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Heroine Life  作者: ころ太
14/22

誰もが望む、その先を


 

放課後、私は校庭にいた。

冷たい風が吹く寒空の下、上着も羽織らずになぜ自分はこんなところに佇んでいるのだろう。

こんなところに用はなかったはずだ。用があったのは、校庭の先にある自販機だ。

足を止めずにさっさと移動して飲み物を買いに行けばいいのだが、わたしはこの場を一歩も動けずにいた。

校庭の端にある植え込みの陰。そこに身を隠すようにしゃがんでいる。

決して、昔を懐かしんでかくれんぼをしているわけじゃない。誰かに追われているわけでもない。

それなのに、どうしてこんな場所に隠れているのか。


その原因は、私の視線の先にいる2人にあった。

タイミング悪く通りがかってしまった私もいけないのかもしれないが、まさかこんな場面に遭遇するとは思わなかったのだ。

少し遠くても食堂にある自販機のほうに行けば良かった。そう、今更悔やんだところでどうにもならないのだけど。


(はぁ…なんで今、この場所で、告白なんか……)


草葉の陰から見える光景は、とても甘酸っぱい空気を放つ、青春の一ページ。

顔を赤くした男女が神妙な面持ちで見つめ合い、なかなか想いを告げられないのか、くすぐったい沈黙が続いている。

いい加減、告白するなら早くして欲しい。この気恥ずかしい空気の中にいるのも居心地悪いし、早く飲み物を買って暖かい教室に戻りたいのだ。

私は溜息を吐こうとして、慌てて口を押さえた。少しの音でも漏らしてしまったら、気づかれてしまうかもしれない。

自分の存在がばれてしまったら、この告白シーンは台無しになってしまうだろう。他人の色恋沙汰など心底どうでもいいが、邪魔をする趣味はない。


(さーて、どうなることやら)


