表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Heroine Life  作者: ころ太
17/22

伝えたい言葉がある

 

幼い私は、義姉である彼女――愛莉さんのことをずっと味方だと信じていた。

常に無関心な父親や義母と違い、笑顔で構ってくれる彼女は私にとってあの時ただ一人の家族だった。

初めの頃は義母と同じように無関心だったけれど、私が酷い怪我をしても気付かなかったのを見て、彼女は急に態度を変えた。

私が無痛症だとわかると、遊びと称して身体を傷つけられるようになった。頭のいい愛莉さんは周りにばれないよう見えない部分を傷つける。

それも痕が残らないように、少しの手加減をして。つけた傷が治るとまた新しい傷をつけられる。飽きもせず、繰り返し、繰り返し。

私はその“遊び”を特に拒否せず受け入れた。いつも抵抗せず、愛莉さんにされるがままだった。

だって彼女は私に笑顔を向けてくれていたのだ。私が傷つくだけで、彼女が笑ってくれることが、嬉しかったのだ。

前の義母のように狂ったように怒りながらではなく、楽しそうに笑いながらだったから、彼女との“遊び”は嫌ではなかった。

痛みのない自分の身体が役に立つのなら、それでよかった。


それがおかしいことだと気付いたのは、それから少し後に出会った家族のおかげだった。

あの行為がどれほど異常だったのか、悲しいことだったのかを教えてくれた人は、もうこの世界にいないけれど。

また“遊び”を繰り返すほど、今の自分は馬鹿じゃない。


「なによ、熱があるって言ってたのに元気そうじゃん、千晴」


もう二度と会うことはないと思っていた人が、すぐ近くにいる。

昔のことを思い出して吐き気がするけれど、隣にいる柚葉の存在が私を奮い立たせてくれた。

ひとりで大丈夫だから向こうで待っていてもらおうと思ったが、彼女は首を横に振って隣から動こうとしなかった。

巻き込みたくないのが本音だったけれど、傍にいてくれるのは正直とても心強い。


緊張を誤魔化すように息を吐いて、足が震えないように力を込めてその場を踏みしめる。

逃げ出すなんて無様な真似も、前のように黙ってやりすごすことも、もう絶対にしない。

意を決して、正面にいる彼女に向き直った。


「それで、わざわざお見舞いに来てくれたの? 愛莉さん」

「まさか。熱があることはそこにいる子から今聞いたばかりだよ。用なら別にちゃんとあるんだから。ね、わからない?」

「……遊びに来たの?」

「半分あたり。もう半分はね、誘いに来たの」

「誘い?」

「そ。ねぇ、千晴。こんな田舎じゃなくて、私のところに来ない? またあの時みたいに、一緒に住もうよ」

「それは、本気で言ってる?」

「うん、マジだよ」


あの時みたいに。

私が昔のようにこの人を信じていたのなら、すんなりと誘いに乗っていたかもしれない。

家族と呼べる人がいなかったら、駄目だと思いながらもまた彼女との“遊び”を受け入れていたかもしれない。

でも今はもう、何があろうと絶対に彼女の誘いを受け入れることはない。


「悪いけどここを離れる気はないよ。それにもう、愛莉さんとは遊べない」

「……ふぅん。そういえば千晴、大切にしてくれるお友達がいるみたいだもんね」


