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孤独な怪物の鎖  作者:
第一ゲーム
12/16

11


張り詰めた沈黙の中、最初に声を発したのは麗華だった。

いつもの冷笑は影を潜め、その瞳はかすかに震えている。


「……信じられませんわ。このような……人間業とは思えませんわね」


けれど次の瞬間、彼女は小さく息を吐き、視線をさやかへと移した。


「……それでも。あの子を守れたのは、確かですわね」


アンジェは胸に十字を切り、目を伏せた。


「……神よ。導きを……幼き命が救われたことに、感謝を」


声は震えていたが、その顔は安堵で柔らかく緩んでいた。


田島は汗に濡れた顔で、俺とさやかを交互に見ていた。


「……し、死なないなんて……いったい、どうなってるんだ……」


だがその目に浮かんでいるのは恐怖だけではない。

幼い少女が助かったという事実に、心底ほっとしているようでもあった。


橘は険しい顔で腕を組み、沈黙を保っていた。

その視線は俺に釘付けで、警戒と疑念が混じった色を帯びている。


アユミはユウマの最期に青ざめながらも、さやかの無事に小さく息をついていた。


そして、腕の中の、震える小さな体。

さやかは、俺の服を小さな手でぎゅっと掴み、涙に濡れた声で囁いた。


「……あ…りがと……」


たったそれだけなのに――眩しいほどに真っ直ぐだった。

その言葉だけで、今はもう十分だった。


静寂が落ちる。

誰もが息を呑んだまま、俺たちを見ていた。


けれどその静寂を破ったのは――乾いた拍手の音だった。

パン、パン、と場違いなほど軽い音が響く。

顔を上げると、ユキが楽しそうに手を叩いていた。


「いやぁ……お見事だね、蓮くん」


口元には、いつもの柔らかな笑み。

だが、その奥の瞳は笑っていなかった。


「さすが“化け物”って呼ばれるだけある。まさか電流に耐えるなんて、普通じゃないよねぇ」


その言い方に、麗華が眉をひそめた。

ユキはそんな彼女を一瞥すると、わざとらしく肩をすくめる。


「……あぁ、もしかしてさ。自分の“秘密つみ”を知ってるさやかちゃんに、恩でも売りたかったのかな? 命懸けで助けたら、口を噤んでくれるとでも思った?」



「………は?」 


その挑発的な声音に、体の奥で何かがまた軋んだ。

立ち上がるほどの力は残っていない。

それでも拳が勝手に握られていた。


「ねぇ、違う? それとも――君自身が、“化け物じゃない”って証明したかっただけかな?」


ユキは笑っていた。

白い歯を見せながら、まるで舞台の幕間を楽しむ観客のように。

麗華がすっと顔を上げた。


「――そもそも、あなたの“罪”とは何ですの? さやかさんが知っていることについて、聞きたいものですわ」


しかしさやかはぬいぐるみを抱きしめたまま、小さく首を振るだけだった。

口をつぐんだまま、震えが止まらない。

目だけが、こちらへ縋りつくように向けられていた。


ユキはそれを見て、ふと顔を真剣に変えた。

ぽつり、と言葉を落とす。


「じゃあ、僕が、代わりに話してあげようか。蓮くんの“罪”――僕は知ってるからね」


空気が、鈍く沈んだ。

ユキはゆっくりと俺を見る。


「ねぇ、蓮くん。君がここに来た時、僕が“壊したもの”について聞いたよね。その時の君の返事、覚えてる?」


返せない。

ただ、握った拳が膝の上で震える。


「“わざとじゃない、そんなつもりじゃなかった”――だっけ?」


ユキは小さく笑う。


「それってつまり、“わざとじゃなくても、傷つけた”ってことだよね?」


空気が、わずかに揺らいだ。

誰かの息が止まる音。

ユキの声が、淡々と、刃のように静かに落ちていく。


「――養護施設。覚えてるでしょ?」


視界が、揺れた。


ユキはまるで、その反応を愉しむかのように目を細める。


「同じ施設の子どもたち。同じ境遇の仲間。みんなまだ幼い子供たちだった。そう、さやかちゃんと同じくらいに」


言葉がひとつひとつ、痛みのように響く。


「でもある日、蓮くんは彼らを――壊した。男児五名と女児が一名。全員、重傷。手が動かなくなった子も、顔に深い傷を負った子もいた。ねぇ、それでも“壊してない”なんて、言えるのかな?」