どうでもいいとは思いつつも、この青春劇の結末には何だかんだで興味がある。想いが実るのか、それとも儚く散ってしまうのか。

見たところ男子の方は背が高く爽やかな顔をしていて女子に受けそうなタイプだった。陸上部のジャージを着ているってことは、陸上部か。

で、相手の女子のほうは―――位置が悪いせいかここからじゃよく見えない。同じデザインのジャージを着ているので同じ部活なんだろう。なるほど、部内恋愛ね。


「あ、あのさ、俺っ、好きなんだ!」


ようやく決心したのか、男子は震えた声で自分の気持ちを力強く口にした。

気持ち良いほど真っ直ぐで、純粋な想いの詰まった言葉。言われた本人じゃなくても、聞いた人の心に響くストレートな告白だと思う。



「ずっと前から―――平のことがっ、好きなんだ!!!」



ぶふぅっ!!と勢いよく噴出そうとして、なんとか耐えた。

平って、あれ、もしかしてあの平!? いや、まさか……まさかね。


それからすぐに、告白されている女子のほうを見る。が、やはりここからだと良く見えないので顔を確認できない。

物音を立てないよう慎重に動いて、見つからないように茂みの隙間から再度覗き見る。

するとようやく見えた女子の顔は、男子が叫んだ名前のとおりの人物のものだった。


そう、告白されていたのは、私の知るあの平だったのである。


もしかしたら違う平さんかもしれないと思ったけれど、彼女は正真正銘、クラスメイトの平だった。

いつもの仏頂面ではなく、戸惑いと緊張で強張った表情をしており、頬を朱に染めている。

まるで女の子のように…あ、いや、平は女の子だった。とにかく今の彼女は雰囲気が違い、普段の強気な姿勢は露ほどもない。


「えっ、あ、いや、突然そんなこと言われても…っ、困るっていうか」


平らしくない、しどろもどろではっきりとしない返事だ。どうやら、彼女はこういう恋愛面にはとことん弱いらしい。

そういえば恋の話や下ネタになると毎回顔を赤くしたり、白々しい言い訳を残して逃げ出していたような気がする。

そのことに気づいていた美空に、さんざん絡まれ弄られてたっけ。


「俺のこと、嫌いか?」

「そそそそういうわけじゃないけど、な、なんていうか、そ、そそその」


ど、どもりすぎぃ。

どんだけ混乱してんの平。普段のはっきりとした物言いはどうした。


「じゃあ付き合ってくれよ。俺、本気なんだ」

「でも、私、そういうの、わかんないし…っ、それに今、部活中だし」

「わかんないのなら、試しに付き合ってみればいいんじゃないか? それで無理なら、諦める」

「……それは、でも、うぅ」


平はいっぱいいっぱいって感じだ。自分の気持ちがわからない、というより今の状況を整理できていない。

でも、あの男子の言う案も悪くないと思う。わからないのなら、一度付き合ってみるのも……ありなんじゃないかな。

平にその気がないのなら、ここできっぱり断ったほうがいいと思うけど。


「どう? 付き合ってみない? どうせ好きなやついないんだろ?」


その言葉に、彼女はピクリと反応した。


「………………いる」

「は? え、でもそういうのわかんないって」

「私っ、やっぱり、す、好きな人いるから! ごめんなさいっ!!」


勢いよく頭を下げて、少年の想いを突っぱねる。

それから逃げるように慌てて走り去り、残されたのは呆然としている男子と、茂みに隠れて覗き行為をしている不審者(私)だった。

……どうやら、ひとつの恋は実ることなく終わってしまったらしい。

わずかな可能性さえも与えられず、完全な失恋をしてしまった哀れな男子は、フラフラと覚束ない足取りで歩き出した。

彼は真剣に、平のことが好きだったんだろう。涙は溢さないものの、その表情は青く、悲壮感が漂っていた。


なんだか、とんでもないものを見てしまった気がする。



「……ふぅ」


二人がいなくなって、校庭には私だけが取り残された。

もうこんなところで蹲っている必要はないので、立ち上がって校庭を後にする。

だいぶ時間が経ってしまったので、教室で待っている美空たちも待ちくたびれているだろう。

さっさと飲み物を買って、戻らないと。


財布をポケットから取り出しながら歩いていると、目的の自販機の前に平がいた。

ぼんやりと虚ろな目で自販機を見つめて、重い溜息をついている。私が傍に近づいてもまったく気付かない。

話しかけづらい雰囲気だったが、一向にボタンを押す気配がないので、しかたなく肩を叩いた。


「っ!? あ、天吹!? なんでここに……っ」

「なんでって……飲み物買いに来たんだけど」


自販機を指差すと、平は気の抜けた態度で「あー」と呟いた。

