いつか晴れた空に・前編
―――天吹千晴との出会いは、最悪だった。
これまで沢山の人と出会ってきたけれど、彼女との出会いは今まで生きてきた中で一番酷いものかもしれない。
その時のことを思い出しただけで無性に恥ずかしくなり、穴を掘って叫びたくなる程だ。
確かに最悪で強烈で一生忘れられない出会い方だったけれど、その記憶を消してしまいたいとは思わない。
どんなに最悪な出会い方でも、あれは千晴との大切な思い出のひとつだからだ。
あの出会いがなければ彼女と関わることなどなかったのだから、忘れるなんてことできるわけがない。
彼女、天吹千晴と、私、円堂美空が初めて出会ったのは、中学に入学してしばらく経った頃だ。
あの頃の私は些細な誤解とすれ違いのせいで両親と仲が悪かった。今思えば、重度の反抗期だったのだと思う。
ちょっとしたことでキレてすぐに喧嘩をしたり、度の過ぎた悪戯を繰り返したりと、手のつけられない凶暴な子供だった。
教師はそんな私を当然のように問題児として扱い、顔を合わせれば口を酸っぱくして説教ばかりする。
最初の頃はクラスメイト達も健気に話かけてきたけど、しばらくすれば気性の激しい私を恐れて誰も近寄ってこなくなった。
自業自得だったし、交友関係など煩わしいと思っていたので寂しいなんて感じたことはない。むしろ清々していた。
……けれどあの頃はずっと、理由もなくイライラしていたような気がする。
そんな時期の…そう、あれは昼休みのことだった。
喉が渇いた私は飲み物を買う為に食堂の自販機の前に立っていた。
その日はいつも飲んでるお気に入りのコーヒーを買うか、新入荷したらしい紅茶のどちらを買うかで迷っていて。
真剣に悩んでいたから、気付かなかった。
迫り来る、足音と、人の気配に。
「おわ、ちょっ、あ、あ、危ないっっ!!!」
「えっ?」
後ろから聞こえてきた間抜けな声で、ようやく私は異変に気付いた。
いったい何事だろうと振り返ってみれば。なんと、私に向って一直線に女の子が飛び込んで来るではないか。
状況を理解する時間などなかったので避けることが出来ず、ただ呆けて他人事のように見ているしかなかった。
ぶつかる!と思った瞬間、自然と目を閉じてやがて来るはずの衝撃を待っていたけど、それはいつまで経ってもやってこない。
「………?」
不思議に思って恐る恐る目を開けてみると、さっき突進してきていた女の子の姿が消えていた。
衝突せずに済んだのでとにかく安堵したのだが、何やら周りの様子がおかしい。
食堂にいる生徒の全員が口を噤んで、私のほうを見ながら呆然としているのだ。おかしいというよりも、不気味だった。
いや、確かに私の方を見ているようだけど、正確には私の足辺りを見ているようだ。
不躾な視線を不快に思いながら、そこにいる全員の視線と重ねるように私は自身の足元へと視線を下げる。
そこには、うつ伏せになって呻いている少女の情けない姿があった。
…さっきぶつかりそうになった子だけど、どうやら衝突する前に躓いてこけてしまったらしい。
どうするべきか悩んだが私に責任はないのだし、ここに居たら沢山の視線に晒されて気分が悪くなるので無視して教室に戻ることにしよう
――――と、思ったのだけど、ここでようやく私は現実を受け入れ始めていた。
いや、受け入れなければいけなかった。
本当は気付いていたのだ。
けど、認めたくなかった。
目を背けたくなるような、現実を。
「………………」
再度、うつ伏せになっている少女を見る。
彼女はきっと、こける寸前に倒れないよう、何かを支えにして踏み止まろうと思ったのだろう。
そして手を彷徨わせて掴んだのは、私のスカート。
けれど勢いに耐え切れなかったスカートは踏ん張ること叶わずそのまま少女に引っ張られてしまい―――足元までずり落ちたわけだ。
ちなみに倒れている少女はいまだに私のスカートを握ったままである。
「う、うぅ……やってしまった~……――ってうええええっ!?」
ようやく起き上がった少女は目の前に立っている私を見て叫び、そのまま固まった。
ああ、それはそうだろう。だって今の私はスカートが足元まで脱げている状態……つまりパンツ丸出しで公衆の面前に立っていたのだから。
