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最終話 創造する新しい未来

 


 やがて時は九月。今日は文化祭。


 正門のアーチは色紙と電飾で派手に飾られて、焼きそばとフランクフルトの匂いが風に混ざる。

 教室ごとの出し物の看板はどれも少しずつ歪んでいるけれど、その歪みこそが味だ。


 体育館ではダンス部が練習のときよりずっと笑って踊り、吹奏楽部の金管が少し外した高音を観客が大きな拍手で覆い隠した。

 廊下ではTシャツの色の波がすれ違い、写真を撮るシャッター音がリズムのように鳴る。



 美術室の前は、いつもより人がいた。白い壁に並ぶ絵は、どれも自分の言葉を持っていて、静かに自己紹介をしている。


 そんな中でも奏の絵の前には、特別に小さいが輪ができていた。


 大きなキャンバスに、空と街がある。信号待ちする人の背中。電柱の影。アスファルトのわずかな凹凸。雲の縁の明るさ。風が視えるような絵だった。


 その絵に立ち止まった人たちの目が、絵の中の空へ吸い込まれていく。


(かなで)


 俺は演劇の衣装を着たままの姿で彼女の横に立って、素直に言った。


「お前の絵は人の心を動かす。そしてこのさき……俺の投げる球より、ずっと遠くに届く」


 奏は少し頬を赤くして、視線を絵と床の間で行き来させた。


「高坂、大げさ」

「本気で言ってる」

「……そ。ありがと」


 彼女の嘘のないありがとうに、俺に熱が灯る。彼女の言葉は、剛速球のストレートのように真っすぐで早く。俺の心に届く。


「でもね高坂……」


「ん?」


「……その衣装。似合ってないよ」


「やかましいわ!」



 * * *  



 そんな文化祭が終わって数日。

 いつものように屋上の扉を開けた瞬間、嫌な笑い声が風に混ざって聞こえた。


 手すりの近くで、三、四人の男子が奏を囲んでいる。スケッチブックをひったくって、ページをパラパラとめくりながら、軽い言葉を投げていた。


「なにこの絵、空? 全部同じじゃん」

「根暗女の代表作品ってわけ?」

「あはは。なんとか言えよ」


 俺の中の何かが、ぷつん、と切れた音がした。

 距離を詰める。リーダー格のやつが俺に気づいて、口角を上げた。


「お、高坂じゃねぇか。なんだよヒーローごっこ? お前が故障したせいで今年は甲子園一回戦負けだったもんな。だっせー!」


 顔が熱くなるのではなく、逆に冷えていく。視界が妙にクリアになる。


「それ、返せ」

「は? なんで? 文化祭じゃないけど展示してくれてもよくない? みんなのためにさ」


「高坂だめ!」


 奏の声が耳に響くのが聞こえる。


 俺は左足を踏み込んだ。

 相手を吹き飛ばす勢いの右ストレート――のつもりだった。だけど直前の彼女の声に反応して限界までスローにする。

 結果、彼の胸元を軽く押し戻すくらいの平手打ちになった。


 けれど相手はバランスを崩して、尻もちをついた。


「ひい!」


 彼は手のひらを擦りむいたらしく、顔が引きつる。

 俺は黙ってスケッチブックを取り返し、表紙の角についた汚れを手で払った。


「次は容赦しない」


 自分でも驚くくらい、声が低く出た。


 残りの連中は顔を見合わせ、リーダーを引っ張り起こして、「くだらね」とか「行こ」とか、弱い言葉を残して逃げていった。


「大丈夫か?」


 振り向くと、奏は肩を少し震わせていた。でも、顔は上がっていた。


「けが、ない?」

「……俺は大丈夫」

「よかった」


 風が、少し強くなった。


「ありがと。高坂のこと……ちょっと、見直した」


 胸が熱くなる。


 ここで逃げたら、一生後悔する。俺は深く息を吸って、言葉を押し出した。


「俺、次の目標が見つかったんだ。 弱い人をちゃんと守れる人間になりたい。……つまり、かつての奏や俺みたいな辛い思いをしている人を、救い合えるようないい学校を、俺は作りたい。

