05
長い廊下を進んだ先、一つ、また一つとドアが現れ、番号が記されたパネルが淡く光を放っていた。
「……ここか」
橘が立ち止まり、自分のカードと同じ数字の扉を確認する。
ドアが自動で開くと、彼は一瞥だけ仲間に投げて中に消えていった。
麗華も、ためらいながら部屋の中へ足を踏み入れる。
「まるで牢獄ですわね……」
と吐き捨てる声が漏れ、やがて足音が遠ざかる。
次々に他の者たちも、それぞれの番号に従って散っていく。
田島は「頼む……悪い夢であってくれ」とうわ言のように繰り返しながら部屋の中に消え、さやかはぬいぐるみを抱いたまま、小走りにドアへ吸い込まれていった。
残されたのは、俺ひとりだった。
カードに記された番号は「9」。
廊下の突き当たり、最も奥まった扉がそれだった。
無言のまま手をかけると、低い電子音とともにドアが左右に開く。
足を踏み入れた瞬間、背後で静かに閉まり、続いてカチリと錠が下りる音が響いた。
試しにノブを押してみたが、手応えはまるでない。
中からは開けられないらしい。
完全に閉じ込められた、というわけだ。
室内は整然としていた。
白一色の壁と床。
置かれているのはベッド一台と小さな机、それに椅子。
壁際にはミニサイズの冷蔵庫があり、中には無機質な並びで水のペットボトルと固形の栄養バーが詰められている。
洗面台と鏡もあったが、余計なものは一切ない。
徹底して「生き延びる最低限」しか用意されていなかった。
だが。
ただひとつ、机の上だけは違った。
黒い四角い塊——古めかしいテープレコーダーが鎮座している。
その下には白い紙が一枚。
黒々とした文字が並んでいた。
『指令:このテープに“他の参加者たちへの印象”を吹き込め』
……印象。
おそらく、他の奴らにも同じ指令が出されているのだろう。
だが、俺に向けられる言葉なんて、どうせ碌でもない内容ばかりに決まっている。
椅子を引き、レコーダーの前に腰を下ろした。
静寂が重くのしかかってくる。
隣の部屋から音は一切聞こえず、外の気配すらない。
耳に届くのは自分の呼吸と心臓の音だけだった。
……他の参加者の印象、か。
正直、語ることなんてない。
誰とも深く関わりたいと思わないし、そもそも俺は人と上手くやれるような人間じゃない。
それでも……やらない訳にはいかないのだろう。
机の上で、マイクの銀色が妙に冷たく光っていた。
意を決して指先で赤いランプを押し込むと、低い回転音が室内に流れ込む。
「……じゃ、まずはあの女だな」
ブランド物に身を包んだお嬢様の姿が脳裏に浮かぶ。
背筋を張って、誰よりも強そうな顔をしていたが、ああいうのは脆い。
「高等部って言ってたな……歳は俺と同じくらいか。……どうせ最初に泣き崩れるのは、ああいうタイプだろ。怖いなら、見なきゃいいのにな」
「サラリーマン……あいつはうるせぇ」
額の汗を拭きながら狼狽えていた姿が浮かぶ。
「小言ばっかで、見てるだけで疲れる。……まあ、あいつにはあいつなりの“帰りたい日常”があったんだろうけど」
「小せぇガキ……」
口にした途端、言葉が詰まる。
ぬいぐるみを抱いて泣いていた小さな肩。
「……こんなとこに来なきゃ、俺みたいな化け物に関わらずに済んだのにな……」
「偉そうなおっさん」
思い出しただけで眉間に皺が寄る。
「あの目つき……何か裏で企んでるに決まってる。信用できねぇ。……ま、俺に関係ねぇけどな」
「シスター」
あの震える声で祈っていた女。
けど、泣く少女の肩に手を置くその仕草は、驚くほど優しかった。
「神なんて信じたことねぇし、祈ったこともねぇ。けど……信じるものがあるなら、救われなきゃな」
「チャラい二人組」
終始くっついていた大学生たち。
「寄り添える相手がいるなら、それでいいんじゃねの。……俺には縁がねぇけど」
「……ユキ」
最後に、あの笑っていた男の顔が浮かぶ。
ずっと口元に薄い笑みを張り付けていた。
けど、あれは愛想笑いでも安心させる笑顔でもねぇ。
「……絶対に俺を嫌ってる」
そう言い切れるくらい、あの目はどこか底の見えねぇ色で俺を試すみたいに見てくる。
まるで、俺がどんな反応をするのかを楽しんでるみたいで。「……もう、あんま関わりたくねぇな」
吐き出してみれば、どれも突き放すような言葉ばかりだった。
それでいい。
この力は、無意識でも誰かを傷つける。
最初から距離を置いていれば、誰も壊さずに済む。
「……そうだな」
低く呟く。
「あいつの言う通り……俺はたくさん壊してきたのかもしれねぇな」
赤いランプが、じっとこちらを見ていた。
俺は録音を止めるボタンを押し、テープレコーダーをそのまま机の上に置いた。
巻き戻す気も、聞き返す気もない。
深く息を吐き、椅子から立ち上がる。
冷蔵庫を開けて水を一本取り出し、喉を湿らせると、無味の冷たさが胃に落ちていった。
机にボトルを置き、無造作にベッドへと歩み寄る。
ベッドは硬く、シーツは白い。
匂いも音も何もない部屋。
無理やり気持ちを切り替えるように片足ずつ靴を脱ぎ、乱暴にベッドへ倒れ込む。
天井を仰ぐと、真っ白な光が瞼に焼き付いた。
「……クソ……」
小さく吐き捨て、片腕で目を覆う。
眠れるかどうかなんてわからない。
だが、余計なことを考えるよりはマシだった。
こうして、初日の夜が静かに過ぎていった。




