足場のない安息
自業自得とはいえ散々な目に合ったクラスマッチが終わり、一週間が経った。
無理して走ったせいで動かなくなった身体は、病院で3日ほど寝ていたらすぐに回復して元通り。
家に帰ってきて普通に生活できるようになったけど、医者からしばらく自宅療養をするように言われているのであれからずっと学校を休んでいる。
授業を受けなくていいので最初は喜んでいたのだが、一週間も休んでいると何もすることがなくて退屈だった。
部屋から出ようとすれば心配性な同居人に怒られてしまうので、大人しくベットで寝ているしかない。
美空が差し入れてくれた漫画や小説は読み終わったし、携帯でネットやゲームをするのも飽きてしまった。
ちなみに柚葉が毎日のように持ち帰ってくる宿題をやるという選択肢は存在しない。だってどうせ解んないし、面倒だし。
「居間でテレビでも見ようかな……」
平日の昼間だから、昼ドラか何かやってるだろう。
柚葉は学校で、ばあちゃんは買い物に行ってるから、家には誰も居ない。部屋から出るなら今のうちだ。
このままベットで寝転んでいてもどうせ退屈だし、気晴らしにテレビを見に行くことにした。
(――あれ?)
誰もいないはずなのに居間から音がする。
警戒しながらこっそり居間に入ると、正座をしたばあちゃんが熱心にテレビを見ていた。
近くに寄ってみても私に気付くことなく、魅入られたようにテレビに集中している。
それはもう、話し掛けるのを躊躇ってしまうほどの熱中ぶりだ。
「……ばあちゃん、帰ってたの?」
私が起きている時は玄関が開く音を聞いてないから、寝ている時に帰っていたんだろう。
うちの玄関の戸は開けるとガタガタと大きな音がするので、誰かが帰って来るとすぐわかる仕組みになっている。
「ねえ、ばあちゃ――」
「ちょっと黙ってな」
「……………」
有無を言わせぬ強い口調で、私の言葉は遮られてしまう。
釈然としないものを感じつつも言われた通り黙っていることにした。
集中しているばあちゃんに何を言っても無駄ってことを、一緒に住んでる数年で理解しているからだ。
このまま立っていると「気が散る」とか言われそうなので、視聴の邪魔にならないように部屋の隅に座ることにした。
私もテレビを見る為に此処に来たのだし、せっかくだから一緒に見るとしますか。
(何を真剣に見……うわぁ)
この部屋に来て初めてテレビの方に目を向けると、画面に映っていたのは昼ドラでもニュースでもバラエティでもなく………アニメだった。
それも国民的なアニメではなく、オタクが好みそうな絵柄の美少女アニメだ。
さっきからあざといパンチラや裸同然のお色気シーンが目を逸らしたくなるほど流れてるし、健全な時間帯に流す内容の物じゃない。
昼ドラを見ようと思ってテレビをつけた主婦がこんな破廉恥なアニメを見たら、お茶吹いて速攻でテレビ局に苦情の電話を入れるだろう、絶対。
私は気にしないけど、それよりもさっきから出てくる女の子が全部同じ顔に見えるので混乱してしまう。見始めたのも途中からなので、話もよく解らないし。
段々とアニメから興味が失せてきたので、何気なく違う方向に視線を漂わせる。
(ん?なんだろ、あれ)
ばあちゃんのすぐ横に四角いケースのような物が置いてある。
目を凝らしてよく見てみると、今見ているアニメの絵が描かれたブルーレイのパッケージのようだ。
(か、買ったやつ見てたんだ……)
まあ、こんな時間帯に萌え系?のアニメが放送されてるわけないよね。
少し前に購入した我が家のブルーレイ再生機は、どうやらお目当てのアニメを見る為のものだったらしい。
ばあちゃんの方を向けば、口を開けたまま目を輝かせてアニメを鑑賞している。
(まあ、楽しそうで何よりだけど)
私の祖母は大のアニメ好きで、昔のものから今時のものまで幅広く見ている。
アニメだけじゃなくゲームも時々やるし、漫画だって読むのだ。
「はあ、良かった良かった。やっぱりこの製作会社のアニメは一級品だねぇ」
「………見終わったの?」
「おや、千晴。いつからココに居たんだい?」
「さっき話し掛けたじゃん!!」
「そうだったかねぇ?」
聞いてないだろうとは思ってたけど、やっぱり聞いてなかった。
不思議そうに首を傾げているところを見ると、本気で私の存在に気付いてなかったようだ。
「買い物行くって言ってたけど、今見てたアニメを買いに行ってたの?」
「ああ、そうさ。ずっと前から予約して今日ようやく手に入ったアニメでね、初回限定のレア版なんだよ」
「はぁ…そうですか。良かったね」
「しかも予約特典で主人公の×××が×××バージョンのフィギュアが!」
ばあちゃんはよく解らない専門用語を熱心に語りながら、悩ましいポーズをとった美少女フィギュアを取り出した。
