13
扉の向こうに広がっていたのは、思っていたよりも静かな空間だった。
円形のホール、その中央に並んでいるのは――四つの無機質な物体。
腰ほどの高さの金属製の台座が、等間隔に配置されている。
一見しただけでは用途が分からない。
だが、近づくにつれて気づく。
それぞれの台座は、左右に一つずつ、人の手首を置くためのくぼみを備えていた。
そのくぼみを繋ぐように、間に重たい鎖が垂れ下がっている。鎖の長さは、およそ一・五メートルほど。
……嫌な予感しかしない。
やがて、天井の巨大モニターが砂嵐を走らせ、白衣の男の姿を映し出した。
《第二ゲームへようこそ》
落ち着き払った声が、ホールの空気を一段階冷やした。
《このゲームは二名一組で行ってもらう。組み合わせはこちらで既に決めさせてもらった》
その言葉に、誰かが小さく息を呑む。
《互いの手首を鎖で繋ぎ、一定時間、生存を維持すること。それが今回の目的だ》
説明の合間に、4組の台座がカシャン、と音を立てて開いた。
金属の蓋が沈み込み、それぞれの表面に名前が刻まれたパネルが浮かび上がる。
「……橘さんと、わたくし?」
麗華が小さく呟く。
橘は一瞬だけ目を細め、それから短く舌打ちをして前に出た。
「あら、最初の頃とは随分とご様子が違いますわね。もうお世辞を言うのはおやめになったのかしら?」
「ふん。価値があるのはお前の父親の会社だけだ。何も知らないなら利用してやろうと思ったが――お前のような小賢しい小娘など不要だ」
麗華は一瞬、目を伏せ、それからゆっくりと微笑んだ。
「……ああ、どうしてずっとあなたに嫌悪感があったのか、分かりましたわ。そういう薄汚いところが、とても父に似ていて不快だったのですのね」
「やはり平和ボケしたガキだな。経営というのはそういうものだ。足を引っ張るなよ、小娘」
「それはこちらのセリフですわ。もうよいお年ですもの、体力もなくてさぞ大変でしょう? おじさま」
刃物のような言葉が、静かに飛び交う。
空気だけが、ひどく冷え切っていった。
一方で、アンジェは未だ狼狽したままの田島に、そっと声をかける。
「田島さん……よろしく、お願いします」
その声に田島ははっとして瞬きをし、慌てて深く頭を下げた。
「あ、あ……こちらこそ。……すみません、足、引っ張るかもしれなくて」
「大丈夫です。私の方こそ、あまり動けないかもしれません。ご迷惑をおかけしたら……」
「い、いえ、とんでもないです……俺なんかで、本当に……」
そう言いながら、田島は落ち着きなく、くたびれたスーツの襟元を弄っていた。
「さやかちゃん、よろしくねぇ」
ユキの軽い声に、さやかはわずかに肩をすくめる。
ちらりと俺を不安そうに見上げてから、ユキへと向き直り、小さく頷いた。
「……うん」
「あはは。そんなに怖がらないでほしいな。僕はいつだって、“人”の味方だからね」
そう言って、ユキは細めた視線をこちらに一瞬だけ向ける。
意味ありげな笑みを残し、さやかの手を引いて台座へと向かった。
そして――
《蓮とアユミ》
俺の足がぴたりと止まった。
隣のアユミも、まるで胸を突かれたように目を見開く。
「……なんで、よりによって……」
小さく漏れた声は、俺に聞かせるつもりのないものだったのだろう。
俺も同じことを思ったが、口には出さなかった。
「……行くぞ」
それだけ告げて、俺は台座の左側に立つ。
アユミは一瞬躊躇い、それから乱暴に反対側に立った。
《それでは、手首を置け》
モニターの声に逆らえる者はいない。
俺はくぼみに左手を置いた。
ひんやりとした金属が、掌の熱を奪う。
一拍遅れて、アユミの手首が反対側に置かれる。
ガシャン。
重たい音とともに、鎖が弾けるように伸び、互いの手首を繋いだ。
長さは短すぎず、だが余裕もない。
一歩離れれば、すぐに引き戻される距離。
「……これ、近すぎ」
アユミが顔をしかめる。
「文句は俺に言うな」
「分かってるっつーの……!」
《パートナーは選べない。互いを信じようが、拒もうが、君たちに残された生存の道は——常に二人であることだけだ》
白衣の男が、温度のない声で告げた。
《互いの行動は、常にもう一人に影響する。勝手な判断は、即ち死を意味することもあるだろう》
アユミが俺の鎖を見下ろし、複雑そうに顔を歪める。
息が触れるほどの距離にいながら、心はまだひどく遠かった。
「……邪魔だけは、しないでよ」
「そっちこそ、勝手に死ぬなよ。引きずられるのはごめんだ」
そんな軽口を返してはみせたが、お互い笑える余裕なんてない。
鎖がわずかに揺れ、冷たい金属音が二人の沈黙を縫い止める。
その瞬間ーー
床が低く唸るような音を立て、ホール全体がわずかに振動した。
台座の縁が沈み込み、円形の床がゆっくりと分断されていく。それぞれのペアごとに、足元の床が別々に動き出す。
「……始まる」
誰かの声が、かすれて消えた瞬間、床が傾き、俺たちは強制的に後ろへとバランスを崩した。
「うわっ…!」
傾斜をつけられた通路へと“流される”感覚だ。
俺とアユミは、ほとんど同時に足をついた。
鎖が鳴り、手首に冷たい衝撃が走る。
「ちょ、ちょっと……っ!」
アユミが反射的に声を上げる。
派手な金髪は乱れ、ネイルの長い指が鎖を掴む。
強気な口調は残っているが、その奥にある焦りは隠しきれていない。
「……歩幅を合わせよう。転んだら終わりだ」
俺が低く言うと、アユミは一瞬だけこちらを睨み、それから舌打ちした。
「……言われなくても分かってるし」
そう言いながらも、彼女は無意識に俺の半歩後ろに位置を取った。
通路は細く、天井は低い。
蛍光灯が不規則に点滅し、壁には無数の引っ掻き傷と黒ずんだ染みが残っている。
ーー誰かが、ここで必死にもがいた痕跡。
《制限時間は六十分、最後まで生き残れ》
天井のスピーカーが無機質に告げた。
《当然だが、このエリアには、二名同時でなければ回避できない仕掛けも存在する。協力を怠れば、待っているのは“死”だ》
「……協力、ね」
アユミが鼻で笑った。
「こんな鎖で繋いどいて、よく言うわ」
その直後だった。
ガンッ――と、背後で重い音が響く。
反射的に振り返るより早く、床が沈む気配を感じた。
「アユミ、前!」
俺は叫び、鎖ごと彼女を引き寄せて跳ぶ。
刹那、さっきまで俺たちが立っていた床から、鋭い刃がせり上がった。
「……っ!」
着地の衝撃で、アユミが息を詰まらせる。
「ちょ……今の、マジで……」
言葉が途中で途切れ、彼女は俺を見た。
派手なメイクの奥の瞳が、恐怖で揺れている。
「……なんで、分かったの」
「なんとなく」
俺は短く答える。
説明できるほどの理由はなかった。
鎖が揺れ、二人の距離が一瞬だけ縮まる。
アユミは何か言いかけて、結局視線を逸らした。
通路の先には、まだ闇が続いている。
誰も多くを語らない。
誰も、誰かを完全には信じていない。
それでも、鎖は外れない。
第二のゲームは、静かに、確実に牙を剥き始めていた。




