第23話 内緒の話
まだ、空が明るい。
近接格闘術の訓練の終了後、他の隊員と一緒に庁舎への帰り道を歩きながら、アスカは1人空を見上げていた。
少し前まで終業間際のこの時間は空一帯が夕焼け色に染まっていたものだが、今日はまだ空にうっすらと青色が残っていた。
どこまでも透明で触れられない、澄んだ青色。
その色が目に入ると、どうしてもアスカの頭の中で、あのエルの姿がチラついてしまった。
あのエルをアスカ達が捕獲した日から、もうすぐ1週間が経過する。
しかしその後エルがどうなったのか。どういう処置が下されることになったのか。
そういった話が、特戦の中では末端に近い立ち位置にいるアスカにまで下りてくることはなかった。
ーー別に、どうでもいいけど。
そう言いつつ、同じ小隊に所属する颯に何か知ってるか聞いてみたが、曖昧な表情で「さあ?俺は知らないけど」と返されてしまった。何かしら知っていることがあれば揶揄いつつも教えてくれるだろうから、本当に何も聞いていないのだろう。上層部にて情報統制が取られているということか。
同時に零に聞いてみることを促されたが、アスカとしてはなんだか気が引けてしまった。
真面目、というか色々と抱え込み過ぎる人なのだ、零は。
ただでさえ忙しいだろうに、これ以上負担をかけるような真似もしたくなかった。
ふと、空の青さから目を逸らし前を向くと、他の隊員の姿に紛れて見知った人物の背中が見えた。
小さな頭に、バランス良くついた胴体と長い手足。
他の隊員達よりも身体の厚みこそはないが、すらりとした大きな背中。
短く髪を刈った頸。冷たそうな真っ黒な髪。
その人物の所在に気づいた瞬間、自分の胸がうるさいほどに高鳴ることを、アスカは少し前から気づいていた。
自分から触れたいと願う存在ができるなんて、数年前には思いもよらなかったというのに。
珍しく1人だということに気付き、勝手に走り出す足をそのままに、アスカはその人物の背中に声をかけた。
「善」
「…アスカ」
呼びかけに振り返ったその顔が、予想よりも機嫌が良さそうであることに少しだけほっとする。
しかしそんなアスカの気遣いをよそに、揶揄うように善が言う。
「今日は補習なかったんだ?」
「…誰から聞いたの、それ」
「颯さんから。アスカが卒業試験の成績が悪すぎて、教授達に補習受けさせられてるって」
わかりやすくアスカが顔を顰めると、善が目を細めて短く笑った。
士官学校を首席で卒業した身でありながら、アスカの成績に叱ったり呆れたりしないのが善らしいと思う。
それがアスカにとっては、ほんの少しだけ寂しく感じるのも事実ではあったが。
「時間がある時また顔見せろって言われてるけど、一応この前の日曜に最後やって終わったの」
「ああ、あの日」
歩きながら、思いついたように善が声を上げる。
「颯さんもどっか行ってたんだよな、急な任務が入ったとかで。月曜もいなかったし」
「ふーん…」
「そういえば、アスカも月曜いなかったよね」
指摘され思わず目を逸らす。
普段は誰に対しても誠実で良心的な態度を取って見せるのに、時折異様に鋭い指摘をしてくるのだ、善は。
「颯さんと一緒に任務に行ってたとか?」
「い、言っちゃダメだって言われてるから」
「ふうん? どうしても?」
「ど、どうしても」
顔を覗き込まれ圧をかけられながらも、なんとか口をつぐむ。
善には申し訳ないが、零のしかめ面を思い出すと、やはりあの日の出来事を善に共有することはできなかった。
「そっか」と言葉だけで頷き、善がアスカから視線を外す。
なんとか諦めてくれたかとほっとしつつ、機嫌を損ねてしまったかと少しだけ不安にもなり、それとなく善の表情を伺う。いつもであればアスカの視線に気付き、善の方から声をかけてくるところである。
しかしアスカがいくらわかりやすく視線を送ろうと、善の瞳がこちらを向くことはなかった。
アスカの視線に気づかないくらい、考え込むような事柄。
アスカは気づいていた。善がここまで考え込む事柄は知っている限り、そう多くない。
おそらく善は、零について思いを馳せていた。
「来週の月曜、小隊長が上に呼び出されたとか言ってたじゃん?」
沈黙を破り発せられた善の言葉にアスカは一度首を傾げたが、終業間際の連絡を思い出して慌てて頷く。
確かに、呼び出しに伴い自主練になるとか、そんなことを言っていた気がする。
「噂で聞いたんだけど、来週の月曜日、うちの基地内の演習場で何かやるらしいんだよね」
「…何か?」
「そう。そのせいで急遽外に出ていた人も含めて、緊急招集がかけられているとかなんとか」
基地内の演習場の規模を考えると、大規模な銃火器を伴う演習か。
しかしそんなことをやるくらいなら、御坂の隊員を集めない理由がない。
だとすれば、御坂の隊員に知られては困るようなこと。
かといって本軍の基地を使わないとなると、本軍にも知られては困るようなこと。
小隊長クラスの人間が集められた理由。上の人間全員に共有しなくてはならないような重大案件。
立ち止まるアスカの隣を、他の隊員が不思議そうな顔で追い抜いていく。
善も少し先で立ち止まり、アスカの表情を見てまた薄く笑った。
「気になる?」
ずるい聞き方だと思う。
しかし善もきっと、本心はアスカと同じなのだろう。だからこんな聞き方をするのだ。
「でも、怒られるよ」
誰から、とまではあえて言わなかった。
言葉にしなくても、善には伝わっているはずだという確信があった。
少しだけ零と似た顔で、大丈夫だと善が笑う。
「見学の人数が2人増えたところで、いくらでも誤魔化しは効くだろうからさ」




