第8話 灰と煙
数回に分けて、もう使う予定のない勉強道具や衣類を炎に投げ入れる。しばらくすると焚き火がパチパチと音を立てながら、それらを灰と煙へと変えていった。闇夜の中で静かに燃える炎と、空へと舞い上がる煙。あの日に少しだけ似ている、なんてやけに感傷的になっている自分自身に、日向は思わず小さく苦笑した。
縁側に腰を下ろし、庭で燃える炎をぼんやりと眺める。
そうしているうちに、心の隅に追いやっていたはずの出来事を日向は思い返し始めていた。
あの日。
父と母が亜種に殺された日であり、少年に出会った日から数日後。
気がつけば日向は、生まれ故郷である大和の病院のベッドの上に包帯だらけの姿で横たわっていた。意識を失っている間に政府主体で手続きが行われ、国を超えてきたらしい。そうして、連絡を受けた父の弟である仁が日向の元へやってきた日のことを、ぼんやりと覚えている。
当時、父の母、つまり日向にとっての祖母が病で体調を崩していたこともあり、仁は実家のある地方にて祖母と共に暮らしていた。父と母が亡くなり、帰る家がなくなってしまった日向は、自ずと2人と共に暮らすことを決めた。
仁も祖母も両親を亡くした日向を我が子のように慈しみ、大切に、そして優しく扱ってくれた。しかしあの日負った怪我が癒え、新しい街での暮らしにいくら慣れようとも、日向の中からある思いが消えることはなかった。
──あの日、私を救ってくれた少年はどうしているのだろう。
その思いだけはいつになっても日向の心の隅に居場所を占めていた。
当然のことではあるが、あの日の出来事は大和でもかなりの物議を醸し、新聞にも大々的に取り上げられていた。しかし仁に頼んで集めてもらった新聞をいくつ読んでも、少年の存在については全く記されていなかった。
あの日の出来事についてはただただ淡々と、人間による支配体制に反対する亜種が起こしたクーデターであり、大和を含めた多国籍軍の活躍により鎮圧された旨が記載されているのみであった。
それでも少年について、日向は少しでも情報が欲しかった。名前や素性はわからずともあの地域に住む亜種なのかどうか、それだけでも知りたかった。
そんな折にふとした祖母との会話の中で、日向はあることを耳にした。
現在は広い実家の一部を使い、剣道の道場や学習塾を細々とやっている仁だが、前職は国の機関に所属する歴史文書の研究員であり、国内外問わず主に亜種の生体や歴史について調べていたらしい。大学時代からずっと研究ばかりしてきたから書庫にも資料が山のようにあるのよ、と祖母は若干諦めたように笑っていた。
それでも日向は仁の前職に感謝した。2人に隠れながらこっそりと書庫に通い、少年に関する情報がないか調べることができた。
そうして、ある亜種に関する記述を日向は見つけることになる。
それが『エル』。青い血を持つ亜種についての記述だった。
「まだ寝ないのか?日向」
声に顔を上げると、母屋内から仁が日向のすぐそばまでやってきていた。うん、と頷く日向から少し離れた場所に仁が腰を下ろす。
気づけば日向の送別会が終了してから既に数時間が経過していた。数年前に祖母が亡くなり日向と仁しかいなくなった母屋は、数時間前の賑わいが嘘のように静まり返っている。
送別会で日向は村中の人間から様々な言葉を受け取った。子供達からは「私も日向みたいに立派な人になりたい」という羨望の言葉。子供達の親からは「軍でトップクラスに優秀な部隊に入隊なんて」という賛辞の言葉。村のお偉いさん方からは「この村の誇りだ」という激励の言葉。
当然どれもありがたい言葉だったが、常に愛想良く対応することを心がけている日向であっても、さすがに会の終盤は疲れが滲んだ。そのことに仁も気づいていたのだろう。日向が明日早朝に出発しなければならないことをやんわりと伝えながら、早めに会をお開きにしてくれた。