さっきの告白のことを引きずっているのか、まだ少し顔が赤い気がする。


「…悩んでんの?」

「は、はぁ!? ななななんのことよ!」

「ずっと自販機見てるから、どれ買うか悩んでるのかなーと思って。時間かかりそうなら私が先に買うけど」

「あ……べ、別に、悩んでないわよ。買うのは決めてあるんだけど、全部売り切れなの」

「売り切れ? 全部?」

「そう、全部。たぶん今日は補充されないわね。食堂にある自販機も全て売り切れだったわ」

「まじかー」


売り切れているのならしかたない。

放課後は売店も閉まってるから、学校ではもう飲み物を調達できそうにないか。

手ぶらで戻ることになるけど、訳を話せば美空たちも納得してくれるだろう。


「あの、天吹……さっきから気になってたんだけど、その髪型どうしたの?」

「ん? あー、これは罰ゲームでね」


いつもは長い髪を後ろで束ねただけの、まるで馬の尻尾のような髪型なんだけど、今の私の髪型はポニーテールになっていた。

もちろん自分でやったわけじゃない。さっきまで美空と柚葉と菜月の3人と一緒にババ抜きをやっていたのだが、

途中から負けた者には罰ゲームを与えられることになり、あっさりと勝負に負けた私は罰ゲームで髪をさんざん弄ばれたのだ。

色々な髪型にさせられた挙句、最後にしたポニーテールが一番合っていると言われ、今日はずっとその髪型でいてねと頼まれてしまった。

まあ、無難な髪型なのでそのままにしているわけだけど……美空に大爆笑されたツインテールのままでと言われたら、何が何でも断っていたかもしれない。

それからまた勝負に負けた私は、罰ゲームとして3人分の飲み物を買うためにここに来たわけだ。


「ふーん。まぁ、似合ってるわよ。武士みたいで」

「それ、みんなにも言われた」


武士みたいでかっこいいと言われたけれど、褒められている気がしない。


「ふふ、似合ってるんだからいいじゃない。今度からその髪型で学校来なさいよ」

「平がツインテールで登校してきたら考える」

「い、嫌よ! 絶対似合わないから!!」

「意外と似合うかもよ……ぶふふっ」

「ちょっと! 今想像して笑ったでしょ!?」


図星をつかれたので、曖昧に笑ってごまかす。

ツインテールは平のイメージには合わないかもしれないけれど……。


「可愛いと思うよ」

「………………は?」

「だから、平がツインテールにしたら可愛いと思うって」

「は、はあっ!? 何言ってんの!? 頭おかしくなったんじゃないの!? ふざけたこと言ってんじゃないわよ!!!」


顔を真っ赤にして、早口でまくし立てる。

怒ってるように見えて実はこれ照れ隠しなんだよね。最近だんだんわかるようになってきた。


「本心なんだけど」

「うーるーさーい! 髪型なんて絶対変えないから!」

「それは残念。…あれ、そういや平って部活中なのにこんな所にいていいの? サボり?」

「そんなわけないでしょ。コーチに頼まれてスポーツ飲料買いに来たの」


平はちらりと自販機を見て、肩を落とした。


「この通り全部売り切れだから、コンビニに買いに行くしかないわね。ここでアンタと無駄話してる場合じゃないわ」

「ふーん…いってらっしゃい」

「はいはい。アンタも居残って遊んでないで、さっさと帰んなさいよ」


そういって彼女は背を向けて立ち去っていく。

だんだんと遠くなっていく後姿をしばらく見つめて、私もこの場から動いた。

少しだけ早足で歩いていくと、離れていった彼女との距離がまた縮まっていく。

ようやく追いつた時には、もう校門の辺りまで来ていた。そこで、自然と彼女の隣に並ぶ。


「……なんでついてきてんのよ。教室で菜月たちが待ってるんでしょ?」

「手ぶらで戻ると罰ゲームをクリアしたことにならないから、私もコンビニで買うことにした」

「あ、そう。まあいいけど」


これから向かうコンビニは学校から歩いて5分くらいの場所にある。

学校から意外と近いのでうちの生徒はよく利用しており、行くと必ずと言っていいほど同じ制服をきた客がいる。

学食や売店がいっぱいの時や、帰りに小腹が空いた時など気軽に寄れるので結構便利なのだ。


店に入ると、平はさっそく500mlのペットボトルを買い物かごに入れていく。

並べてあるスポーツ飲料を買い占める勢いで、次々と放る……って、いったい何人分を頼まれたのだろう。

ペットボトルがいっぱいに詰めこまれたカゴを重そうに持って、彼女はレジへと向かった。

…陸上部ってマネージャーいないのかな。こういう雑用ってマネージャーがやる仕事だと思うんだけど。

それにどうして平ひとりだけなんだろう。せめてもうひとり、誰か手伝わせればいいのに。


(あー、そうか)