嬉しそうに見せつけられると、そのうちフィギュア集めに目覚めてしまうんじゃないかと不安になってくる。
今はそうでもないけど、ああいうのって集めだすと止まらないって聞いたことがあるし。
趣味に関して文句を言うつもりはないけど、家がフィギュアだらけになるのは嫌だなぁ。
「ところで千晴。病人のくせして部屋から出たら駄目じゃないか」
「だからもう健康だって言ってるのに。柚葉が過剰に心配してるだけだってば」
「ふぅむ。確かに元気そうだし、明日から学校に行っても大丈夫そうだねぇ…」
学校に行かなきゃいけないのは複雑だけど、ずっと暇だったので自由に動き回れるようになるのは嬉しい。
「けど、明日の学校の帰りに病院に寄って帰ってきな。万が一ってことがあるからね」
「わかった」
「ついでに本屋でいつもの雑誌を買ってきとくれ」
「……わかった」
病み上がりなのにさっそくパシリかい。
柚葉のように過保護に心配されるよりは、気楽でいいんだけどね。
「さてと、部屋に戻って同梱の設定資料集でも読もうかね。もうテレビは見ないから、好きにしな」
「ああ…うん」
大好きなアニメを見てご機嫌なばあちゃんはアニメの主題歌を口ずさみながら出て行った。
部屋にひとり残された私は当初の目的通りテレビをつけて適当な番組を見ることにする。
―――しかし。
(うーん、つまんないのばっかだなぁ……)
これといって興味のある番組が見当たらなかったので、すぐにテレビの電源を切った。
暇つぶしの手段を失ってしまった私は、その場にごろんと寝転んで大の字になる。
………これから何をして時間を潰そうかな。できる事は全てやったし、何もすることがない。
ただこうしてボーっとしてることしか、時間を進める方法を思いつかなかった。
あ、でも明日は学校に行っていいってばあちゃんに言われたし、もう外に出掛けてもいいんじゃないだろうか。
(近くを散歩するぐらい、いいよね)
時計を見ればまだ午後の一時過ぎ。
柚葉が帰ってくるまで、まだ十分に時間はある。彼女が帰宅する前に戻ってくれば、何の問題もない。
そうと決まれば善は急げだ。
わずかな時間も惜しいので勢い良く身を起こしてから玄関へ向う。
家の周りを歩くだけだし、すぐに戻ってくるから何も持っていかなくても平気だろう。
サンダルを履いて、玄関の戸に手を伸ばしかけたところで…
「…え?」
戸を開ける前に、まるで自動ドアのように勝手に引き戸が開いたのだ。
……いつの間にうちの玄関は近代的な発展を遂げたのだろうか?これ、ちょっと便利でいいかもしれない。
「ただいま帰りました、千晴さん」
「……お、おかえりー、柚葉さん」
現実逃避していた思考が彼女の声によって引き戻される。
玄関が開いて目の前に現れたのは、素敵な笑顔を浮かべた同居人だった。
予期せぬ人物のご帰宅に私の心臓は早鐘を打ち、ゆっくりと冷や汗が頬を伝う。
「どこへ行こうとしていたんですか?」
「………あれ、なんで、こんな時間に帰ってきてるの?」
「今日の授業は午前中で終わりだったんですよ」
「ああなるほど。そうでしたか」
「はい。それで、千晴さんはどこへ行こうとしていたんですか?」
「いや…その…………散歩に」
上手い言い訳が思いつかなくて、正直に話した。どうせ嘘をついても、彼女は見抜いてしまうだろう。
彼女は困った顔や怒った顔をせず、さっきと変わらぬ笑顔のまま私を見つめている。
「いくら動けるようになったからって、大丈夫とは限らないんです。外出は駄目だって何度も言ったじゃないですか」
「で、でも明日は学校に行ってもいいってばあちゃんに言われたしさ」
「そうだったんですか。でも、病院でちゃんと診断して貰ってからにしてください。一人で出かけて、もし何かあったらどうするんですか?」
「………………」
ずっと笑顔だった彼女の表情がようやく変化し、みるみる曇っていく。
いつものように過保護すぎだと言おうとしたけれど、喉元まできていたその言葉を飲み込んで黙っていた。
心配をかけているのは他の誰でもない、ここにいる自分なんだから責められるべきは私だ。
「ごめん」
「あ…いえ、その…言い過ぎました」
お互いに黙ってしまい、気まずい空気が流れる。
こんなふうに悲しい顔をさせたりとか、傷つけたりとかじゃなくて……ただ、構わないで欲しいだけなのにな。
私なんかに構ってないで、自分のことだけを考えてればいいのに。
口下手な私は、それを上手く伝えることができない。
「……はぁ」
心配してくれる彼女に感謝の言葉の一つでも言うべきなのだろうが、これ以上素直に口にするのも躊躇われる。