愛莉さんは無邪気な笑みを浮かべ私の両肩に手を置いたかと思うと、いきなり鷲掴み思い切り力を加えてきた。


「勘違いしちゃ駄目だよ千晴」

「っ!?」


あまりの強さに耐えられず片膝を着いてしまう。慌てて腕を振り払おうとしても、私の力じゃ全く敵わない。

彼女は昔と変わらない子供のような笑顔で、押し潰すように肩を握っている。まるで気に入らないオモチャを壊すみたいに遠慮がない。

やばい、彼女の暴力に抵抗したのはこれが初めてだけれど、まさかここまで敵わないとは思わなかった。

痛くはないけど、こんな強く握られて力を加えられては、痣ができるだけじゃすまない。最悪、脱臼してしまうかもしれない。

ただでさえ人より弱い身体になっているのだ。頑丈だった子供の頃の自分とは違うので、どうにか彼女を振り払わないと、まずい。


「千晴さんっ!」

「ちょっ!?」


隣で見守っていた柚葉が、私に迫っていた愛莉さんを容赦なく突き飛ばした。

それからすぐに私に駆け寄って、倒れかかった身体を起こして支えてくれる。

助けてくれたことにはもちろん感謝しているけど、少し前に大丈夫と豪語していた自分が情けなくて、顔を合わせられない。

柚葉に勢いよく突き飛ばされた愛莉さんの方を見れば、尻餅をついて玄関にぺたんと座り込んでいた。

しばらく何が起こったのかわからず呆然としていたが、我を取り戻すと顔を怒りに染める。

すぐに立ち上がり、心配そうに私を見ていた柚葉へと手を伸ばすのが見えた。柚葉は後ろにきた彼女に気付いておらず、私は咄嗟のことに声が出ない。

危ない。手が迫る。柚葉に。何をする気なんだ。嫌だ。

彼女が傷つくのは、嫌だ。


そんなの絶対に嫌だ。


「邪魔をしなっ……っ!?」

「………!」


柚葉の身体に触れる前にその手を掴んで止めていた。

身体だけが勝手に動いて思考が追いついていなかったけれど、間に合ったのだとわかって安堵の息を吐く。


「なっ……なによっ!? 放してよ!!」


抵抗されて、掴んでいた手を弾かれた。

さっきのように手を出されない為に、柚葉の前に立つ。自分の身を盾にすることでしか、彼女を守れない。

彼女はきっとこんなことを望まないだろうが、力のない私には、こんな方法しかないのだ。


「柚葉を巻き込むのはやめてよ。彼女に何かしたら許さないから」


守れるのなら、なんだってやってやる。一度は諦めた正義の味方にだってなってやる。


「ちっ……なによその目。すっごい、むかつくわ。むきになって、馬鹿みたい。 ほんと、くだらないよね」

「くだらないのは、どっちだよ。いい加減、駄々捏ねるのやめれば? 全てが自分の思い通りに動くわけないでしょ」


何が面白いのか、愛莉さんはまた笑い出した。昔は楽しそうに笑ってる彼女の顔が好きだったはずなのに、今は嫌悪感しかない。


「……いい気になってるよね千晴。…ちょっと自分が幸せだからって、私のこと見下してるの? 優位に立ったつもりなの?

 ふふ、ばっかみたい。勘違いしてることに気付いてないんだもん。ねぇ、あんたが誰かに愛されるなんて、本気で思ってるの?」

「…………」

「あんたの父親も、私の母親も、あんたのこと見てなかったよね。じゃあ、その前の母親はどうだった? 愛してくれた?

