第30話 出来損ない
「あいつ、やっぱりやめといた方がよかったんじゃないの」
終業後、食堂にて夕食を食べながら呟く颯を、日向は一瞬だけ見上げる。いつもであれば善とアスカを加え4人で夕食をとっているところだが、今日は2人ともルカに付き合わされ居残りの訓練をしており、不在にしていた。わざわざ2人がいない時間を狙って話をするところが颯らしいと思いつつ、淡々と返事をする。
「でも、頑張ってはいますし」
「それは知ってるよ。けど、あんだけ頑張ってんのに結果がついてこないって方が、本人にとっては辛いだろ。ただでさえ肩身が狭い立場だろうし」
「そうですね。まあ、正直頑張りがどうかっていうよりも」
浮かんだ言葉を発すべきかどうか一瞬迷うが、あえて言っておくべきかと思い日向は口にする。
「単純に、出来が悪い」
日向の言葉に颯が目線を上げる。そこまで言うかとでも言いたげなその顔に、思わず苦笑する。なんだかんだ言いつつ颯はわかりやすいタイプだと日向は思う。それこそ善はきっとこういうとき、平然とした顔で聞き流すのだろう。
「私が言ったわけじゃありませんよ。ルカが自分で言っていたんです」
訓練初日にルカが零した言葉を、日向は繰り返す。
「自分はみんなの中でも出来損ないだったから、って」
────
ルカが初めて、御坂の訓練に参加した日。登庁前に日向が病院へ寄ると、既に支給された隊服へと着替えたルカと共に、零がその場にいた。初日におけるルカの紹介は零が行うため、その段取りを確認していたらしい。
かなり緊張している様子のルカに対し、零ははっきりとした口調で言った。
「訓練では原則、魔力を使うな。まずは魔力を使わずに、体術や剣術だけでアスカと同等に戦えるようになってみせろ」
日向を含め人間が多数参加している普段の訓練の中で、ルカに魔力を使わせるわけにはいかない。だからこそ、まずは魔力制御と基本動作を磨くのが先だと零は判断したのだろう。
しかし正直なところ、アスカと同等に戦えるレベルという目標についてはまず不可能だろうと、日向は思ってしまった。対人戦で言えば、体術的に剣術的にもアスカの方がルカよりも圧倒的に秀でているということは、あの日の2人の競り合いを間近で見ていた日向が、一番良く理解していた。
たとえルカがどれだけ訓練を詰み成長したとしても、その分アスカも成長する。その差がゼロになる日なんてのは永遠に来ないのだ。そんな目標はルカが苦しむことになるだけだし、ルカだってきっと曖昧に頷くしかないはずだーーそう日向は思い込んでいた。
しかし日向の思いとは裏腹に一瞬だけ返事に詰まったが、ルカは呆気ないほど素直に「わかりました」と頷いた。その時のルカの瞳の透明さといったらーーもうルカに対し、日向は何も言えなくなってしまった。
だが結局は日向の予想通り、或いは予想を遥かに上回る出来事が、その後乱立することとなった。
訓練初日の午前中、国内外の情勢について情報共有するための会議が特戦全体で開催された時だった。配られた資料を見つめるルカの表情と動作で、日向はあることに気づいてしまった。零も、恐らく他のほとんどの人間もその時点では気づいていなかっただろう。それぞれに発言を求められるような会議でなくてよかったと、心の底から思わされてしまうような現実。
たまらず隣に座るルカに小声で声をかけたが、明らかに不安と焦りでいっぱいの瞳だというのに、痛々しいほど必死に大丈夫だと口角を上げて見せた。
ーー恐らく、ルカは資料に記載された文章のほとんどを理解できていなかった。
それは知識量の違いというよりは、単純な言語の違い。これまでのルカとの会話においては、世界共通の言語として浸透しつつあるヴァールの言語をあえて日向や零が使ってきたからこそ、明らかな齟齬が生じることがなかったのだ。
一方で軍内においては大和独自の言語が使われている場面も資料も当然多く存在する。加えてルカは文章への馴染みというのが極端に薄いようであった。
