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Heroine Life  作者: ころ太
20/22

私と彼女の正義の人生



呼吸をするたび、口から白い息が漏れる。

自分の吐いた息を追うように空を見上げてみたら、木々の隙間から降り注ぐ陽の光が思ったよりも眩しくて、すぐに下を向いた。

天気予報によると今日は一日いい天気らしく、出かけるには最適の日みたいだ。


「絶好のデート日和ですね。晴れてよかったです」

「えっ……あ、そだね。よかったね」


にこやかに言う柚葉から顔を背けて、私は落ち着きなく目を泳がせる。

照れくさいからデートと言わないでほしいんだけど、誘ったのは紛れもない自分なので出掛かった言葉は口に出さずにそのまま飲み込む。

こんな恋愛イベントには一生縁なんてないと思っていたけれど、まさか自分から誘うことになるとは思わなかった。人生、何が起こるかわからない。

ふたりで出かけることをデートと呼ぶのであれば、これは間違いなくデートなのである。一般的なものとは、少し違うのかもしれないけど。

柚葉もきっと、同じように意識しているはずだ。おととい誘ってから今日に至るまでずっと機嫌が良かったようだし、

今も何もない道をただ歩いているだけなのに何が楽しいのかずっとにこにこと嬉しそうにしている。


「でもさ、本当にこんなところで良かったの?」

「はい。私の希望を聞いてくださって、ありがとうございます」

「それはいいんだけどね……」


なんの計画も立てずに勢いでデートの約束をしてしまったので、何処に行くか全く考えていなかった。

ネットや漫画の情報を参考にして散々悩んだものの結局決めることができなかったので、

思い切って柚葉に行きたい場所がないか聞いてみたら、意外な答えが返ってきた。

なんの問題もなかったので、了承したものの。


「……デートの場所が、何もないごく普通の山って、どうなの」


澄んだ空気、小川の流れる音、小鳥のさえずり、木々のざわめき――――私たちは今、自然溢れる山の中をひたすら歩いていた。


柚葉が行きたいと言った場所は、うちのすぐ近くにある何の変哲もない小さな山。そこを登ってみたいと控えめに彼女は言ったのだ。

人の手が加わっていないので多少道は険しいけれど、体力のない私でも1時間もあれば頂上まで登ることができる。

実際ひとりで登ったこともあるが、豊かな自然が実っているだけで今時の若い子が面白いと思うものなど何もない。

珍しい生き物や有名な観光スポットがあるわけでもなく、ただあるがままに自然を感じるだけの場所だ。

なんだか、少ない知識から想像していたデートとはまるで違う気がする。

私は自然が好きだから問題なく楽しめるけど、本当に柚葉はこんなところで良かったのだろうか?

もしかして、また余計な気を使っていたりしてないだろうか?