もしかしたら、あの時平に告っていた男子がその役目だったのかもしれない。

けれど玉砕して気まずくなったものだから、平と合流できなかったのだろう。


「………………」


私は頼まれた飲み物を買おうと棚に手を伸ばして、やめる。

何も掴むことなく、私はそのまま平の元へ向かった。

もう清算が終わっていたのか、彼女の両手には重そうな荷物がぶら下がっている。


「あれ、なんで何も持ってないの? はやく買ってきなさいよ」

「財布忘れた」

「さっき財布持ってなかった?」

「中身が入ってなかった」

「ば、馬鹿じゃないの? 貸してあげたいところだけど、陸上部の分のお金しか預かってないのよね」

「いいよべつに。それより早く戻ったほうがいいんじゃない?」

「う、そうね」


ふたりで店を出て、たくさんの荷物を持った平の後ろをついていく。

それから隙を見て、彼女の片手に握られていた2つの袋を奪い取った。重いので両手に一つずつ持つ。

手にかかるずっしりとした重みに足をとられ、ちょっとだけよろけてしまうが、運べないこともない。

というか合計4つの重い袋を持って歩いていた平さん、なんという力持ち。


「……ちょっと、返しなさいよ。重いでしょ」

「ぜんっぜん重くない。まじで重くないね」

「腕がプルプル震えてるわよー」

「武者震いだっての!」

「アンタは何と戦おうとしてるのよ……」


力の出ない自分の腕が、もどかしい。

細くて、ちょっと力を加えただけで折れてしまいそうな、枯れ木のように頼りない腕。

それでも、頑張ればほんの少し重たいものくらい持てる。諦めて何も持たないよりは何倍もマシだ。

それを私に教えてくれたのは……すぐそこにいる、呆れ顔をした女の子。


「まったく、強情なんだから」

「平にだけは言われたくないんですけど」

「はいはい。手伝わせてあげるから、感謝しなさいよね」

「……なんで私が感謝しなきゃ…まあいいや。平もさ、もっと素直になれば好きな人に振り向いて貰えるかもよ」

「っ!?」

「あ」


隣を歩いていた平の足が止まる。

しまった……これじゃ告白の一部始終を見ていたことがバレちゃうじゃん。

こりゃ本気で怒られるかも――そう思い、そっと顔を窺うと、平は目を見開いて絶句していた。

青くなっていた顔が次第に紅潮していく。


「なんでそんなこと……はっ! まさかアンタさっき校庭で覗いてたんじゃ……っ」

「あー、うん。覗くつもりはなかったけど。偶然っていうか、しかたなくーって感じで」

「~~~~ぅうううああああっ!!」

「わ、ちょっ! 照れ隠しに重い物が入った袋を振り回すのはやめて! 死ぬ! 痛くないけど打ち所悪かったら死ぬわ!」


私の言葉が届いたようで、すぐに動きが止まる。

やり場のない感情を持て余しているのか恨みがましい視線を向けられたけど、殴られるよりはずっと良い。


「だ、大体あれはっ、違うの! 好きな人がいるっていうのは、穏便に断る為についた嘘なの! 好きな人なんていないんだから!!」

「そうなの?」

「そう言ってるでしょ! 好きとか嫌いとか、付き合うとか……よく解らないし」


やはり恋愛に関することはとことん苦手らしい。もう話を切り上げたそうにしている。

私もこういう話には興味は沸かない方なんだけど……なんか、知り合いの恋愛話って気になるし。


「じゃあ試しに付き合ってみれば良かったんじゃない? そうすれば答えが見つかったかもしれないのに。結構いい人みたいだったしさ、もったいない」

「…………」

「あれ?」


てっきり反論してくるのかと思いきや、何も言い返してこず、ただ呆然としている。

訝しげな私の表情に気づいて、慌ててぎこちない笑みを作った。


「え? ああ、そう、ね。……それなら天吹も柚葉と付き合ってみたらいいんじゃない」

「それはできないなぁ」


そんな安易な方法じゃ、きっと解らないだろうから。柚葉のことは。


「天吹。あの子は―――」

「平」

「えっ」


慌しく地を蹴る音と、荒い呼吸の音が背後から聞こえてきた。

平の腕を握って自分のほうに引っ張ると、すぐ傍を凄い勢いで男が走り抜けていく。

もう少し引っ張るのが遅れていたら、ぶつかっていたかもしれない。急いでたのかもしれないけど、もう少し周りに気をつけてほしい。


「ああもう、危ないっての。道路で立ち止まってた私たちも悪いんだけど」

「あり、がと」

「へ?……う、うん」


珍しく素直に礼が返ってきたので調子が狂う。

むず痒い気分をごまかす為に適当にからかってやろうと口を開いたところで、尋常でない女性の大きな声が背後から聞こえた。


「誰か――っ! その男捕まえて!! ひったくりよっ!!!」

「「ひったくり!?」」


慌てて後ろを振り返ると被害者であろう女性が立っていて、もう一度前を向くと、先程すごい勢いで走っていった男の背中が遠くに見えた。

突然の事態に足が反応するも、動くまでには至らない。私の足では、走って逃げる男を捕らえるどころか追いつくことさえ叶わないとわかっているから。

けれど、気持ちだけは前へ動く。昔みたいに。正義の味方に憧れて、無我夢中で走り回っていたあの頃のように。

胸の内から、動け動けと急かしてくる懐かしい衝動が止まらないのだ。


それでも硬直していた私を置いて動いたのは、走るための足を持っている平だった。

力強く真っ直ぐな目が、“前”だけを見ている。


「待ちなさいそこの男――っ!!!」

「ちょっと待っ…!!」


止める間もなく平はものすごい速さでひったくり犯を追いかけて行った。

さすがは陸上部、綺麗なフォームで走っている。スピードだって、逃げる男よりずっと速い。

平は中距離の選手と聞いていたけれど、意外と短距離もいけるんじゃないだろうか。

っと、今はそんなことを悠長に考えている場合じゃない。

追い詰められた人間は何をするかわからないのだ。ひとりで向かうなんて危険すぎる。

きっと平は追いかけることに必死で追いついた時のことを考えていないだろうから、余計に。

だから、迷ってる暇はない。


簡単に足を慣らして、ひとつ息を吐く。それから持っていた袋を置いて、最初から全力で走り出した。

すでにひったくり男や追って行った平の姿は見えず、どこに行ったのかわからない。

早めに追いつかないと私の身体が持たないのだが、その心配は杞憂に終わりそうだ。

走り始めて数分も立たずに、人気のない道で立ち尽くしている平の姿を見つけることができたから。


「平!」

「ああ、天吹も来たの……って、ば、馬鹿! なに走ってるのよ!!」

「平がひとりで追いかけるからだよ! 危ないでしょーが!」

「私なら平気よ。ほら、こうして無事だし、ひったくりの男だって捕まえたもの」


彼女が不機嫌そうに指差す先には、引ったくりの男が壁に寄りかかって気を失っていた。

え……なんで気絶してるの?