なるほど。どうりで私は周囲の生徒達の視線を独り占めしていたわけだ。
「あ、あれ、えっと、水色と白のストライプ柄……ですね」
顔を引き攣らせた少女は下着の柄を呟いてから、ようやく自分がスカートを握り締めていたことに気付き、慌てて手を離す。
「…………」
「ご、ごめんなさい」
直立不動で固まっていた私に、彼女は神妙な顔でスカートをそっと引き上げてくれた。
あまりの出来事に放心していたので、スカートを穿くということさえ思いつかなかったのだ。
しかし、何もなかったように元通り……とはいかない。
食堂にいた生徒全員にパンツを披露してしまったという事実は消えない。一生。
「お、おい、あれって三組の円堂……」
「しかしすっごい光景だったなぁ…目の保養になった」
「あーあ、あの子殺されるんじゃない?」
「よく見たらあれ、最近噂のセクハラ女子じゃん…。よりによってあの円堂とかご愁傷様」
「やばい、色んな意味で、やばい」
周囲の様々な声が耳に届く。
とんだ晒し者だ。
「―――~~~~~~~っ!!!!!!!!!」
声にならない叫びを上げて、私はその場を走り去る。
本当はあの少女を気の済むまでボコボコに殴って蹴って痛めつけてやりたかったのだが、あの場所に一瞬一秒でも居たくなかった。
強がっていても私はまだ中学一年生になったばかりの女の子。普段は気丈な自分でも、流石にあの状況は耐えられない。
とにかく走って人のいない校舎裏に移動し、荒ぶった気を鎮めるまで校舎の壁を蹴り続けたのだった。
次の日。
クラスの奴らに落ち込んでると思われるのが嫌だったので、普段どおり学校へ行った。
ヒソヒソ話をされたり同情や憐れみの目を向けられたりしたけど、以前から問題児の自分は常にそういう境遇だったのでこれくらい耐えられる。
それでも、昨日の少女を許すことは出来ない。私に恥を掻かせたあの罪深き少女には、厳罰を持って償ってもらう。
すでに私の頭の中は、あの少女をどんな風に懲らしめるかということでいっぱいだった。
私がされたことと同レベル、いや、それ以上の仕返しをしなければこの怒りは収まらないだろう。
けれど困ったことに、私はあの少女のいるクラスどころか肝心の名前も知らなかった。
上履きの色が同じだったので同学年というのは解っているのだが、それ以外は何も手掛かりがない。
生徒数の少ない学校なので、一年のクラスを片っ端から覗いていけば見つかるだろう。面倒だがそうするしかない。
顔はしっかり覚えているので教室を探せば見つけることができるはずだ。
昼休みになるのを待って、まずは一組に向うことにする。
その途中の廊下で運の悪いことに生徒指導の教師とすれ違ってしまい、呼び止められてしまった。
この教師には目の敵にされているので、心の中で舌打ちする。
「……おい円堂、お前スカート短すぎるんじゃないか?」
「はぁ?どこ見てるの?セクハラ?」
「違う!この前スカート丈を注意したばかりだろう!なのにまだ直してないのか!?」
「直したわよ、1ミリ」
「それは直したと言わん!もっと長くしろっ、校則違反だぞ!!」
「はいはい、明日直してくるわよ。長くすればいいんでしょう?昔のヤンキーみたいに」
「そこまで長くせんでもいい!…ってこら円堂、まだ話の途中だ!!どこへ行くっ!」
「私は忙しいのよ。じゃあね」
「円堂!こら、待て、円堂っ!!!」
必死に名前を呼ぶ教師を無視して、私は目的の場所へ向う。
自分のクラスから少し離れているが同じ階なので楽といえば楽だ。
一組の教室まで辿り着いたけど、教室に入ると目立ちそうなので開いている窓から中を伺うことにした。
馬鹿騒ぎしている男子や机を寄せ合って楽しそうに雑談している女子が見える。
入念に探したけれど、この中に昨日の少女はいないようだ。
「……いないみたいね」
それならもうここに用はないし隣のクラスに行こうかしら。
踵を返して立ち去ろうとすると、教室に入ろうとした女の子と鉢合わせになる。
「あ、ご、ごめんなさいっ」
「ふん」
慌ててその場を譲る彼女を一瞥してから、先を急ごうと足を踏み出した。
「あの、え、円堂さん」
「あ?何よ?」
「ひっ」