「千晴さんと一緒なら、どこでも嬉しいですよ」

「…………そうですか」


愚問のようだった。

というか、どうしてそう恥ずかしいことをさらっと言えるのだろう。

そういえば柚葉の故郷は恋愛大国のフランスだったっけ。向こうではこれぐらい普通なんだろうか。

今までは平気で流せていたド直球な好意だけど、今ではすっかり躱すことも悪態をつくことも困難になってしまった。

嬉しい半面どう反応すればいいのか困ってしまうので辛い。


「千晴さん?」

「なんでもない、なんでもない」

「大丈夫ですか? 顔が少し赤いようですけど、もしかしてまた熱が……」

「き、気のせいだって。私なら全然元気だし」


私の額に触れようとしていた柚葉の手をするりと躱して、彼女から半歩ほど距離をとる。


「いいから、早く先に進もうよ。頂上までまだ半分はあるんだから」

「そうですね。でも、具合が悪くなったらすぐに言ってくださいね」

「わかってるって」


体調の方はまったく問題ない。悪いどころか、普段よりも身体が軽いぐらいだった。

そのことは柚葉も感じていたようで、心配症な彼女にしては珍しくあっさりと引き下がってくれた。

過剰に心配されて今から山を降りようなんて言われたらどうしようかと思ったが、そんなことにはならずホッとする。


「…あ、千晴さん。あれを見てください」

「あれ?」


柚葉は何かを見つけたのか、急に足を止めてある方向を指差す。


「ああ、コムラサキ……じゃなくて、葉の付け根に実がついてるからムラサキシキブか」


彼女が指さした先には、綺麗な紫色をしたムラサキシキブの実が生っていた。

枝に付いているのもあるけるど、ほとんどの実は地面に落ちてしまっている。

柚葉は落ちていた小さな実を拾い上げ、物珍しそうに眺めていた。


「山ぶどうに似てますね。これは食べられないんですか?」

「口にしても害はないと思うけど、食用には向かないらしいよ。鳥とかの餌にはなるけど」

「そうなんですか。見た目は美味しそうだったので残念です」

「まあ、今の時期は食用の野草は少ないよ。春になると食べれる山菜は増えるけどね。フキノトウやノビル、それにコゴミとか」


食べれるからといって、好んで食べようとは思わないけど。野菜っぽいのは苦手なもんで。


「さすが千晴さんです。詳しいですね」

「ほとんど本で適当に得た知識だから大したものじゃないっての……あ、その草に触ったら危ないから気をつけて。

 それから足元の苔は踏んだら滑るからなるべく避けて違うところを歩くように」

「ふふふ、はい」

「……なに。急に笑って」

「なんでもないですよ」

「あ、そう。変なの」


柚葉は見たことがない植物を見つけては目を輝かせ、これはなんですかと聞いてくる。

時折デジカメを取り出して撮影したりして、彼女なりに山を楽しんでるようだった。


「千晴さん、千晴さん」


また何か見つけたらしい柚葉が、興奮気味に私を呼んでいる。

いつものような大人びた笑みではなく、小さな子供のように無邪気な笑顔を浮かべている彼女は珍しい。

その笑顔が新鮮で思わず見入ってしまっていると、柚葉はぼんやりしている私に焦れたのかこちらに歩いて来た。

しかしその途中、木の根に足を取られてしまいガクンと身体が傾いて倒れそうになる。


「きゃっ!?」

「……柚葉!!」


ぼんやりしていたせいで反応が遅れてしまい、動くのに時間がかかってしまう。

慌てて駆け寄ろうとしたが、柚葉は持ち前の運動神経で鮮やかに体制を立て直し、何もなかったように元の姿勢に戻った。

私は伸ばしかけていた手を引っ込めて、静かに安堵の吐息を漏らす。


「……大丈夫?」

「はい、平気です」


足取りは軽いけれど、山に登ったことがない柚葉は見ていて危なっかしい部分がある。

いや、いつでもどこでも躓いて転んでしまう私のほうが、彼女より何倍も危ないんだろうけど。それはもういろんな意味で。

だからお互いの安全を考えて、安全対策を取ったほうがいいだろう。気は進まないが、しかたない。


「はぁ……柚葉、手」

「?」


不思議そうに小首を傾げていたけれど、なんの迷いもなく手を差し出した。

彼女とは違い自分は一瞬ためらってしまったが、同じように手を伸ばし、その手を掴んでおずおずと握りしめる。


「千晴さん?」

「いや、別に深い意味はなくて。ほら、危ないから。手を繋いで歩いたほうが安全かなぁと」


少しでも危険を回避する手立てがあるのなら、それを実行するべきである。

恥ずかしいとか照れくさいとか言ってる場合ではないのだ。

これは安全対策なのだと、必死に自分に言い聞かせる。