恐る恐る平を見ると、彼女は不自然に顔を逸らした。おまわりさんこいつです。


「…回り込んで止めようとしたんだけど、抵抗されたから驚いちゃって。うっかり突き飛ばしたら、壁にぶつかって気絶しちゃった。正当防衛よね、うん」

「なっ!? やっぱり危ない目にあってるじゃん!!」

「結果オーライだからいいじゃない!」

「良くない! たまたま運が良かっただけだよそんなの! 無茶して、もし何かあったらどうすんの!?」

「なによ、アンタだって無理して走ってきてるじゃない! また動けなくなったらどうするのよ!! 今だって足震えてるわよ!」

「これは寒いだけだっての! 冷え性なんですぅ!」

「嘘つけ!」


嘘だった。

実際、足が震えている。膝がガクガクで、普通に歩ける自信がない。全力で走ると、やっぱり負荷がハンパないみたいで、駄目だ。

ほんの数分なのに、なんてザマだと、笑いがこみ上げてくる。


「だいたい、ひとりで突っ走る平が悪い! 少しは後先考えて行動してよ!」

「はあ!? じゃあ黙ってみてろっていうの!? そんなの絶対いやよ!」


わかってる。平がそういう奴だってことくらい。

馬鹿みたいに真っ直ぐで、間違ったことが許せなくて、困ってる人を放っておけない人間だって、わかってるよ。

平は正しいことをしたって、わかっているのに。自分のことを棚にあげて、文句を言う資格なんてないのに。


「それに私がどうなろうと、天吹には関係ないでしょ!? 嫌いな人間のことくらい放っておきなさいよ!」

「……っ、いつ私が平のこと嫌いって言った!? 嫌いだって、今まで一度も言ったことない!! 多分!」


「――――え?」


嫌いになれるわけがない。



「私は、平のこと、最初から嫌いじゃないよ。―――凄い奴だって、思ってるから」



努力家で頑張り屋で、自分の信念を曲げない、強い人。

ぶつぶつと文句を言いながらも、颯爽と現われて手を差し伸べてくれる。たとえそれが私のような気に食わない奴でも。

そういう奴だから、みんなに頼られて、クラスの中心にいて、誰からも好かれて。

まるで昔の私がなりたかったヒーローのようだと、思った。

簡単に諦めてしまった私とは違って、決して諦めようとしなかった彼女が、眩しかった。

……正直、羨ましかった。


悔しいけれど、こんな凄い女の子を、嫌いになんてなれない。



「だから、心配するに決まってるじゃん」



心配を押し付けたくはないけど、そうでもしないと平はいつまでも止まってくれなさそうな気がした。

努力するのは悪いことじゃない。ひたすら突き進むのも、凄いこと。でも、そんなんじゃ、いつか壊れる。そんなのは、嫌だ。絶対に。

そう思えるほどに、私はこの意地っ張りのことを気に入っているのだ。


「………な、なによ、それ……そんなの、今更…っ」

「平は私のこと嫌いかもしれないけど」

「わ、私だって……っ!!!」


声を荒げ、必死な表情で勢いよく掴みかかってきた。服を握る力が強くて、ブラウスが複雑な皺を作る。


「私だって、本当は………き、嫌いじゃないっ!」


一瞬だけ躊躇って、平は言い切った。

繕うために嘘を吐くような奴じゃないってわかっているけど、彼女の言葉がどうしても信じられなくて。

私が疑っていることに気付いたようで、平は不服そうに顔を顰めた。怒っているのか、顔も真っ赤だ。


「そりゃ、最初は嫌いだったわよ。いつもやる気がなくて、不真面目で、どうしようもない変態で、見ててイライラした」

「……まあ、そう言われてもしかたないけどね」

「今だって、やっぱりそう思ってる。前よりは、少しマシになってきたなって、思うけど」

「そりゃどうも」

「……………」


落ち着いたのか、彼女は掴んでいた手を離す。

そして何かを堪えるように、自分の腕をぎゅっと握り締めていた。