だってそれは、少なからず彼女を許容している自分を認めてしまうことになるから。
「――えっと、2人とも?そろそろ私達のことに気付いてくれると嬉しいんだけど」
「え?」
「あ」
いい加減この鬱陶しい空気をどうにかしようと思っていたところで、良く知った声が聞こえた。
柚葉の背後に視線を移すと、玄関の戸の影からひょっこりと姿を見せたのは、制服姿のままの美空だった。
「み、美空?なんでうちに」
「今日は学校が早く終わったから千晴のお見舞いに来たの。それに私だけじゃないわよ」
「……どういう、こと?」
背の高い美空の陰に隠れて見えなかったけど、彼女の後ろに誰かいるようだ。
柚葉が家に上がり、美空が玄関に入ってようやく姿を現したのは、恐縮している上原さんと不機嫌そうな平だった。
誰の差し金かすぐに解ったので、そ知らぬふりで楽しそうに笑っている美空を睨みつける。
「美空ぁ…」
「うふふ、大勢でお見舞いに行った方が千晴も喜ぶかなぁと思って上原ちゃんと平ちゃんも連れてきたの♪」
「嘘つけっ」
絶対私が嫌がると思って連れてきたんだろうなぁ。
それより、巻き込まれた上原さんと平がかわいそうだ。何の得もないのにわざわざ学校から遠いこの家に連れてこられるなんて。
上原さんは優しいから純粋にお見舞いに来てくれたのかもしれないけど、どうせ平は無理矢理連れてこられたに決まってる。
今は不機嫌そうにこっちを睨んでるだけなんだけど、あとで八つ当たりされそうで怖い。
「ごめんね天吹さん、勝手に押しかけちゃって。迷惑だったかな?」
「ううん、気にしないで。わざわざ来てくれたのは嬉しいし、悪いのは全部美空だから」
「えー。ひどーい」
「……まあとにかく、せっかくこんな所まで来てくれたんだから家に上がってってよ」
「そ、それじゃあ、お言葉に甘えてお邪魔します」
「私もお邪魔するわ」
美空と上原さんに続いて、平も家に上がった。
「では、私はお茶とお菓子を用意してきますね」
柚葉はひとり台所に向かい、私はみんなを居間に案内する。
美空と平はうちに来たことがあるから普通にしていたけど、上原さんは初めてだからか物珍しそうに視線を彷徨わせていた。
「そういえば、千晴の家に来るのも久しぶりね」
「あれ、そうだっけ?」
「ええ。確か夏休みの始めに遊びに来たのが最後じゃなかったかしら?」
この家は学校からも美空の家からも離れているので、彼女がこの家に遊びに来ることは滅多にない。
逆に美空の家は学校から近いので、休みの日や学校帰りにちょっとだけ寄ることが多かった。
「でも美空、なんで平まで無理矢理連れてきたの?上原さんはまだわかるけど」
「なによ。菜月は良くて私は来ちゃいけないって言うの?」
「そんなことはないけど……美空と平って仲良かったっけ?」
「え?だって、千晴は平ちゃんと仲良しなんでしょ?だから誘ったんだけど」
「「はぁ!?」」
平は心外だと言わんばかりに声を荒げ、怒りからか顔を真っ赤にさせていた。
そんな大げさに反応しなくてもいいのにと思ったけれど、嫌いな相手と仲が良いと言われるのは不愉快だろうから怒りもするか。
それにしても。上原さんにも言われたけど、私と平ってそんなに仲が良さそうに見えるんだろうか?
「だっ、誰と誰の仲が良いって!?根も葉もないこと言わないでよ円堂さん!!」
「でも上原ちゃんがそう言ってたわよ?」
「菜月っ!!」
「えっ!?だ、だって、この前2人で楽しそうに話してたよね?……それに、保健室で……」
「だからそれは誤解って何度も言ってるでしょうが!私とこいつの仲が良いなんて絶対にありえないんだから!」
捲くし立てるように否定する平を見て美空はしばらく呆気に取られていたが、すぐに含み笑いを浮かべる。
あー……これは、美空の悪戯心に火が点いてしまったみたいだ。こうなったらもう誰にも止められない。
「じゃあ平ちゃんは千晴のこと嫌いなの?」
「と、当然でしょ!?」
「ふ~ん?でも苗字とはいえお互い呼び捨てで呼んでるじゃない。千晴が“さん付け”しないって、とっても珍しいことなんだけど」
「そ、それはっ…同級生に敬称つけて呼ぶのも呼ばれるのも嫌なだけで!」
確かに仲が良い人は呼び捨てで呼んでるけど。
珍しいのは単に友達が少ないからであって、特別な意味は含まれていない。
それに平や柚葉のことを呼び捨てで呼んでいるのは本人にそう呼べと言われたからだ。
あれ、でも平は美空や柚葉のこと敬称つけて呼んでるような……?
「…………いいなぁ」
2人の口論を心配そうに眺めていた上原さんの小さな声が私の耳に届いた。
いいなって、いったい何がいいんだろう?
「でも、私が一緒に千晴のお見舞い行こうって誘った時に断らなかったのはどうして?
