第31話 少年たち
バカ真面目で、痛々しい程素直な奴。
それが善にとってのルカの第一印象だった。
演習場でのルカとサトルの模擬戦を見学した時のことだ。
当初迷いに満ちていたルカの動きが、サトルからの働きかけで一目瞭然というまでに変化したことに気づいたとき、善は思わず顔を顰めた。
勝ち負けがどうこうというよりも、単純に危ない奴だと思ったのだ。他人の言動に染められやすく、自らの意志よりも、自らの行動による他人への影響を優先して考え動いてしまうようなタイプ。そんな奴が、他の亜種とは比べ物にならないほど圧倒的な魔力を有しているなんて。
深く考えなくても、これまでルカが他国においてどんな使われ方をしてきたか、善には容易に想像ができた。
恐らく人間のために、亜種のためにと力を費やすことを要求され、その度に現実を思い知らされ傷ついてきたのだろう。大和だって他国とそこまで大きく状況は変わりはしないというのに。
──なぜまた、こんな道を選んだのか。
バカな奴だと思うと同時に、自分には関係のない話だと割り切って考えるようにしていたのも事実だった。
しかしそんな善の思いとは裏腹に、宿舎における善の隣の部屋を、ルカが使うことになった。
実年齢はさておき、見た目だけで言えばルカと年齢が一番近そうに見えるのが善であり、問題児と評されるアスカと一番上手くやっているように見えるのも善──というのが選出の理由だったようだ。
時々でいいから様子を見てやってくれという小隊長からのお達しに表面上は愛想笑いをしつつ、内心では面倒事を押し付けられたとゲンナリする。
訓練初日は、日向がほとんどルカの相手をしていため、善がルカと一対一で顔を会わせることができたのは夜になってからであった。終業後の走り込みやトレーニングを終え宿舎に戻ると、昨日まで空室だった隣室に人の気配が生じていることに気づく。
上から何か聞かれた時に面倒だと思い、重い腰を上げてルカの部屋を訪ねてみれば、慌ただしい足音を響かせながらルカがすぐに顔を出した。
驚いた顔のまま固まっているルカに対し、淡々と自己紹介をする。
「蒼真善。隊一緒だったんだけど、わかる?」
「うん。アスカや颯さんと一緒にいたよね」
──そういう印象の持たれ方はあまり嬉しくないな。
思いつつ、初日の時点で2人の名前を言えるあたり、やはりルカの捕獲にはアスカと颯が関わっていたのだと確信する。
「そう。で、俺ルカの隣の部屋だから…」
そこまで述べたところで口にすべき言葉に迷い、一瞬押し黙る。何かあった時には言えとまで述べてしまうと、後が正直面倒ではあった。
しかし善の一瞬の沈黙に気づかない様子でルカが「そうなんだ」と頷く。
瞬間、まずいと思った。何というかパッと顔が明るくなったのがわかってしまった。何かを期待されても困るというのに。
「あー…うん、そう。だからまあ、よろしくというか」
しかしお茶を濁すような仕草をする善を見て、ルカも察したのだろう。一瞬明るくなった表情をすぐに戻しつつ「こちらこそよろしく」と微笑み、それ以上何も求めて来なかった。
善が予想していたよりも素直であれ、鈍感ではないらしい。
「声、かけてくれてありがとう」
扉を閉める前に投げかけられた言葉に目線だけ向けると、ベッドと机しかないルカの部屋に大量の辞書や本が積まれているのが見えた。善の脳裏に、会議資料を見て呆然としているルカの姿や、アスカに叩きのめされるルカの姿が過る。
──何か、声をかけてやるべきか。
一瞬迷ったが、その日はそれ以上話題を展開することなく、そそくさと自室へと戻った。
その後数日間、善は業務上でしかルカと話をしなかった。
元々善自身、昼は昼食や他の隊員との談笑に時間を費やし、夜や休日は自主練や他の隊員に誘われての外出や鍛錬に励み、それなりに忙しく過ごしていたため、ルカに気を配る程の余裕は正直なかった。
対するルカも日向と共に過ごす時間が多いように見えたが、自主勉に時間を使ったり、対人訓練を行うにしてもアスカや颯を含めた他の隊員に話かけに行っていたため、わざわざ善目がけて話にくるといったことはないようであった。初めてきちんと顔を合わせた時の印象が悪かったせいで、あまり話かけない方がいいと思われたのかもしれない。
それは予想通りの反応だから良いとしつつ、次第に颯やアスカと過ごすルカの姿が目につくようになってきた頃のことだった。