「そうですね。千晴さんと手を繋いでいれば絶対に安全です」

「その絶大な信頼はいったいどこから湧いてくるの?」

「それにデートっぽいです」

「お黙り」


手を繋いだだけなのに、それでも柚葉は嬉しそうにはにかんで、きゅっと手を握り返してくれた。

肌の柔らかさや温もりが嫌って言うほど伝わってくるので、喋る余裕がないほど落ち着かなくなる。今まで何度も手を繋いでいるのに、未だに慣れない。

やっぱり余計なことするんじゃなかったと心の中で溜息を吐いて、とにかく無言で進むことにした。はやく、頂上を目指そう。


「柚葉、そこ気をつけて」

「はい」


雨露で濡れた落ち葉を踏ませないように、繋いだ手を引っ張って誘導する。

この山は急斜面を通ったり流れの早い川を渡ったりする必要はないけれど、途中から道がひどく荒れてるのだ。

なのでここから先は経験がある自分が先行して進み、道を塞ぐ枝をどかしていく。人が通った跡があるので迷いはしないが、油断はできない。

しかしこうして獣道を歩いていると、まるで未開の地を探索しているようでワクワクしてくるなぁ。

気を抜いてしまうと、道を外れて洞窟みたいになっている場所を探検してみたくなる。

以前ひとりでこの山を登ったときは今みたいな気持ちにはならなかったのに、どうしてだろう。

それに、胸をくすぐるような懐かしさも感じてしまう。

昔はよく菜月と一緒に冒険心が湧く場所に入っては葉月さんに見つかってこっぴどく怒られていたからかな。

あ、そういや菜月たち家族と一緒に山でキャンプしたことがあったっけ。その時に教えて貰ったサバイバルの知識は今でも覚えている。


思えば、葉月さんはいろんなことを教えてくれた。

親が教えてくれるはずのことを、彼女は全て教えてくれた。勉強も、運動も、常識も。愛情だって、惜しみなく与えてくれた。

私が正義の味方に憧れるようになったのも、植物に興味をもつようになったのも葉月さんがきっかけだった。彼女なしでは、今の自分はいない。

もちろん葉月さんだけじゃない。柚葉の母親であり自分の母親でもあったあの人も。ふざけてばっかの、ばあちゃんも。騒がしい友人たちも。

今まで出会ってきた人たちに出会えなかったら、私は今とは違う人間だったのかもしれない。

いいことも、悪いことも、たくさん、色々あって、でもそうやって今の私がここにいる。

だからどんなに悲しいことがあったとしても、出会わなければ良かったなんて絶対に思わない。

それはこれから先も同じだ。どんな出会いがあっても、どんなことが起こっても、私は誰かと出会えたことを、幸運なことだと思いたい。

苦しいことも、悲しいことも、積み重なっていくけれど。それでも私は誰かと関わることを望んでいく。

大変だけど、それ以上に、きっと楽しいって教えてもらったから。

隣で微笑んでくれるこの人が、傍にいてくれるのなら。怖いものなんて、きっとなにもない。


「あ! 千晴さん、頂上です!」

「ほんとだ」


最後の坂道を登り、薄暗い山の中を抜けると、視界いっぱいの青空が私たちを包み込むように広がっていた。

冷たいけれど心地良い風が、体を動かして火照っていた頬を撫でる。まるで、ここまで登ってこれたことを褒めてくれているような、優しい風だった。

しばらく綺麗な青空に見入っていたけれど、景色を楽しむ前にまずは休憩したい。ずっと歩きっぱなしだったので疲れているし、ちょうどお昼時でお腹も空いている。

周りを見渡して座れそうな場所を見つけたので、持ってきたビニールシートを広げて荷物を置き、靴を脱いで雑に座った。

柚葉も同じようにシートに上がり、それからてきぱきとお昼の準備をしてくれる。


「千晴さん、お茶をどうぞ。熱いので気をつけてくださいね」

「ありがとう。……それにしても今日のお弁当、いつもより気合はいってるね」

「あ、はい。頑張ってみました」


目の前に広げられたのは、彼女がいつも作ってくれるお弁当より、数倍手の込んだ豪華なものだった。

どれもこれも私の好きな食べ物ばかりで、私のために作ってくれたんだってわかってしまう。


「はい、千晴さん」

「………………?」


美味しそうなお弁当の品々を凝視していると、いきなり卵焼きが目前に差し出された。

にこにこと微笑んでいる柚葉とは対照的に、私の顔は引き攣ってしまう。


「あーん、です」

「……え、なに、なんの罰ゲーム?」


もちろん、彼女が何をしたいのかは解っている。定番のアレ、ですよね。知ってます。

しかし私がその行為を受け入れるには、まだまだ時間が必要だった。

ぶっちゃけ恥ずかしいだけなので覚悟さえ決めればいいのだが、その覚悟を決める日は永遠に来ないような気がする。