自分の行動を邪魔されたのが不快だったので相手を睨み付けると、少女は怯えた様に肩を竦めて小さな悲鳴を上げた。
何もしていないのにそんな態度をされると余計に腹が立ってくる。
いつもなら締め上げるところだけど、他に優先すべきことがあるので我慢した。
ひとまず黙って、彼女が話すのをじっと待つ。
「私さっきまで隣の二組にいたんだけど、そのクラスの男子がこそこそ話してたの。あの、き、昨日の食堂での円堂さんを、携帯で撮ったって…」
「……………へぇ」
スッと頭のスイッチが切り替わる。
どうやら昨日の少女を探す前に、やらなければいけない事が出来てしまったようだ。
いや、どうせ今から行くつもりだったのだから、ついでに済ませればいい。
「その男子の特徴は?」
「あ、阿部君って言うんだけど、制服の下に黄色いシャツを着てるから解りやすいと思う」
「ふぅん」
オロオロしている少女を置いて、私は何も言わず隣のクラスへ向かう。
ドアの窓から中を覗くと、教室の中央辺りに黄色いシャツを着た男子を見つけた。他に当て嵌まる奴はいないから多分アイツだろう。
普通にドアを開けて中に入ると教室にいる全員の視線が私に集中して、さっきまで騒がしかった室内は一瞬で静かになった。
私は気にせず目的の人物まで歩み寄り、にっこりと人畜無害な笑みを浮かべて話しかける。
「ねぇ、貴方が阿部くん?」
「……そ、そうだけど、なんか用かよ?」
「ちょっと携帯を貸してくれないかしら」
「なっ、なんで」
阿部という名前の男子は、携帯という単語を聞くと顔を真っ青にして動揺した。
なんてわかりやすい奴だろうか。その表情が面白くて自然と口が歪んでしまう。
「昨日、食堂で私のこと撮ったでしょう?だから画像を消そうと思って」
「し、知らねぇよ!!!」
「撮ってないのなら確認させて貰える?そうしないと解らないから」
「はぁ!?なんで見せなきゃいけねぇんだよ!言い掛かりつけんなっ!!」
「撮ってない証拠を見ないと安心できないじゃない」
「嫌だよ!!俺にだって見せたくないもんがあるんだ!だいたいお前、騒がれてるからって調子に乗ってんじゃ……え、何す――ぐふッッツ!!?」
聞き分けのない態度にイラついたので、阿部を強引に立たせてから腹を思いっきり蹴飛ばしてやった。
勢いが良かったのか、彼の身体はガラガラと騒がしい音を立てて無関係な机や椅子と一緒に倒れてしまう。
近くに居た周囲の人間は、きゃーきゃーと騒ぎながら教室の端へと逃げていった。
せっかく穏便に済ませようと思っていたのに、抵抗するからこんなことになる。ま、大人しく出したとしても一発殴ってたけど。
倒れた時ポケットから何かが床に落ちたので、腹を押さえて呻いている彼を無視して拾い上げた。
―――これは、こいつの携帯だ。
「ちょっと借りるわよ」
返事を待たず阿部の携帯をいじると、画像フォルダの中に何枚か昨日の写真を見つけた。
怒りに任せて携帯を破壊してやろうかと考えたが、これ以上事を荒立てるのはよろしくない。もう、遅いかもしれないけど。
とりあえず自分に関わる画像を…いや、それだけじゃ生温い、画像フォルダを全て初期化してあげよう。
消去し終えたので、倒れたまま起き上がれないでいる彼に投げて返す。
「……他に撮った人はいないかしら?今のうちに名乗り出たら、画像を消すだけで何もしないわ」
言ってはみたものの、誰も名乗りを上げない。まあ当然か。
こんな雰囲気でわざわざ自白するような奴はいないだろう。そんな勇気のある奴がいたら褒め讃えたい。
流石に手当たり次第調べるわけにはいかないし、もしかしたら撮ったやつは本当に居ないのかもしれない。
確認できないのは悔しいが、ここは退くしかないか。
騒ぎを聞きつけて教師が来る前に、早くここを出て行ったほうが良さそうだ。
「あの」
「………」
一人の少女が歩み寄ってきて、私の前に立つ。
「貴女…!」
その顔は昨日見たばかりで忘れられるはずもない、私が今日ずっと捜し求めていたものだった。
まさか自分からノコノコ出て来てくれるなんて、この子は恐いもの知らずか馬鹿じゃないだろうか。
それも平然とした表情で、まるで今の状況を解っていないみたいな態度だ。ここであったことを見ていなかった筈はないのに。