その日は休みだったのもあり、他の隊員に誘われ日付を超える時間近くまで、善は外出をしていた。
門番からの揶揄いを適当に交わしつつ、善が宿舎における自室の鍵を開けようとしたとき、ふと隣の部屋に人の気配が一切ないことに気づいた。
基本的にルカは夜を自主勉の時間に充てているようで、いつもであれば部屋に灯りが点っている時間帯だった。基地内の図書館だってとっくに閉まっているはずである。加えて情報漏洩防止のため、基地の敷地内からは絶対に出ないことが、ルカがここで生活を送る条件になっていたはずだ。
気になりつつも自室にて就寝のための準備を進め、少し待ってみる。しかし、いつまで経ってもルカが帰ってくる様子はない。とうに時刻は日付を超えていた。
ふいに、零の顔が善の頭を過った。
もしルカが敷地内から逃げ出したりでもしていたら、善も責務を問われる可能性があるのだろうか。
それよりも、基地内でルカに生活を送らせる許可を出した零はどうなるのか。罰を受けるような話になるのだろうか。
──どう考えても要領の悪い行動だ。
それは善にとって一番理解し難い行動のはずだった。それでも心が頭を否定する。
そのまま小さく舌打ちをして立ち上がり、善は部屋のドアを開けた。
深夜の基地内は、普段の喧騒が嘘のように思えるくらい、凛とした静けさと闇に包まれていた。
幸い休日というのもあってか、しばらく歩き回ってみても誰ともすれ違うことはない。月光と外灯の灯りを頼りに周囲を見回しつつ、思い当たる箇所をしらみ潰しに早足で回る。
そうして、ルカが休日篭りきりだと噂で聞いていた図書館の前を善が通り過ぎようとしたその時、入口前に設置されたベンチに座り込むルカの姿を見つけた。柔らかさを感じさせる金色の髪と、少年らしい横顔。外灯に照らされた髪がサラサラと音を立てながら夜風に揺れており、手元には分厚い本が握られていた。
思ったよりもすぐに見つけられたことにホッとしつつ近づいてみれば、足音で善の存在に気が付いたのか、ゆっくりとルカが顔を上げた。
驚きで見開かれた蒼い大きな瞳と鉢合わせた瞬間に、かけるべき言葉を用意していなかったことに気づく。勢いで部屋を出てきてしまったが、ルカからすれば偶然ここに立ち寄ったように見えたのだろう。
立ち尽くす善が何かを言う前に、戸惑いの表情を浮かべつつルカが言葉を発する。
「ええと、今帰り?」
「…いや」
そういうわけじゃないけど、と言えばルカが僅かに首を傾げる。じゃあなぜ、と言いたげな表情に無性に苛立った。
「お前こそ、なんでこんなとこいんだよ」
「え、」
「こんな夜中にほっつき歩くとか、マジ何考えてんだよ。自分の立場考えりゃ、それくらいやっちゃダメだってわかんだろ」
「……」
「…いつもだったら、部屋いるくせに」
出てきた言葉の乱暴さに内心で驚く。どういうわけか、自分でも歯止めをかけられないくらいに気持ちが昂ってしまっていた。ルカも常日頃の善の態度とあまりに違うことに戸惑っているのか、困ったように視線を揺らす。
しかし返ってきた言葉は、意外なほど呆気ないものだった。
「あの、いつもってわけでもなくて」
「は?」
「今までも、図書館閉まった後そのままここで時間潰したり、夜基地の中出歩いたりはしてたから…」
遠慮がちな言い方から察するに、別段ルカにとっては今日が特別というわけではないらしい。
確かに毎日欠かさずルカの部屋の様子に気を配っていたかというと正直怪しいところがあったし、日によっては善も早めに眠りについてしまうこともあった。
──つまり、善が懸念していたような敷地内から逃げ出すなんて考えは、ルカの頭には端からなかった。
大きくため息をつく善に対し、ルカが慌てたように謝罪の言葉を口にする。
「でもごめん。確かに俺みたいなのが夜中に彷徨いてたら、そりゃ良くないよな」
「わかってんなら…」
「うん、本当ごめん。これは…俺が悪い」
言い切った後、ぐっと耐えるように唇を結ぶルカに、言いかけた言葉を失う。
僅かに流れる気まずさ。それを拭うように、ルカは穏やかに笑った。
「もう二度と、こんなことしないから」
─────
月明かりが夜闇を照らす中、ルカと2人宿舎までの帰り道を辿る。
ふと影を感じ視線を上げてみれば、夜空を覆うように聳え立つ赤煉瓦の庁舎が善の視界に入ってきた。司令部の庁舎だ。休日のこの時間なので真っ暗かと思いきや、それでもわずかに明かりが灯っている部屋もあった。