「じ、自分で食べれるからいい」

「唐揚げのほうが良かったですか?」

「おかずの問題じゃないっての」

「……そうですか。残念です」

「そ、そんなしょんぼりした顔しても、やらないから」


たとえ他に人がいなくても、そんなバカップルのお手本みたいな恥ずかしいことはやりたくない。

残念そうな柚葉の顔を見てると、ちょっぴり心が揺らいでしまうけれど。

彼女が喜んでくれるならつまらない意地など捨ててしまえと、思うけれど。

生憎、そう簡単に出来れば、こんなに悩みはしないのだ。


「い、いただきます!」


微妙な空気から脱却しようと、自分でお弁当のおかずをつまみ口へ運んだ。

まず始めに選んだおかずは彼女が食べさせようとしていた卵焼きだ。ふんわりとした感触を楽しみながら、もぐもぐと咀嚼する。


「おいしい」


素直な感想が勝手に声に出ていた。だって、本当に美味しかったから。上手く言えないけど、とにかく美味しい。

彼女の作る卵焼きを食べるのは初めてじゃないし、いつも美味しいって思っているはずなんだけどな。

なんだか、今日食べたものは、特別な感じがする。外で食べる食事は格別だって聞いたことがあるけど、本当にそうなのかもしれない。


「良かったです。今日の味付けはいつもと少し変えてあるんですよ」

「なるほどね。普段の味付けもいいけど、今日のも違った感じで美味しい」


他のおかずも食べてみたけれど、やはりどれも一味違った美味しさで自然と箸が進む。

私は少食で食べる速さも遅いほうだけど、今日はあっという間に自分の分を完食してしまった。

それに柚葉がこれもどうぞ、あれもどうぞっていろいろ薦めてくるから破裂しそうなくらいお腹がいっぱいだ。

でも本当に美味しかったな。なんだか懐かしい味もして、まるで…………。


「もしかして、柚葉ってお母さんに料理を教えてもらったの?」

「いえ、私はお母さんに料理を教わったことはありません。ほとんど、自己流なんです。

 今日はお母さんの味付けを真似してみたつもりなんですが、やっぱり難しいですね。お母さんの味には遠く及びません」

「ううん、そんなことない。懐かしい味だったよ。それに美味しかった。作ってくれて、ありがとう」


もうあれから何年も経って記憶も曖昧だけど、昔、お母さんが作ってくれた料理の味がした。

それに、いつも作ってくれる柚葉の味も確かに存在していて。まるで二人が作ってくれたように感じて、胸が暖かくなった。

食べ過ぎて胃が苦しいけれど、大満足だ。感謝の言葉じゃ足りないくらい、感謝している。お弁当のことだけじゃなくて、他にも色々。


「私も……ありがとうございます、千晴さん」

「え、なんで?」

「今日、デートに誘ってくださって、ありがとうございました。私、本当に嬉しかったんです」

「…………」

「夢だったんです。憧れていたんです。こうして、千晴さんと二人で一緒に出かけて、お弁当を食べたりすることを、ずっと夢見ていました。

 それに千晴さんの方から誘ってもらえるなんて思ってなくて、実は今も夢を見てるんじゃないかと半信半疑です」

「いやこれ現実だから。てかいちいち大げさだっての」

「でも、私にとっては凄いことなんですよ。本当に夢のようで、嬉しくて、浮かれてしまいました」

「みたいだね」


そりゃもうこっちが照れるくらい、柚葉は喜んでくれていた。

こんな自分でも誰かを喜ばせることが出来るんだって嬉しくなるほど、彼女は幸せそうに笑ってくれていた。


「だから、ありがとうございます。私の夢を叶えてくださって、ありがとうございました」


柚葉は、今日という夢を全力で楽しんでいた。

ひとつひとつ、噛み締めるように。刻み付けるように。忘れないように。

もう二度と見ることの出来ない夢だと、そう思って。


「おかげで、決心がつきました」

「…………………」


一呼吸置いて、彼女は決意を口にする。


「私、実家に戻ろうと思います」

「…………そっか」


特に動揺することもなく、私は淡々と頷いた。なんとなくそんな気はしていたから、驚きはしない。


「千晴さんが前を向いたのに、私だけが逃げ続けるなんて、そんなの卑怯ですから」


彼女は自分の家族との間に深い溝があるようだった。話そうとしなかったから、詳しいことは解らない。

血は繋がっているけど冷え切った仲の父親と、血の繋がりがない不仲な母親と妹が、今の柚葉の家族だというのは知っていた。

私も昔は似たような環境だったからなんとなく気持ちは察することが出来る。逃げたくなるのも、無理はない。


それでも、彼女は立ち向かうことを選んだ。