 私と離れてからはどうだった? ねぇ、千晴。誰も、あんたのこと好きになってくれなかったでしょ? 家族も、クラスメイトも、近所の人も、

 みんなあんたのこと嫌ってたでしょ? 今は違う? そこにいる子や友達に絆されて、幸せ? それね、勘違いだよ。

 千晴が惨めで物珍しいから今は構ってるだけ。すぐに飽きて放り出されるんだから」


容赦なく私の弱い部分を鋭い言葉で抉ってくる。

身体は痛まなくても、心はしっかり痛むことを彼女は知っている。同時に、どう言えば私が喜ぶかも知っている。


「私だけだよ、千晴のこと解ってあげられるの。千晴には、私しかいないんだから」


彼女は自分を優位にするために鋭い言葉で私を攻め、時には私が逃げないように甘い言葉を囁き、巧みに繋ぎ止めていた。

でも、不思議だな。今は彼女の甘い囁きには何の魅力も、拘束力もない。ただ、虚しさだけが胸に突き刺さる。

彼女の束縛を喜んでいた過去の私は、やはり歪んでいたのだろう。


「…………っ」


隣を見ると、柚葉が懸命に口をかたく閉じて一言も喋らないように我慢していた。それでも、感情を抑えられないのか肩を震わせている。

本当は文句の一つでも言いたいのかもしれない。けど、これは私と愛莉さんの問題だ。だから邪魔しないように黙って見守っていてくれてるのだろう。

たとえ自惚れだとしても、私の意志を尊重してくれる彼女の優しさが嬉しい。愛莉さんの言葉よりも、柚葉の優しさの方が何倍も拘束力がある。


「ちゃんと解った? 千晴。あんたがどうすべきかって」

「……言われなくても、解ってるよ。嫌われてるって知ってるよ。前にも似たようなこと言われたことがあるから。

 でもね、それでも私は愛莉さんと一緒には行かない」

「まだ勘違いしてるの? 誰も千晴を愛してくれないよ?」

「それでいいよ。友達の好意が勘違いだとしても、私はその人たちのことを好きでいたいから。

 たとえ大勢の人から嫌われていたとしても、私がばあちゃんや友達のことを好きでいる限り絶対にここを離れない」

「はあ? 馬鹿なんじゃないの!? どうせ騙されてるよ、千晴。その友達なんてどうせろくでもな――」

「私は馬鹿だよ。よく言われる。でもさ、愛莉さんが私の友達の何を知ってんの?」


自分の喉から、久しぶりに低い声が漏れた。

慄いている愛莉さんの顔に自分の顔を近づけて、瞳を覗き込むように睨み付ける。

もう吐き気も恐怖も何も感じない。変わりにあるのは悲しいって気持ちと、抑えきれない怒りだけだ。


「そりゃ私の友達は滅茶苦茶だよ。すぐ茶化して面白がる奴もいるし、邪険にしても寄ってくる物好きな奴や何もしてないのに喧嘩売ってくる奴もいる。

 さらに婚約者とかアホみたいなこと自称するのもいる。家族にいたっては手のつけられないオタクのばあちゃんだよ。

 それでもさ、なんでか楽しいんだよ、みんなといるのが。一緒にいられるのが、嬉しいんだよ。笑っていられるんだよ。

 私のことをどう思っててくれていいんだ―――私がっ、みんなのことが、大好きなんだよっ!!」


こんなどうしようなく駄目な私と、友達になってくれたんだ。

傷つきたくないだけで頑なに拒絶していたのに、それでも傍にいようとしてくれたんだ。

面倒だなんて言葉で誤魔化していたけれど、本当は嬉しかったよ。救われていたんだ。

彼女たちの純粋な優しさが同情や偽善ではないことは、私自身がよく解っている。

楽しいことばかりじゃなくて、不安も恐怖も付きまとうけど、それでも、一緒にいたいと思うよ。

いつか愛想を尽かされたとしても、それはしかたのないこと。彼女たちは何も悪くないんだ。

だから友達を悪く言われるのは悔しいし、我慢ならない。


「は、あはは、千晴。やっぱり馬鹿よね。あんたが好きでも、お友達は鬱陶しいって思うに決まってるでしょ?」

「それを決めるのは私の友達だから。愛莉さんじゃない」


何も知らない人間が、彼女たちの気持ちを勝手に決めつけるのはやめて欲しい。

友達を軽く見られたようで腹が立つ。


「どうせあんたなんかと一緒に居ても、不幸になるだけ。そう、あんたは、いつも周りを不幸にしてきたでしょ?

 私、知ってるよ。あんたのとこの親が離婚する理由って半分はあんたが原因だったんだって?