そうして早めに寝なさいと口では言いつつ、こうして深夜に差し掛かる時間帯になっても縁側でぼんやりしている日向を咎めずにいてくれている。思えば仁はいつも日向の言動を注意したり叱ったりすることはあれど、否定することはなかった。
ただ、あの上着を見せながら、自分を救ってくれた少年はエルなのではないかという話を日向がしたときは、違った。
エルが存在する明確な証拠はないということ。亜種に関する研究の第一人者であった仁でさえ、エルに関する情報はほとんど手に入れることができなかったということ。
そして、たとえ少年の正体が分かったとして、その先どうするのかということ。
そういった話を時間をかけて、ひたすら丁寧に日向にしてくれた。明確に言葉にされずとも、当時の日向も仁が言いたいことはわかっていた。
もう会えるはずもない存在の背中を追うのはやめろ。現実と向き合い、己がすべきことがなんなのかを見極めろ。そう仁は日向に伝えたかったのだ。わかっていた。いつだって仁のいうことは全て正しい。
それでも当時の日向は納得できなかった。じゃあどうすればいい、と仁の前でべそをかくしかない自分が悔しくて、情けなくて。人生で初めてだと言うぐらいにわんわんと泣いた。
──ただ、あなたに救われたということを彼に伝えたい。
──私、もう、それだけでいい。
そう泣き叫ぶ日向の背中を仁は黙ったまま、ずっとさすってくれていた。
「あの時は、正直無理に決まってるって思ったよ」
焚き火の音だけが鳴り響く庭で、独り言のように仁が言う。どうやら仁も同じ日のことを思い返していたらしい。
「そんな実力が私にあるとは思えなかった?」
「だって、俺が御坂の話を初めてした時、日向まだ10歳かそこらだっただろう」
仁の前で初めて大泣きした日から数日後。国から取り寄せたという資料を見せながら、仁は日向に士官学校の話をしてくれた。
そして軍人になるための学校である士官学校でトップクラスの成績を残せば、軍に存在するという特殊部隊ーー通称として『御坂』と呼ばれているーーに入ることができるかもしれない。
そこで政府や軍の一部の人間しか知らない情報、つまり少年に関する情報も手に入れることができるかもしれない、と伝えてくれた。
「そんな年で軍人として死ぬ覚悟なんて、できやしないって思ったからさ」
あの日、仁は日向に言った。
──全世界の中からたった1人の亜種を見つけるだなんて、叶うはずもない夢だ。
──そもそも数年前に一瞬会っただけの日向の顔を、その少年が覚えているはずもない。
──軍の特殊部隊に入るためには、この国でトップクラスに優秀な人間になる必要がある。
──血反吐を吐く程の努力をしても、届かないかもしれない。
それらを伝えてもなお折れない日向を見つめながら、仁は最後に尋ねた。
──軍人になんてなってしまえば普通の生き方も、普通の死に方もできやしないだろう。
それでもお前はその道を選ぶのか、と。
「でも、お前はちゃんと成し遂げた」
幼かったあの日の日向を、懐かしむかのような眼差しで仁が言う。
「俺が思っていたよりもずっと早くからお前は、自分がすべきことをわかっていたんだな」
16歳で士官学校を首席卒業後、そのまま軍の特殊部隊への入隊試験に合格。文字通り血反吐を吐くような努力をして、日向が手に入れた結果がそれだった。本来であればあり得ない程の若さでの対応だと士官学校の教授達からも散々言われたが、日向としては遅すぎるくらいだという認識だった。
だって、あれからもう10年が経とうとしているのだ。当然年月が経ったからと言って少年に会いたいという気持ちが消えるわけではない。
でも、と仁に日向は言葉を返す。
「時々はやっぱり考えたよ。この選択が正しかったのかって」
こんなに頭が良いのに軍人だなんて勿体無い。大学へ進学した方が、役人へ就職した方がずっといい。そういった言葉を投げかけられたことも一度や二度では済まなかった。
