第32話 訓練
「あー…なんで選ばれたのが俺なんだろ」
隣を歩く颯に、伊吹が独り言のように言えば、今更何を言っているのかと表情だけで呆れられた。
「そんな言ってもしょうがないこと、わざわざ口にしないでくださいよ」
「だってよお…」
初夏の空の下、艶やかな緑が生い茂る山岳地帯を歩き続けて数時間。日頃の訓練のおかげで体力的にはまだ余裕な状態であり、天候的にも訓練日和といって申し分のない状態である。
が、雲一つない青空とは正反対に、今日の訓練内容が伊吹の心を曇らせていた。
呑気に他の隊員達と談笑していた今朝のことだ。
颯と共に、お前らは今日午後皆と別訓練だと小隊長に呼ばれ、気付けば御坂から数十キロ離れた山岳地帯へと連れて行かれた。
整備された山道の他に、険しい岩場や雑木林。それと、空き地が広がる一帯。
ここが今日の訓練地だということは、言われずとも理解できた。
──人数は3対3。
──既にこの山岳地帯に敵対勢力役の隊員3人と、人質役3人を配置している。
──終業時間までに、敵対勢力から人質役を救出すること。
──それが、今日のお前らの訓練内容だ。
山岳地帯の入口にて、小隊長から説明を受けた際、残り2人の面子を伊吹は思わず凝視した。
颯、はまだいい。むしろ頼りになる。
だが、もう1人が問題だった。
「俺、ルカと全然喋ったことないのに」
先を歩く金色の頭の少年が伊吹と同じ第3小隊に入隊してから、もう既に1ヶ月以上が経過している。
が、いまだに伊吹はルカと直接話をしたことがなかった。
隊の中では実力者でありながらも、颯や善といった若手に比べれば年長者であるせいだろう。隊に馴染み始めたルカといえど、積極的に伊吹に話しかけてくることはなく、伊吹自身も距離を測りかねていたのが現状である。
そんな伊吹がルカについて持っている有益な情報としては、魔力を使えばサトルと同等レベルで戦えるということくらい。
一方で魔力が使えなければアスカはおろか他の隊員にもコテンパンにされるくらいに弱い、という程度の印象だった。
だからこそ、ルカを頼りにするような作戦はあまり立てたくないというのが正直なところだったが、そうもいかない理由があった。
「相手の3人が普通の隊員だったら、俺だってルカを使う作戦なんて考えませんよ」
伊吹の思考を読み取ったかのように、颯が言う。
相変わらず察しが良い奴だなんて感心している間に「でも」と言葉を切り、颯が大きくため息をついた。
他の隊員に比べて少し長めの色素の薄い前髪が、僅かに湿った額に張り付いている。
「相手がアスカ、日向、それと善となれば話は別です。必然的にルカをどう使うか、考えざるを得ない」
今回の訓練は敵対勢力役の相手が厄介であった。
御坂の中でも特に優秀な日向と善だけでなく、戦闘能力ピカイチのアスカまでいる。
正直こちらの方が能力値的には圧倒的に低いという他なかった。
訓練開始直後から、とにかくアスカ達に見つからないよう逃げることしかできていない現状が、まさにそれを暗示しているといえるだろう。
一方で道中にて、ルカに思いがけない能力があることが判明した。
どうやら周囲の魔力の流れなるものをルカは感じ取れるらしく、それによりアスカ達の位置や周囲の地形などを把握することができた。
これには伊吹もルカを称賛した。さすがはエル、といった具合に褒めたりした。
しかしそれと引き換えに、何かいい策が思いついたわけでもない。
結局は把握した情報により逃げ回っているだけで、攻勢に転じているわけでもなかった。
「このまま逃げているだけだと、訓練地の外まで後退を余儀なくされるか、そのまま終業時間を迎えるかですからね。どうにかしないと…」
そう颯がつぶやいたタイミングで、ふと伊吹が視線を上げてみれば前方に隠れ家にふさわしい岩場を発見した。
ちょうどいいと考え、声をかける。
「…ルカ!」
呼びかけられた名前にびくりと肩を揺らし、前方を歩いていた異国の少年──ルカが振り向く。
ビー玉のように丸い大きな瞳が伊吹を捉えたことを確認し、片手を挙げて答える。
「一旦、作戦会議にしよう」
────
「ルカの情報をもとに考えると、この山岳地帯の地形と相手の現在地については、こんなところでしょうかね」
颯が地面に描いた地図を眺めながら、伊吹と颯の2人で今後の動きについて作戦を寝る。
ルカには周囲の警戒をメインにやらせる役割分担だ。
「北に位置する洞窟に5人。そこから数キロ離れた南の入山口に近い場所に1人。動きがかなり速いので、この飛び出た1人がアスカだと思います」
「そうなると洞窟にいる5人のうち、3人が人質、2人が日向と善か」
「アスカだけ、かなり離れた位置にいるんですね」
「あっちは人質を奪われなきゃいいだけだからな。こちらからは襲撃しにくい場所に陣取って、人質の身を隠しつつ、アスカに俺たちを狩りに行かせるって算段なんだろう」
「そうなると、アスカから逃げつつ北へと抜けて、人質救出に向かう…でしょうか」
「多分、北には日向が狙撃手として控えている。日向を狙えるラインまで俺たちが出てきたところを、狙撃で牽制するつもりなんだろう。日向の狙撃で俺たちの居場所が割れれば、そこにアスカがすっ飛んでくる。あいつは耳がいいし、足も抜群に速いからな」