 ――だから、来月の生徒会選挙、立候補する。生徒会長になるために」


 奏は目を瞬いた。それから、ゆっくり頷く。


「高坂なら、できる。あたしにはない、人の心を熱く動かす力を、持ってるから」

「ああ」


「……あ、でも」

「ん?」

「暴力はダメ」

「……はい」



 * * *



 十月。初めての生徒会選挙は簡単じゃなかった。


 俺の他に二人の有力候補がいて、それぞれに支持グループがあった。

 掲示板のポスターの貼り位置ひとつで揉めることもあると初めて知った。


 公開討論は臨時で昼休みの体育館で行われた。


 舞台の上、マイクは四本。制服のこすれる音さえも拾ってくれる。


 生徒側からの質問は、いじめ対策、校内のSNSトラブル、文化系と運動部の予算配分などなど。

 だがそれはあくまで建前で、最後に命運を分けるのは各々がもつ固有の『理念』と『熱』だった。


 一人目と二人目の演説が終わって拍手が起こった後、ついに俺の番になった。


 視線が一斉にこちらへ向く。心臓が跳ねる。


 けれど、不思議と声は震えなかった。

 俺がいる壇上から、体育館のパイプ椅子に座って俺を見つめる“アイツ”の姿を見つけたからだ。


 マイクの前で静かに息を吸った。


「……俺は“ほとんどの人が”知ってるように野球部でエースをやってた。だけど、練習中の怪我でマウンドには戻れなくなった。


 そのとき、俺は全部を失ったと思った。仲間に顔向けできなくて、周りの視線が怖くて、逃げ場がなくて……正直、生きてる意味もわからなくなった」


 体育館の空気が少しざわめく。


 けれど俺は続けた。



「でも――ある人に出会って気づいたんだ。失ったことばかり数えるよりも、新しくできることを探した方がずっと良いって。


 俺はもう、エースでもピッチャーでもない。だけど“そういう人を応援すること”や、俺と同じようにつまづいて悩んでいる“誰かを支えること”はできる。いや、これからはそれをやる。


 悔しさも、不安も、全部抱えたままでも前に進めるって、証明したい」



 マイクを一本握って口の前に持ってくる。声が自然と熱を帯びる。



「いじめも、SNSのトラブルも、部活動の対立も――その裏には、必ず居場所をなくした誰かがいる。


 俺は、そういう人を守りたい。弱い立場に立たされたやつをひとりにしたくない。


 そしてこの学校を、“勝ち負け”だけじゃなくて、全員が前を向ける場所にしたい」


 マイクを強く握りしめて言った。


「――だから俺は、生徒会長になります!


 俺の声と力を、この学校のために全部使う!


 もう二度と誰かの想いを取りこぼさない!」



 言い切ったとき、胸の奥に熱いものが広がった。

 体育館のあちこちで静かに拍手が起こり、次第に大きな波になっていく。

 しゃべりながら、自分でも驚いていた。言葉が自分の外から出てくるみたいだった。


 

