。
「まさかくーちゃんのクラスメイトに吸血鬼がいるとは思わなかったわ」
しげしげと見てくるカグラに、ずっと口を挟めなかった私はこのタイミングだと思いすかさず疑問を口にする。
「あの、『蝙蝠』って何ですか?」
年下であろう女の子に敬語を使ってしまうのは、多分このカグラという得たいの知れない『蝙蝠』である存在がなせる業なのだろう。
先程までの可愛らしい感じを残していても、何故かカグラが私よりも大きな存在に感じてならなかった。
「…しーちゃん、貴方本当に吸血鬼?」
何故知らないの?と方眉をつり上げる。
「吸血鬼、と言っても小学生の時に吸血鬼にされただけで、とくにこれといって吸血鬼吸血鬼していなかったので」
私を吸血鬼にした『吸血鬼』とは中学の時に別れて以後、数ヵ月前に一度再開したきりだ。
吸血鬼となった私がやらなければいけない事は教えてもらったが、吸血鬼という存在自体については何も教えてもらっていない。
「それがそもそもちょっと不思議なんだけど……、まぁいいわ。何にも知らない半端者吸血鬼であるしーちゃんに教えてあげる」
そしてカグラは『蝙蝠』の事を簡単に説明してくれた。
蝙蝠とは。
その名の通りコウモリのこと。黒い翼を持ち、血を吸う吸血動物。だが、洞窟や暗くじめじめした場所にいる普通の小さな動物であるコウモリとは違い、カグラやヒナは人型の蝙蝠。
人型の蝙蝠であるカグラやヒナが人の血や動物などの血を飲む必要はない。吸血鬼とは違い、人間と同じように食事をして、睡眠を取れば生きていける。蝙蝠とは黒い翼の生えただけの人間に近い生き物なのだ。
「だからといって、私達は人間じゃない。蝙蝠としての使命もある。それが吸血鬼様のために選別すること」
「選別?」
「そ。血の選別。吸血鬼様のために美味しい血の人間を選別するの。やっぱり不味い血よりも美味しい血の方が飲みやすいし、健康にも良さそうでしょ?だから私達蝙蝠が先に人間から血を吸って美味しいか美味しくないか確認してるってわけ」
得意気にカグラは久遠の腰辺りをばんっと叩く。
「で、このくーちゃんなわけよ。くーちゃんの血は男ながら美味しいんだから!女で美味しいのは多々あるけど、男で美味しいってのは稀なのよ?私がくーちゃんを見つけた時の嬉しさったらなかったわっ!早く吸血鬼様に味わって欲しいって思ったもの!」
久遠が嫌そうな顔をするのを私は見逃さなかった。味見してみる?と言ったカグラに私はぶんぶんと首を振る。
「あーあ、吸血鬼様がようやく、ようやっく見付かったと思ったのに…」
カグラがしごく残念な顔で私を見る。とりあえず、ごめんなさいと謝っておく。
「しーちゃんを吸血鬼にした吸血鬼様には連絡とかとれないの?」
私は頷く。
「ほんの数ヵ月前に一度会ったけど。それまでは何処にいるのかも何をしているのかも解らなかったし。あの時も、いつの間にか消えてたので」
吸血鬼に会った数ヵ月前。
あの日、私に人の血が入ったペットボトルを渡して、それを私が飲んだ後吸血鬼はいつの間にかペットボトルと一緒に消えていなくなっていた。
中学の頃も同じく突然私の前からいなくなったので、また突然消えた吸血鬼に特に何とも思わなかったのだが。
「ふむ。なんっかやっぱりおかしいのよねぇ。吸血鬼が人間を吸血鬼にする事はあるけど、その吸血鬼にした人間を放置するだなんて」
「………」
やっぱり変わっている吸血鬼らしい。あの吸血鬼は。
「カグラねーちゃん、お腹空いた」
ヒナがお腹をさすり、カグラの服をひしっと掴みながら顔を上げる。ずっと我慢していたのだろう。切実そうだ。
