第22話 閉じた記憶
ルカとのやり取りを終え、零が執務室に戻るとデスクに先客がいた。
御坂の軍服にこそ身体は包まれているが、デスクに居座る男の灰色の肌に白髪という容姿は、一般的に見ても人間のそれではない。初めて見る者であれば、亜種だ化物だと叫び腰を抜かしてもおかしくはないだろう。
が、零からすれば随分と見慣れた風貌の男であり、疲れ切った身体には色々な意味で重すぎる男でもあった。
零が執務室に入ってきたことに気づき、外を眺めていた男の真っ赤な瞳がこちらを向く。
そうして目の前の男ーーサトルの瞳と唇が意地悪く弧を描くのを見て、零は大きくため息をついた。
「今日まで吾妻裏演習場で御坂第2小隊の訓練に参加。サトルさんがこちらに着くのは、明日になると聞いていたんですが」
「その予定だったんだがな。誰かさんのせいで、各小隊長クラスの人間に緊急招集がかかってよ。訓練が昨日で切り上げになったんだ」
サトルの言葉に零は思わず眉間を抑える。
各小隊長クラスの招集の理由は、ルカ或いは模擬戦の実施について上層部から各小隊長に知らせるためであろう。ルカについて、現時点でどこまで情報を広めるか上層部も判断に迷っていたが、御坂含め特殊作戦軍全体にまでは広めることにしたらしい。それがサトルの動きにまで影響が出るとは零も予想していなかったが。
「んで、暇になって凪んとこ顔出しに行ったら、お前から俺に話があるって聞いたから、ここで待っててやってたってわけ」
「…なるほど」
あとはよろしくと穏やかに微笑む凪の笑顔が、零の目に容易に浮かんだ。
自分以上に忙しい凪に文句は言えないのだが、ルカとのやり取りでそれなりに気力を消耗してしまったのも事実である。
そのまま、大きくため息つきつつ顔を覆う零に「なんだよ、やけに疲れてんな」とサトルがさも楽しそうに笑う。
何も面白いことはないというのに、相変わらず人が苦しんでいる姿を見るのが好きらしい。
「…で、サトルさんはどこまで聞いてるんです?」
「お前がとんでもない亜種を捕まえたんで、それに関する何かを特戦の人間を集めてするってとこまでだな。具体的な部分は何も聞いていない」
話を続けつつサトルの前まで進み、正面からサトルを見据える。
が、サトルはそれ以上自分の口から語ろうとしなかったし、相変わらず余裕そうな笑みを浮かべたまま椅子から立とうともしなかった。このままお前から話せということらしい。
当然かと小さくを吐きつつ、デスクに置いたままだった一枚紙を零はサトルに渡す。ルカについて上に報告した際の資料であった。
「サトルさんにお願いしたいのは、俺が捕まえた亜種との模擬戦です。3日後に特戦の敷地内の演習場で実施予定…と言っても、模擬戦とは名ばかりで、相手を殺すつもりでお願いしたいんですが」
「大方その相手の実力を図るのが目的とかだろ。殺しちまったら意味ねえんじゃねえの?」
「それは大丈夫です。相手はあのエルなので」
そこで初めてサトルの表情から余裕が消えた。
先のオルデアンとの戦争にはサトルも参加していたはずだから、エルに対する知識は零以上にあるのかもしれない。
「大陸から大和へと渡り、武蔵に向かっていたエルを、俺と颯とアスカの3人で数日前捕らえました。今はこの司令部の地下牢に繋いでおいています」
一枚紙をじっとりとした真っ赤な瞳でサトルが見つめる。
「あのエルを、お前ら3人だけでどうにかできたのか」
「…いえ。実はエルを捕らえようとした際、道中で出会ったらしい少女が共にいまして」
「その女を人質にエルを捕らえた?」
「はい。ですが、結局エルの力を確かめる間もなく捕らえてしまったので…」
「エルが本来の力を見せるように、俺が模擬戦で追い込めと」
「上層部からの指示としてはそんなところです」
そこで零は一息つき、サトルの様子をそれとなく伺う。
やはりエルに対して何か思うところがあるのか、一枚紙をデスクに戻した後も、サトルはこちらを見ずに珍しく考え込むような仕草を続けていた。
「エルと共にいた少女については、この春から御坂に所属予定の新兵だったことが分かりまして。現在は基地内の病院で治療を受けさせています」
「お前の俺への指示の算段としては、その女を引き合いにエルから力を引き出せってとこか」
「最初はそのつもりでした。ですが…」
一呼吸置いてルカの言葉を零は口にする。