 ぜんぜん懐かないとか、気味が悪いとか、邪魔でうざったいとか。ほんと、疫病神みたいだよね」

「…………」


どうして知ってるのかわからないが、彼女の言ってることは間違いない。

最初の頃は義理の家族に気に入られるために努力していたけど、すぐに諦めて拒絶していたから好かれないのも当然だ。

自分が周りに迷惑をかけている自覚もある。でもだからといって離れればいいってもんじゃない。それは逃げてるだけだ。

以前と何も変わらない。向き合わなければ解決しない。駄目な自分を繰り返すだけだ。


「ああそうだ。この間、祭で千晴に会ったから懐かしくなっちゃってさ。なんとなく千晴と一緒に住んでた頃の家に行ってみたの。

 そしたらビックリ、家のあった場所が更地になってるじゃない。で、私、近所の人と仲良かったから色々聞いたのよね。

 全然知らなかったから驚いたよ、あんたの父親が死んだって聞かされて」


「やめて、ください」


今まで黙っていた柚葉がついに間に入った。それはそうだ、愛莉さんが今から話そうとしていることは、柚葉に関係のあることなんだから。


「はぁ? あんた関係ないでしょ……って、まさか、一緒に死んだ千晴の父親の再婚相手ってあんたの母親だったりする?」

「…………っ」

「あーあ、可哀想だね。千晴に関わるからそうなっちゃうんだよ。なんでまた、ここにいるの? また不幸になりたいの?」

「母が亡くなった理由と千晴さんは関係ありません。それに、私が千晴さんの傍にいたくてここにいるんです。

 私が、千晴さんのことを好きなんです。幸せを感じることはあっても、不幸なんて一度も思ったことはありません」

「……なにこいつ、頭おかしいんじゃない? 自分の母親燃やされたってのに」

「違いますっ、やめてくださいっ!!!」

「はあ? なにが違うの? あの家、火事になったんでしょ? それで、逃げ遅れたあんたらの親が燃えちゃったんでしょ?」

「…………っ!!」


顔面蒼白になった柚葉が、慌てて私のほうを向く。あの時のことを覚えていない私を心配してくれたんだろう。

不安そうにこちらを見ている彼女を安心させる為に、小声で大丈夫と伝える。


全部、思い出していたのだ。


父親と義母を失い、私が重症を負った事故が火事だったことを。

今の家に過去の私物がないのは、火事で全部燃えてしまったからだった。持って来れないのも、当然だ。

あの火事で父親と義母を失ってしまったこと、あの時、自分と柚葉がどういうやりとりをしていたのかも、全部、思い出している。

一足先に思い出していたから落ち着いていられるけど、あらためて事実を聞かされると、やっぱりキツい。

思い出したのは今朝だったし、まだ、上手く整理できていない。けど、だからといって弱音を吐いていられない。

記憶を取り戻していたことを悟った柚葉は、何とも言えない悲しい顔で俯いていた。


「憐れだよね、そこのあんた。そんなことになっても千晴のとこにいるなんて。

 もしかして何か企んでたりするの? 復讐とかさぁ。大人しそうな顔した子に限って腹はどす黒いっていうもんね」


カチリと頭の中にある何かのスイッチが入った。

何も知らないくせに、なにを言ってるんだろうこの人。よく悪意のある言葉を簡単に言えるもんだ。


「あ? 何言ってんの? 憐れなのは愛莉さんでしょうが。母親の言いなりで反抗も出来なかったくせに」

「っ!?」

「なんでもかんでも親に決められて窮屈だったんでしょ? 親の期待を裏切るのが怖くて逆らえなかったんでしょ?