私はそんなヒナをじっと見ながらある事を考えていた。
さっき思い出したのだが、ヒナはあの時会議室の床で寝ていた羽ファッションの男の子ではないだろうか。今日は羽ファッションではないようだが、もしかしたらあの時のファッションは実はファッションではなく本物の蝙蝠羽だったのではないか、と。
「カグラ、さんとヒナ君は羽が出せるの?」
さっきの蝙蝠の説明だと、二人には羽がないとおかしい。だが二人の背中にそれらしきものは見当たらない。なので、きっと蝙蝠の羽は出し入れが可能な代物なのだろう。
少し見てみたい衝動にかられた。
「出せるわよ?あと、私の事はカグラでいいわよ。それか可愛くカグラちゃん、って呼んで?あと敬語もなし。しーちゃんに敬語使われると何か私が年寄りみたいだし」
カグラが微笑してそう言った。その顔が何だかとても大人びて見えて、私より年下であるようには見えなかった。見た目からして可愛い年下の女の子であるはずなのに。
やはり『蝙蝠』という特殊な存在だからなのだろうか。
敬語はともかく呼び捨てにするのは躊躇われたため、私はカグラをカグラ『ちゃん』と呼ぶことに決めた。
カグラは周りをきょろきょろと見てから、ヒナに「大丈夫?」と聞く。ヒナは他人の心臓の震動が聞こえるぐらい耳が良いらしい。私が吸血鬼だと解ったのも、他の人間とは違う心臓の音が聞こえたからだと言う。私の心臓の音と他の人間の心臓の音の何が違うのか私にはさっぱりだった。
カグラはヒナが頷くのを確認してからばさりと背中から蝙蝠羽を出してくれた。
「わっ、凄い」
「ね?ちゃんと羽あるでしょ?」
カグラは微笑しすぐに羽をしまう。見られては大変なのだから当たり前だ。
「しーちゃんが吸血鬼様じゃないのは本当に残念だわ。また探し直しかぁ。出来ればくーちゃんが若いうちに見つかるといいんだけど。年老いたら血の味も落ちちゃうかもだし」
ちらりと私は久遠を見る。久遠はいつもの眠そうな顔でぼんやりとしていた。何を考えているのかやはり分からない。
カグラにとって久遠は吸血鬼の餌でしかない。今までの会話で、それは明瞭にはっきりとしている。なのに久遠は、こんなカグラのいい様にも特に何の反応も見せない。
久遠はいいのだろうか。吸血鬼に血を吸われる餌になっても。
それともカグラやヒナとは長い付き合いで慣れてしまっているのだろうか。
だが、だとしたらさっきの嫌そうな顔は?
「カグラねーちゃん」
ヒナがぐいぐいとカグラの服の裾を引っ張る。
「ああ、そうだったわね。そもそも私達ご飯食べるために出てきたんだもの。お腹も空いて当然よね」
カグラはよしよしと優しくヒナの頭を撫でてやりながら、「じゃあ私達はもう行くわ」と私に向かってそう言った。
「あ、そうだ」とカグラが思い出したかのように視線を一度上にあげてから私を見る。
「そういえば、しーちゃんのくーちゃんへの用事って何だったの?」
「え?あ、ああ…」
忘れていた。
それすらどうでもよくなるほど、カグラとヒナという『蝙蝠』と呼ばれる者達に会った衝撃は強すぎた。だが、明日学校に行ったら絶対にまたあの話題と問題にぶち当たるので解決しておかないわけにはいかない。
「久遠君に聞きたいんだけど、化学の授業の時……、あの…」
カグラやヒナのじっと私を見る視線に堪えられない。辱しめを受けている気分だ。
「何で私の指舐めたの?」
何だこの質問は。バカすぎる。アホすぎる。恥ずかしすぎる。顔が熱い。聞かなきゃ良かったとすぐさま後悔した。
カグラが私のその言葉を聞いて、唖然としたまま久遠に訊ねる。
「くーちゃん、君、しーちゃんの指舐めたの?」
