第25話 模擬戦前夜
「あんな部屋に1週間もいて、よく平然としていられるな」
自分を捕らえた男がぽつりと隣で言う。それを無言で聞き流しつつ、錠前をつけた状態のまま地上へと向かう廊下をルカは歩いていた。
ーー1週間も、か。
歩きながら思う。人間や亜種は空気という気体がないと生きられないという話を、昔聞いたことがあった。ルカの監視に当たっていた兵士達も、あの窓のない地下空間にはそれなりに疲弊していたようだったから、やはりそれは事実なのだろう。
ふと思い出す。そういえばアモウにいたときも、地下室に捕えられていた。窓のない部屋からは当然何も見えず、幾重にもなった壁に備え付けられたドアは、結局一度しか開かれることがないまま時が過ぎた。
あの部屋には結局、10年いた。来る者もなく去る者もない10年間。ただ天井と壁を眺めながら、自分の中に溢れる声を10年間聞き続けた。
何を、されようと。自分の手足が、首や頭が何度吹き飛ぼうと。誰かの手足や首が飛び、どれだけ悲痛な叫びを聞かせられようと、ルカは決して動かなかった。
もう何も選びたくない。もう何も感じたくない。そんな思いを10年間持ち続けた。
揺らいではいけない。希望や期待なんて感情は一片たりとも持ってはいけない。
ただ絶望と抱き合ったまま、死を望み続けなければいけないと心の底から思っていた。
捕えられていた建物から出たルカは、1週間ぶりの空を見上げる。
あの日10年ぶりに見上げた空と変わらず、清々しいほどの蒼色だった。
ルカが捕らえられていた建物から模擬戦の会場までは、馬車で数分程度で到着した。演習場という名でこそ呼ばれているようだが、金網のフェンスで囲まれたその場所は、ペンペン草も生えないようなだだっ広い平地にしかルカには見えなかった。
それでも降ろされた場所から辺りを見渡せば、模擬戦を見学するためであろう傾斜状に連なった見学席が設置されており、軍服を着た人間が集団で座っていた。
ルカを見下ろす軍人達が口々に囁く。
「あれか」
「見た目はただの異国のガキって話、本当だったらしいな」
「本当にあのエルなのか」
「噂通り、腕も足も斬られてもすぐに再生するらしい」
「まあでもさすがに、首を吹っ飛ばせば死ぬんじゃないか」
「アスカに負けたって話だしな」
「大した実力じゃない、サトルにもあっさり負けるだろうよ」
嘲笑混じりの声と不躾な視線。集団の中央に座っている高齢の軍人達の品定めをするような態度。どの年代であろうと、どこの国の人間であろうと大して変わりはしない。飽き飽きする程見慣れた光景。それを背中で受け止めながら、自分を捕えた男に連れられ、ルカは演習場の中央へと進んでいく。
ふと顔を上げると数十メートル先に別の男がいた。あれが対戦相手かと思い目を凝らした瞬間、ルカはあることに気がつく。
どうして今まで気がつかなかったのかと不可解に思えるほど、確かな魔力を持った存在。それでいて、人間の中に紛れていても全く気付けない程のぼんやりとした存在感。
ーーあれは、亜種だ。
思わず足が止まってしまったルカに気づき、目の前を歩く男が振り向く。叱責されるかと思いきや、ルカの表情に何かを察したのだろう。「そこにいろ」と一言ルカに告げ、亜種へと迷いなく近づいていく。
なぜ亜種が、とルカが困惑している間に、男と亜種が何かを話し始める。そして亜種が小さく笑ったのを最後に会話を終え、男がルカの元へと小走りで戻ってきた。
目の前に来た男がルカの両手両足の錠前を外していくのを、どこか現実感がないまま眺める。
「時間制限は無し。お前か相手、どちらかが意識を失うまで戦ってもらう」
男の手にはいつの間にか、ルカが捕えられた際に使っていた刀が握られていた。
刀を渡しながら、男がルカに言う。
「言っておくが、彼はお前の手足を切ったあの子よりも数段上だ」
会った当初から変わらない無感情な男の瞳が、その瞬間だけは少しだけ揺らいでいるように見えた。
「…最後は、お前に任せる」
そうして男の背中を見送った数秒後、ルカは自分の腑をその目に焼き付けることになった。