 自分の人生が思い通りにできないから、その代わりに弱いものを見下して思い通りにして遊んでたんだよね。

 私を痛めつけて、思い通りにして、ストレスを発散させて……そうやって逃げてたんだ」


愛莉さんの母親は自分の子供を溺愛していた。

ただの親馬鹿だったのなら良かったが、母親は自分の意見が正しいと譲らない性格で、己が決めたことを愛莉さんに押し付けていた。

本人が気に食わないことでも、どんなに嫌なことでも全部強要していた。

有名私立の中学を受験しろ、評判の塾へ行け…様々な要求に愛莉さんは文句を言わずに従っていたのだ。

きっと逆らうのが怖かったんだろう。あの家でただひとりの味方だった母親に、見捨てられてしまうのが怖かったんだ。


「ちがうっ!! 私はただあんたで遊ぶのが楽しくてっ……」

「私も愛莉さんが喜んでいると思って、嬉しかったよ。でも違った。あんな遊び、間違ってたんだ。

 受け入れちゃいけなかったんだ――――最初から、やめてって言って、拒めばよかった」


あんな遊びが成立してしまったから、私たちの関係は歪んでしまったんだ。

彼女に殴られたのなら、やり返すべきだった。思う存分やり合って、それからどうしたの?って聞けばよかった。

彼女の遊び道具なんかじゃなくて、彼女の味方になるべきだった。


「ちがう、ちがうっ! お母さんなんて、怖くない! 言う通りにしてるのはお母さんが正しいから……!!」

「そう思ってないと耐えられなかったんでしょ? ……もう、そろそろ気付いてよ。

 自由に生きたいのなら、母親と向き合えばいいんだよ。また“遊び”に逃げてどうすんの。

 楽な方に逃げて怖いことや辛いことから目を逸らしても、何も変わりはしないよ」

「うるさいっ!! なに解かったような口きいてんの!? あんたみたいな役立たずのオモチャに何がわかんのよ!!!」

「わかるよ。私だって、ずっと逃げていたんだから」


辛いことも嫌なことも見なくていいんだから、逃げるのは楽だよ。

楽だけど、本当に欲しいものは絶対に手に入らない。

誰だって嫌なことと向き合うのは辛いよ。でも、みんなそうやって生きてるんだ。

ひとりで無理なら、誰かに支えてもらって、乗り越えればいい。私はそれを大切な人たちに教えてもらった。

……みんなの顔が頭に浮かぶ。ほらね、今だって支えてくれてる。


「っ! もういい、思い通りにならないあんたなんて、もう要らないわ!!」

「愛莉さん」


踵を返して帰ろうとする彼女の腕を咄嗟に掴む。


「もし貴女が逃げるのをやめたら、その時は……こんどこそ愛莉さんの味方になるよ。

 母親と向き合う為の勇気が足りなかったら、私が協力する」

「……………」


愛莉さんは私の言葉を聞いても、何も言わなかった。乱暴に手を振り払ってから黙って背中を向け、この家を出て行ってしまう。

私が手を伸ばしても相手が手を伸ばしてくれないのなら、これ以上はなにもできない。

人はそう簡単に変われない。彼女が自分自身と向き合うには、もう少し時間がかかるのかもしれない。

彼女とは色々あったけど、力になりたいのは本心だ。

関係を変えることは出来なかったけど、ずっと胸のうちにあった言葉を彼女に伝えることが出来たのは良かったと思う。



さて、と。

今度は彼女と話をしないといけない。


「柚葉」

「……千晴さん」


できればこんな形で話したくはなかったけれど、柚葉が今にも泣きそうな顔をしているから、すぐにでも伝えた方が良さそうだ。

5年間、ずっとずっと待たせてしまったのだ。過去を思い出した今の自分なら、柚葉も納得してくれるはず。

まずはどう切り出そうか考えていると、沈黙に耐えられなかったのか柚葉が先に口を開いた。


「過去のこと、もう全部思い出していたんですね」

「うん。多分、全部思い出せたと思う。思い出したのは今朝だけど」


私の返事に柚葉はびくっと身体を震わせる。

まるでこれから死刑宣告を告げられる罪人のように、その表情は酷く悲痛なものだった。


「そうですか……これでようやく、私は千晴さんに恨んでもらえるんですね」

「ううん、それはない。だって柚葉を責める理由がないから」

「どうしてですか? 理由ならありますよね? 私があの時、あんなことを言わなければ貴女は大怪我を負うことはなかったんです」

「柚葉が言わなくても、結果的に私は大怪我をしていたと思うよ。……知ってるよね、あの頃の私が憧れていたもの」

「それは…でも……」

「じゃあ、柚葉は私を恨むの? 柚葉の母親を助けることが出来なかった私を恨んでくれるの?」

「!」


柚葉は私を恨むことなんてしない。だから、私は自分で自分を責めるしかない。

どうしようもなかったのは解かっているけど、それでも割り切れない気持ちは残っている。あの時の炎の熱さを覚えてる。

今まで忘れていたくせに、あの酷い光景が鮮明に浮かんでくる。


「恨んでくれていいよ。それで満足できるのなら憎んでくれていい」

「千晴さんを、恨むなんて、出来ませんっ。そんなことできるはずないじゃないですか!