「真面目すぎだよ、柚葉は」

「そうでしょうか」


柚葉は私から視線を外して、崖の向こうにある景色を見つめる。

この山の頂上は、私たちが住んでいる町を一望できる数少ない場所だ。

彼女は最後に、自分の住んでいた町の姿を見ておきたかったのかもしれない。


「私は“ここ”を逃げ場にしたくありません。だから、嫌でもちゃんと向き合おうと思います。自分の家族と」


再び彼女は私を見つめる。決して目を逸らさず、真っ直ぐに。力強い視線が、私を射抜く。

ああやはり、彼女は強い人だ。逃げ続けることを良しとせず、苦痛を伴うことも耐えようとする。どんな恐怖を突きつけられても、足を踏み出す。

そんな彼女の強さに、優しさに、何度も助けてもらった。何度も手を差し伸べてくれた。私なんかより、よっぽどヒーローだよ。かっこいいよ。

でもそうやって“ひとり”で全て抱えるのは、とても疲れるんじゃないだろうか。なんでも出来る優等生だからって、全てを背負わなくてもいいじゃないか。

どんなに強くても、平気な顔をしていても、私と同じ、一人の女の子だから。



「じゃあ私も一緒に行くよ」



「え」


「柚葉の実家。一度くらい、柚葉の実家に顔を出しておかないと失礼だろうから」

「ど、どうして千晴さんが? これは、私が解決しないといけない問題で――」

「柚葉の家庭の問題は、柚葉にしか解決できないのはわかってる。でも、何もできなくても、隣にいるよ」


柚葉が隣にいてくれたおかげで、私は自分自身の問題に向き合うことが出来た。だから、今度はこっちが支える番だ。

同じことが私に出来るのか自信はないけれど、それでも私は彼女の力になりたい。できることがあるのなら、なんでもしたい。


「それに婚約者だから、ご両親に挨拶しとかないといけないし。いまさらって感じだけど」

「………………………」

「あれ、柚葉? 聞いてる?」

「………………………」


見事に絶句していたので、ちゃんと私の話を聞いていたのか不安になってしまう。

結構、大事なことを言ったつもりだったから、聞いてませんでしたと言われるとショックで立ち直れないかもしれない。


「ゆーずーはー?」

「っ!?」


しかたなく目の前で手を振ってみると、柚葉は意識を取り戻したようにハッとして、それから綺麗な顔をくしゃっと歪める。

喜んでるのか、悲しんでるのか、それとも怒ってるのか判別できない色んな感情の混じった顔だった。


「もういいんです、千晴さん。もう、私の嘘に付合ってくれなくていいんです」

「嘘? 私のことが好きって言ってたのは、全部嘘だったってこと?」

「ち、違います! 千晴さんのことは大好きです! 愛してます! それは誓って本当のことです!! 嘘じゃありません!」

「お、おぅ。じゃあ何も問題ないじゃん」

「あります! 千晴さんが私の婚約者というのは虚言だって、言いましたよね。私の身勝手な嘘だったんです。

 だから、もういいんです。充分なんです。私はひとりで大丈夫ですから。これ以上、千晴さんにご迷惑をお掛けしたくないんです」

「うん、わかったわかった。柚葉はアホだわ」

「えっ!? ええと、あの、そうかもしれませんけど……」

「迷惑なんかじゃない。面倒なことも、嘘も、全然、迷惑なんかじゃないんだよ」


私はポケットに手を突っ込んで、あるものを取り出し、彼女に見せる。


「もう十分わかってると思うけど、私はなんの取り柄もないどうしようもなく駄目な人間だよ。

 厄介な体質も持ってるし、身体だって貧弱で、一緒にいたらきっと沢山迷惑をかけてしまう。

 傷つけてしまうこともあるかもしれない。酷いことを言ってしまうこともあるかもしれない。

 誰かを幸せにする自信なんて全然無い。この先、幸せだって思う数より、不幸だって思う数のほうが、多いかもしれない」


彼女が私と一緒にいることを選んでしまえば、きっと幸せになれる他の可能性は潰えてしまう。

だから柚葉の幸せを願うのなら、私は黙って身を引いておくべきなのだ。身の程をわきまえて、遠くから幸せを願っていればいい。

彼女なら私より何倍もいい相手を見つけられるはずだ。間違いなく幸せにしてくれる人が、この世界のどこかにいるはずだ。


「それでも」


自分に自信がないことを理由にして断るのは、今まで私に好きだと言ってくれていた柚葉に対して不誠実だ。

気楽に生きたいからって、自分の気持ちから逃げてるだけだ。

――――そんなのはもう、嫌だから。

どんなに大変でも。傷ついても。みっともなくても。私らしく、生きていたいから。


「傍にいたい」


そっと彼女の手のひらに、取り出したものを乗せる。