嫌なら断ってくれても良かったのに、わざわざ学校から離れた千晴の家に来たのは何故かしら?」
てっきり美空が嫌がる平を無理矢理連れてきたのだと思っていたけれど、どうやら一応合意の上だったらしい。
「あ、う……それは…体育委員として…責任が……」
「そっかぁ。平ちゃんは優しいわねぇ」
「うううっ…!」
「ふふ、今まであまり話したことなかったけど平ちゃんって面白いわね。千晴と同じでからかいがいがあるわ」
反論しても無駄だと悟ったのか、平はそれ以上何も言わず疲れた顔でぐったりとしていた。
むきになって否定しても美空を喜ばせるだけなので、諦めるのが一番いい。
散々彼女をいじって満足したのか、げんなりしてる平とは対照的にニコニコと笑みを浮かべている。
「……どうかしたんですか?」
人数分のお茶とお菓子をお盆に載せてやってきた柚葉は、様子のおかしい平を見て不思議そうに首を傾げた。
「なんでもないわ。ただ、平ちゃんが千晴のこと大好きだって話を――」
「違うって言ってんでしょぉおがあぁ!!!逆よ逆っ!」
「ね? 面白いでしょ?」
「そうですね……でも、ほどほどにしてあげて下さい。平さんが可哀想ですよ」
「はーい。あ、お茶ありがとう」
美空は柚葉が差し出したお茶を受け取って、口をつける。
私は彼女から渡される前に自分でお盆から取ったのだけど、なにやら不満そうな顔をされてしまった。
「平さんと上原さんもどうぞ」
「うん、ありがとう」
「…いただくわ」
全員にお茶が行き届いたので、一息つく。
お茶の効果か、さっきまで騒がしかったこの部屋はあっという間に静かになった。
――思えば、この家にこんな大人数の人が集まったことが、今までにあっただろうか。
ばあちゃんは知り合いや友人を家に呼ばないし、私は家に招くような付き合いの深い友人は美空だけだった。
柚葉がこの家に住むようになってから、段々人と接することが多くなっているような気がする。
「……今更だけど、もう身体は大丈夫なの?」
お茶を啜っていると、珍しく美空が神妙な顔をして話し掛けて来た。
さっきまで己の欲望のままにクラスメートをからかっていた人物とは思えないほどの、真面目な表情でだ。
そんな滅多に見せない真剣な顔を向けられると、調子が狂ってしまう。
美空は暢気に笑ってるのがちょうど良いのかもしれない。
「う、うん、平気。それに明日から学校に行っていいって言われた」
「身体が弱いことは知ってたけど、一週間も休むなんて今までなかったから心配したのよ?」
「あー、はは、ごめんね、心配掛けて。普段だらけてるから運動不足だったのかも」
「何にせよ無事に治ったのなら良かったわ」
胸を撫で下ろし、にっこりといつもの笑みを浮かべる美空。
そういえば私が休んでいる間、彼女は毎日のようにメールで体調のことを気にかけてくれていたっけ。
普段は飄々として掴みどころのないけれど、本当は面倒見が良くてお節介で優しい友人なのだ。
そんな彼女の存在に、だいぶ救われている。
「……天吹さん、身体弱かったんだ」
「ん、弱いといってもあんまり無茶しなければ大丈夫だし、そんな深刻なものじゃないから。何日か休めばすぐに治るし」
「それって、生まれつきなの?」
「いや、昔は普通に健康だったけどね……こっちに引っ越してくる前にあった事故の後遺症ってとこ」
「………………」
あまり詳しく話すと気を使わせてしまうので、当たり障りのないよう説明する。
それに“あの時”のことは自分もよく覚えていない。
私が話したくない事だと察したのか、みんなはそれ以上聞いてこなかった。
「そういえば千晴さん。明日学校に行くのなら、渡した宿題はちゃんと終わらせてあるんですか?」
「あら、大須賀ちゃんったら。そんなこと聞くのは野暮ってものよ?だってずっと暇だーってメールが来てたんだもの。終わってるに決まってるじゃない」
2人は曇りのない晴々とした笑顔で私の方を見つめてくるので、私もつられてぎこちない笑みを返す。
あぁ、今の気分は双蛇に睨まれた蛙ってところだろうか。
「で、ちゃんと宿題やったの?天吹」
「え?もちろんやってないよ」
「威張って言うなっ!!」
「あんなの解るわけがない。したがって終わるわけがない」
「馬鹿じゃないの!?今週出された宿題は全部2学期の復習問題なのよ!?」
「平に馬鹿って言われたくないや」
「……あのね。言っとくけど、私それほど馬鹿じゃないわよ。そりゃ円堂さんや大須賀さんより良いわけじゃないけど、テストで普通に平均取れるんだから」
「え………嘘…だよね、上原さん」
「え、ええと~。裕子ちゃん、頑張り屋さんだし真面目だから、いつも成績良いよ?」
「そんな……ばかな…」
てっきり私と同じくらいの成績なんじゃないかと予想してたのに、実は勉強ができる奴だったとは。
だって陸上一筋っぽかったし、勉強そっちのけだとばかり。
ていうか平均取れるって頭良い方じゃないですか。うわぁ詐欺だ。
「千晴?」
「千晴さん?」
「あ、あはははー」
ちょっと前までは美空だけに怒られていたのに、今は柚葉も加わって倍怖いです。
うーん、この2人を一緒にすると危険のような気がする。
よし、ここは素直に謝っておこう。そして答えを写させてもらおう。
「ごめんなさい、反省してます」
「はぁ・・・…こうなるとは思ってたけどね。でも、もうすぐテストだからいつもみたいに答えは見せてあげないわよ?自分で考えて解きなさい」
「えぇっ!?それだと今日中に終わらないんだけど」
「大丈夫です。解らないところは私達がサポートしますから」
「しかたないわね…せっかくだし私も手伝ってあげるわ」
「わ、私も!みんなより頭良くないけど、数学と英語は得意だから」
「あらあら良かったわね千晴♪」
何……この、今から勉強するよ的な流れ…。
いや、宿題は終わらせないといけないから、手伝って貰えるのは正直有り難いのだけど。
それに全員、成績優秀の方々ときたもんだ。こんな贅沢な環境はなかなかないだろう。
でも、勉強嫌いだから素直に喜べないんだよねぇ。
「はぁ…わかった。部屋から宿題とってくる」
自分ひとりで終わらせる自信が無かったので、結局みんなの好意に甘えることにした。
居間からひとりで抜け出し、宿題を取りに自分の部屋に向う。
