あとがき
この作品は「30分読破シリーズ」の本編を呼んでくださった方への感謝の気持ちとして執筆したものです。
物語の性質上、この『あとがき』にて作品内の裏話やネタバレを含んだテーマの核心に触れるため、本編の最終話までが未読の方は先に小説本編をお読みいただくことをおすすめします。
ネタバレを含む解説や僕自身の考察は、本文読了後にじっくり味わってもらえたら嬉しいです。
この物語は、「喪失」から始まります。
甲子園のマウンドに立つという最高にして唯一の夢を失った主人公の直也と、右手の自由を奪われ、かつて同じように夢を絶たれたヒロインの奏。
二人は時間軸こそ違えど、二人はそれぞれ“表現の手段”を突然失い、生きる目標を見失った者同士でした。これは、そんな直也が校舎の屋上という半分外・半分内側の“境界”で奏と出会い、再び自分の足で立ち上がるまでを描いた物語です。
最初に描きたかったのは、「不幸の大きさを競っても何も生まれない」ということでした。直也が無意識に口にした“痛みの羅列”に、奏が放った痛烈ともいえる一言――「不幸自慢して、楽しい?」。この冷たいとも思える言葉は、同じ痛みを知る奏だからこそ直也に投げられるものでした。
優しい言葉は人を救いますが、ときに“ただの慰め”として届かないこともある。どん底にいた二人に必要だったのは、耳障りのよい言葉ではなく、自分をもう一度見つめ直させるような鋭い一言だったのです。
もう一つの軸は「表現の置き換え」です。
直也はもう野球部員としては野球のボールは投げられないけれど、声を、意思を、行動は投げられる。
奏はピアノは弾けないけれど、左手で線を弾き、空や時間を描き出すことができる。
直也の再生を加速させたのは、マネージャーの里奈と監督の存在でした。
里奈の「顔が違うね」という言葉は、野球部時代から直也を近くで見てきた彼女だからこそ言える“変化への肯定”。そして監督の「投げられる球はマウンドだけにない」という言葉は、大人の広い視野から差し出された新しい地図でした。
生徒会長選挙の演説は、直也にとって新しいマウンドでした。
奏は物語開始時点ですでに“夢を失い、再び立ち上がった先輩”のような存在です。そんな彼女に救われた直也が、今度は全校生徒に向かって「居場所をなくした誰かを守りたい」と言えるようになった。その姿は、痛みを知ったからこそ他者に手を伸ばせる人間へと成長した証でした。
もう彼は、少しのことで折れることはないでしょう。
そしてラストの奏への告白。
直也の「好きだ」は彼らしい直球でしたが、奏の返事はスケッチブックの中の直也という“作品”によるもの。言葉ではなく絵で寄り添う――この変化球こそが奏らしい返事でした。
制作時の小さな工夫をいくつか――
甲子園の試合結果は“敗戦”にしました。勝ち負けよりも大事なのは、直也がスタンドから心から仲間を応援できるようになったことだからです。
直也の新しい夢を「生徒会長」にしたのは、甲子園が町全体を巻き込む夢であったように、それに匹敵する夢の大きさとしてふさわしいと考えたからです。
文化祭での奏から直也への一言のように、彼女のチクっとした毒は書いていても楽しく、物語の空気を引き締めてくれる存在でした。
最後に――
この物語が、何かを失ったまま立ち止まっている誰かの背中に、ほんの少しでも風を送れたなら嬉しいです。直也の新しい直球があなたの胸のどこかに、奏の描く線があなたの視界のどこかに、すっと届きますように。
他にもさまざまなテーマで30分読破シリーズを更新していますので、ぜひ、あわせて読んでみてください。きっとまた別の夢に出会えるはずです。
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