「エルはもう、自分の魔力で相手を傷つけるくらいであれば、一生牢屋生活で構わないと。そう言っていました」
あの様子では、いくら日向を引き合いに出したとしても動こうとしない可能性が高い。
それ以上に上層部としても日向を殺すつもりがない中で、脅しの材料に使うというのは筋が悪かった。
こんな状況で、なんとか戦闘での駆け引きの中でルカ本来の力を引き出してくれ、というのもサトルとしては納得し難いだろう。案の定サトルは沈黙を保ったまま、一切こちらを見ない。零も筋が悪い頼みごとであることがわかっているからこそ、視線を合わせずらかった。
やはり厳しいか。
しばらくの間、部屋が静寂に包まれた後のことだった。
「零お前、エルについてはどれくらい知ってるんだ」
「は、」
口火を切られたことにほっとしつつ、サトルの質問の意図がわからず返事に一拍出遅れる。
「今回の案件で初めて知ったくらいです。それまでは全然」
「となると、公式の資料に載ってる情報くらいか」
デスクに置かれたエルに関するいくつかの資料をサトルが指でなぞる。
そういえば図書館などから急遽集めた資料についても目を通した後、そのままにしていた。
「そうですね。他の亜種とは比べ物にならない程の魔力を有しており、世界中から狙われる存在であるということくらい…」
そこまで述べて、資料には記載されていない上層部との会話の中で聞いた話を零は思い出した。
先の、オルデアンと大和との戦争の話だ。
「そういえば、オルデアンとの戦の際、オルデアン側にいたエルが一部の戦闘に参加していたらしいですね」
零の言葉にサトルの眉がわずかに軋む。
この時点では、零はそれをあまり気に留めなかった。
「だからでしょうかね。エルの実力がアスカに簡単に負ける程度だったと報告したら、そんなはずはないと言われて」
「…まあ、そうだろうな」
そこでサトルが一度言葉を切り、窓の外に視線を向けた。
どこか遠くを、戻れない過去を悼むような瞳。
その瞳を見て、零はあることに気づく。
ああそうだ、どうして気づかなかったのだろう。
父がああなってしまったのは、オルデアンとの戦争が原因だったはずなのに。
「エルがその程度の実力なら…俺たちも、もっと楽にやれた」
そうして零が思い出したのは、あの夏の日の父と母の最期の姿。
零の心の隅に居場所を占める、忘れたくない、忘れることができない記憶。
普段は考えないように、蓋を閉めて隠しておく記憶。
なぜ、死ななければならなかったのか。
あの日からずっと明かさないままにしてきた答えに繋がる何かが、サトルに聞けばわかるような気がした。
思わず尋ねそうになる。
ーー父はあの戦争で、何を。
しかし、その疑問を零は口にすることができなかった。
軍に入りたての頃に、サトルと父との関係については凪から聞かされていた。
サトルを軍に連れてきたのは零のお父さんなんだよ、と。
それを話題にした際のサトルの表情が、今思えばらしくないくらいに穏やかさに満ちたものだったことを、零はいまだに忘れていなかった。
「まあ、模擬戦は俺の方でなんとかする。上に聞かれたら、そう伝えておいてくれ」
重い沈黙を破ったサトルの言葉は、呆気ない程に単純なものだった。
思わず「いいんですか」と零も聞き返す。
エルに対し、サトルが並ならぬ感情を抱いていることは察していたが、なんとかできる程の策があるようには正直見えなかった。ここでルカの実力を引き出すことができなければ、ルカは疎かサトルに対しての処遇が検討される可能性だってあるというのに。
しかしそんな零の心配を、全て見透かしているかのようにサトルは笑う。
いつの間にか、いつもの余裕に満ちた表情にサトルは戻っていた。
「大丈夫。お前が心配するようなことには、ならないようにするさ」
だからそんな顔をするなとでも言うように、サトルは零の頭を軽く叩き、部屋を出ていった。
1人になった執務室にて、蓋を開けた古い記憶に零は浸る。
蝉時雨が鳴り響く部屋で、朱に塗れ動かなくなっていた父と母の姿。
そのすぐそばで眠った1人の夜。父と母の残り香を消すための作業。
迎えに行く自分の手を握り返した、あの手のひらの小ささ。
家を出る自分の手を握った、あの手のひらの大きさ。
職員が廊下を歩く足音が、零の部屋の前で止まる。
開けた記憶の蓋を閉じ、意識を現実に戻す。
ーー大丈夫。
数分前のサトルの言葉を飲み込み、ノックの音に対し「どうぞ」と力強く零は返事をした。




