第35話 ここにいて
伊吹と颯が告げた作戦は、こうであった。
「つまり、銃に魔力を込めるんだ。魔力で刀の耐久力を上げたように、銃弾の質量や発射速度を、向上させることができるんじゃないか?」
「そうすればその分、銃弾の威力が上がるからね。その上で、ルカには日向の射程距離外から、日向達を狙って撃ってほしいんだ」
「あくまでも威嚇、な。洞窟の周囲の木々や岩場を壊す程度でいい。このまま撃たせてちゃまずい、なんとかしなきゃと思わせてくれれば、それでいい」
「で、そうすると多分、日向だけ前に出てきますよね。狙撃でルカを狙える位置まで出てくる」
「そこで、俺が日向を撃つ。そうすれば残りは善1人だけだ」
作戦会議を終えた後、それぞれの配置へと向かう前に、伊吹はルカに言った。
「零はお前に魔力を使うなって言ったらしいけど、魔力使った訓練だって、俺はもっとしてみてもいいと思う」
他人を傷つけることへの恐怖心。
人間ならざる異物が混じっていることへの負目。
特別感と責任感。期待と焦燥。
ルカが抱えるそれらを、おそらく伊吹は少なからず理解していた。
ぐちゃぐちゃに絡まり、決して解けることのない糸のようなルカの心を、察していた。
「だって、それはお前にしかできないことなんだから」
それでもルカを見つめた。
言葉を選んだ。目線を合わせた。先を歩き、手を引いた。
何度も投げかけられたはずのその言葉が、別の輝きを放つその瞬間。
その瞬間に、自分は未だ生かされているのだと、ルカは思い知らされる。
「俺たちには、ちゃんとお前が必要だよ」
──────
数十分前の出来事を思い出しつつ、ルカはスコープ越しに目標の洞窟を見つめる。
配置につき、魔力を込めた銃を撃ち始めてから、既に数分が経過していた。
日向達の姿を隠していた木々や岩はあらかたルカが狙撃により破壊したため、洞窟の入口はほぼ丸裸の状態である。
それらを確認しつつ、ようやくルカは1人安堵する。
正直伊吹と颯から作戦内容を告げられた時は、困惑した。
──銃に魔力を込めろ、なんて。
しかしルカ自身振り返ってみれば、自分以外のモノに魔力を込めるという行為自体は、これまでもやってきてはいたのだ。
理屈はわからないが、やはりこの身体のせいなのだろう。
魔力の流れによりモノの位置がわかるように、魔力が流れるモノに触れることで、モノの性質を感覚的に理解できる瞬間というのは、これまでにもあった。
モノがより強い効果を発揮するにあたって、魔力を込めるという行為を、意識的にやってきたりもした。
一方で人工物においては、構造や成り立ちを理解していないと、魔力を込めた対象が適切な効果を発揮することができないと、ルカは認識していた。
その点、今回は幸運であったと言えるだろう。
日頃の学習や訓練において、銃の構造や成り立ちについては事前に把握できていた。
──俺が避けてきただけで、炎や水も構造や成り立ちさえ理解していれば、扱えるのかもしれない。
それでも当然、今回の作戦は不安だった。
銃に魔力を込めるだなんて、全く経験がない。
どれだけの魔力で、どれだけの威力が発揮されるのか、まるで見当がつかなかった。
もし、力を誤ってとんでもない被害を起こしたら。
取り返しのつかないことをしてしまったら。
生命を、奪いでもしたら。
いつかの痛みがルカを縛り、思考を鈍らせ、身体を動かなくした。
いつも通り何もしない方がいいと、誰かの声が聞こえたような気がした。
──でも、必要だと言われた。
それでも伊吹の言葉が呼び覚ましたのは、痛みだけではない。
いつかの幸福な記憶を、呼び覚ましもした。
──あの頃みたいに。
ずっと、思い出さないようにしていた記憶。
自分のこの力により、彼らを殺めた記憶。
血に染まった自分の手を、掴んでくれた彼の記憶。
思い出してしまえば、自分を肯定できてしまうから。
──それでも、やっぱり俺は今でも。
いつかの記憶を、ルカは心の奥底にずっと仕舞い続けていた。
それこそ、宝物のように、ずっと。
『お前は、俺たちの中で一番鈍臭いけど』
『一番丁寧に、魔力を扱える奴だよな』
そう、彼が言ってくれた。
あの瞬間、どれだけ嬉しかったか。
どれだけ救われたか。
だから、だから。
──お前がいてくれてよかったって、思われたいのか。
数百年前のたった1つの記憶に、ルカは今もなお、生かされていた。
──そういえば、日向は?
