第27話 消えない傷
「結構、時間かかったな」
隣に座る凪の言葉に、張り詰めていた緊張が未だ解け切れないまま零は短くはい、と頷いた。それ以上の言葉がなかなか出てこない零を、安心させるように凪が言う。
「サトルと同等レベルでやれることがわかった以上、上もただ牢に捕えておくなんてことはしないだろうさ」
その言葉に無言で頷きつつ、周囲の人間達の表情をそれとなく伺う。見上げた先には、自分よりもほとんど年上の人間達がどこか熱を帯びた表情のまま、口々に模擬戦の感想やルカの今後の処遇案を言い合っていた。
模擬戦開始直後、零の予想通りサトルの攻撃に対しルカはほとんど抵抗を見せなかった。しかし零が感じたのは、あれだけ発破を掛けたのにというルカに対しての苛立ちではなく、ルカへの周囲の声に対する苛立ちだった。
ーー全く使えそうにないな
ーー死なない以上、牢に捕らえておくしかないって話だが
ーーそれも人員と設備の無駄遣いだろう、何年生きるかわからないというのに
ーーしかし他国に情報が漏れる危険性を考えるとな
ーーもう少し奴に対し別の方法で揺さぶりをかけてみるのも手じゃないか、それこそ人質を使うとか
ーーいっそ他国に極秘で売った方が金になりそうだが
ーー他国が内戦での使用に留まってくれる保証がなきゃ無理な話だろう
口々に発せられる言葉の無責任さと冷酷さ。そこにルカの意志を尊重しようとする動きなんてものは当然ない。しかしそこに憤りを感じてしまうところが自分の甘さなのだろうと自覚しつつ、隣に座る凪の静けさだけが荒む零の心を鎮めてくれていた。
しかしサトルとルカが何か言葉を交わした直後だろうか。あれだけルカに文句を言っていた上層部が閉口するような出来事が起きた。ルカの動きがそれまでのものから一変したのだ。
自ら攻撃を仕掛けるようになり、強いてはサトルを若干ではあるが後退させるくらいには力強さもスピードも増したものになった。身体の再生力を生かし、あえて手足を犠牲にした上で攻め込んだりと、エルならではの攻撃も見せルようになった。
一方でルカの攻撃に対しサトルも本気を出してきたということなのだろう。呼応するようにサトルの動きも力を増したものになっていくことで、当初と同じように次第にルカが防戦一方になっていった。ついには首さえも跳ねられたが、跳ねられた断面からすぐに骨や肉が形どられ、数十秒後には元通りとなっているのだから、凄まじい再生力である。
だがそれから数分戦闘を続けたのち、真っ二つにされた胴体が再生した直後。糸が切れたかのようにルカの動きが止まり、地面に倒れ込んだ。
まさか死んだのかと見学席がざわつく中で、ルカの目の前に立つサトルが一言大声で言った。
「大丈夫、死んじゃいねえ」
息が切れているサトルを見るのは、随分と久しぶりだった。
「魔力切れだよ、こいつ」
────
「エルに睡眠や休息は不要という認識でしたが」
「人間のような、という意味でならその認識で合ってるだろ」
ルカの様子を確認するため、演習場の中へ零が入ると、疲れ切った様子で座り込むサトルが見えた。そばには地面に倒れ込んだまま、ぴくりとも動かないルカもいる。
「普段は色々と魔力で補っているんだろうが、短期間で大量に魔力を消費すると、魔力切れを起こして動けなくなるらしい」
「でも、死んだわけではないんですよね」
「多分な。俺も仕組みはよくわからんが、エルには魔力炉みてえなもんがあるって話を聞いたことがある。今はそこから動き出すための魔力を構成中ってところじゃねえの」
サトルの言葉を聞きながら、ルカのそばに腰を下ろし間近でその身体を見つめる。目で見てわかる範囲には損傷を確認できないため、ざっと見ただけでは気絶しているようにしか見えない。
では脈はどうかと思い手首に指を当ててみたが、零の予想に反して反応がなかった。
「…脈もないんですが」
「そりゃ元からだ。不気味な話だが、エルには脈がない。元から心臓も動いてねえだろうし、息もしてねえだろうよ」
飄々とした態度でサトルは言うが、零にはそれを沈黙で受け流すことしかできなかった。目の前に突っ伏す少年は、事情を知らない人間から見ればただの異国の少年である。しかし自分が想像していた以上に、この少年は人間とも普通の亜種とも違うらしい。
まさに異物。最厄の亜種。そう呼ばれる理由を改めて考え直す零の背中を眺めながら、サトルが小さくため息をつき立ち上がる。
「どちらにせよ、こいつの処遇決めんのにちったあ時間かかんだろ。その間は様子見ってことで放置しときゃいい」
「俺は疲れたから帰って寝る」と最後に一言付け加えサトルが零に背を向ける。その向こうからは担架を持ってルカのもとへと向かう兵数名の姿が見えた。
「サトルさん」
零の呼びかけに対しサトルが僅かに振り向く。自分で思っていたよりも随分と情けない声が出てしまった。しかし兵がたどり着く前に、零にはどうしてもサトルに尋ねておきたいことがあった。
「あのとき、ルカに何を言ったんですか」
模擬戦開始から数分後、ルカとサトルがお互い向かい合ったまま、しばらく動かない時間があった。