 討論と演説が終わった放課後。教室に野球部の後輩がやってきて言った。

「高坂先輩、めっちゃカッコよかったっす!」と笑顔を見せる。


 別のクラスの女子も声をかけてきた。

「あの、文化部の予算の話、嬉しかった。ありがとう」


 俺は、彼女たちの目の中に、自分の知らない世界の色を見た。


 家に帰ると、母さんは夕飯の鍋の蓋を開けながら「もうケガは大丈夫?」とだけ言った。


「うん、色々と心配かけたけどもう大丈夫」

「たしかにここのところは、むしろいい顔になったな」

 父さんもそう言った。


 夜、机に向かっていると、スマホが震えた。知らない番号。


「誰だろう」


 恐る恐る出ると、特徴的な低い声が聞こえた。野球部の監督だった。


『悪いな急に、成瀬にお前の連絡先を聞いたんだ。高坂、お前の演説、よかったよ』

「って、見たんですか!」

『あぁ、成瀬のやつが先生に許可をもらって撮影してたらしい」


 そうだったのか――


『お前が投げられる球は、マウンドだけにあるわけじゃない。そう思った。明日、時間あるか? ちょっと話そう』


 翌日、約束通り部室の前で監督と話した。懐かしい匂いがした。


「来年、部のマネージャーや学生コーチの枠を増やす。お前さえ良ければ、メニュー作りと投手のフォームチェックを手伝ってくれないか」


「……俺で、いいんですか」

「お前じゃないと困ることが、いくつかある。無論、生徒会長としての仕事の合間で構わん」

「まだ受かったわけじゃないですよ監督」

「そうだったな!」

「やります。よろしくお願いします!」


 * * *


 そして投票日。

 廊下の壁際で、クラスごとの投票箱が並ぶ。


 監督の顔より厳しい生活指導の先生が見張っていて、誰も悪ふざけをしない。

 集計が始まると、校内の空気が一段階、音を落とした。俺は手のひらの汗をズボンで拭いた。


 結果発表。放送室から、事務的な声が降ってくる。


『次期生徒会長は――高坂直也』


 歓声がいくつかの教室から漏れて、廊下を通って重なり合う。

 俺は壁にもたれて、笑って、少しだけ泣いた。



 ――その日の夕方、あの屋上。


 扉を開けると、いつもの場所に奏がいた。風はもう秋の匂いがして、空が高い。

 俺の胸には、金に光る生徒会長のバッジ。それは思ったよりも小さかったが、思ったよりも重かった。


「生徒会長が、こんなところに来ちゃダメじゃん。……立入、禁止」


 奏はいつものようにスケッチブックに顔を落としているが、俺には彼女の声のトーンが上がっていることが分かっていた。


「ああ。わかってる。だから、ここに来るのは、これで最後にする」


 奏が俺を見た。

 この場所でスケッチブック以外を見ることがあるんだなと驚いた。

 

 短い髪が風に揺れる。


「高坂。当選、おめでとう」

「ありがとう。奏」


 沈黙がひとつ、ふたつ、風に運ばれていく。

 俺は拳を軽く握って、心臓の鼓動を数えた。


「でも、ここに来るのが最後でも、奏との関係は最後にしたくない」


 彼女は声を発しなかった。俺の次の言葉を待っている。


 唇が重い。


 こんなに緊張するのは、マウンドでもなかった。


 でも、投げるんだ。俺の直球を――


「奏。俺は、お前のことが好きだ」


 奏はゆっくり立ち上がり、俺の前まで歩いてきた。


 そしてスケッチブックを差し出した。


「え?」

「見て」


 表紙をめくると、鉛筆の線で描かれた、俺がいた。手すりにもたれ、空を見ている。右足には包帯が見える。でも、その横顔は、まっすぐだった。それだけでいつごろの俺を描いたのかわかった。


「あたしも、高坂のこと、好き」


 風が吹いて、スケッチブックのページが、ふわりとめくれた。二人の影が夕焼けの床に長く重なる。


 ――もう、何も失っちゃいない。投げる場所は、まだいくらでもある。


 スケッチブックをそっと閉じる音が、やさしく空に溶けた。


 遠く、グラウンドの方から、キャッチャーミットの音が一度だけ響いた。

 それは誰かが新しい球を受け止めた音だ。


 明日からは、この屋上ではなく、生徒会室に行く。


 たまに、あのグラウンドにも行く。


 それでもきっと夕方には、また空を見上げる。


 奏が小さな声で言った。


「ねえ、生徒会長」

「ん?」

「就任初日の会長の絵、描かせてよ」


 俺は一瞬きょとんとしたがやがて――


「もちろん」

「ありがと」


「あ、でも“会長”はやめろよな。調子狂う」

「じゃあ、直也(なおや)

「……それはそれで調子狂う」


 そう答えてから、笑い合う。

 俺の試合は、まだ始まったばかりだ。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

本作は「30分で読み切れる短編シリーズ」の一つとして執筆しました。忙しい毎日の合間や、ちょっとした休憩時間にでも楽しんでいただけたなら嬉しいです。


また、アキラ・ナルセのページ内「シリーズ」として、同じく【30分読破シリーズ】をまとめていますので、ぜひ他の作品もお楽しみください。


今後も、同じく30分程度で読める短編を投稿していく予定ですので、また気軽に覗きに来ていただけると幸いです。

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