狙撃に一区切りついたところで、合間に洞窟から飛び出す日向の姿が見えたことを、ルカは思い出す。
伊吹の作戦通り、ルカを狙うためだろう。
しかし日向の姿を見かけてから、それなりに時間が経ったが、未だルカへの発砲は見られなかった。
撃ってこないとなれば、ルカの動きも変えるべきだろう。
構わず周辺を撃ち続けるべきか。それとも移動し、伊吹や颯と合流すべきか。
「…え?」
しかし、迷うルカを置いてけぼりにするような出来事がさらに発生する。
洞窟から、人質役である3人が出てき始めてしまったのだ。
女性、男性、女性。3人の人間。
──なんで?
恐る恐るといった様子で周囲を見回しつつ、ルカのいる方角へと3人が歩き始める。
狙撃が止んだ隙を狙って、洞窟から逃げようとしたのだろう。
それ自体はおかしい話ではない。
だが1人、ある人物の存在が足りなかった。
──善が、いない。
洞窟から出てくる集団の中に、善の姿がなかった。
人質だけ逃して、自分1人だけ洞窟に残っているなんてことはありえないだろう。
思わず洞窟の周囲を必死で見つめるが、探し物には全く困るはずのない更地が目の前に広がるだけだ。
嫌な予感が、ルカの頭を過ぎる。
──俺の狙撃のせいで、何かあったんじゃ。
狙撃の最中、砂埃や散乱する草木で、視界が不明瞭になる瞬間は確かにあった。
当然、岩や草木の破片も飛んできただろうし、洞窟内であったとしても衝撃はそれなりにあっただろう。
それでも、まずは人質役の確保である。
──その上で善について、あの3人に聞くしかない。
動揺で真っ白になった頭のまま立ち上がりかけた、その時だった。
ふと、ルカは思い出す。
日向は俺が撃つという、伊吹の言葉。
しかし、銃声は一向に聞こえてこない。
では、日向は今どこにいて何をしているのか。
慌てて狙撃に充てていた魔力を気配探知に回し、日向の気配を探る。
しかし、そのような甘えを日向のような用意周到な人間が許してくれるはずもない。
そのことに気づいた時点で、もうすでにルカの負けは確定していたのだ。
──ああ、これって、もしかして。
そうして、日向らしき人物の気配をルカが探知した瞬間。
立ち上がったルカに対し、1発の銃弾が撃ち込まれた。
鈍い痛みが、ルカの身体をじんわりと覆っていく。
それでも青い血は出ない。当然皮膚や内臓も飛び散らない。
実弾でも構わないのに──なぜかそんなことを冷静に考えてしまっていた。
続けて、2発目と3発目。
連続して当てられれば、さすがに痛みにも耐えれなくなり、その場にルカは倒れ込む。
倒れ込む直前に見えたのは、ハッキリとした光を放つ日向の瞳。
真正面。ルカの位置から僅か数メートル先の茂み。
それが、日向の居場所だった。
茂みから姿を現した日向が、ルカの目の前へとやってくる。
せっかく作戦を考えてもらったのに──なんて、落ち込むルカに対し、薄い笑みを浮かべながら日向は言った。
「残念だけど、今回は私たちの作戦勝ちだよ、ルカ」
──────
「つまり、俺を狙いに行くと見せかけて、先に伊吹さんを撃ち取りに行ってたってこと…?」
狙撃の痛みがようやく治った頃、日向が自分達の作戦内容について、種明かしをしてくれた。
なかなかルカを撃ち取りに来ないと思っていたら、伊吹を先に撃ち取りに向かっていたらしい。
そんなことをしてしまえば、ルカの狙撃を受ける人質が危険だと思わなかったのか。
そんなルカの追求も予想した上でだろう。
ルカが何かを言う前に、余裕に満ちた表情で日向が言う。
「だってルカ、あれ全部威嚇射撃だったでしょ?」
「う…」
「だったら、わざわざルカを捕りに行く必要ないかなって。それだったら私がルカを狙うと思い込んでる伊吹さんを、確実に捕りに行った方がいい。私の銃声もルカの狙撃の音で紛れるからね」
「ぐ…」
どうやらルカが囮になることで日向を撃ち取りに行く作戦を、逆手に取られてしまったらしい。
狙撃に集中しすぎて、伊吹や日向の気配に意識を向けきれていなかったことが、敗因の一つだろう。