ええと確か宿題のプリントは机の上に置いたままだったような気がする。それと、筆箱は鞄の中だったっけ。
机の上に無造作に置かれたままの宿題を見つけ、それと鞄にしまってあった筆記用具を持ち、みんなの元へ戻る。
これから頭のいい人達に囲まれて勉強しなきゃいけないのかと思うと憂鬱だ。逃げたい。
「きゃっ!?」
「わっ!?」
途中の廊下で誰かとぶつかりそうになって、思わず身を引く。
その拍子にバランスを崩してしまい後ろに倒れかけたけれど、相手が私の腕を掴んで引き寄せてくれたおかげで転ばずに済んだ。
けれど勢いよく引っ張られた私の身体は、吸い寄せられるように相手の身体に寄りかかってしまう。
顔を見なくても柔らかい身体の感触で誰だか解ってしまう私は、いよいよ変態と罵られても反論できない域なのかもしれない。
「いつもごめんなさい、上原さん」
「ううん、私の不注意だから気にしないで」
上原さんは少し顔を赤らめて、照れ臭そうに微笑んだ。
いつもと同じ反応で、彼女は怒らない。嫌悪しない。反撃もしてこない。
初めて彼女を押し倒してしまった時も、凄く恥ずかしがっていたけど笑って許してくれたんだっけ。
何度も何度も迷惑をかけているのに、何もなかったかのように普通に話しかけてくれる。
押し付けの好意ではなくて、純粋な優しさで接してくれる。
きっと彼女は、生粋のお人好しなんだろう。
このまま密着しているのも恥ずかしいのでやんわりと身体を離して、落としてしまった宿題や筆記用具を拾う。
上原さんも一緒に拾うのを手伝ってくれて、かき集めた宿題のプリントを渡してくれた。
「拾ってくれてありがとう。あれ、でもどうして廊下に……」
「あ、えっと、トイレを借りようと思って」
「それならここを真っ直ぐ行って左に行けばいいよ」
「うん、ありがと」
「じゃあ先に戻ってるから」
「あ、天吹さんっ」
背を向けたところで、呼び止められる。
もしかして戻り方がわからないから待ってて欲しいとか?いやいや、うちは迷うほど広い家じゃない。
「あ、あのね」
「なに?」
「ずっと前から、言いたかったことがあって……」
上原さんは言い難そうに口を閉じたり開いたりして、なかなか言葉を紡ぐことが出来ずにいた。
そういえば彼女はいつも私に対して何かを言い掛ける事が多い。
けれど結局は何も言わないから、大した事じゃないと思ってあまり気にしていなかった。
「えっと、クラスメートになれたけど、でも、だから、あの……ええと…っ」
「落ち着いてからでいいよ。ちゃんと聞くから」
「う、うんっ」
彼女は大きく息を吸ってゆっくりと吐き出し、落ち着こうと頑張っている。
些細な仕草がいちいち可愛らしいく小動物のように愛らしい。
そんなことを考えながらのんびり待っていると、彼女はようやく決心がついたのか、真剣な目で私を捉えた。
「天吹さん!」
「え、あ、はい」
先程とは打って変った勢いに圧倒されて、思わず背筋を正してしまう。
こんなに切羽詰った様子なのだから、彼女にとって重大な話をしようとしているのだろう。
――緊張して、ごくりと喉が鳴る。
「あの…よかったら私と……と、友達になってくださいっ!!」
「……ほぁ」
気合の入った彼女に何を言われるのかと身構えていた私は、突拍子の無い言葉に間抜けな声を漏らした。
いやしかし、友達になってくださいなんて初めて言われたなぁ。友達って、自然となるものだし。
「だ、駄目?」
「うーん、なんというか」
嫌われ者の私と友達になってしまったら、彼女の周りは悪い意味で一変してしまうだろう。
今でさえ上原さんの友人は私と彼女が仲良くしていることを快く思っていないのだから。
だから……ここで突き放しておいたほうが彼女の為になるはずだ。
こんな私に優しく接してくれている彼女だからこそ、悲しませたくない。
それに面倒なことが増える。それも、遠慮したい。
しかし、やんわりと断るにはどう言えばいいだろうか。
角が立たない上手い言葉が思いつかなくて、困ってしまう。
「迷惑かなって思って、言えなかったけど。でも、やっぱり天吹さんともっと仲良くなりたいんだ」
「……どうして? 私と一緒にいてもろくなこと無いよ?」
「そんなことないよ」
いつも控えめな彼女が、はっきりとした口調で反論する。
その根拠と自信はいったいどこから来るんだろう。
「上原さんも知ってるよね?私が周囲から嫌われてるって」
「……うん」
「私と一緒に居たら変な目で見られる。今まで付き合ってた友達も離れてしまうかもしれない。だから――」
「例えそうなったとしても、それでも私は、一緒にいたいよ。私は、もう……」
「上原さん?」
必死な表情で何かを言いかけて、彼女は慌てて口を閉ざした。
「…ううん。なんでもない」
「?」
「ごめんね、困らせちゃって。でも、それを理由に断わるのは無しにして欲しいな。
もちろん、天吹さんが嫌だったら諦めるつもりだよ。自分でも、凄い我侭言ってるって、解ってるから」
彼女はどうしてそんなに私と仲良くなりたいんだろう。
私といても得なんかないし、損ばかりが一方的に増える。
だから、やっぱり―――
「上原さ―」
「おや、初めて見る顔だね」
「えっ?」
「げっ」
私の言葉を遮ったのは、部屋で趣味に没頭しているはずのばあちゃんだった。
いつの間に傍にいたのか、私の隣で上原さんを値踏みするように眺めている。
「ほほう、今回はまた随分とまた可愛らしい子を手篭めにしたんだねぇ……末恐ろしい孫だよ」
「ちょっとばあちゃん、いきなり変なこと言わないでよ。それにこの人は……」
「はっはっは、申し訳ない。私はこの子の祖母でね」
この人はクラスメイトの上原さん、と言おうとしたところでまたも遮られてしまう。
まったくもう、話の途中で割り込むなっての。
「お、お邪魔してます!私は天吹さんと同じクラスの上原菜月といいます」
「菜月ちゃんか。遠いところわざわざ見舞いに来てくれてありがとうね」
「いえ、連絡もなしに勝手に押しかけてしまって」
「いやいや、そんな些細なことを気にしなくていいんだよ。それより、柚葉に美空に裕子ちゃんに菜月ちゃん……ははは、千晴の周りはまったく美人揃いじゃないか」
ああ確かにみんなレベル高いよねー……って、あれ?