「本当は……わかってるのよ…。アンタが、馬鹿で、どうしようもない馬鹿で、救いようのない馬鹿だってこと」

「あれ、やっぱ私って嫌われてる!?」


私が地味にショックを受けていると、平は今まで見たことのないような優しい笑みを浮かべた。

不意打ちで向けられたその笑顔に、否応なく惹きつけられてしまう。


「どうしようもないアンタだけど。 ほんとうに、どうしようもなく―――嫌いになれない」

「え、意味わかんない」


散々な言われようなのに、嫌いじゃないとか。結局どれが本心なんだ。


「わからないならそれでいいわよ、絶対に教えてやらないから」

「べつにいいけど」


平が私のことをどう思っていても、私が平のことを嫌いじゃないっていうのは変わらない。

それに少なくとも、近くにいることを嫌がられていないのなら、それだけで十分。


「それより天吹、身体はもう平気?」

「この通りぜんぜん平気だし。平に心配されるほど柔じゃないっての」

「はいはい。あんまり無茶しないでよね、心配するから」

「それはこっちの台詞。もうすぐ大会のスタメン決めあるんでしょ? 無茶してどっか痛めたらどうすんの」


せっかく努力して頑張っているのに、それが怪我なんかで台無しになったら最悪だ。


「なんでアンタがそんなこと知ってるのよ」

「菜月に聞いた」

「ぐ…余計なことを…」

「平」

「なによ。どうせメンバー入りなんて無理って思ってるんでしょ」

「そんなのやってみないとわかんないよ。だから、さ」

「…………」


「負けんな、平」


平が誰よりも頑張ってることを知ってるから、頑張れなんて言葉は相応しくないように思えた。

誰よりも努力しているからこそ、彼女の頑張りが結果に結びついて欲しい。

結果が全てじゃないけれど、努力の成果が表れるのは―――報われるのは、何よりも結果なのだ。

それで結果が出なかったとしても、次に生かせばいい。決して無駄なんてことはないんだから。

だから、『諦める』なんて誘惑に、負けるな。


「………アンタは、どうして、そう――」


「!」


消え入りそうな声で平が呟いた途端、気絶していたはずの男が跳ねるように動いた。

傍に落ちていたバックを素早く掴んで、私たちの間すり抜けていく。


「しまった!」


私たちが悠長に話している間に目を覚まして、逃げるタイミングを窺っていたのだろう。

男は迷うことなく走り出して一目散に逃げていく。


「ええい無駄な足掻きを! また追いかけてすぐにとっ捕まえてやるんだから!!」

「ちょ、平、私の言ったこと聞いてた!?」

「大丈夫よ! 負ける気がしないからっ!!」

「はああ!?」


大胆不敵に笑い、平はまた追いかけていこうとする。

あれだけ無茶をするなと言ったはずなのに、躊躇うことなく走り出した。


「あれ……?」


平を放っておけず私も走り出そうとしたけれど、その必要はないみたいだった。平が、止まったのだ。

どうして追うのを止めたのだろうと思ったら、男の逃げる先に、誰かが仁王立ちで立ち塞がっている。

止まる気配のない男に臆することなく、その人はそのまま相手を迎え撃った。

避けて逃げようとした男の肩を掴んで引き寄せ、首に腕を回して締め付ける。抵抗を許さない、物凄い力だ。

男はジタバタと暴れるもののその拘束からは逃れられず、すぐに体力が尽きて大人しくなった。

それを見て、捕まえた人物―――円堂美空は、楽しそうな笑みを浮かべる。あー、ほんと楽しそうだ。生き生きした目をしてます。


「詰めが甘いわよ、平ちゃん。気絶させたら迅速に縛って自由を奪わないと」

「な、なんで手馴れてるのよ!?」


美空はにこにことご機嫌な様子で相手の手足を縛っていく。あの、どうでもいいんですけど、その縄はどこから持ってきたんですかね?