「…………黙れ」


喉の奥からこぼれた声は、自分でも驚くほど低く、濁っていた。


「病院に運ばれた時、彼らはみんな錯乱してたよ。“化け物に殴られた”って泣き叫んでね。男児五名の証言は一致した。君に暴力を振るわれた、とね。女の子のほうは、一日分の記憶が飛んで何も覚えていないそうだけど」


ユキはわざとゆっくりと言葉を刻み、俺の反応を観察するように微笑んだ。


「そして、彼らの血にまみれた君。ねぇ……どうして、君は彼らを壊したんだい?」

「……黙れっ!」


叫んだ瞬間、胸の奥に押し込めていた蓋が、音を立てて軋んだ。

触れられたくなかった場所に爪を立てて抉られたような、どす黒い痛みがじわじわと広がる。

ユキの瞳は、ただ淡く笑っているだけだった。


「思い出せるはずだよ。だって、君は忘れてない」


視界が揺らぐ。

色が、音が、匂いが、ゆっくりと過去の形を取り戻し始める。まるで自分の体が別の場所へ引きずられるような感覚。

息が苦しい。

視界が暗転して、次の瞬間、音だけが先に戻ってきた。


 ――小さな靴が床を叩く音。

 ――薄い昼光がひび割れた窓から差し込む。

 ――埃を含んだ冷たい空気の匂い。


そこは、あの施設だった。



俺がいた養護施設は、高い塀に囲まれた古い建物だった。

三階建ての壁は黄ばみ、ところどころ塗装が剥げて、雨に濡れるたび薄く黒ずんだ筋を作った。

庭は広いが、遊具はどれも錆びつき、鉄棒を握れば赤茶色の粉がこぼれ落ちた。

冬は吐く息が白くなり、夜は廊下が凍るほど寒かった。

 


そこにはいろいろな子どもがいた。

笑う子、すぐ泣く子、怒りっぽい子、人懐っこい子、目を合わせようとしない子。


俺はその輪に、ほとんど加わることがなかった。

名前ではなく「おい」「おまえ」「化け物」と呼ばれ、必要最低限の会話しかなく、それが当たり前になっていた。



 ――ただ、一人だけ。

ひとりだけ、俺にちゃんと名前を呼んでくれる子がいた。


……あおい


「れんくん、これ、あげる」


そう言って、小さな手で折り紙の指輪を差し出してくれた子。

リボンがいつも少し曲がっていて、笑うと目が三日月みたいに細くなる、あの小さな女の子。

指輪は不器用で、角が潰れていたけれど、その手は誇らしげで、嬉しそうで。

俺は戸惑いながらそれを受け取った。


彼女は俺を怖がらなかった。

逃げなかった。 

“化け物”と呼ばない、ただひとりの子だった。

会話なんてろくにできなかったが、葵といる時だけは、胸の奥がわずかにやわらかくなった。

その笑顔を、守りたいと思った。

そして、その力が自分にはあると、愚かにもそう、思っていた。


 