ーーここ数十年、文章とか本に触れる機会、ほとんどなかったから。
会議後に資料を大事そうに抱えながら呟くルカを見て、日向は言葉を失った。確か日向と再会するまでの数年間はオルデランの基地に捕らえられていたという話だったはずだが、その数年間を含め、一体今までどんな生活を送ってきたのか。それを知ったところで過去は変わりはしないというのに、そこに自分がいないという当然にひどく胸が痛んだ。
その後、午後からの対人格闘訓練に望もうとしていたルカに対して、何人かの隊員が興味本位で声をかけてきた。サトルという前例のせいだろう。ルカの性質や入隊までの経緯、今後訓練に参加するという話を零から聞かされても隊員達からは、ほとんどと言っていいほど抗議や懸念の声は聞こえなかった。上が決めたことであればという諦念よりも、むしろ面白そうだという目線で話を聞いていた隊員がほとんどというあたり、さすがはこの国でトップクラスに優秀で向上心の高い人間が集まる隊だと日向自身も納得させられた。
今までの訓練内容や実戦への参加経験だとかーールカと隊員とのやりとりはあくまで他愛のない世間話で終わるはずだった。しかし、ルカは困ったように言った。
ーー俺、今まで訓練とか全然したことなくて。実戦だけというか。
隊員達の顔に侮蔑と怨嗟に似た感情が広がっていくのが、はっきりとわかった。慌ててその場では適当にフォローを入れたが、日向自身胃が空っぽになるまで吐くような訓練を幾度も繰り返してきたからこそ、他の隊員達の気持ちは察するところがあった。
その上、その後の訓練にてアスカと組むことになったルカは予想通りアスカにコテンパンにされ、地面に何度も倒れ込んでいた。当然それは他の隊員の目にも触れていたわけでーー努力をしたこともなければ、実力もない、魔力量が多いだけの出来損ないーーそんな評価が無情にもルカに下されていくのを、日向は間近で見ていた。
後から考えてみればルカが訓練に参加したことがないというのも、当然と言えば当然だった。恐らく多少魔力を消費して肉体を強化すれば、ルカとて他の隊員はおろかアスカと同等に戦うこともできなくはないのだろう。これまでも魔力量が桁違いに多いことを武器にして、負傷してもすぐに再生する肉体を盾にして戦場に立ってきたことは容易に予想できた。
また、他の隊員に比べても圧倒的に細い身体であるはずなのに、ルカはどんな訓練を受けようと息切れ一つ起こさなかった。その一方でどれだけ訓練を積もうとも徒競走の順位が上がったわけでも、持てる荷物の量が増えたわけでもないようであった。恐らくどれだけ研鑽に励もうと、魔力を消費するだけでルカの肉体ーーつまり体力や筋力に還元されないのだ。そのことを羨むべきか、疎ましく思うべきか。息を切らし膝をつく他の隊員から殺意ともいえる視線をぶつけられながらも、ルカは真っ直ぐに立ち続けていた。
ーー何も変わらないなら、参加する意味ない訓練だってあるんじゃないの
思わずルカに言いかけた。無駄に魔力を消費させているだけのような気すらした。
それでもルカは他の隊員と同じ訓練に参加し続けた。アスカや日向、他の隊員に何度地面に倒されようと、装備品や機材、訓練計画に関する手際や覚えが悪く、上官から何度厳しく叱責されようと、他の班員からどれだけ嫌味を言われようと、ルカは決して弱音を吐かなかった。
ーー頑張らなきゃ。
そう言い聞かせるように笑ってみせるのだ。
────
「休み時間も、夜も朝もって話だったっけ」
初日から今日までの記憶に思いを馳せていた日向に対し、目の前の颯が問いかける。
「終業後から朝までは、基地内の図書館で借りた本や資料で勉強。昼休みは午後からの訓練場所に行って機材見たり、アスカちゃんや私、善を捕まえて訓練したりって感じですかね」
「…俺声かけられたことないんだけど」
「いつも始業ギリギリまで来ないからですよ」