「そこ、私の席なんですけど」
彼女は私のすぐ隣の席を差して、ぽつりと言った。
「………はぁ?」
「今から宿題しないと、間に合わないので退いてください」
「私、もしかして馬鹿にされてるのかしら?」
「え?してませんけど」
カッと頭に血が上って、荒々しく掴みかかる。
それでも少女は驚くことなく、顔色一つ変えないでただ呆然と私のことを見ていた。
「もしかして、昨日私にしたこと忘れてるのかしら?」
「昨日…………あ、あぁ」
「忘れてたのね」
「あいにく、昨日みたいなのは珍しくないんで」
苦笑している彼女の襟元を掴んで自分のほうに引き寄せる。
それでも苦しそうな顔をしないので気に入らなかったが、手を出すのはまだ早い。
「昨日は、その、わざとじゃないとはいえ、スミマセンでした」
「謝って済む問題だと思ってるの!?」
「……じゃあどうやって償えと」
さて、どうしてやろうか。
気の済むまで殴り倒すか、私と同じようにスカートを脱がせて周囲に晒すか……それ以上の痴態をここで披露させるか。
「ねぇどうされたい?」
「まあ、殴って気が済むのなら、好きなだけ殴ってください。私が悪いんだし」
「………っ」
何でもないことのようにさらっと言った彼女の目を見て、鳥肌が立った。
そこには光がなく、まるで死人のように濁っているその目を見ていると、吸い込まれそうな恐怖を感じる。
いや、そんなわけない。この私がこんな少女に恐怖を感じるわけない。気のせいだ。
「遠慮しなくていいよ、好きなんでしょ?人を殴るの」
「え、えぇ。好きよ。だって、気分が晴れるし、面白くて楽しいもの」
「………?」
「何よ、その顔」
不思議そうにしている少女の顔が癪に障る。
「……本当に、楽しい?」
その言葉を聞いた瞬間、かろうじて冷静を保っていた頭が爆発したように熱くなり、我を失った。
気がついた時には少女をさっきの男子のように本気で蹴り飛ばしていて、周囲ではまた悲鳴が上がっている。
しかし、男子と同じように倒れたけど、少女は何もなかったようにすぐ起き上がってゆっくりとその場に立つ。
「……頑丈なのね」
「まぁ、慣れてますので」
その言葉の意味はよく解らなかったが、それよりも私の蹴りが全く効いてなかったことが気に食わない。
苛立っている私の目の前で、少女はというとのんきに制服についた汚れを払っていた。
「で、もう終わり?好きなだけ殴っていいよ?」
この子は、どこまでも私を馬鹿にしているようだ。煽りの天才か。
お望みどおり、私は再び掴みかかる。彼女は抵抗せず全てを受け入れようとしていた。
怒りに任せて手加減はせず、精一杯力をこめる。
「ねえ、貴女痛くないの?恐くないの?」
「全然。私より“そっちのほうが痛いんじゃないの?”」
「……は、何言ってるの?蹴ったのは私のほうなのに」
「鏡で自分の顔見てみたら」
「え」
「アンタの今の顔、楽しそうには見えない」
毅然と、感情のこもってない表情で彼女はぽつりと漏らす。
苦しそうに見える、と。
「そ、そんなことっ……ないっっ!!!」
自分でも驚くほど、大きな声が出た。
人を屈服させるのが、自分の思い通りになるのが、楽しい。面白い。やめられない。
今までずっとそうだった。今も、昨日の分をやり返せて気分が良いのだ。
この少女の言っていることは、間違いなんだ。だから動揺する必要なんてない。
「どうでもいいけど、そんな自分が嫌ならやめればいいのに」
「貴女が何を知ってるっていうのよぉっ!!!!」
カッとなって拳を振り上げる。
けど、それでも彼女は自分を庇おうとしない。
なんだ。なんなんだ、この子は。異常だ。目の前にいる少女は何かがおかしい。
―――怖い
「っ!!!」
そのまま殴ってやろうとしたところで、数名の生徒に連れられてきた教師がやってきた。
「おい、おまえら何をやってるんだっ!!!」
「……ちっ」
「またお前か円堂。…まったく、天吹も何やってるんだ」
「…………」
天吹と呼ばれた少女と私は、そのまま職員室へ連れて行かれた。
彼女の担任と私の担任、そして生徒指導の教師に囲まれてのお説教が始まる。
さすがに騒ぎすぎたせいか保護者を呼び出されていまい、親たちが来るまでこの息苦しい職員室で待つことになった。