――あの日までは。



その日は、朝から施設の空気が重かった。

職員同士が金のことで言い争い、怒鳴り声が上の階まで響いてきて、子どもたちは隅っこで怯えていた。


その声から逃げたくて、ふらりと建物の裏手に回ったときだった。

普段は閉ざされている裏扉の鍵が、なぜか半開きになっていた。

裏庭は職員の監視が届かず、立ち入り禁止となっている場所。

落ち葉が風に舞い、午後の光は弱く、そこで聞こえた声は、異様に生々しく響いた。


「泣いても、もう誰も来ねぇよ」

「なーんか静かになっちゃったな。つまんね」

「どうする? これ」


五つの人影。

彼らは、何かを囲んでいた。

ボロきれのような、泥にまみれた布の塊。

しかし目を凝らせば、それが“人の形”をしているとすぐにわかった。



それは――


葵だった。



地面に押し倒された体、泥に汚れたスカート、擦りむけて血がにじむ手足。

涙の跡だけが残る、光の消えた瞳。

あらわになった胸元がわずかに上下していることだけが、生きている証拠だった。


目の前が、真っ赤に染まった。

頭の奥が沸騰するように沸き立ち、自分の鼓動がやけに大きく体内に響いた。


「……なにを、している」


 自分でも驚くほど静かな声だった。

 五人が振り向き、そして――笑った。


「出た、“化け物”」

「なんだよ、助けに来たの? お前も混ざる? もう壊れちゃってるけど、さぁ」


何かが、ぷつりと切れた。

腕が、勝手に動いた。

骨が軋む感覚も、拳に当たる肉の鈍い感触も、血が飛ぶ音も――全部、今でも鮮明に覚えている。


「やめろ!」

「やめろって!」

「痛い……いたい、やめ……!」


声は聞こえていた。

でも止まらなかった。

止まれなかった。


職員と警察が裏庭に飛び込んできて、取り押さえられてようやく我に返った時、五人は血まみれで地面に転がっていた。

視界の端で、救護される彼女の姿が揺れて見えた。


――彼女がまだ、生きている。


その事実だけが、唯一の救いだった。



視界が現在いまに戻る。

胸の奥で何かが、ぎり、と音を立てていた。

ゆっくりと息を吸う。

喉が焼けるように痛いのに、声は妙に静かだった。


「……俺は…」


ユキは微笑みを深める。


「蓮くん、あの場で“何があったか”は知らない。

けれど――君が彼らに、“過剰なほどの暴力”を振るったのは事実だ」

 

「……ッ」


喉がひきつるように閉じた。

言い返そうとして、息が詰まった。


麗華が微かに眉を寄せる。

田島は唇を噛みしめ、視線を揺らしながらも、俺を遠巻きに見ている。

アンジェは胸元の十字架に触れたまま、言葉を失っていた。

そして橘は、軽蔑を隠そうともしなかった。


「なんだ。やっぱり制御の効かない“化け物”じゃないか」


冷たく吐き捨てるその声音には、恐怖と嫌悪が混ざっていた。


……当然の反応だろう。

ユウマの死体の横で、電流を受けても生きている自分。

血と焦げた臭いの中で、先程の話を聞けばまともに見えるほうがどうかしている。


誰も近づこうとしない。

誰も俺の側に立たない。


――ただ一人を除いて。


腕の中の、さやか。

小さな少女は涙に濡れた瞳で、じっと俺を見上げていた。

怯えているはずだ。

ユウマの死にも、死にかけたことにも。


俺の……罪にも。


それでも、彼女は離れようとしなかった。

むしろ――俺の服を掴む小さな指先は、震えながらも、ほんの少しだけ強くなった。


「……れん、くん……」


その声は弱々しく震えていた。

けれど、はっきり俺を呼んでいた。


「……こわく……ないのか」


かろうじて声にした問いは、本当に弱いものだった。

さやかは鼻をすすりながら、小さく首を振った。

頬には涙の跡がまだ温かく残っている。


「……だって……れんくん、わたし……助けてくれた……」


小さな唇が震えながら続ける。


「……こわかったけど……すごく、こわかったけど……でも…れんくんが……ぎゅって……してくれたから……」


言葉の端々がしゃくりあげで潰れる。


「だから……こわく、ないの……」


その声は、たった一人の少女の、小さな勇気そのものだった。


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