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夜明けのルカ  作者: 真山慶
第2章 御坂
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第29話 光

 父と母の名を呼ぶ、少年の声が聞こえる。

 夕焼けに包まれた大通りにて、少年の両親と思われる男女が馬車から降り立つ。そうして嬉しそうに膝をつき手を広げた男のもとへ、声の主である少年が駆け寄り抱きつく。

 ただいまと笑う男女におかえりと笑う少年。少年の後方からやってきた老婆は少年の祖母だろう。少年の頭を撫でながら老婆と男女が、背も随分伸びたのよ、なんて他愛のない言葉を交わす。


 ーー本当だ、少しの間会わなかっただけなのに。

 ーーそれだけじゃないよ。この前学校でやったテストだって、僕クラスで一番になったんだ。

 ーーへえ、すごいじゃないか。

 ーーたくさん勉強したもんね。おじいちゃんも褒めてたのよ。


 言葉を交わしながら少年らは帰路につく。繋がれた右手と左手。夕日に照らされる4人の姿。ありふれた家庭の幸せな記憶。


 夢、と呼ばれるものがあるらしい。


人間は睡眠という動作の中で、あたかも現実であるかのように感じる幻覚を見るという話を昔誰かから聞いたことがあった。

 しかしこれは夢ではない。ここには自分がいない。自分がいたこともない。ただ美しい記録を眺めているだけ。

 しかし幻覚でもない。この惑星のどこかで確実に、実際にあった出来事。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 去っていく少年の背中を追おうとしたその時、記録の中で声が響いた。


 ーーあまり、遠くへ行かないでよ。

 

 これ、誰の声だっけ。誰に言われたんだっけ。

 記憶にあるということは、過去に経験があるということ。それでも思い出そうとすると、急に思考に靄がかかったかのようにわからなくなる。だけど、なぜかその声に答えなければならないとも思った。

 

 そうしてルカは、その声に手を引かれるようにして瞼を開いた。


 ────


 見知らぬ天井がルカの目の前にある。真っ白な天井から目を逸らし、身体を起こそうとしたところで横たわっていたベッドが返事をするように音を立てた。機能停止に陥るのは随分と久しぶりだったせいか、どこか落ち着かないような気持ちになる。

 ふと視線を感じ顔を上げれば、部屋の入り口近くに立っていた少女ーー日向がルカの元へと走ってこようとしていた。


「ルカ、」

「そのまま動くな」


 日向がルカに呼びかけようとしたところで別の声が被さる。声の主に目を向ければ、日向よりも随分近くにルカを捕らえたあの男が立っていた。

 男の視線から察するに、動くなという言葉はルカに向けられた言葉なのだろう。言われた通り、起こしかけた身体をそのままベッドの背もたれに預け、動きを止める。

 それを確認した男が澱みない動作でルカの手首を掴んでみせたが、肌の冷たさに驚いたようだ。一瞬だけ動きが止まったが、そのままルカの手首へと指を当てる。

 眉を寄せる表情から察するに、脈がないことに男はある程度戸惑っているようだった。ルカのすぐそばで、その一部始終を見ていた日向が嗜めるように言う。


「だから言ったじゃないですか。脈がなくてもルカはちゃんと目を覚ますって」

「…どうやらそうらしいな」


 本当に脈がない、とルカの手を握ったまま、独り言のように男がこぼす。

 しかし男がそのままの状態で懐から小刀を取り出したため、日向が眉を吊り上げた。


「ちょっと」

「日向、大丈夫」


 男に噛みつこうと言わんばかりの形相の日向をルカが制する。男が何を確認しようとしているか、ルカにはわかっていた。

 平坦な表情のまま、男がルカの掌に小刀を当てる。


「少し切って確認するだけだ。我慢しろ」


 小さくルカが頷いたのを確認するとともに、男がするりと刀を引く。ちりりとした痛みと共に、ルカの掌にうっすらと青い線が浮き上がる。

 日向と男がそれを注意深く見守る中、数秒後には線が消え、傷ひとつない真っ白な掌に戻った。

 

「…問題ないな」


 言葉とともに男が小刀を懐に戻す。

 それを確認した日向が安堵の表情を浮かべつつ、ベッドの近くに置かれていた2つの椅子の片方に座る。


「零さんから聞いたよ。ルカが御坂で一番強い人と模擬戦やったって」

 

 目の前の男はどうやら零というらしい。日向が零に目線を送ると、渋々といった様子で零もまた日向の隣の椅子に腰を下ろした。


「日向は身体、大丈夫なの」

「うん。少しの間入院してしていたけど、もう退院して昨日から訓練にも参加してる」

「そっか、よかった」


 ホッと胸を撫で下ろすルカを見て日向が微笑んだのち「それでね」と話の続きを促す。


「零さんが、ルカを私と同じ隊に所属させてくれるって」

「模擬戦の結果を見て、司令部内で議論した結果、戦場に出すかどうかはさておき、御坂での訓練にお前を参加させるべきだという結論になった」

 

