第26話 模擬戦
どっ、と腹部に何か強烈に重たいものをぶつけられたような感覚。しかしそれが一体何によるものなのかを把握する暇もないまま、ルカの身体は数メートルに渡って宙に吹き飛ばされた。
地面に転がると同時に腹から吹き出した内臓や血が、煤けた土の上に青い痕跡を残していく。それでも何とか全身に力を込め、ルカは体を起こす。ここまでの損傷は久しぶりだったせいか身体の再生が追いついておらず、すぐには血も止まらない。
しかし立て続けにルカを攻撃しない辺り、亜種にとってこれはまだ様子見の段階のようだ。地面に片膝をつくルカを、あの男に似た無感情な瞳で見つめながら亜種が言う。
「ふうん、本当にエルなんだなお前」
「…あなたも、どうやら人間じゃないようで」
軽くではあるが魔力で防御を効かせていたルカの身体を、いとも簡単に吹き飛ばすほどの力と身のこなし。アモウからルカを追ってきた亜種も、ルカの手足を切り落としたあの少女も、ある程度は実戦慣れをしていたであろう。しかしこの亜種の動きは慣れだとかそんなレベルのものではない。何年もの間戦場に立ち続け、生き残ってきた者の動きだ。しかも軍服を着ているのを見る限り、この国において軍人としての扱いを受けているらしい。
困惑するルカの表情を見て察したであろう亜種が、ふっと鼻で笑う。
「亜種がなぜって顔だな」
「他の国ではまずあり得ない話です」
「だろうな。人間に生きる場所を奪われ、消される種。それが亜種ってのが定説だ。まあでも俺も、人間のために働いてるって気は微塵もねえけどな」
言い切ると同時に一歩踏み出した亜種が、瞬時にルカの目の前に姿を現す。あまりの速さに一瞬怯むが、ルカも一歩踏み出し、振り落とされた刀を受け止める。それだけで受け止めた自分の足元の地面にヒビが入るのだから、恐ろしいという他ない。
気配を察知した時点では、そこまで体内の魔力量は豊富でもないように思えたが、魔力操作に長けているということなのだろうか。攻撃の一つ一つに込められた魔力をしっかりと感じる。加えてこちらの動きを読んでいるかのような身のこなし。まるで無駄がない。
しかしそんなことを考えている暇も与えないとでも言うかのように、亜種の刀が何度もルカの元へと振り落とされる。その1つ1つの打撃がまた凄まじく速く、重い。受け止めるたびに一歩二歩と後退しないと、とてもではないが捌き切れない。一瞬でも気を抜けば、腕が吹き飛ばされそうである。
しかしなんとかこのペースであれば耐えられるかと思った矢先に、亜種が振り上げた刀に押されてルカの身体がまた宙へと吹き飛ばされる。予想外の動きに慌てて空中で体勢を立て直そうとするが、それも見越していたのだろう。すでにルカの頭上へと移動していた亜種が刀を振り落とす。刀で受け止めはしたが、ルカの両腕が衝撃に耐えられず、ぐしゅっと果物が潰れるかのように砕ける。
それを見つめる亜種の瞳の冷たさ。真っ赤に燃えているようで、温かさをまるで感じない瞳。
「…っ!」
追い討ちをかけるような亜種の回し蹴りを喰らい、ルカの身体が地面にて何度か跳ねた末に虚しく転がる。すぐに立ち上がろうとするが、すかさず飛んできた亜種の手に握られた刀がルカの胴を貫く。
それでも、これだけの攻撃を受けてもなおルカの身体はすぐに再生してしまうため、砕けた両腕は地面に倒れていた間にほとんど回復してしまっていた。胴も貫かれている限りは再生できないが、刀が抜かれてしまえば数秒で出血も止まるだろう。