陽の光を浴びて、ソレは鈍い輝きを放っていた。


「これは…」

「私を産んでくれた母親の、形見の指輪。

 私にとってはただの指輪だけど、お金で買えない、この世にひとつしかないものだから。

 それが、とりあえず婚約指輪ということで。正式なものは自分で稼いでから買うから」

「…………………」

「ええと、うん。つまり、そういうことだから。柚葉のことも、柚葉の問題も、迷惑じゃないよ」


柚葉はどうしていいのかわからず、ただぼんやりと手のひらの上にある指輪を見つめていた。

彼女の気持ちは十分知っているけれど、素直に受けとれない理由があるのも知っている。

どんなに気にしていないといっても、許すといっても、彼女はずっと私に対して罪の意識を持っている。

いつも気持ちを伝えるだけで、それ以上を望まないのは、そのせいだ。

私を頼ろうとしないのも、助けを求めないのも、自分一人で解決しようとするのも。

それが悪いとはいわないけど、でもそんなのは悲しいし、なにより寂しい。



「これまで色々あったけど。これから先も、何があるかわかんないけどさ。私は、柚葉と一緒の人生がいい」



それが、ようやく私が出した『答え』。



「押し付けるつもりはないから、断ってくれてもいい。どうするかは、柚葉が決めていいよ」


彼女は指輪を抱きしめるように、ぎゅっと力強く握りしめた。

何かに耐えるような表情で、絞るように声を出す。


「……そんな、酷いです。こんなの、ずるいです。千晴さんは、私の気持ちを全て知っているのに、どうしてそんなこと言うんですか……」

「酷くて結構。感謝してるとはいえ今まで散々振り回されたからね。こっちも言いたいことを言ったまで」

「断れるわけないじゃないですか……凄く嬉しいに、決まってるじゃないですか…っ」

「柚葉」

「嫌われないだけで………傍に居られるだけで、良かったんです……それなのに…」

「それだけで、本当にいいの? それが、柚葉の答え?」


俯いて、震えていた。

感情を必死に抑えて、本心を吐露しないように堪えているようだった。


「いいんですか? 私でいいんですか? 本当に、後悔しませんか? だって私は――」

「柚葉じゃなきゃ嫌だ。言いたいことは、そんだけ」


彼女の顔を両手で挟んで、上を向かせた。問答無用で、お互い見つめ合う。

今にも泣きそうなくらい瞳が潤んでいたが、私が笑ってみせると同調するように柔らかな笑みを作った。


「……千晴さん」

「ん?」

「好きです」

「知ってる」

「愛してます」

「知ってるよ」


彼女の気持ちはずっと前から知っているけれど、その先の――彼女の望みは、知らない。

柚葉は私が渡した指輪を左手の薬指に嵌めて、上目遣いに私を見る。


「……私と、結婚して下さい」


いつだって彼女は真っ直ぐに、私のことを想ってくれていた。

言葉に出来ない私のかわりに、何度でも言葉にしてくれた。

こっちが嫌な顔をしても、お構いなしに。

だから直球なプロポーズも、柚葉らしいなぁと妙に納得してしまう。


「……はは」


もしかしたら拒絶されるんじゃないかって思っていた自分が、馬鹿らしくて。

いろんなことがなんだか無性におかしくって、わけがわからないくらい嬉しくて――――幸せで。


「く、くく、あはははははっ!」

「あ、あの、千晴さん?」


腹の底から、急に笑いがこみ上げてきた。

普通、こういう場面では泣いたりするのかもしれないけど、堪えきれなかったのだからしょうがない。

せっかくの雰囲気が台無しだけど、それでもいいや。


「でもいきなり結婚して下さいって、くく、なんていうか、あはははは」


私も指輪を渡して一緒にいたいって言ったから、結婚してくれって言ったようなものだけど。

思い返すと凄い恥ずかしいことを言った気がするので、忘れてしまおう。それがいい。

色んな段階をすっ飛ばしているけど、先のことが今になっただけのことだ。


「私はその、本気です! し、真剣ですよ! いまさら発言を撤回されても、駄目ですからっ」

「わかってるよ。それに私だって本気だから。冗談なんかで、あんな恥ずかしいこと言わない」

「……約束してくれますか?」

「します。約束します。約束するから、信じてよ」

「わかりました。きちんと言葉にしてくれたら、信じます」

「言葉? なにを?」

「千晴さんの気持ちです。まだ、言ってもらってません」

「…………………………」


うん、確かに言ってない。でも、遠回しだけど私の気持ちはちゃんと伝わったはずだ。

あれでも相当な勇気が必要だったんだし、伝わったんならわざわざ言わなくても良くない?