「明かり、ついてるね」
善の視線の先を追ったルカが言う。
「作戦課だろ、あそこ忙しいから」
「作戦…零さんがいるところか」
呼ばれた名前に思わず顔を顰める善に対し「大変なんだね」とルカが素直な感想を口にする。適当に返事をすれば良いのに、頭ではそれをわかっていたはずなのに。なぜかいつもよりずっと、気持ちに制御が効かなくなっていた。
「知らない。こっち来てから全然話してねえから」
尖った言い方をする善を、ルカが驚いたように見上げる。どうやら気づいてないらしい。いずれ知られることかと思い、渋々答える。
「お前の言う蒼真零、俺の兄貴だよ」
善の言葉にルカの瞳が大きく見開かれる。予想通りの素直な反応。
しかし考え込むように瞳が伏せられた後、ルカはそれっきり黙り込んでしまった。横目で反応を伺ってみるが、夜風に煽られた髪のせいもあり表情は良く見えない。2人の間を風が木々を揺らす音のみが響き渡り、なんとも言い難い時間が流れ始めてから数秒。
次第に少しがっかりしたような気持ちになり始めた時だった。
「そっか」
ストン、と落ちるような声だった。
「じゃあ、家族なんだ」
感嘆でも、同情でも、揶揄いでもない。
ただそれを事実として受け止めたかのような声。
今までも何度も投げかけられてきたはずのありふれた言葉が、まるで別の意味を持っているような気がした。
「善は今年、御坂に来たの?」
「…いや、去年から。それまでは士官学校にいた」
「日向もいた、将校を養成するっていう学校?」
「そう。だからまあ、兄貴とだって顔合わす機会はいくらでもあったんだけど…」
堰を切ったように溢れ出すルカからの問いに対し、自然と口が動いてしまう。アスカや颯に対してだって、自分からここまで話すことはなかったというのに。
しかしそれ以上は言葉が続かなった。
零と──兄と、話をしたかったのか。話したくなかったのか。聞きたかったのか。聞きたくなかったのか。
理由を明確に言えるほど、自分達の関係が単純ではないことを善はよくわかっていた。
「そっか」
また同じ声でルカが頷く。
どうでも良さげでもなく、それでいて変に重い気遣いもない。
──ああ。
やっと思い知る。
──これ、間違ったことのある奴の声だ。
「でも、ここまで選んで来たんだから」
颯のように、さっさと話してしまえばいいと呆れるわけでもなく。
アスカのように、無理に話さなくても良いと気遣うわけでもなく。
それらの反応が間違っていたとも思わないし、嫌だとも別段思わなかった。
だけど、解けるはずのない関係に対して、どこかで答えを出せと言われているような気がして胸が詰まった。
共に同じ場所で生きているという、何の価値もない事実。
それでも、選ばなければ出会えなかった。
「それだけでも十分だと思う」
「…お前だって、選んで来たんだろ」
「そうだね、選んできたつもりだけど」
ルカが一度言葉を切る。
「正しかったのかどうかは、わからないから」
闇を抱きしめ、夜明けを迎えるまでの膨大な時間。
その間、あの小さな部屋でルカが1人何を考えて過ごしてきたのか、善には少しだけわかってしまった。
自分のした選択が正しかったと思えるように。過ちを後悔しないように。
必死で、できないことをできるように積み上げてきたのだろう。
夜風に溶けてしまいそうな程、穏やかに流れる髪。光源を内包しているかのように透き通った肌。蒼空と同じ色の瞳。
繊細でありながら、非の打ち所のない造形。物語の中の登場人物のように当てはめられた、“最強”の名。
──まるで、絵画。
だけど善は知っている。
自分は絵画に心を開きはしない。
絵画でないからこそ、真正面から見つめたいと思ったのだ。
「今日、探しに来てくれてありがとう」
宿舎へと入る直前、ルカが隣に立つ善を見て言った。
真っ直ぐにこちらを見るルカの瞳は、ぞっとするほど暖かかった。
「…自主練とか、自主勉とか」
その瞳を真っ直ぐ見返せる程の純粋さが善にはない。
それを卑屈に思うのは、侮辱と同じなのかもしれない。
「まあ、時々一緒にやろうぜ。気が乗ったらだけど」
善の言葉に、初日の時のようにルカの顔がパッと明るくなる。
それを煩わしく思う自分はもういなかった。
「ありがとう、誘う」
「暇だったらな」
「うん」
ルカが部屋へと入るのを見届け途端に、重たい欠伸が善の口から溢れる。
今日はよく眠れそうだと、静かに思った。