しかしルカの再生力も無尽蔵にあるわけではない。短時間での膨大な回数の破壊と再生、あるいはその繰り返しで消費する魔力量と同等レベルの技を用いれば、いずれ魔力切れを起こし、プツンと糸が切れたように身体が機能停止を起こす。元々脈もない身体のため、機能停止した自分を見て死んだと勘違いする者もままいたが、ルカに言わせればあくまでそれは一時的な機能停止にしか過ぎない。
本当に死が訪れたエルというのは、その瞬間から土に還り始める。その瞬間を目の前で見たルカが、一番そのことを理解していた。単なる魔力切れであれば、数時間あるいは数日間機能停止させれば、眠りから覚めた兵士のように、また元通りに動けるようになる。
ルカはそれを待っていた。これまでに経験してきた数え切れないほどの戦闘の時と同じように。すり減らし、糸が切れる瞬間をぼんやりと眺めていた。
「あと、どれくらいだ」
自分を見下ろす亜種の言葉が、ルカの心を現実に引き戻す。
「あとどれくらいで、お前は死ぬ」
多分、この亜種は気づいている。ルカに抵抗する気なんて、ほとんどないこと。攻撃を受け入れ、ただ魔力を消費することだけに意識を注いでいること。
目を合わせず、口を開こうともしないルカを見た亜種が、ぽつりと溢れるように言った。
「11年前、だったか」
瞬間、時が止まったかのような感覚にルカは襲われる。
亜種の示した年に起こった出来事の一つ。大和とオルデアンによる戦争。
そこにオルデアン側の主戦力として、参加していた存在。
それを、彼女を、ルカは知っていた。
「エルに、この国の人間が4万人殺された」
彼女のことだ。
自分を連れ出し、見送った彼女。そして最期には土に還った彼女。
ルカだってわかっていた。彼女がどれだけの人間の命を奪っていたか。
どれだけ残虐と呼ばれる行為を繰り返してきたか。
「俺の友人は、エルに殺された人間達の指揮官だった」
刀を握る亜種の手に僅かに力が込められる。痛みなんて感じる隙もない程の絶望と焦燥。
見上げた亜種の真っ赤な瞳がどろりと揺れていた。
「倒せるわけもねえ存在に、それでも立ち向かってくれと、あいつは皆を送り出すしかなかった」
ルカにはわからなかった。彼女の気持ちも、目の前の亜種が友人だと言った人間の気持ちも。
そこまでして守らなくてはいけないものなのか。
そこまでして生きていかなければならないものなのか。
人間というのは、そこまでして救うべき価値があるものなのか。
「けど俺は、そのエルのことも、あいつのことも、否定する気はないんだ」
思わぬ言葉にルカは目を丸くする。それを見た亜種がかすかに笑う。
「正しさを願って選択をした。それは誰かを殺しただろうが、誰かを救いもした」
ルカにはそんな覚悟はなかった。だってどれだけ正しさを願って、そのためにどれだけ傷つけようと、傷つけられようと、結果はいつも願いからは程遠いものになった。それならばいっそ何も求めない方がマシだと心を閉じた。自分で作った檻の正しさを心の底から願った。
「お前が出会った奴らだって、そうだったんじゃないのか」
亜種がルカの身体から刀を抜き、数歩下がる。再生し始めた傷口を抑えつつ、ルカも立ち上がる。開いた手のひらにはべっとりと青い血が張り付いていた。呪うように、祈るようにルカはそれを握りしめる。
わからない。ずっと自分はわからないままだ。悩んで、選んで、間違って、傷ついて、閉じこもって、願って、それを数え切れないほど繰り返して。それでも命は続いていた。望まずとも朝は来た。
刀を構え、目の前の亜種をルカは見つめる。いつかの自分の声と、あの日の彼女の声が重なる。まだ歩き続けろと、それでも選び続けろという祈りの声。呪いに思えるほど鮮明な数多の記憶。
それを頼りに刀を振り上げ、ルカは一歩を踏み出した。
その瞬間、ルカの脳裏を過ったのは、遠くを見つめる日向の横顔だった。