「私は千晴さんのことが好きです。何があっても、それでもずっと一緒にいたいです」


渡した指輪を嵌めた手で私の手を取り、もう片方の手で包み込むように握られた。

じっと私の目を覗きこんで、言って欲しい言葉を待っている。

ここで言わなきゃ、愛想つかされても文句は言えない。

私だって、もう覚悟は決めている。


大きく息を吸い込んで、吐き出すのと同時に、小さく呟く。





「…………好きだよ」





たった一言。


ぶっきらぼうな、捻りのない言葉ひとつで。

それだけで私の好きな人は、これ以上ないってくらい極上の微笑みを浮かべて、すごく喜んでくれた。

幸せそうに笑ってくれる。ただそれだけで、どうしてこう、どうしようもなく満たされるんだろう。


「嬉しい、です」


たくさん、たくさん、悲しいことがあって。

苦しくて悲しいことも、いっぱいあって。

それでも笑っていられるのはきっと、大切な人が、笑ってくれるから。


「…やっぱり夢のようです」

「せっかく言葉にしたのにまだ信じてないとか」

「だ、だって、私の気持ちを受け入れてもらえるなんて、思っていませんでしたから」

「そりゃあね」


幼い頃はお互いに険悪で、再会した時は柚葉の一方通行だったのだから、こんな結果になるとは思わないか。

私だって、最初の頃はこんなことになるなんて思ってもみなかった。

絶対に懐柔されるもんかって意地になってたのに、たった数ヶ月でこんなに好きになれるなんて。

私の意思が弱いのか、それとも柚葉の想いが強かったのか。なんにせよ、自分で選んだこの答えに後悔はない。


「でも、夢なんかじゃないよ」


夢だったら困る。せっかく、これから始まるんだから。

理不尽で思い通りにならない現実だけど、前を向いて、自分の足で歩いていくんだ。彼女と、一緒に。

どんな未来でも、受け入れて生きていく。


「……千晴さんっ」

「はいはい。柚葉が望むなら、何度でも言葉にするから。何でもするから。……だから、泣くなっての」

「……っ」


笑っていて欲しいと思うけど、嬉しくて泣いてくれているのなら、私も嬉しいって思う。変なの。なんだろうね、この気持ち。


ついに泣きだしてしまった彼女の頭を撫でて、涙の溜まった目元を指先で拭ってやる。

すると私の服の裾をちょこっと掴み、肩辺りに顔を押し付けるようにして埋めてきた。

甘える子猫のようにすりすりと頭を動かされて、すごいくすぐったい。物理的にも、精神的にも。

我慢して大人しくされるがままでいたら、急に柚葉は上気した顔を上げて、潤んだ瞳で私を見つめてきた。


「……何でもしてくれるって、本当ですか?」

「私にできることならいいよ」

「じゃあ、キスしてください」

「無理です」

「……即答ですね」

「で、できることならって言ったじゃん」


どんなことでも叶えてあげたいのは本心だ。

それでも彼女の望みは今の自分にはかなり難しい要求なので、きっぱり無理だと答えるしかない。

するのが嫌ってわけじゃなく、むしろしたいとは思っているけれど、ほら、難易度とか、心の準備とかね。


「ごめんなさい千晴さん。困らせてしまいましたね」

「え、いや……」


困ってなんかない。だから、謝ったりしないで欲しい。謝って欲しいわけじゃない。


「嬉しくてつい調子に乗ってしまいました。駄目ですね、願いが叶ったら、どんどん欲が出てしまって」

「や、柚葉はもっと欲張ってもいいんだけど……とにかく、今はキス以外でお願いします」

「…じゃあ、少しだけ触れてもいいですか?」

「どんとこい」


頬に手を添えられ、額がこつんと合わさる。母親が熱を測るみたいに軽い接触だったけれど、まるでお互いが繋がったような、不思議な感覚だった。

顔がすぐ近くにあるのに全然緊張しなくて、額から伝わるほのかな熱が心地いい。

彼女の優しさや愛しさまで合わせた額から伝わってきてるんじゃないかって、そう思ってしまう。

そのおかげか、心の隅っこに抱えていた不安が小さくなっていった。簡単に消えたりはしないけど、それでも楽になっていく。


「……そのうち、頑張る」

「はい」


それじゃあ、と柚葉は自身の太腿をぽんぽんと叩いて、にっこりといつもの笑みを浮かべた。

すぐに彼女の意図は読めなかったものの、ろくでもないことを考えてることはなんとなく伝わった。嫌な予感しかしない。


「膝枕してもいいですか?」

「え? 今!? ここで!?」

「? これも駄目ですか?」

「………ぐ…たぶん、平気かも」