平がうちに来た時ばあちゃんは出かけてたから、彼女とは顔を合わせたことが無かったはずだ。
「ばあちゃん、なんで平のこと知ってるの?」
「さっき挨拶してきたからに決まってるだろう?」
いつの間に。
余計なことを言ってないといいけど……何故だろう、凄く嫌な予感がする。
「ま、今後も千晴と仲良くしてやっておくれ。この子は誤解されやすいせいか、なかなか友人ができなくてね」
「ちょっ!ばあちゃん余計なことを……」
「千晴。いいかげん、妙な意地を張るのやめな」
「………」
ぐしゃぐしゃと荒っぽく頭を撫で回されて、あっという間に髪が爆発したように乱れてしまった。
上原さんに見られていると思うと恥ずかしいので、頭に置かれたばあちゃんの手を払いのけてから髪を手櫛で整える。
「おっと、そろそろ時間だ。これからちょいと所用で出掛けてくるから、後は若いもんだけで楽しんどくれ」
「わかった」
「そいじゃまたね、菜月ちゃん。またいつでもおいで」
「は、はい!」
ばあちゃんは満足げに頷いてから、玄関のほうへ歩いていった。
もっと絡んでくるものと思っていたので、あっさりと出掛けてくれたのは助かった。
ばあちゃんのことだから、何を言うか解ったもんじゃないし。とにかく、面倒なことにならずに済んで一安心。
いや、それより平たちと何を話していたのかが気になってしかたないので、早く居間に戻ろう。
「天吹さん」
「あー…」
さりげなく逃げようとする私を引き止める為に、手を掴まれてしまった。
どうしても彼女は私の返答を望んでいて、有耶無耶に誤魔化すことができないようだ。
それほど真剣に考えているということなんだろうけど。
「駄目かな?」
「……………」
同じクラスになって、あまり話す機会はなかったけれど。
普通に話しかけてくれた彼女は、柚葉や美空と同じように、変わり者なのかもしれない。
――だから、私は彼女のことを嫌いにはなれないのだ。
「何もかも承知の上で言ってるんだったら、断る理由がない、かな」
「え」
面倒なことになるって解ってるけど。
強く握られている彼女の手を、私は強引に振り払うことができないから。
だから、仕方がない。
「ほどほどに宜しくね、“菜月”」
「……わ、わあっ!あ、ありがとうっ、ハ…じゃなくて、千晴、ちゃんっ!!」
嬉しそうな顔を隠しもせず、瞳をキラキラと輝かせて、眩しくてまともに菜月の顔を見てられない。
なんだろう、友達になっただけなのに、この喜びよう。正直、こういうのは苦手だ。
彼女の眩しい瞳で見つめられるだけで精神がどんどん磨り減りそうな気がする。
「菜月」
「な、何?」
「そういえばトイレ行かなくて、大丈夫なの?」
「ぁ……う、うん、そうだった。行ってくる、ね!」
彼女は恥ずかしそうに顔を伏せながら、早足で廊下を歩いていった。
私も身体を反転させて、居間に戻ることにする。
(…これでよかったのかな)
断るつもりだったのに、断ることができなかった。
友人関係なんか増えても面倒だと思っていたはずなのに、どういう心境の変化だろう。自分のことなのに、よくわからない。
彼女を受け入れたことを後悔しているはずなのに、どこか嬉しいと感じている自分もいる。
騒がしいのも、面倒なのも、悪くないって思い始めてる。
(深く考えるのは、やめとこ)
自分は、あくまで自分だ。
小さな変化が起ころうとそれは変わらないんだから、今までどおり適当に過ごせばいい。
いっそのこと頭を空っぽにして何も考えずにいられたら楽なんだろうけど。
(…………疲れた)
柄でもないことを考えたせいか、頭が鈍くなってきている。
この程度だったらしばらくすればすぐ治るだろうし、気にすることもない。
「宿題持ってきたよー……ってあれ?」
居間に戻ると、あきらかに部屋の空気が変わっていることに気がついた。
柚葉はいつも通りだけど、平はいつも以上に目つきが鋭く無言で、美空は随分と楽しそう…ってこれは普通か。
でも、これはいったいどういう状況なんだろうなぁ。気になるけど知りたくない。
ただひとつだけ解ったことは、ばあちゃんが何か余計な事をみんなに吹き込んだってことだ。
「千晴さん。今さっきおばあ様が来て、用事で出かけると――」
「うん知ってる。廊下で会って聞いたから」
「そうでしたか」
柚葉の隣に腰を下ろして座ると、正面に座っていた平と目が合った。
うちに来た時から不機嫌そうな顔をしていたけれど、今はさらに不機嫌というか、怒ってる感じだ。
触らぬ神に祟りなしと言うし、不用意に触れると何されるかわからないのでこのまま放っておこう。