颯に述べた通り、ルカは課業以外の時間は全て自主練や勉強の時間に充てていた。これが現状、初日から1ヶ月間毎日続けているのだから、なかなかのものだと思う。土日も当然のように図書館に篭ったり、他の隊員に頭を下げて自主練に混ぜてもらったりしているようで、日向が気を遣ってルカの自室を尋ねてみれば不在という場面も少なくはなかった。
「部屋は善の隣ですし。善も時々一緒に勉学や訓練に励んでいるそうです」
「アスカも呼んでやればいいのに」
「アスカちゃんも時々呼んでますよ。そういう時は私も大体呼ばれます」
「そう」
一言颯が頷き、僅かな沈黙が2人の間に訪れる。颯が何を言いたいのか、なんとなくわかってしまったがために先に日向から結論を口にする。
「まあ、それだけやってもまだ結果に結ぶついてないというのが現状ですがね」
出来が良くないというルカの言葉通りそれだけの努力を積み重ねてもなお、ルカの能力値にあまり成長はみられなかった。相変わらずアスカにはコテンパンにされているし、何度も言っていることだと教官から叱責を受ける回数も減ってきてはいるが、なくなったわけではない。
それでもルカがしてきたことが無意味だとは、日向には思えなかった。
「他の隊員がルカを見る目は、確実に変わってきましたから」
努力した分だけ正しい結果に繋がるわけではないという現実。それを日向を含め、他の隊員は早い段階から気づいていた。それに気づきながらも歩き続けてきたからこそ、ここまで来れたのだという自負が誰しも少なからずあった。一方で、それは自らの一歩の大きさを自覚していたからこそ成し遂げられたことでもあった。そのことに日向は少なからず気づいていた。
しかし、ルカは違った。ルカは自らの一歩の小ささを自覚していた。
ーー俺、みんなの中でも出来が悪い方だったから。
初日から汚れた隊服に包まれていたルカの言葉を思い出す。
ーーだから、頑張らないと。
それでも歩き続けることを選んだ。それがどれだけ価値のあることか。どれだけ苦しみに満ちたことか。
「みんなの中でも、か」
ふと思い出したようにルカの発言を繰り返す颯に、やはりそれに引っかかったかと内心でホッとする。できれば颯の考えも聞いておきたいところではあったのだ。
「恐らく、みんなというのは他のエルのことだと思うんですが」
「聞いたことあるの?」
「それとなくは。でもこの話題、ルカにしては珍しく聞いてもはぐらかすんですよ」
正直、どこまで聞いていいのか、日向自身も計りかねていたところである。
しかしはぐらかすということはつまり、こちらに知られるのを恐れるくらいには重要な情報だということ。
「そもそもエルというのは何人いるのか。彼らの生死。今誰がどこにいて、何をしているのか」
未だ謎に包まれている事柄について、颯が口頭で羅列する。
「それによっては、他の国の動き方が大きく違ってくるだろうからね。上もそれをルカから聞き出したいって、思ってるんじゃないの」
「それとも、それは既に把握済みで、他のエルの動きを踏まえた上で、ルカを今の居場所に置いているのか」
「アモウで亜種の動きが、だいぶ活発になっているらしいからね。もしかしたら、それもルカの不在が原因なのかもしれないけど…」
ふと、颯の言葉が途切れたことに気づき、顔を上げてみれば、窓の外へと視線を向けていた。
視線の先には、アスカを揶揄っているであろう善、それに対し頬を膨らませるアスカ、その隣を歩くルカの3人の姿があった。
居残りの訓練が終わり、食堂へと移動してくる最中らしい。
楽し気に会話を繰り広げる姿を見る限りは、ただの友人同士のように見える。
だが、事実は友人同士であったとしても、人間同士ではない。
それはルカだけでなく、恐らく、アスカも。
「とても国を動かすような存在には見えませんけどね」
「…本当にな」
思わず溢れた日向の言葉に、颯も小さく頷いてみせた。