キスに比べれば遥かにマシだ。それにお腹がいっぱいで横になりたい気分だったりもする。

また断れば信用ガタ落ちで信じてもらえなくなりそうだし、ここは頑張るしかないでしょう。

それに本来の柚葉は甘えん坊で、少しわがままな性格だったはず。今、その素の部分を見せてくれてることが、嬉しい。


「こほん、それでは失礼して」


寝そべってから恐る恐る柚葉の太腿に頭を乗せると、柔らかな感触が伝わって緊張のあまり身体が硬くなる。

以前も体感したことがあるけど、こりゃやっぱり落ち着かないなぁ。まあ、ふわふわして気持ちいいけど。

恋人の膝枕でぐっすり眠ることが出来る人は、いったいどんな神経をしているんだろうな。その神経、譲って欲しいくらいだ。


「ふふ、可愛いです」

「見んなこら」

「千晴さんは照れ屋さんですよね」

「やかましい」


上を向くと、青い空とだらしなく表情を緩めた彼女の顔が視界に映った。

眩しくて目を閉じたくなるくらいだけど、ずっと見ていたい気もする。

柚葉はずっと私の頭を嬉しそうに撫でて悦に入っているようで、なにが嬉しいのか理解できないけど、撫でられるのは心地いい。

段々慣れてきたのか次第にぼーっとなって、柚葉に向かって無意識に手が伸びていく。柚葉の顔に触れそうになる寸前で我に返り、思いとどまった。なにやってんだろ、私。

気まずくて腕を下ろそうとしたら、手を掴まれてそのまま彼女の頬に添えられる。ぞくり、と身体が震えた。


「私はここにいます。どこにも行きません」

「……知ってる」

「私は“絶対にいなくなったりしません”」

「……うん」


ほんと、敵わないなぁ。

彼女はいつだってお見通しだ。どんなに虚勢を張っても、通じやしない。

私が気づいていない私のことさえ、知ってる。


しばらく見つめ合ったあと、ふたりで一緒に笑った。


私たちが選んだ答えが正しくても、間違っていても、そんなのどうだっていい。

私が、選んだ幸せを守っていく。みんなで、助け合って生きていく。

それが、私がこれから貫いていく正義だ。


「あ、シャッターチャンスです」

「!?」


カシャリ、と音がして、いつの間にか構えていたデジカメで顔を撮られた。

いきなり撮られてびっくりしたから、きっと写った自分はさぞ間抜けな顔をしていることだろう。

つーか、なんで撮ったし。


「すみません。デート中の千晴さんの様子を撮ってきて欲しいとおばあさまに頼まれていましたので」

「ぶれないよね、あの人」


なんてことを柚葉に頼んでるんだと呆れたが、こっそり付いてこなかったのは本当に良かった。

出発するときに散々からかわれたことは後できっちり報復するし、柚葉が撮った私の写真はもちろん没収するけど。


「ちなみに美空さんには今日あったことを報告するように言われています」

「言わなくていいから。絶対に言わなくていいからね!?」


まったく油断も隙もない。柚葉が言っても言わなくても、美空に茶化されるのはもう決まってるけど。


「そうですね。今日のことだけは、自分の胸にしまっておこうと思います」

「そうしてください」


嘆息すると、柚葉がくすくすとおかしそうに笑う。

自分の心の中を見透かされているようで、照れくさい。どうせ私の思ってることなんて、わかってるんだろうな。


「…楽しいですね。今も、きっと明日も、明後日も」

「うん」


楽しいことが、嬉しい。嬉しいことが、幸せだ。その幸せが、前を向いて生きる為の力になる。

幸せな日々が続く保証なんてないけれど、これから先もずっとずっと続いて欲しいと、そう願わずにはいられない。


「風も冷たくなってきたし、そろそろ帰る?」

「そうですね、名残惜しいですけど。でも、千晴さんとずっと一緒にいられるので、嬉しいです」

「そーだねー。帰る家は一緒だもんねー」

「えっと、そういう意味で言ったわけではなかったんですけど」

「ははは」


私の人生は、誰かにとっては物語みたいなものかもしれないけど、私にとってこれは現実だ。

幸せになれたからって終わりじゃない。これから守るために抗ったり、これ以上の幸せに喜んだり、いろんなことが待っている。



――――いろんなことがあって、滅茶苦茶で、惨めで、格好つかなくても。胸を張って幸せだと言えなくても。



「手を繋いでも、いいですか?」

「喜んで」



それでも、私たちは手を取り合って、この現実を生きていく。






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