この場をやり過ごすには、勉強を真面目にやって早く終わらせるしかない。
まずは数学のプリントを広げてからシャーペンを握り、難解な問題に立ち向かう。
最初の問題から挫けてしまいそうだけど、やれるとこまでやって、解らない所を教えて貰うことにする。
「ねー、千晴?」
「何?今まじめに勉強してるんだけど」
「大須賀ちゃんがきてもうすぐ一ヶ月だけど、ふたりの仲はいったいどこまで進んだのかしら?」
「…………」
プリントに強くペンを押し付けすぎて、芯が折れた。
内心動揺しつつも冷静を装ってシャーペンのノックをカチカチと無駄に鳴らす。
いかん、ここで取り乱してしまったら美空の思うツボだ。何もやましい事はないのだから、堂々としていればいい。
「……進んでないし、進めるつもりもないから」
「もー、駄目じゃないの。おばあさんが心配してたわよ?大須賀ちゃんがいるのに愛人ばかり増やして困った子だね、って」
「何を話してんだあのばあさんっ!! もしかして他にも余計なこと言ったんじゃ…っ」
「そうね、平ちゃん(の胸)を見て“千晴は嗜好が変わったようだねぇ”って言ってたわね」
私はべつに巨乳好きってわけじゃないし、そもそもそれ自体に興味がないってのに。
ああでも平の機嫌が悪化してるのは十中八九それが原因か。
美空の機嫌が良いのは、ばあちゃんと一緒に平をからかって遊んでたんだろうなぁ。
「…なんで私がアンタの愛人扱いされなきゃいけないのよ。全くいい迷惑だわ」
「ばあちゃんが勝手に妄想してるだけだから、気にしないでいいよ」
「大体、柚葉があんたの婚約者ってどういうことよ。色々おかしいでしょ」
「ばあちゃん達が勝手に妄想した設定だから、気にしないでいいよ」
私が居間を抜けていたわずかな時間で、平は柚葉のことを名前で呼ぶようになっていた。
もともと敬称をつけるのが好きじゃないと言ってたから驚くことでもないか。
「別に、天吹のことなんてどうでもいいけど。私には関係ないし」
「あら?大須賀ちゃんの婚約者が天吹って聞いた時は平ちゃん、凄く動揺してたわよね?」
「ふ、普通は驚くでしょうがっ!」
「……同性同士だからですか?」
「まぁそれもあるけど、柚葉の相手が天吹だってのが一番驚いたわ。天吹に柚葉は勿体無いと思う」
確かに柚葉は私には勿体無い位の女の子って思ってるけれど、改めて言われると腹立つな。
「もし婚約が本当だとしたら、絶対家の事情とかで無理矢理~とかそんなところでしょ」
「少なくとも私は千晴さんのこと大好きですよ?婚約についても私が望んだことです」
「う…こ、コイツのどこがいいんだか……早く目を覚ましたほうがいいわよ?」
柚葉は何も答えず、柔らかな笑みだけを返す。
何を言っても無駄だと感じたのか、平は呆れ顔で溜め息を吐いた。その隣では美空がにこにこしている。
私としても、いい加減早く目を覚まして欲しいのだけど。
すぐに嫌気がさしてこの家を出て行くと思っていたのに、一向に諦める気配がないのだ。
予想よりも遥かな長期戦を覚悟しないといけないのかもしれない。
「ほらほら勉強しないと明日までに終わらないわよ~?」
「自分が邪魔したくせに…」
ここで言い争っていては終わるものも終わらないので、黙って勉強を再開した。
美空と平は持参したファッション雑誌に夢中らしく、結局菜月が戻ってくるまで勉強を見てくれたのは柚葉だけだった。
といっても、柚葉は解らないところを聞けば頭の悪い私に分かるよう丁寧に教えてくれるので、彼女ひとりだけで十分だ。
もしかしたら、学校の先生よりも教え方が上手かもしれない。
「柚葉、ここの空欄だけど」
「そこは関係副詞が入ります。例文の中にありますよ」
「なるほど、これね」
柚葉のおかげで、順調に宿題が進んでいく。
数学と英語のプリントを半分ほど終わらせたところで、ようやく菜月が戻ってきた。
「遅かったね」
「クラスの友達からメールがきて、廊下で返事を打ってたの」
彼女は躊躇いなく私の隣に座ってきたので、私は柚葉と菜月に挟まれている状態になった。
2人の女の子に寄られて心中穏やかじゃないのだが、菜月はそんな私の動揺に気付くことなく、興味津々にやりかけの宿題のプリントを覗き込む。
「わ、結構進んでるね。…私の出番はないみたい」
「先生がいいから」
「そんなことないですよ。千晴さんは呑み込みが早いみたいなので、真面目にやればちゃんと出来るんです」
そんなこと言われても勉強なんてつまんないから真面目にやる気が起きないのだ。
こうして勉強するのは、どうしてもしなければいけないって時だけ。
勉強なんて面倒なのに自主勉強とかやっちゃう人はマゾなのかと思ってしまう。