「では、アスカは俺たちが日向の狙撃範囲に入るよう、誘導するために動いていると」
「ああ。だからわざわざ1人南の方まで出てきて、北に追い込むように動いている」
「…なるほど」
相手側の作戦は大方読めたが、こちらにとっていい案が浮かんだわけではないというのが、悩ましいところであった。
人質含めそれぞれの位置取りに関しては、さすがは日向と善の采配だと言わざるを得ない。
さて、と目の前の2人を眺めながら、こちらとしてどう出るかを伊吹は再び考える。
武器については各々に最新式の狙撃銃であるM2850が1本が支給されている他、帯刀も許されている。これについては相手側も同じはずだ。この狙撃銃であれば数百メートル先の的は狙える。
地面に胡座をかきつつ、颯が案を出す。
「アスカを無視して、3人別々で人質救出に向かうのは?」
「アスカの居場所を把握できるのはルカだけだ。ルカから離れると、俺たちは動き回るアスカと日向からの狙撃、両方を警戒しなきゃいけなくなり、かなり不利だ」
「となると、アスカの相手をルカがしつつ、伊吹さんと俺で人質救出に向かうとか」
「それが正攻法なんだろうが、まあ日向だからな。洞窟の位置的に、かなり奥まった場所にあるみたいだし、草木や岩が邪魔になって、こちらからは狙いにくい。こっちが日向を狙撃可能なラインに出てきた瞬間、撃ってくるだろうし、そもそもこちらが当てにくい場所に陣取っている可能性が高い」
「ですよね。全員の位置がルカにバレることも、あの2人なら想定してそうですし」
「いずれにせよ、アスカを一箇所に留めるか、先に潰す必要がある。そんで日向もできる限り、前へと出させられるといいが…」
はあ、と特大のため息をつく伊吹と颯の2人を、気まずそうな顔でルカが見つめる。
ルカをどう使うかも考えてみたが、これまでの訓練の様子を見る限り、近距離戦はまあまあいけるラインまで仕上がってきたが、狙撃はまだ命中率が悪く、障害物の多い山の中で使い物になるとは言い難い。
──俺と颯の2人でアスカを引きつけ、日向と善にルカをぶつけるか。
しかしそれではルカが確実に1発は撃たれてしまう。日向と善であれば確実にルカの脳天か心臓を狙ってくるだろう。
どこを撃たれてもすぐに復活できるのかもしれないが、ルカの不死性を利用した作戦は立てるべきではないというのが、伊吹の方針だった。
──そもそもこいつが本当に死なないのか、俺も確信持ててないしな。
ふと、ルカの持つ魔力の効能について知りたくなった。
「なあ、疑問だったんだが、お前って魔力を使ってどこまでできるんだ?」
伊吹からの急な問いにルカの顔がわかりやすく強張る。
伊吹が面と向かってルカときちんと話すのは、これが初めてだったと気づき言葉を重ねる。
「あー…どこまでっていうか。どういうふうに使っているか、とかなんだけど」
「…あまり、意識したことなくて」
ぼんやりとしたルカの回答に思わず呆れそうになるのを、伊吹は抑えたつもりだったが、颯の顔には出ていたのだろう。実年齢に比べ幼く見える颯の眉間に、じんわりと皺が刻まれる。
普段一緒にいることが多いせいか、ルカに対しては意外な程わかりやすい態度を颯は示してみせた。
思わずといったようにルカが謝ろうとするを、やんわりと伊吹が退ける。
「いや、責めてるんじゃなくてさ。できないこともわかっておきたいってこと」
伊吹の言葉にルカが目を瞬かせる。
瞬きの間に星が舞っているかのような眩しい瞳。
笑ってしまいそうになる程、素直な反応。
──アスカが猫だとしたら、ルカは犬だな。
お互いに端正な顔を持ちながら、どこか動物に似た印象を伊吹は2人に対し持っていた。
「俺も実際に見たことあるわけじゃないけど、亜種の中には炎や水を操れる奴もいるらしいじゃん。そういうのはルカにはできない?」
「で、できないです」
「理由とかは思いつく?」
「こう…木とか土とか岩とか、自分以外のモノに流れる魔力の存在自体はわかるんですけど、それを扱うにはどうしたらいいのか、俺にはわからなくて」
「へえ…ってことは、木や土にも魔力が元々流れてるってこと?」
「はい。どんなモノにも魂は宿っているので…」
「ふうん…」
「うまく言えないんですけど、俺は、自分の中にある魔力を扱うのに精一杯というか…」
懸命に話すルカの説明をどこまで正確に理解できているのか、伊吹自身確信は持てなかった。
そもそも魔力の存在を、ただの人間である伊吹には認知しようがないのだ。
ただ、人が為せるはずのない事象が、この世界で当たり前のように起こっていることは事実であり、それを魔力によるものだと定義するのが人間であると、伊吹は理解していた。
ルカが言うには、要は自分以外に流れている魔力を扱うのは現状無理ということらしい。
しかし、サトルと一戦交えた時には凄まじい身体能力を見せていたようだから、言葉通り自分の体内に流れる魔力を扱うことは可能なのだろう。
イメージとしては自らの筋力や瞬発力を大幅に増強させるとか、そういったものだろうか。サトルはそれを「魔力操作」と呼び、意識的にやっているという話を聞いたことがあった。
そこで疑問が沸く。
──なら、自分の体内の魔力を、自分以外のモノに波及させるのは?
