09
誰かが大きく息を吐く音が響いた。
重苦しい空気に押し潰されそうな中、今度は橘が低い声で口を開いた。
「……茶番はもう十分だろう」
鋭い眼光が円座をゆっくりと巡る。
「結局のところ、最も重い罪を持つ者に票を入れる。それが今回のルールだ。ならば――ひき逃げという大罪を犯した、この若造に決まりではないか」
「ち、ちげぇよ! 俺は――!」
ユウマが必死に叫ぶが、橘の冷徹な言葉がその声をかき消す。
「パニックだろうと何だろうと、人を轢いて逃げた事実は消えん。法の下では明確な重罪だ。……万引きや、アルバイトを無責任に放り出した程度とは、比べものにならん」
「ふざけんなよ! 俺はわざとじゃない! 俺だけ悪者にされるのおかしいだろ!?」
ユウマの目は血走り、拘束で自由にならぬ体を無理やり引き千切ろうと暴れた。
「まぁまぁ」
ユキが軽く笑みを浮かべる。
「君の言うことも一理あるけどさ。『誰が一番重いか』を決めるのは僕ら全員なんだよね? だから、ユウマくん。君が必死になればなるほど――かえって怪しく見えるんじゃないかな」
「っ……!」
ユウマの顔が苦渋に歪む。
麗華が小さく息を吐き、しとやかに告げる。
「残念ながら、あなたほど重い罪を抱えた方はいらっしゃらないと思いますわ。……皆さま、そろそろ“投票”に移ってもよろしいのではなくて?」
しばし沈黙。
やがて、アンジェが胸に十字を切り、伏し目がちに口を開いた。
「……私は、彼に投じます」
静かながら、凍るような声音。
そこには、仄かな怒りが混じっていた。
「これは裁きではなく……我が子を殺した者と彼を重ねた、私怨かもしれません。けれど、人を轢いて逃げた者を前にして、黙っていることなど……私にはできません」
「お、おい、シスターまで……」
ユウマが青ざめ、アユミへ縋るような視線を向けた。
「なぁアユミ、お前だけは……俺に……」
しかし彼女は顔を背け、鼻で笑う。
「はぁ? 無理。うち殺されたくないし。“お前だけは味方してくれるよな”とか、そういうのぉ? ドラマの見過ぎ。……悪いけど、うちは自分のために生きるから。罪を償って、男らしく散ってくんない?」
その言葉が突き刺さり、ユウマの叫びが虚しく響いた。
「クソッ……クソがッ!!」
次の瞬間、無機質な光を放っていたモニターの表面がふいにざらつくように揺らめき、白衣の男が姿を現した。
無表情のまま、眼鏡の奥からこちらを見下ろす。
『……話し合いは済んだか? それでは“投票”を開始しよう』
男の声に呼応するように、拘束された椅子の肘掛けが開いた。
そこに並んだ九つの赤いボタン。
ひとつひとつには、この場の参加者の名が刻まれていた。
『最も罪が重いと思う人物をを選べ。……選ばれた者には、相応の罰が下る』
重苦しい沈黙を最初に破ったのは、やはり橘だった。
「まったく……意思決定が遅いな。だから凡人は淘汰されるんだ」
胸元のスーツのボタンを直しながら、冷ややかに吐き捨てる。
「……経営も命も同じだ。切り捨てるべき駒は早々に処理する。それが鉄則だ」
迷いのない動作で、ユウマの名を押す。
電子音が静かに響いた。
「まぁ、当然ですわね」
麗華が涼やかに微笑み、白魚のような指先で同じボタンを押す。まるで判決を下す裁判官のように。
ユキは唇を吊り上げ、楽しげに肩をすくめる。
「僕は流れに逆らわない主義でね。……じゃあ、決まりかな」
軽い音と共に、さらに一票。
「……神よ、お赦しください」
アンジェは祈るように目を閉じ、震える指で赤い光に触れた。
「……くそっ……」
田島はよれたスーツの襟元を引きながら、怯えた顔で手を伸ばす。
「す、すまん……生きるためなんだ……!」
彼の選んだ先もユウマだった。
「チッ……ほんっと、やってらんない」
アユミは長い爪を叩きつけるようにボタンを押す。
強い音がやけに響いた。
俺も深く息を吐き、ゆっくりとユウマの名を押す。
「……悪いな」
次々と票が積み重なる。
モニター越しの白衣の男は表情を変えず、ただ無感情に見下ろしていた。
「ふざけんな……! お前ら全員、グルかよ!」
ユウマが拘束に身体をこすりつけるように暴れ、声を震わせながら叫ぶ。
「クソ……クソがっ!!」
言いながら、彼は眉間に血管が浮き、肘掛けのボタンを手当たり次第に叩き始めた。
その様子に、もはや理性など感じられない。
ただ拳を振るように、次々と赤いランプを潰していく。
「殺してやる! 誰でもいい、ぶっ殺せば終わるんだよ!」
表示された名前は、偶然にも橘だった。
だがその一票で状況が覆ることはもはやない。
「……ふん」
橘は鼻で笑い、片眉を吊り上げた。
「無駄な足掻きだな、小僧」
電子音がまた一つ鳴り、残るは――さやか。
幼い顔は蒼白に染まり、小さな手は震え続けていた。
赤く点灯するボタンの列を前に、彼女はぎゅっと膝の上のぬいぐるみを抱きしめる。
「……やだ……押せない……」
声は震え、涙がにじむ。
「さやかちゃん、早く……!」
「大丈夫だ、誰も責めない。だから――」
必死の声も届かない。
幼い指先は宙をさまよい、ぬいぐるみを抱く腕だけが強張っていた。
その時、モニターの白衣の男が冷たく告げる。
『――警告。投票を拒否する者も、処刑対象となる』
空気が一瞬で張り詰めた。
「さやかさん!」
麗華が思わず声を張る。
「急ぎなさい、時間切れになればあなたまで――!」
「さやかちゃん……大丈夫、押すだけでいいのよ」
アンジェが柔らかく続ける。
だが声の奥に焦燥が滲んでいるのは隠せなかった。
「お、おい……早くした方が……!」
田島の叫びは震え、切羽詰まった色を帯びていた。
それでも、少女は小さく首を振った。
「……人を……殺すボタンなんて……押せないよ……」
涙が頬を伝い、ぬいぐるみの耳をぎゅっと握る。
「……さやかちゃん」
ユキが低く呼びかけた。
その声音は驚くほど優しい。
「僕らの中で、一番生きていてほしいのは君なんだ。だから、勇気を出して」
小さな肩がびくりと揺れる。
しかし、その指先は最後までボタンに触れなかった。
《投票終了》
乾いた電子音が響く。
天井の光が冷たく降り注ぎ、モニターに投影された文字が場を切り裂く。
【ユウマ:七票】
【橘:一票】
【さやか:棄権】
「……あ……」
さやかは蒼ざめた顔で呟いた。
「わ、わたし……」
《第二のゲーム、処刑対象は――ユウマ。そして、投票を拒否した――さやか》
その瞬間、部屋の空気は息を呑む音さえ途絶え、静寂が落ちた。