「ちょっと菜月、こっち来て!アンタに似合いそうな服が載ってるのよ」
「え、あ、うん!…じゃあ、頑張ってね千晴ちゃん」
「はーい」
「…………」
平に呼ばれた菜月は美空たちと混じって、何やら楽しそうに雑誌を見て盛り上がっているようだ。
しかし…何しに来たんだろうな、あの3人。邪魔されずに勉強できそうなので、別にいいけど。
楽しそうに談笑している彼女たちは気にしないことにして、目の前の問題を考えることにした。
ええと、あれ? be動詞+過去分詞って受動態だったっけ?教科書に載ってたような気がするけど、うろ覚えだ。
「千晴さん」
「んー?」
「千晴さんは、アニメや漫画に興味ないんですか?」
「? 興味はないけど、暇な時やばあちゃんに薦められたヤツは見てる」
「……そうですか」
何でそんなことを聞くのか不思議に思ったけど、勉強のほうに集中していたので疑問を口にはしなかった。
「私もある人の影響で時々見るようになったんですが、面白くて大好きなんです」
「へー、ばあちゃんと話が合うんじゃないの?」
「おばあ様は何と言うか、次元が違いますから…」
「あぁ…そうかも…」
ちょっとかじった程度らしい柚葉と専門用語を当然のごとく喋りまくるばあちゃんじゃ無理か。
不本意ながら私もばあちゃんの影響で知識はあるけど、ばあちゃんの話についていけない時があるのだ。
同じものが好きでも、差が激しいと語り合うことができない場合もある。
「お薦めの漫画があるので、よかったら今度読んでみてください。お貸ししますから」
「うん、わかった」
漫画を読むくらいどうってことないので適当に頷くと、彼女は幸せそうに微笑んだ。
……自分の好きなモノを誰かと共有できるのが、嬉しいのかもしれない。
でも、優等生の模範のような彼女が漫画やアニメのことを好きだとは思わなかった。
ある人の影響って、もしかしたらばあちゃん……だったりして。まさかね。
「千晴ー!大須賀ちゃんー!見て見てこの服ー!」
目を輝かせた美空が手招きをしているが、問題を解くのに忙しいので適当に返事して無視をすることにした。
こっちは真剣に勉強しているというのにあちらは随分と楽しそうだ。
「ええい、勉強させたり邪魔したりどういうつもりだっての」
「ふふ。だいぶ進みましたし、少し休憩しましょう。あまり根を詰めても捗りませんから」
「じゃぁ……そうする」
握りっぱなしだったペンを置いて立ち上がる。
ずっと苦手な勉強をやっていたので、休憩は嬉しい。
(――げっ!?)
そのまま美空たちの元に行こうと足を動かした時に、ようやく自分の身体の違和感に気がついたのだが、
気付くのが遅れてしまったせいで身体は自分の意思に反してぐらりと傾いた。
身体が治っていないわけじゃなくて、ただ単に同じ姿勢でずっと座っていたせいで足が痺れただけだ。
(わっ、わっ、やばい!)
このままだと楽しそうに談笑している美空たちを巻き込んで倒れてしまう。しかし自分には、回避する方法と自信がない。
倒れてまたいつものような展開になってしまうんだろうなぁと半ば諦めて流れに身を任せているしかなかったのだが――
(・・・…あれ?)
トン、と両肩に暖かな手の感触を感じる。
身体を支えられたおかげで倒れることなく、いつものような展開になることもなかった。
「大丈夫ですか?」
「……うん」
私が倒れそうになっていたことに気付いた柚葉が助けてくれたようだ。
彼女の支えを借りて、倒れかけていた身体を自力で起こす。
柚葉のほうを向いて謝ろうと口を開きかけた時、そっと彼女の指で押さえられてしまい言葉を紡げなかった。
「大丈夫ですよ、私が支えますから。だから――――」
「え?」
その先は声が小さくて聞き取れなかったので何を言ったのか解らない。
気になったので何と言ったのかもう一度聞こうとしたけれど、美空に急かされたので結局聞き返すことができなかった。
雑誌を読んでいた3人の輪に加わり、他愛もない話をしながらこっそり柚葉の横顔を盗み見る。
一度見たら忘れられないほど端麗な顔なのに、彼女の顔は自分の記憶の中に存在していない。
彼女は過去に私と会ったことがあると言うけれど、未だに思い出すことが出来ていないのだ。
いつどこで会ったのか聞いても、柚葉もばあちゃんも教えてくれないのはどうしてだろう?
教えてくれないとなると、彼女のことを知る方法はもうひとつだけしかない。
(思い出さないと、いけない)
そうしないといけない気がする。
彼女から解放される為じゃなく、静かな日常を取り戻す為でもなくて。
ただ漠然と、そう思うのだった。