 私はただ、あんなことを言ってしまった自分が、許せないんですっ!」

「私も、自分が許せないよ。助けられなかった上に、今まで都合よく忘れてたんだから」

「それは、しかたないんです! どうしようもなかったんです! 千晴さんは悪くありません!」

「うん……もう、どうしようもないんだよ。今更昔のことを後悔して、責任を負おうとしても、何も解決しない」


私たちが今どんなに悔やんでも、何をしても、誰かを恨んでも、失ったものは二度と戻ってこない。

いろんなものを失ったから、よく解かってるつもりだ。私も柚葉も、そして菜月も。


「今まで忘れててごめん。そして、私のことを好きでいてくれてありがとう。

 それが罪悪感からくる感情だったとしても、私は嬉しかったよ。支えに、なってたよ。

 柚葉がいてくれたから、私は大事な思い出を取り戻せたし、自分の事もこれから少しづつ好きになっていけそうなんだ」


彼女がいてくれたから、今の自分がいるんだと思う。

向き合わなきゃいけないことから目を逸らしていた臆病な私が、逃げずにいられたのは柚葉の存在があったからだ。

彼女がここに来てくれなければ、ずっと自分の殻に閉じこもって生きていたかもしれない。

誰も信じることが出来ない、最低な人間のままだったかもしれない。


「ありがとう。もう充分だよ。過去のことは気にしないで、自分の好きなように生きて欲しい。それが、私の本心だよ」


これからも傍にいて欲しいなんて贅沢は言えない。

柚葉が望むように、生きて欲しいから。


「……わたっ…私は…っ」


ずっと泣きそうな顔をしていた柚葉は、ついにぽろぽろと涙を溢し始めてしまった。

嗚咽が邪魔をして思うように喋れないのか、なかなか続きの言葉が出てこない。

慌てて話そうとしている彼女の頭を一撫でして、ゆっくりでいいと伝えた。それでも、彼女は懸命に口を開く。


「私っ、千晴さんのことが好きです……ずっと、5年間、ずっとずっと想っていたんですっ」


ようやく出てきた言葉は、今まで何度も聞かされた告白だった。

ぶれない彼女に、思わず苦笑してしまう。再会してからずっと聞かされてきた言葉だけど、今もまだ言ってくれるのは嬉しい。

でも


「それは―――」


罪悪感からでは……と言おうとする前に、彼女は大きく首を横に振る。


「はい。もちろん、罪悪感もありました。ずっと貴女に償いたいと思っていました。でも、千晴さんのことが好きなのは、本当なんです。

 昔の私は、あんなだったから信じてもらえないかもしれません。でも火事のあった日、あの時、好きだって気付いたんです。

 それからずっと想っていたんです。ここに来たのも、本当は、償いなんかじゃなくて、ただ、貴女に会いたかったからなんです……っ。

 傍にいたかったんです。気付いて、欲しかったんです。私のこと、思い出して欲しかったんです!!」


柚葉は流れる涙を手で拭って、必死に本音を吐露していく。

ずっと隠してきた本心を晒して辛そうだったけれど、私は黙って彼女の言葉を聞いていた。


「婚約者というのも、もちろん嘘です。そんな約束したことありません。……おばあ様が言ってくれたんです。

 “初めから正体を明かしてもあの子は受け入れない。まずは誠意を見せて信頼されることから始めな”って助言してもらったんです。

 私が千晴さんを好きなことは、おばあ様に知られていましたし、婚約者という無茶な設定でいこうって楽しそうに仰って」

「ばあちゃんの入れ知恵かい……」


絶対面白がってたに決まってる。でも、ばあちゃんの言う通り、あの時あのまま昔のことを告げられていたら、拒絶していただろう。

柚葉のことを恨むのではなく、自分を許せなくて、何もかも手放していたかもしれない。

だから婚約者という馬鹿げた設定は正解だったんだ。おかしいのが丸解かりで、私は昔を思い出そうとする。

自分で思い出そうとすることで、受け入れる準備を整えることができる。まあ、そこまで考えてはなかったんだろうけど。


「おばあ様は私のことをずっと気にかけてくれていたんです。5年前、一緒に暮らそうとも言ってくれました。

 けれど、私は自分の言ったことが許せなくて、そんな資格はないとお断りしました。

 正直、怖かったんです。私のことを覚えてない千晴さんと一緒に暮らすのが。向き合うのが怖くて、逃げたんです。

 それで私は外国にいる実の父親に引き取られることになったんですが、実は、日本に帰ってくるまで、おばあ様はずっと私に手紙をくれていました。

 最近のこと、アニメのこと、そして千晴さんのこと。色々、ずっと教えてくれていたんですよ」

「なんてことを」


柚葉がアニメや漫画を好きになったのは、やっぱりばあちゃんの影響じゃないか。

いや、私も昔、おすすめの漫画を無理矢理押し付けていたような気もするけど。

……って、今考えるのはそんなことじゃない。


「日本に帰って来たとき、わざわざ空港まで迎えに来てくれて、おばあ様はもう一度、私に一緒に暮らそうと仰ってくれました。

 嬉しかったけれど、やっぱりもう一度断ろうとしたんです。ひとりで暮らす決心もしていたんです。

 でも、この5年間ずっと千晴さんのことを想っていたせいか、会えると思ったら、簡単に心が揺れてしまったんです」

「…………」

「知ってました? 私、帰国してすぐ千晴さんを見に、この町に来たんです。あなたに会う、少し前からこの町にいたんです。

 おばあ様が、今の千晴さんを見てから決めるといいって言われたので、しばらくこの町と千晴さんのことを見ていました」

「え、そうなの?」

「はい。数日間でしたけど。今の千晴さんがどんな方なのか知りたくて、こっそり見ていたんです」

「がっかりした?」

「いいえ、安心しました。いきなり知らない女の人を押し倒してビンタされていて、変わってないなぁって思いました」

「なんてところを見てんの!?」


そこはがっかりする場面だよ!? 安心してる場合じゃないよ!? 久しぶりに会った想い人がそんなことしてたら熱い恋心も冷めるわ!


