14
通路を進みながら、鎖の重みが手首に残るたび、どうしても意識が引き戻される。
アユミの呼吸、靴音、すぐ隣にいるという事実。
しばらく、言葉はなかった。
蛍光灯の点滅と、遠くで軋むような金属音だけが続く。
……耐えきれなくなったのは、俺の方だった。
「……悪かった」
自分でも驚くほど、声は低く、短かった。
アユミの足が、ほんの一瞬だけ止まる。
だが振り返らない。
「なにが」
そっけない声。
怒っているのか、もうどうでもいいのか、判別がつかない。
「ユウマのことだ。……あいつの“罪”を、みんなの前で話した」
鎖がわずかに鳴る。
アユミの肩が、ほんの少しだけ強張ったのが分かった。
「……あれで、ユウマが死んだ。 結果的に、そうなった」
言い訳みたいな言葉を続けそうになって、やめた。
そんなものは、何の意味も持たない。
「……俺が黙ってりゃ、ああはならなかった」
しばらく沈黙。
通路の先から、どこかで水が滴る音が聞こえる。
ぽたり、ぽたりと、妙に間延びした音。
「……今さら」
アユミが、ぽつりと言った。
「今さら謝られてもさ。ユウマ、もう……」
言葉を切り、唇を噛む。
今までの強気な口調は、そこにはなかった。
「……うちだって、投票した。 怖かったし、生きたかったし…… だから、人のこと言えない」
そう言ってから、彼女は少しだけ声を荒らげた。
「……でもっ! あんたが言わなきゃ、あんな空気にはならなかった!」
鎖が引かれ、距離が縮まる。
振り向いた彼女の目は、怒りと混乱と、ほんのわずかな恐怖で揺れていた。
「……わかってる」
それだけ答える。
「だから、謝った。
許してほしい、とは言わねぇ」
アユミは一瞬、言葉を失ったように口を開き、それから乱暴に視線を逸らした。
「……ほんと、ムカつく」
小さく吐き捨てるように言う。
「そういうとこ。
開き直らないで、変に真面目なとこ」
「……わるい」
「だから!謝るなっつーの!」
言い合いになりかけて、でも続かない。
代わりに、また沈黙が落ちる。
しばらく歩いてから、アユミが低く言った。
「……でもさ」
声のトーンが、少しだけ落ち着いていた。
「さやかちゃん、助けたのは……
あれは、ほんとだと思ってる」
俺は何も言わない。
「正直、怖かったよ。
あんたあの時……死なないの、普通じゃなかったし」
一瞬、言葉に詰まる気配。
「でも……
あの子、あんたにしがみついてた」
鎖を見下ろしながら、彼女は続ける。
「怖がってるのに、離れなかった。
あれ見て……ちょっとだけ、分かんなくなった」
何が、と聞かなくても分かる。
俺が、ただの“危ない奴”なのか。
それとも――それ以外なのか。
「……勘違いすんな」
俺は前を見たまま言った。
「俺は、正しいことなんて出来ねぇ。
ただ……見捨てられなかっただけだ」
一拍、間があった。
通路に、靴音と鎖の擦れる音だけが残る。
その静けさの中で、アユミがぽつりと口を開いた。
「……ねぇ」
呼ばれても、すぐには顔を向けられない。
視線の先には、まだ続く細い通路と、ちらつく蛍光灯だけがあった。
「さっきのさ」
「ユキが言ってたこと」
歩きながら、彼女は俺の横顔を盗み見るように続ける。
「養護施設の……あれってさ」
一瞬、言葉を選ぶような間があって。
「……本当なの?」
喉が、ひくりと引き攣った。
否定する言葉は浮かばず、肯定するほどの勇気もない。
沈黙が答えになったのだろう。
アユミはそれ以上追い詰めるような口調にはならず、けれど、逃がしもしなかった。
「さっき、言ってたよね」
俺の言葉を、彼女はそのまま拾い上げる。
「正しいことなんて出来ないって。
でも……見捨てなかっただけだって」
鎖が、わずかに張る。
歩調がずれたのを、互いに無言で修正する。
「それってさ」
アユミは、ほんの少しだけ声を落とした。
「……その時も、同じだったの?」
俺は、答えなかった。
いや、答えられなかった。
「……」
あの時の光景を思い出す。
それだけで、過去の景色が、音と匂いを伴って押し寄せてくる。
裏庭で、光の消えた目で、倒れていた葵の姿。
それを取り囲む、5人の影。
それを見た瞬間、頭が、真っ白になった。
視界が狭まり、血の音だけがやけに大きくなる、あの感覚。
「……助けたかったやつがいたのも、本当だ」
最初の一撃。
それだけなら、まだ言い訳が出来たかもしれない。
「……でも、止まらなかったんだ、俺は」
拳を振るう感触が、今でも皮膚の裏に残っている。
「助けるため、だけじゃなかった」
俺は、唾を飲み込んだ。
「許せなかったんだ」
いつも笑顔だった彼女から、笑顔を奪った彼ら。
だから。
「痛いって声も、助けてって声も……聞こえてたのに、無視した」
言葉にするほど、胸の奥が重くなる。
「瀕死になるまで、やった。
……止めなかった」
鎖が、小さく鳴る。
「結果的に助かったとか、守るためだったとか……そんなの、全部あとから付けた理由だ」
俺は、はっきりと言った。
「結局あれは――
言い訳の出来ない、俺の罪だ」
しばらく、足音だけが続いた。
アユミは、すぐには何も言わなかった。
その沈黙が、拒絶じゃないと分かっていても、心臓の奥がじくじくと痛む。
やがて、彼女は小さく息を吐いた。
「……そっか」
そう言ってから、ちらりと俺を見る。
「でもさ」
ほんの一瞬、言葉を探すように視線を逸らして。
「“助けた”のも…… 全部が嘘ってわけじゃないでしょ」
俺は、何も返さなかった。
「だから、厄介なんだよね。 そういうの」
自嘲気味に、アユミは笑う。
「完全な悪なら、簡単だったのに」
アユミは、鎖をわずかに引き、俺の歩幅に合わせた。
「うちもさ、謝りたいやつがいるんだ……だから」
「?」
「このゲーム中は、生き残ろ。
罪の精算は、終わってからちゃんとしよ、お互い」
「……ああ」
短く答える。
鎖が、今度は先ほどよりも静かに揺れた。
距離は変わらない。
けれど、さっきより少しだけ――息が合わせやすくなっていた。