あのとき、サトルは何を語ったのか。ルカは何を思ったのか。日向のことを持ち出したのか、それとももっと別のことか。
「なんか昔のお前と似てんだよな、そいつ」
一瞬の沈黙の後、サトルから返ってきた言葉は零にとっては予想外のものだった。というか正直回答になっていない。
それでもその言葉を否定できなかった。今ルカが陥っているであろう状況。誰かを傷つけるのを恐れ、戦場に立つことを躊躇することも。自分が何のために生きているのかがわからなくなり、歩くことすらできなくなることも。どうしようもなくなった自分を誰かに救い上げてもらうことも。それらは全て、零がこれまで経験してきたことでもあった。
サトルが薄く笑う。どこか寂しげで、力が抜けたような笑み。
「お前に言ってきたようなことしか言ってねえよ、俺は」
────
演習場の出口にて、ルカを乗せた馬車を見送り一息つく。一旦戻るかと見学席へと繋がる階段を見上げたが、階段を降りる数人の中に見知った姿を見つけてしまい、思わず零は顔を顰めた。
焦茶色のポニーテールを左右にゆらゆらと揺らしながら階段を下る少女ーー間違えるはずがない。アスカだ。
地面に足をついた後もアスカが零に気づく様子はなく、誰かを探すような仕草でキョロキョロと周囲を見渡している。なんとなく探している相手がわかってしまう自分が疎ましかったし、そばにその相手がいないことにほっとしてしまう自分が情けなくもあった。
「アスカ」
不安げに佇む背中に呆れ声で声をかけると、わかりやすくアスカの肩が揺れた。零が何か言う前に弁明を述べておこうと思ったのか、恐る恐るといった様子で振り返りつつ「ちゃ、ちゃんと休暇はもらってるよ。今後の戦闘に関しての自主勉強のためって理由で」と声を上げる。そういう問題ではないし、聞きたいのはそこではない。
「今日の模擬戦に関する情報は、小隊長クラスの人間止まりだったはずだ。なのに、お前はどこで情報を手に入れたんだ」
「あ…えっと」
疲れもあってか苛立ったような言い方をしてしまう零に対し、アスカもさすがに申し訳ないような気持ちになったのだろう。若干口ごもりつつも、真実を述べていく。
「噂で聞いたの。今日演習場で何かやるらしいって」
「それはアスカが聞いたのか」
「…違う、私じゃない」
善、と小さく発せられた言葉に、零はやはりそうかと息をつく。アスカ1人ではこんなこと、考えられたとしても実行しようとはしないだろう。嘘や誤魔化しができない性格なのだ。
だが善は違う。何に関しても要領が良すぎるのだ。その要領の良さを零は憎悪を感じるほど切望しているというのに。
「あいつは?」
「エルが倒された後、急に席外しちゃって。すぐ戻るって言ってたんだけど」
周囲を不安そうに見回しながらアスカが答える。おそらく零に見つかることを恐れたのだろう。零と同じように、善もまた零に語るべき言葉を未だ見つけることができずにいるように見えた。
そうか、と言葉だけで頷く零に対し、アスカが目を伏せたまま「ごめん」と小さく溢す。
「別に、怒ってないよ」
「でも零はわかってたでしょ」
何がと聞く前に、今日の模擬戦の内容を思い返し口を噤む。
「あいつ、ちゃんと強かったんだね。私全然わかってなかった」
「…怒ってないのか」
「ちょっとはね。でも、それよりもまだまだだなって気持ちの方が大きいから」
ルカ本来の実力を知れば、手を抜かれたとアスカは怒るんじゃないか。なんてそんな心配は杞憂だったと気付かされる。そこまで単純な心の持ち主ではないことくらい、わかっていたはずなのに。
ごめんな、と思わず溢れた零の言葉にアスカがくしゃりと笑う。
「なんで零が謝るの」
理由を述べる言葉が零の口から出てこないまま、アスカがこちらを見る。
ルカと同じ、青い透明な瞳。
「善のこと怒らないであげて。連れてきてくれたの、多分私のためだし。それに本当は善も、零に会いたかったんだと思うから」
アスカの真っ直ぐな言い方に思わず黙り込む。
ーーそんなわけはない、だってあいつは。
そう言い返すつもりだったのに、見学席から零を探す声が聞こえたのを皮切りに、アスカが「私行くね」と背を向けて走り出す。それを見送り、階段を登った先から見下ろすと、庁舎に向かう群れの中にアスカと善と思われる男女2人組を見つけた。
同じ敷地内にはいるが、何かしら用や目的がなければ、零が善に会うことはほとんどない。零にとってそれはありがたいことではあったが、善にとってはそうではなかったのだろうか。
いやそんなはずはない、と湧き上がった思いをすぐに消し去る。久しぶりに見た善の姿は以前に比べて、だいぶ高さも厚みも増しているように見えた。
それでも零はあの夏、凪に吐き出した言葉を忘れてはいなかった。どうしても消し去れない、憎悪と怨嗟、そして拒絶の記憶。
ーー俺、このままだと善のこと、殺してしまう
泣きながらそう絞り出すように語った零の言葉を、凪は否定しなかった。それが正しかったのかは、今でもよくわからない。それでも呼吸さえ限界だったあの頃の自分を生かしてくれたのは、凪の存在があったからだ。
ーー許せなくても、いい。
その言葉を、零は今でもお守りのように大切に抱きしめていた。