「ねえ、でもさ」
考え込む伊吹に対し何かを思い出したのか、颯が声を上げる。
「一番最初にアスカとルカがやり合った時って、普通の刀使ってたよね」
「そうですね。これを使ってました」
言いながら、ルカが腰に携えていた刀を取り出し見せる。
漆黒の柄に鉛色の鍔を携えた刀。薄い弧を描く刀身。
意外なことに異国にいたはずのルカが取り出したそれは、大和で一般的に使われている刀とほぼ同じ形状をしていた。わざわざ自分から盗むような性格でもなさそうなので、恐らく盗品か模造品を買い与えられ使い続けてきたのだろう。大和の刀は異国のものと比べてよく斬れるというのが、専らの評判である。
しかし、見た限り特殊加工等施されてないのは確実であり、むしろいつから手入れしていないのかを聞くのが怖い程に、刃の状態は酷かった。正直使い続けていることに対し引くレベルである。
「よくこの刀でアスカとやり合えたな…。確かあいつは力負けしないようにって特殊鋼の刀使ってたろ」
「そう。そこなんですよ」
思わず溢れた伊吹の独り言に、颯が反応する。
「つまりさ、触れてるモノであれば、自分以外のモノに魔力を込めることも可能なんじゃないかってこと。今までだってルカは多分、刀の耐久性や切れ味を高めるための魔力を、無意識に刀に込めてきたんだろうからさ」
自分にはなかった発想だったのだろう。
それまで不安そうな顔を浮かべていたルカが、大きく目を見開く。
「でも、今回は近距離戦でルカを戦わせるつもりなかったけど」
「もちろん。なので今回は近距離戦ではなく、狙撃でルカを活用するんです」
「…お前」
思わず伊吹の口から笑みが溢れる。颯の考えていることがわかってしまったのだ。
同時に伊吹の頭の中で一本の作戦が組み立てられる。
それを見越してなのだろう。颯がにこりと、如何にも人の良さそうな笑みを浮かべて見せた。
「人質役の方々にとってもかなり危険度が高い作戦になりますが…成功するかどうか、試してみる価値はあると思いますよ」
────
「…とまあ、こんな感じだな。俺はいけそうだが」
アスカの追跡に気を配りつつ、伊吹が考えた作戦を颯とルカにも共有する。
大方颯も同じ考えだったようで、多少の調整は入りつつも意見の対立は発生しなかった。
「俺も大丈夫ですよ」
「俺…も大丈夫です」
一方で、ルカはどうしたって不安なのだろう。
颯の淡々とした返事と異なり、やはり返事の歯切れが悪ければ表情も暗い。
──まあ、やったこともないことを今すぐやれと言われているのだから、当然か。
だがこのままでは、作戦に支障が出てしまうのも事実であった。
「まあ俺もこんなやり方したことないけど、できるかどうか不安を持ったままだと戦場で死んだとき、後悔するだろうし」
立ち上がりつつ伊吹が独り言のように言えば、座り込んだルカがそのまま伊吹を見上げる。
ルカの澄んだ疑いのない瞳で見つめられると、なんだか背筋をピンと伸ばさなくてはいけないような気持ちになってしまい、歯痒くもあり、重荷でもあった。
どうにも真面目で素直すぎるところがルカの欠点だと伊吹は思う。
人間でもないのに、人が良すぎるのだ。
しかしそれを冷笑するほど、伊吹はルカを疎んではいなかった。
「一応お前も御坂に入って、俺たちの仲間になったわけだからさ。俺は仲間ができることは最大限やらせてやりてえなって思ってるし」
──ああ、真面目なことを言いすぎたな。
自覚はあった。しかし嘘を言っているつもりはなかった。
どうやら相手を素直にさせる何かを、ルカは持っているらしい。
なんだか、笑えた。
「ま、上手く行かなくてもまずはやってみようぜ。訓練はそのためにあんだしさ」