 本題として語られたであろう内容にルカは困惑する。

 訓練に参加するということはつまり、人間達に混じって生活を送るということだ。これまでそれが許されてきた期間というのは、周囲の人間や亜種が自分をエルだと知らない状態であるという限定した場合だけであった。しかしあの模擬戦の見学者がある程度いたことを考えると、そういう限定した場合を零が想定しているようには見えない。

 ーー周囲の人間が自分をエルだと認識した上で、生活を送る。

 ーーそんなことが異物である自分に許されるのだろうか。

 そんなルカの思考をある程度読んでいるであろう零が、続けて言う。

 

「当然、司令部の中ではお前を危険視する声もかなり根強い。お前が俺たちを裏切る可能性や、他国に情報が漏れる可能性を考慮して、死ぬまで牢につないでおくべきだという意見もある」


 だが、と零は一度言葉を切り僅かに息を吸った。

 

「俺は、お前を信じることにした」


 思わぬ言葉にルカは思わず零を凝視する。

 信じることにした、なんて言葉は別段初めて言われたわけではない。口ではいいように言えるということは、これまでの経験上ルカ自身が一番よくわかっている。

 それでも、零の瞳が嘘を言っているようにはルカには見えなかった。


「この国のために戦えだとか、そこまでのことを言うつもりはない。だが、信用に応えてほしいとは思っている」

「…と言いつつ、ルカが何か問題になるような行動を起こせば、結局私が人質になるんだけどね」


 どこか緊張で張り詰めていた空気を和らげるように、日向が笑う。今それを話すのかとでも言いたげに零が僅かに顔を顰めたが、日向の存在を盾にされることはルカにも予想できていた。

 そして不思議と、これまでのように零のやり方を侮蔑するような気持ちも、あまり湧いてこなかった。


「でも、私がどうなるとか、正直どうでもいいの。ルカが自分がすべきだと思うことを見つけられれば、それでいいと思う」


 「一緒に頑張ろうね」と日向が心底嬉しそうに笑う。

 それはまるで、初めての訓練に取り組む同僚を励ますような言葉で。普通の人間同士の会話のようで。そんなことは今まで経験したことがなくて、当然初めてで。

 ルカには日向の存在が、窓のない部屋に差し伸べられた一筋の光のように見えた。


 ────


「正直驚きました」


 ルカをそのままに、零と日向の2人で病室を出てしばらくした後、日向がふと思い出したように言った。


「ルカに人間と同じ場所で生活させるなんて」

「当初の想定以上に戦えるという印象を、上にも持ってもらえたからな。あのまま牢に閉じ込めておくよりも、訓練して使った方が国益になると判断されたんだろう」


 昼休みも半分を過ぎた時間帯の病院内の廊下は、どこか騒めきが強く、落ち着かない。そんな院内の廊下をいつもと変わらないペースで歩きながら、零は続ける。


「それに元々御坂は秘匿性の高い部隊だ。隊員の口も固ければ、訓練に対する意欲も高い。情報漏洩もあまり想定し辛いと思ってもらえたんだろう」

「でも、何かあったときは零さんが責めを負う」


 一瞬、零の足が何かに引っかかったように止まりかける。「そうだな」とか「その通りだ」とか、そんな言葉がでかける。

 しかしそれよりも早く、日向ははっきりとした口調で言った。


「でも、私の方がずっと罪は重いです」


 思わず隣を歩く日向を零は見つめる。


「一生ルカを牢に閉じめておくなんて結論になったら、正直私、許せそうになかったので」


 しかし零の視線とは裏腹に、日向は真っ直ぐに前のみを見つめていた。


「だから、ありがとうございました」


 許せないという言葉に宿した意志の強さとは裏腹に、続けて零に謝辞を述べる日向の顔は不思議なくらい穏やかなものだった。

 

「仮に何かが発生した場合、一ノ瀬が一番狙われやすい立場だと思うが」

「それは全然。私とルカの隊には頼もしい方々がたくさんいますし」


 それに、と一言区切り、日向は微笑む。


「私は、ルカを信じています」


 その笑顔は激情的なものでも、狂信的なものでも、偽善的なものでも、まるでない。心の底から何かを慈しむような、穏やかな微笑み。


「だから何があっても、大丈夫なんです」


 日向が一歩、また一歩と軽やかに前へ進む。日向より上背のある零の方が、ずっと一歩が大きいはずなのに、やけにその一歩が重たく、遠い。

 思わず思う。日向が思い浮かべる相手がどんな存在かなんて、この際どうでもいいと思えるくらいに強く思う。

 自分は、こんなふうに誰かを心の底から信じたことがあっただろうか。どうして日向は、こんなにも穏やかな気持ちでルカを信じるなんて言い切れるのだろうか。ルカが変わらない可能性なんて、これっぽっちもないというのに。

 しかしそれを聞くのは野暮だとも思った。その理由を零は、本当は随分昔から知っているような気がした。


「いい天気です」

 

 病院を出て見上げた雲一つない青空に、日向が微笑む。

 久しぶりに、残酷な程美しいものを見たと零は思った。


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