嬉々としてひったくり男を縛り上げる様を見てると、彼女のほうがよほど悪人に見える。

あっという間に拘束し終えた美空は、一仕事終えて満足していた。これ、警察に引き渡すとき怒られそうだなぁ。


「ていうかなんで美空ここにいるの?」

「なによー、せっかく助太刀してあげたのに」

「そういうことじゃなくてね。教室で待ってたはずなのに、なんでここにいるのか聞いてるの」

「千晴の帰りが遅いから心配して探しに来たんじゃない。携帯も出ないし、大変だったんだから」

「………よくここにいるってわかったね。学校の外なのに」

「うっ」


気まずそうに視線を逸らしたその先の物陰に、人の気配。

美空がここにいるのなら、あとのふたりももちろんついて来るか。


「柚葉ー、菜月ー、おいでー」


私が名前を呼ぶと影が小さく揺れ、おずおずと姿を現す。美空とは違い、ふたりとも申し訳なさそうにしている。


「で、いつからつけてたの?」

「千晴さんと平さんが学校の外に行こうとしてる時からです」

「ご、ごめんね、千晴ちゃん」

「いや、いいけど。でも、声かけてくれれば良かったのに、なんでこそこそ隠れて尾行なんか……」

「だってねぇ。ほら、お邪魔かなーって」


美空が平のほうに意味ありげな視線を向ける。

するとその視線に気付いた平は急に顔色を変え、慌てたように美空の腕を掴みこの場から引っ張っていった。

少し離れたところで何やら言い争っている……といっても一方的に平が捲くし立てているだけで美空は軽く聞き流しているようだけど。

ここからじゃ何を話しているのか聞こえないのでこっそり近づこうとしたら、やんわりと菜月に止められた。


「盗み聞きは駄目だよ千晴ちゃん」

「えー」

「お二人が何を話してるか、気になります?」

「そりゃ気になるよ。なんとなく」


ほら、すごい悪口とか言われてそうだし。


そう言うと、菜月と柚葉は顔を見合わせて困ったように笑った。

んん、これってふたりは知ってる感じ? もしかして知らないの私だけ?


