第7話 グッドラック
夕焼けに染まり始めた空の下、やあっと短い掛け声と共に、日向の頭上に剣先が振り落とされる。庭先の子供達が固唾を飲んでそれを見守る中、少し離れた場所で陸は小さくため息をついた。
軍の特殊部隊に受かった日向にただの子供が勝てるはずがないのに、と。
案の定、日向は自らの脳天に向かってきた剣先をするりと避けると、瞬きをしている間もない程の速さで男子の竹刀を奪った。そのまま構えの姿勢で止まっている男子の頭上のすぐ手前で、竹刀を止めて見せる。
そうして一連の流れに男子が気づいた頃、コツンと軽い音を立てて竹刀が男子の頭を叩いた。
「はい、これでおしまい」
そう日向が言った途端に、男子を含め周りの子供達が一斉に感嘆の声を上げて日向を囲む。
「何今の?何してるのか全然わかんなかった」
「日向すごすぎ…絶対うちらじゃ勝てないよ」
「俺もう一本やりたい!次は絶対当てるから」
「だったら私だってやりたいし」
「ダメだよ、もう夕食の時間なんだから。先生の手伝いしないと」
えーっと皆一様に抗議の声を上げたが、はい戻った戻ったと日向に背中を押され渋々母屋へと向かい始める。その最後尾を歩く陸が思い出していたのは、離れで日向が見つめていたあの上着のことだった。
渡り廊下の途中で足を止め、まだ少し青い空を見上げながら陸は思い出す。日向が口を噤んだあの上着と、今日見つけた書物の記載を思い出す。
「陸?」
陸がついてきていないことに気付いたのか、少し先で日向が立ち止まる。
「どうしたの?一緒にいこ?」
そう笑う日向はいつも通りに見える。だからこそ、最後に確かめておきたいと思った。
「…さっきの」
「うん?」
「さっき日向が持っていた上着、あったでしょ」
少しの間のあと、「うん」と日向が頷く。
聞いてほしくないという顔をしていることはわかっていたが、触れずに続ける。
「あの上着についていた、青いやつ」
──青い、血。
そう陸が溢した瞬間、日向が大きく目を見開く。いつもは絶対に見せない幼い表情に、ああやっぱりと思う。
やっぱり忘れられないくらい大事な人のものなんだ、と。
「そういう亜種がいるんだって。今日先生の書庫で見つけた本に書いてあった」
渡り廊下を歩き、日向の隣で陸は立ち止まる。
日向の方を見ることはできなかった。目を合わせた瞬間に泣いてしまいそうだったからだ。
「青い血をもつ亜種。名前、エルっていうんだ」
隣で話し続ける陸の横顔を、日向が見つめる。
「全然死なないんだって。しかもすごく長生きで、1000年や2000年、3000年も生きるんだって」
だがその瞳の先にあるものが自分ではないことに、陸は気づいていた。
まさかそんな都合の良い話はないだろうと。おとぎ話だと、あり得ない話だと、陸でさえそう思う。
それでも伝えたいと思った。
日向があの上着の持ち主との再会をどれだけ願っているか、気づいてしまったから。
「だから俺、あの上着くれた人、生きてると思う」
「それだけ」と言い切り日向を置いて、陸は渡り廊下を走り抜ける。
人気のない場所を目指し走るが、我慢していた涙がぼろぼろと溢れ始めてしまい、その度に何度も顔を拭う。
──明日から日向がいない。
──明日からはひとりでみんなと関わらなくてはいけない。
──軍人になるというからには、もう二度と会えないかもしれない。
──もう日向に甘えることも、励ましてもらうことも、大丈夫だよと背中を撫でてもらうこともできない。
随分前からわかっていたはずの現実が陸を覆い、目の前が真っ暗になる。足が竦んで、歩くことすら諦めたくなる。
それでも、何かが陸の背中を押していた。
寂しくてたまらないと心の底から思う。それでもこの寂しさが日向がいてくれたことの何よりの証だと、今ならちゃんとわかる。
──大丈夫、きっとまた会える。
そう、祈るように思う陸の瞳から涙がまた1つ溢れた。