再び落ち込みかけたところで善のことを思い出し、慌てて日向に尋ねる。
「そうだ、善は?」
「善?」
「善、もしかして俺の狙撃で怪我とかしたんじゃないかな」
「怪我…」
「だって、ずっと姿が見えないんだ。人質の人達は出てきたのに。あの洞窟のどこかで、倒れたりしてるんじゃないかって…」
焦りから饒舌になるルカに対し、一瞬キョトンとした表情を浮かべた日向であったが、すぐに目を細めて小さく笑ってみせた。
「ルカ、気づかなかったの?」
「え?」
「まあいっか。とりあえずそろそろ訓練も終わりの時間だから、山を降りよう。みんなも待ってるだろうし」
「でも…」
言葉を続けようとするルカの思考を、先回りした日向が言う。
「大丈夫。善はルカが思ってるよりも、ずっと強かな人間だよ」
──────
夕焼け色の空の下を、日向に手を引かれるようにして山を降りる。
そのまま訓練地の入口へと向かえば、人質役と思われる女性達の他に、善とアスカの2人。
それから、疲れ切った様子で地面に座り込む颯と伊吹の姿があった。
ルカの心配を他所に、特段平時と変わらない様子でアスカの隣に立つ善を見て、思わず胸を撫で下ろす。
どうやら怪我に対する心配は杞憂だったらしい。
しかも日向やルカよりも先に、入口に戻ってきているときた。
一体いつの間に洞窟から抜け出したのか。
浮かんだ疑問をそのままに、隣を歩く日向を見れば、穏やかな口調で種明かしをされた。
「私が洞窟を出た瞬間はわかった?」
「うん。そのつもりで日向の姿や気配は追ってたから…」
「じゃあ、善については?」
「……あ」
指摘され言葉を失うルカに対し、変わらない口調のまま日向が続ける。
「善がどこにいるか、ちゃんと気配追えてた?」
「…もしかして、日向と同じタイミングで洞窟を出てた、とか?」
「うん、正解」
「…そっか」
責める気もなければ、揶揄う気も叱る気もない。
気遣いのできる日向だからこその言葉遣い。
「私とは逆方向に出て行ったから、気づかなかったかもしれないけど」
「…」
「まあ砂煙とか草木とか、すごかったし。善もルカに気づかれないように、わざとこっそり出ていったっていうか」
ダメだね、全然俺気づかなかった───そう、笑いながら放とうとした言葉達。
それらが全て喉へと引っかかり、ルカの奥深くへと沈んでいった。
だんだんだんだん、正しいはずの日向の言葉が遠くなる。
また、どうして、今更。
わかっていても、ルカの頭を彼が駆け巡る。
怪我してなくてよかった───なんて、安心している自分を指差す存在。
呆れる存在。否定する存在。侮蔑する存在。
思い出さないように蓋をしていた記憶。
彼の言葉を、思い出す。
『お前って、本当』
ルカの頭に鳴り響く。
『出来、悪すぎ』
反響する記憶。
痛み。光。轟音。
あの頃の無力な自分。
「…ルカ?」
思わず足を止めたルカに気づき、日向が振り向く。
──わかっている。
こんな記憶は過去のモノでしかなくて、縛られる必要なんか全然なくて。
──わかっている。わかっている。
心臓なんて、ないはずなのに。
傷はもう全部、塞いだはずなのに。
「ルカ、大丈夫?気持ち悪いの?」
それでもまだ胸を押さえて、地面を見続けている。
『なんで、こんなことも、できないわけ?』
鳴り響く過去の声に押し潰されそうになった、その瞬間だった。
「ルカ!」
聞こえてきた自らの名に顔を上げてみれば、ルカの元へと向かう伊吹がいた。
その後ろには、颯の姿もある。
「あ…」
すみません、俺全然ダメで──そう続けようとした。
せっかく作戦立ててもらったのに──情けない声が口元まで上がりかけた。
2人とも他人に対し、無遠慮に怒りをぶつけるような人間でないことなんてわかっている。
それでもルカは、2人の顔を見るのが怖かった。
いっそ怒って欲しかった。だって、呆れられるよりもずっといい。
もう自分にガッカリする痛みに、ルカは耐えられる気がしなかった。
「お前、やれたじゃん」