「はぁ、いい迷惑」
「ちょっと、貴女が昨日私にあんなことするからでしょう?」
「わざとじゃないっつーの」
「あぁ?」
「こらお前たち!喧嘩するな!」
教師に注意されたので、お互いに顔を背ける。
しばらくすると、先に彼女の保護者が来た。少女の祖母と名乗った人物は来客用のソファにどかっと座る。
「千晴、おまえ喧嘩したんだって?」
「違うよ。一方的に絡まれたんだよ。原因は私だけど」
「ほぅ、それじゃあちゃんと謝ったんだろうね」
「うん。もちろん」
「そうかい。で、腹を蹴られたと聞いたんだが」
「全然へーき。大丈夫」
「お前の大丈夫は信用できないからね。あとでちゃんと病院に行くよ」
「うげ」
少女の憂鬱そうな顔を見て、祖母はくくくと愉しそうに笑った。
その和やかな様子に教師たちと私は困惑するしかない。普通、問題を起こした自分の子を真っ先に叱るもんじゃないだろうか。
私も何度か保護者を呼び出されているが、怒られるというより悲しまれるから余計にうざったいのだけど。
こんな風に、茶化されたほうが何倍もマシだ。
「あんたが千晴の喧嘩相手かい?……ほほぅ、こりゃ美人な子だ。将来が楽しみじゃないか」
「はぁ、どうも」
「今回はうちの子が迷惑をかけたね。許してやっとくれ」
「言っとくけど、今日の件で手を出したのは私だけよ?その子は全然反撃してこなかったし」
確かに原因を作ったのはその子だけど、危害を加えたのは私だから当然そっちから怒られなければいけない。
そして私も謝らなければいけないはずなのだけど。
「そうだね、あんたもちょっとやりすぎたかもしれない。でも、原因はこの子なんだ。それを千晴はあんたから蹴られることで償ったから、それで帳消しなんだよ」
「けど…」
「当事者達でもう決着はついてるんだ、気にしなさんな。けど、やんちゃは程々にしときな。元気なのはいいことだけどね」
「……ん」
私が押し黙ると、老婆は満足そうに目を細めた。
納得いかなかったけど、向こうが気にするなというのなら、気にしないことにする。
それから少女とその祖母は少し離れた場所で担任の教師と何やら話し合っている。
時々豪快な笑い声が聞こえてくるのだが、いったい何の話をしているのかよく解らない。
それを横目でぼんやり眺めていると、ようやく私の両親がやってきた。いつも来るのは母ひとりだが、今日は珍しく父も一緒だ。
まず先に被害者の方に行って何やら話をしてから、加害者である私の方に来る。
「美空」
「美空ちゃん」
神妙な顔をしている父と悲しそうな顔をしている母を見たくなくて、顔を伏せた。
「事情は先生方から聞いた。美空、お前はどうして話し合いで解決しようとしない。
いつも言っているだろう、どんな理由があったとしても暴力は駄目だと」
「……わかってるわよ」
「何か不満でもあるのか?いいたい事があるのなら、はっきり言いなさい」
「美空ちゃん、ごめんね。お母さん、貴女が何を考えているのか解ってあげられなくて」
「………っ!」
我慢の限界だった。
やっぱり無理だ、この人たちと話をするなんて。
話をするだけで苛々して吐き気がする。
もう、耐えられなくなって、乱暴に席を立った。
「うるさいわねっ!話すことなんてないわよっ!!どうせ無駄だものっ!」
「美空!」
仕事でろくに家に居ない厳格な父と、過保護でべったりな母親。
何処にでもいるごく普通の両親のはずなのに、なぜか私はそんな2人が煩わしくて、いつも窮屈だった。
話せば気持ちが噛み合わなくて、すぐに喧嘩してしまう。どうしても本当のことが上手く伝わらない。理解してもらえない。
それが段々嫌になって、苦しくて―――何かにぶつけないと、どうにかなってしまいそうだった。
「お父さんもお母さんも嫌い、嫌いっ………だいっ嫌いなのよっっ!!!」
「美空、話を――!」
「美空ちゃんっ!」
「円堂!」
「―~~~っ!!」
その場にいるのが辛くて、私は両親の元から逃げ出した。
後ろから必死に私を呼ぶ声が聞こえるけれど、両手で耳を塞いで何も聞こえないようにする。
運動神経に恵まれた私に教師や親が追いつけるわけもなく、すぐに撒くことが出来たのだった。