「だって、押し倒したのは突風で飛んできた看板から女の人を守るためだったんです。だから、千晴さんらしくて…変わってなくて…嬉しくて…

 この人の傍にいたいって気持ちが膨らんでいきました。傍にいる資格はないから、これは償いだって自分に言い聞かせて、

 おばあ様と貴女と、一緒に住むことを決めたんです。貴女が私を罰してくれるその時が来るまで」


柚葉は潤んだ瞳を、真っ直ぐ私に向ける。

儚くも力強い、意志の宿った視線が、私を見ている。



「千晴さん。貴女は、私を罰してくれますか?」



彼女の決意を受けて、私は頷く。

そんなに罰が欲しいのなら、与えよう。


「うん。じゃあ今まで黙ってた罰として、このままここで暮らしてください」

「…………どうして」

「嫌なら出て行ってくれていい。でも、ここにいたいと思ってくれるのなら、ここにいて欲しい」

「どう、して」

「一緒にいたいから」


罰を受けなければいけないのは、私かもしれない。

私は負けていたんだ。ずっと前から。

この人に敵うはずもないのに、意地になってただけなんだ。


「そんなこと、言われたら……私、ずっと、ここに居たくなっちゃうじゃないですか……」

「うん。飽きるまで居ていいよ。家族でしょ?」

「私のせいで、そんな身体になってしまったんですよ? 千晴さんの叶えたかった将来の夢だって――」

「違うってば。それに私は夢を諦めたわけじゃない。まだ、可能性は残ってる」

「……私は、貴女のことが好きなんですよ? 諦められないくらい、ずっと好きで、迷惑をかけてしまいますよ?」

「迷惑じゃないっての。ていうか自分のことを好きだって言ってくれる人がいるなんて、贅沢だよね」

「…………っ」

「あのさ、一度しか言わないからね」


柚葉の手をとって、握り締める。

言葉と温度で自分の気持ちを伝えるために。

これから紡ぐ言葉が、素直じゃない自分の、偽りのない本心だと知ってもらうために。







「…………柚葉が、ここにいてくれなきゃ、嫌だ」








この人が、好きだ。




他の誰でもない、彼女が好きだ。


これが恋だという証拠なんてないけれど、ただ、好きだって思った。


いつからとか、好きになった理由とかわかんないけど、どうしようもなく、この人が好きだ。


変わりなんてきっとどこにもいない。

ずっと隣で笑っていて欲しい。

自分の手で守って、幸せにしたい。

色んな気持ちがあるけれど、とにかく、私は今ここにいる柚葉が好きで、大切なんだ。必要なんだ。


「千晴、さん」

「ええと、ほら……柚葉がいないと、美味しいご飯が食べられないし。ばあちゃんの相手はひとりだと大変だし」


ここぞという場面で誤魔化して、ちゃんと告白できない自分がとても情けない。


「千晴さん」

「うん」

「好きです」

「うん、知ってる」


ここで自分も好きだと言えばいいのに、もう条件反射みたいになってて素直に自分の気持ちを伝えられない。

こんなにも自分がヘタレだったとは……まったくもって嘆かわしい。少しは柚葉を見習えっての。


「私は、貴女が大好きです。これからも、一緒にいたいです。傍にいて、いいですか?」


直球な想いが胸に届く。こんなにも想ってもらえるなんて、私はきっと世界一幸せな人間に違いない。


返事をしようと思ったけど、彼女を見ていたらなんだかもう言葉に出来なくて、気がつけば抱きしめていた。

急に抱き寄せたにも関わらず、柚葉は一切抵抗する気配はなく、むしろ私以上に力強く抱きしめ返してくれる。

この抱擁が、彼女の問いに対する答えのつもりだ。


「来てくれて、ありがとう」

「はい」

「ありがとう。 ……好きになってくれて、ありがとう」

「はい」



私も、好き。


大好きなんだ、柚葉のこと。



いつの間にか、頬が濡れてる。私は、泣いているんだろうか。

よく、わからない。あまり、泣いたことがないから、泣いてる実感がない。でも、きっと泣いてる。

涙が止め処なく流れていく。今まで我慢し続けた分が、いっきに流れているのかもしれない。

柚葉も、泣いてくれてる。また泣きそうな顔してたし、ていうかすでに目が潤んでたし、ほら、抱きしめてる身体が、震えてる。

あれ、震えてるのは私の身体なのかな。多分、お互いかもしれない。ふたりで、泣いてる。嬉しいから。


私たちは何も語らず、しばらくそのまま抱き合って泣いていた。