奇妙な疎外感を感じつつ話が終わるのを待っていると、急に平が唸り声をあげながら凄い速さで帰っていった。

美空はやれやれと言った感じで肩を竦めて、こちらに戻ってくる。いったい何を話してたんだか。


「……何言ったの?」

「ひみつ。ちょっとからかい過ぎたかしらねー……怒って帰っちゃった。ごめん上原ちゃん、平ちゃんのフォローよろしく。後片付けはやっとくから」

「うん、裕子ちゃんの方は任せて」


菜月は小さく手を振って、慌てて平の後を追いかけていった。

学校に戻ったのか家に帰ったのかわからないけど、平のことだから最後はちゃんと部活に戻りそうだ。

あ、そういえば買った飲み物はコンビに付近の道に置いてきちゃったな。後で回収して陸上部に届けないと。

まずはそこで縛られてる男を警察に引き渡すのが先。少し前に柚葉が通報したと言っていたから、すぐに来るだろう。


しばらくしてやってきたお巡りさんに男を引き渡し、被害にあった女性にお礼を言われて、私たちは学校へ戻ることにした。

回収した飲み物を陸上部の部員に渡して、鞄を取りに教室へ行こうとすると急に美空が立ち止まる。


「悪いけど、ちょっと野暮用があるから2人で先に行っててくれる? 遅くなりそうだったら帰っていいから」

「ん。わかった」

「ごめんね」


校舎の前で美空と別れる。

柚葉と一緒に人気のない廊下を歩いていると、ちょっとした違和感を感じて彼女を盗み見た。


「千晴さん、どうかしました?」


案の定、すぐに私の視線に気付いた柚葉は、いつものように微笑んで首を傾げた。

何も変わらない。おかしな部分なんてないのに、何かが違うような気がする。最近、そう思うことが多い。

私が彼女を見る目が変わっているのか、それとも彼女自身が変化しているのか。それとも、やっぱり気のせいなのか。


「なんでもない」

「そうですか」

「……………」


違和感は拭えなかったけれど、さっきから私に触れている感触の正体はすぐにわかった。

弱々しく、けれどしっかりと私のブラウスの裾を掴んでいるのは、柚葉の小さな手。多分、彼女自身も気付いていないと思う。きっと無意識なのだ。

自分のほうに引き寄せるわけでなく、引き止めるわけでなく……ただ離れないように握っているだけのようだった。

どういう意図で私の制服を掴んでいるのか聞くのも、薮蛇な気がする。


強引に振り解こうと思い、けれどやっぱりやめた。

服を掴んでいた手をゆっくり解いて、その手を握り締める。

そこでようやく、柚葉は驚きの表情を作った。

おろおろと視線をさまよわせ、わずかに頬を染める。いつも余裕のある表情をしているから、こういう表情は新鮮で面白い。

だからいつもの仕返しをするように、今日は私が余裕のある笑みを浮かべてやった。


「どうかした?」

「な、なんでもないです」

「そっか」


ぎこちなく、彼女も手を握り返してくる。最初は繋いだ部分だけが暖かかったのに、次第に顔にまで熱が伝わってきたのか頬が熱くなった。

結局してやられたような気がしたものの、それでも悔しい気持ちにはならない。ただ、身体の奥が温かかった。


ようやく教室に着いて扉を開けると、出迎えてくれたのは静寂。

私が出た時は何人か居残っていたけれど、さすがにこの時間だと誰も残っておらず、教室は空だった。

窓側にある自分の机に近づいて鞄を掴むと、タイミングを見計らったように柚葉の携帯が鳴る。

ああ、そういえば私の携帯はマナーモードのままにしてたっけ。


「美空さん、遅くなるみたいです」

「んー、じゃあ先に帰ろうか。そろそろ行かないとバスの時間を逃しそうだし」

「そうですね」


荷物を持って教室を出る。

廊下の窓から外を見ると、陸上部が走っていて、その中に平もいた。やっぱりちゃんと戻ったんだ…真面目な彼女らしい。

しばらく眺めていると、肩をトントンと叩かれる。柚葉だ。


「あ、ごめん。帰ろっか」

「いえ、そうではなくて」

「?」


柚葉は少し躊躇って、けれど決意したように口を開いた。


「私、千晴さんを困らせていませんか? 傍にいて、迷惑じゃないですか?」

「………」


不安そうに瞳が揺れている。

彼女のこんな表情を見るのは初めてだった。何かを怖がっているみたいで、焦っているようにも見える。


「そんなの、今更」

「で、ですよね……ごめんなさい」

「……今更だから、これからも迷惑かけていいよ。そんなことで、柚葉のこと嫌ったりしない」

「え」

「今まで通りでいい」


今まで散々好き勝手してきたくせに、どうして今更そんな弱気になっているんだろう。

最初は確かに迷惑だと思っていたし、面倒だと思っていたけれど。

でも、彼女はそれ以上に、私にたくさんのものを与えてくれたのだ。

それはきっと、返すのに時間がかかるくらい……いや、全て返せるかわからないくらいのものを、くれた。

色々なことに、気付かせてくれた。きっかけをくれた。背中を押してくれた。支えてくれた。

だから柚葉がどんなに私を困らせたとしても、そんなことで嫌いになることはない。突き放したりしない。

たとえ彼女がいつか私を嫌いになったとしても。今までの好意が偽りだったとしても。


「千晴さん」

「うん」


安心させるように、頭をポンポンと弱めに叩く。

理由はわからないけど不安になって怯えている彼女は、また私の制服をちょこっとだけ掴んだ。

いつもはもっと積極的だっただけに、消極的な態度がおかしかった。


「千晴さん、大好きです」

「知ってるよ」


この先きっと、答えを言わなくちゃいけない。

選んだ答えが彼女に辛い思いをさせてしまうかもしれない。


それでも、今だけは。

今、望むのは。


「大好き、です」

「……今更」



私が不器用に笑うと、涙を浮かべていた彼女もつられて笑ってくれた。






 

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