それらに心が揺らいだことも、ないわけでもなかった。
「幽霊の影を追いかけてるだけなんじゃないかって、思うことだってあった」
立ち止まり、あの日の仁の言葉に向き合ってしまうと、そのまま進めなくなってしまいそうで。向かうと決めた場所に辿り着くまで、あの上着でさえなるべく見ないで済むように部屋の奥にしまっておいた。
だからこそ、今日の陸の言葉には正直だいぶ、応えた。
「陸がね、今日エルについて教えてくれたの」
「書庫の話か」
「うん。私あの資料とか全部、仁さん捨てちゃったと思ってた」
「なぜ?」
「私に軍人になってほしくなさそうだったから」
仁の口にくん、と力が入ったのが日向の視界の端に見えた。
日向が言ったことは多分事実で、それでも仁が今まで背中を押してきてくれたのも事実だった。今日の陸の言葉のように。
「あの上着も陸に見られちゃって、言われたの。あの上着くれた人、俺生きてると思うって」
あの頃の自分と同じ言葉に背中を押されたような気持ちになったと同時に、気付かされてしまった。あの頃の自分にはわからなかった、今の自分には容易に想像がつく現実。
あの日、日向を助けるために亜種を殺した少年はきっと捕まり、処罰を受けただろうということ。
もし本当にエルだったとしても、不老不死の亜種なんて捕まってしまえば、死ぬまで酷使されるか一生牢獄生活かの二択ぐらいしかないだろうということ。
「もう会えるわけないって、私ちゃんとわかってたはずなのに」
なんで、という言葉が続くことなく、日向の口の中に飲み込まれる。
弱音を口にするのは随分久しぶりなような気がした。言ってもどうしようもないことを口にするのを、あえて避けてきた自分がいた。それは向き合うべき現実から逃げているということと、同じことだったのかもしれないとふと気づく。
「俺はお前に軍人になってほしくなかったわけでも、彼を追いかけてほしくなかったわけでもないよ」
2人の間にしばらく沈黙が流れた後、溢れ落ちるように仁が言った。
「陸と同じ。ただお前がいなくなるのが寂しかっただけ」
ふっと力を抜いて笑う仁の姿を、日向は思わず見つめる。仁がこんな感傷的な言い方をするのは初めてのことだった。
「それでも俺は、お前の望んだ道へ進んでほしかった」
「…私が間違っていたとしても?」
「お前は自分が間違っていたと思うのか」
問われ、思わず黙り込む。俯く日向に一瞬視線を向けた後、仁は夜空を見上げて言った。
「俺は思わないよ、そんなこと。それくらいの覚悟を日向はしてきたと思ってる」
「…そうかな」
自分がそんな大層な人間だとは思えなかった。ただ、自分だけ生き残ったことに、救われたことに意味を見出したかった。何かを成し遂げなければ自分自身を許せなかった。
そういった日向のエゴも全てわかったかのような声で仁がうん、と頷く。
「だから、どんな最後を迎えたとしても、最後は自分のしてきた選択を信じてやってほしい」
「そんなの、わからないよ。信じられるわけない」
答えながら見つめた夜空の星が、滲んで揺れる。いつの間にか庭の炎も消えていた。ここに座り始めた時から、随分と時間が経っていたらしい。
縁側から立ち上がった仁が日向の頭にわずかに触れる。
「今はわからないままでもいい。いつか最後にわかるはずだよ」
宥めるように言う仁の顔を、日向は見ることができなかった。
それでいいと言うように、仁の手が日向から離れていく。
「もう寝なさい。明日早いんだから」
その言葉に無言で頷き、日向も縁側から立ち上がる。濡れた頬を拭い見上げた夜空は、7歳の頃の自分が見上げたものと何一つ変わっていないように見えた。
そう、あの日と何も変わらない。何が正しいのかわからないまま、自分が選んだ方角が正しいことを祈り歩き続けることしかできない。
──大丈夫、まだ歩ける。
確かめるように心の中で呟くと、灰と煙に日向は背を向けた。