どうしてこんなにも穏やかな気持ちになれるんだろう。人に抱きしめてもらうのって、こんなに温かいものだっただろうか。


「柚葉」

「はい」


今なら言える。

今ここで、ずっと待たせていた答えを言おう。

彼女に習って、直球でシンプルな、ありふれた告白をしよう。

未だにこぼれる涙を拭ってから、覚悟を決める。


「柚葉、私は―――――」


身体を少し離して見つめ合ってから、自分の気持ちを言葉にしようと口を開いた。



が。



きゅるるるるぅ



と、おなかの音が鳴ったので、途中で言うのをやめた。


「「…………………」」


そういえば小腹が空いて部屋を出てきたんだったよね、いろいろあって今思い出したけど。

だけどこのタイミングでならなくても良くない? もう完全に告白の空気は消えたよねこれ。

とりあえず、この気まずい沈黙をどうにかしたいので、言いかけた言葉を言い直しておこう。


「柚葉、私は――おなかが空きました」


心の中でひっそりとまた泣いた。せっかく意気込んで、ここぞって時に言おうとしてたのに。

しかたないので、また別の機会に告るしかない。今日はもう心が挫けてしまったので無理。ヘタレと呼んでくれても構わない。無理なものは無理。


「そうですね。遅くなってしまいましたが、そろそろご飯の支度をしないと」

「あ、手伝うよ」

「千晴さんは病み上がりなんですから、今日は大人しく部屋で休んでてください」

「……はい」


これまた忘れてたけど、熱出して休んでたんだっけ。

だから大人しくしていろと言われれば、言う通りにするしかない。

無理をして心配を掛けたくないので、すごすごと自室に帰ろうとしたら、いきなり服の裾を摘まれた。

私が不思議な顔をすると、柚葉はハッとして慌てて手を離す。自分でも意識していなかった行動らしい。


「なに?」

「い、いえ、なんでもないです。引き止めてごめんなさい」


ほんのりと頬を赤らめて、顔を逸らした。

ああ、そういや少し前にも同じようなことがあった気がする。たぶん、これは傍に居たいっていう意思表意なんだろうな。


「今日は出前にしようよ。もう時間も遅いし、たまには柚葉も家事を休んだ方がいいんじゃない?」

「え、でも」

「いいから。適当に注文して、居間で一緒にテレビでも見てよう」

「あ……はいっ、ありがとうございます」


柚葉の作ったご飯が食べれないのは残念だけど、これからも食べられるんだから今日くらい我慢できる。

ご飯のことより、嬉しそうに笑ってくれる柚葉のほうがいい。彼女が笑ってくれるだけで、こっちが嬉しくなってしまう。

これから先もきっと柚葉に、みんなに、振り回されてしまうんだろう。

でも、それは面倒なんかじゃない。きっと、楽しいって思うんだ。


「千晴さんは何を頼みますか?」

「んー迷うなぁ……柚葉と同じのでいいや」

「じゃあ茸と茄子のピリ辛ピザでいいですか?」

「やっぱ自分で選ぶ」

「ふふ、冗談ですよ。この前、千晴さんが美味しそうって言っていたグラタン風ピザにしませんか?」

「ん、それでいいや。あ、ばあちゃんにも聞いてこないと」

「一緒に聞きに行きましょうか」

「そだね」


部屋でお気に入りのアニメを見てるばあちゃんのところへ行こうとすると、柚葉がぴたりと歩みを止めた。

ただ黙って、伺うようにじっと私の顔を見ている。今度は何だろうと聞く前に、柚葉はふわりと微笑んで囁いた。



「大好きです、千晴さん」



「………………」


「千晴さん?」


いつもの台詞のはずなのに、私はいつものように流すことが出来なかった。

それに、病気になってしまったのかと思うほど鼓動が激しくなってる。顔だって、急に熱くなった。

おかしい。今まで普通にしていられたのに、なんだこれ。


「だ、大丈夫ですか!? 千晴さん顔が真っ赤になってますよっ!?」

「ぜぜぜぜぜんっぜん平気だっての! ちょっと熱が瞬間的に上がっただけで、大したことないし!? いいから、さっさと行こう!」

「あっ、千晴さん!?」


多分、耳まで赤くなっている顔を隠すように、柚葉の先を早足で歩いていく。

ちょっとこれは、まずいかもしれない。意識し始めたら、こうなるなんて、こんなの想定外だ。いや、想定外のことだらけだけど。



どうしよう。




思っていた以上に、私は彼女に惚れているらしい。




 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