しかし、違った。
少しだけ汗の滲んだ伊吹の顔を見て、ルカは自らの胸を押さえる力を僅かに緩めた。
安心したような、どこか満足気で、誇らしさを纏った顔。
なんて、そう思えてしまうのは解釈の都合が良すぎるのだろうか。
「すげえよ、あれ。あんな威力出ると思わなかった。しかもちゃんと、魔力制御できてたしさ」
「まあでも俺も伊吹さんも、正直ルカがビビって撃てないんじゃないかなあって思ってたけど」
「それは…あるな」
「で、ですよね…」
伊吹の後ろから顔を出した颯が嗜めるように言い、伊吹が同調する。
同じように、ルカも頭をかきながら頷く。
ああやっぱり──そんな思いから、誤魔化すように2人から目を逸らし、笑顔を作る。
「でも、撃てたから」
しかし、こちらを見ろとでも言うように、再び伊吹が言う。
「今日の成果は、それじゃね?」
目線を合わせたルカの頭を撫でるように、声を降りかける。
「まあ、作戦としては完全に俺達の負けだけど」
「え、俺達ですか?」
「お前だって撃たれただろ」
「ま、そうですけど」
「あ…あのやっぱり2人とも、俺の狙撃中に撃たれたんですか…?」
続く伊吹と颯のやりとりに、今日の結末を察知する。
ルカの問いかけに対し、二人が顔を見合わせて数秒後。
心底嫌そうな顔で腰に手を当てつつ、颯が自らを指差し答えた。
「俺は善に、伊吹さんは日向に」
「あれ、めっちゃ痛かったよなあマジで」
「骨折れたんじゃねえかってくらい痛かったです」
「実弾じゃなくたって、痛すぎんだろあれ」
「……じゃあ、やっぱり俺が…」
罪悪感から、自責と謝罪の言葉を述べようとする。
しかしルカの言葉を遮るように、伊吹が言う。
「あーあ。俺もすぐ日向に抜かれちまうなあ」
独り言のように、ほんの少しだけわざとらしさも交えて言う。
「狙撃ですか?」
「そ。やっぱあいつ技術高いわ。訓練真面目にやらねえと抜かれそう」
「俺は…体力ですかね」
「お前いっつも同じこと言ってるからな」
「ふっ、すみません」
「おい、笑ってんじゃねえか」
「すみませんって……ルカは狙撃ですかね?」
「え…え?」
遮られたかと思えばいきなり話を振られ、戸惑うルカを他所に伊吹と颯の会話が続く。
「精度はまだまだだからな。後は…対人格闘か?」
「ですね。まあどちらも繰り返し練習して、経験積むしかないですから」
「颯にしては珍しく真面目なこと言うじゃん」
「え、当たり前なこと言っただけですけど?」
「…お前なあ」
そうして、ルカはようやく気付かされる。
空気が重くならないよう、あえて軽口を混ぜながら2人が会話を続けてくれていることを。
直接言葉にしなくても、2人が言わんとしていることを。
過去への絶望を、今への甘受を、未来への期待を。
否定するわけでも、肯定するわけでもなく。
ただ、この先何をすべきか考えることだけは続けろと。
それだけはやめるな──と。
そう投げかけてくれているのだと、気づく。
「3人とも」
声の方角を見れば、遠くで姿の小さくなった日向が手を振っていた。
気を遣ったのか、3人の会話からしばらく席を外してくれていたらしい。
「帰りの車の時間、決まってますから」
「やべ、行かねえと」
日向の声に応対する伊吹の隣を颯が歩き、慌ててルカも後ろから続こうとする。
しかし振り返った颯と目が合い、ルカは思わず首を傾げた。
仕方がないとでも言うような、颯にしては珍しい笑い方をしていたからだ。
「日向が待ってるんだから、先行きな」
言いながら、颯がルカの背中を軽く押し、先を急がせた。
言われるがままに歩き始めてみるが、途中で不安になり、僅かに振り返る。
「大丈夫だって」
小さく笑う伊吹に言われ、そうなのか、と思う。
先で待つ日向を見つめて、いいのかな、と思う。
ここにいても、いいのかな──なんて。
答えなんて、誰かがくれるものでもなければ、見つかるものでもない。
──わかっている。
それでも絡まった感情を今はただ抱えたまま、ルカは日向の元へと急いだ。