久遠は首を傾げ、暫く考える素振りを見せた後、「あぁ」と今まさに思い出したかの如くそう声を出した。
「あぁ、じゃないわよ!あぁ、じゃないでしょくーちゃんっ!!女の子の指舐めるなんてどうかしちゃったの?!くーちゃん、そんな変態さんじゃないでしょ!?それとも変態さんになっちゃったの?いつから?ねぇいつからっ?!!」
がくがくと久遠が揺れる。カグラが久遠の服を掴んで揺さぶっているからだ。私は慌てる。
「か、カグラちゃん。落ち着いて」
「落ち着いていられないわよ!!くーちゃんが変態になるなんて。くーちゃんがそんなエロな人間になっていたなんて…っ!!私なの!?私が悪いの!?私の監督不行き届きなの!?それともくーちゃんが持っていた、それがくーちゃんの性癖だとでも言うのっ!?指を舐めるとか……、クラスメイトの女の子の指を舐めるとか…っ!!答えてよくーちゃん!!答えなさいこの変態っ!!!」
ど、どうしよう。
まさかこんな展開になろうとは。私があわあわしていると、揺さぶられていた久遠がようやっと口を開く。
「指じゃなくて血。舐めたの血だから」
そういえば、と思う。
あの場合、指ではなく血を舐めたと表現するのが正しい。クラス連中が指指言うから私も流されていたらしい。
「血って…」
カグラがさっきとは違い、別の意味で慌て出したのは声と顔とで分かった。
「血を舐めたの?!しかもよりにもよって吸血鬼であるしーちゃんの血をっ?!」
「か、カグラちゃん…?」
ただならぬ雰囲気のカグラに私は問う。一体何なのだと。
カグラは本当に呆れたような、少し慌てたような声でこう言った。
「しーちゃん、貴方本当に吸血鬼なの?吸血鬼の血ってのはね特殊なの。吸血鬼が吸った人間全ての血が混ざってる。男も女も、大人も子供も、多種多様な血が混ざってるのよ?そんな色んな血が混じり合った血を吸血鬼意外の人間が口にするのがどんなに危険か分からない?普通の人間がそんなものを体内に入れるのがどういう事か分からない?下手したらくーちゃんの体に害を及ぼすかもしれない。もしかしたら最悪くーちゃん自身が吸血鬼になってしまう可能性だってあるんじゃないの?」
害を及ぼす。
最悪、久遠自身が吸血鬼へと変わってしまう。
何故そんな簡単なこと、私は予想出来なかったのか。唐突に突き付けられた最悪のシナリオに、どくどくと自分の心臓の音が激しく体内を叩き回っている。まさかそんな、と否定をしてみても不安は全然拭えない。
「ていうか、全部ぜんぶくーちゃんのせいじゃないっ!!!何だって血なんか舐めたのよ!!どうしてくれんの!!くーちゃんが吸血鬼になったら、せっかくの美味しい血が台無しじゃない!!!吸血鬼様に捧げられないじゃないっ!!!くーちゃんのバカバカバカーーー!!!!!!!何だってこんな勝手な事したのよぉぉぉ」
わぁー!と泣き出すカグラ。何処までも餌、何処までも吸血鬼のご飯扱いの久遠に同情しながら、私は久遠に近付き「体調は?」と聞いた。
「別に。何ともない」
本当に何でも無さそうな久遠の態度に、杞憂に終わるのではないかなどと甘い考えも浮かんだが、今日の今日。安心するのは早すぎるというものだった。
「とにかく!くーちゃんの事は暫く様子見。これ以上余計なことしないでよね、くーちゃんっ!」
さっきまで泣いていたカグラが怒りも顕にそう怒鳴る。久遠はそ知らぬ顔の知らぬ存ぜぬで何も言わない。ヒナがお腹に手をやり「お腹空いた」と一言ごちていた。
ヒナにとっては久遠の心配よりもご飯の方が大事なのだろう。
とんでもない事になったと、私は一人静かに考えていた。




