第21話 合わない視線
凪との会話の翌日。
零は仕事の合間を縫い、ルカのいる牢へと向かった。
幸いというべきか、ルカが捕えられている牢は零の執務室がある司令部の地下に設置されていた。
もし地下の牢からルカに襲撃されたら司令部はひとたまりもないなと内心で苦笑しつつ、地下へと繋がる階段を降り薄暗い廊下を歩く。
元々司令部の地下は有事の際の作戦室や倉庫としてしか機能していなかったため、他の囚人は愚か、軍の職員や兵とすれ違うこともほとんどない。
牢に関しても数日前まではただの空き部屋だったが、ルカに関しては特戦ーー御坂を所管する大和特殊作戦軍の略称だーーにて厳重に管理すべきだと上から指示があり、慌てて牢として機能させたようなものだった。
そうして歩き続けた廊下の一番端。建前のように監視に当たる兵士数名の向こう側。
分厚い鉄格子と二重扉の向こうに、ルカはいた。
「この数日間ずっと、ああやって天井と壁を眺めているだけなんです」
「こちらからいくら話かけても何も喋らないし、動かないし。飲み食いでさえしないんです」
「正直気味が悪くて堪りませんよ。上もこんな奴を、なぜわざわざ特戦の中で管理させるんですかね」
零が兵士に話かけてみれば、愚痴とも言える心底嫌そうな返事が返ってきた。
適度に労いの言葉を述べつつ、発言に若干の疑問を感じ尋ねる。
「飲み食いもしないというのは本当ですか? 捕らえられてからそれなりに日が経ちますが、全く?」
「ええ。初日にこちらから食事について伝えたんですが、自分には必要ないからと断られまして」
「そうは言っても死なれちゃ困ると思って、置くだけ置いてみたんですが、手をつけようともしないし」
「でも特段弱った様子もないんですよ。お伝えするのも野暮ですが、排泄すらしてないようで」
「特殊な亜種だとは聞いていましたが、余程やばい奴なんですか、あいつ」
特殊な亜種。
兵士達の態度と発言から察するに、ルカがエルだということは零や凪含め、特戦の中でもまだ一部の人間にしか伝えられていないらしい。
確かに通常の亜種と比べものにならないほどの魔力を持つ亜種だと伝えてしまえば、この程度の監視では済まないという話になってしまい、色々と人員配置が面倒なのだろう。
にしても、睡眠や休息に加え、飲み食いも全くいらないと来た。
予想していたことだが、本当に体内の魔力で全てを補っているらしい。
これはこの鉄格子もほとんど意味がないなと思いつつ、改めて鉄格子越しにルカの姿を零は見つめる。
兵士達の言葉通り、ルカは壁に背を預けたまま、向かいの壁をただぼんやりと見つめていた。その手足には鎖付きの手錠が嵌められているが、抵抗した跡もなければ、部屋の中を引きずった跡もない。
まるで本当に数日前から、この窓のない部屋で1mmも動かずに過ごしているように見えた。
「私も彼がどんな亜種か詳しくは知らないんですが、少し彼に伝えなければならないことがありまして」
機密事項も含んでいるからと適当な理由をつけ、しばらく席を外してもらうよう零が兵士達に伝えると、心配そうな顔をしながらも、こちらの声が聞こえない程度には距離をとってくれた。
それを確認してルカの方に改めて顔を向けるが、ルカはこちらを見ない。
こちらの存在に気づいていないはずがないと思いたいが、無意識に周囲の気配や音を遮断している可能性もあった。
注意を引くような言葉をあえて選び、声をかける。
「ルカ、と言うらしいな、お前」
零が言葉を発した数秒後。
ルカの瞳が大きく見開かれ、零がここに来てから初めてルカと目が合った。
あの日、ルカを捕らえた日以来の再会。
ルカも零があの時の男だと気づき、驚いたのだろう。
思わず後ずさろうとしたためか、ルカの手錠や鎖が床と触れ合い、耳障りな金属音が周囲に響き渡る。
先ほどまでの置物のような態度から一変して、何をしに来たと言いたげな真っ青な瞳が零を睨む。
その瞳には、日向の安否に関して縋るような感情も混じっているように見えた。
「安心しろ、今日はお前の口を割らせに来たわけじゃない。一ノ瀬日向は無事だ。昨日やっと意識を取り戻した」
そう立て続けに告げれば、わかりやすくほっとした顔をされる。
「自分からお前の名を語るくらいには、お前のことを心配していたよ」
本題に移るにあたり、あえて気遣った言い方をこちらがしてみせれば、すぐさまルカが心を痛めるような顔をした。なんというか、こちらが悪いことをしているような気持ちになるくらい、素直な奴である。
さて本題だと気持ちを切り替え、鉄格子越しにルカの正面に椅子を引き話を続ける。
「今日お前に話に来たのは一ノ瀬についてではない。お前自身についてだ」
ルカはまだ黙ったままで、零を訝しげに見つめるのみだ。
「お前の実力を確かめたくてな。近いうちに模擬戦を組み、お前とうちの軍の者を戦わせることになった」
「…俺の実力なんて、あの日の結果で十分把握できると思いますが」
「そうか。ならあれがお前の全力というわけか」
やっと口を開いたことにほっとしつつ煽るような言い方をすれば、またルカが目を逸らす。
「飲食や休息、睡眠を全く必要としない肉体に、驚異的な自己再生力。それを成せる程の魔力を持つお前が、あの程度の実力だとは到底俺には思えなくてな」
「でも、実際俺はあの子に手も足も出ませんでした」
「それはお前が無意識に、魔力を制御していたからではないか?」
目を逸らし続けるルカの表情から察するに、零の指摘通りなのだろう。
亜種である自分が人間であるアスカを傷つけるという可能性に、恐れを抱いた。
そんな生半可な気持ちでアスカに太刀打ちできるはずがないというのに、傷つけるくらいならと勝負を投げ出したのだ。
あれだけ手足を斬られていたというのに、痛みだって感じていたというのに、それでも自らが傷つく方を選んだのだ。
「次の模擬戦の時も、また同じことを繰り返すつもりか?」
ルカは答えない。
「模擬戦の相手はアスカよりも強い者を選ぶ予定だ。今度は手足が吹っ飛ぶだけでは済まないぞ」
「別に、構いません。どんな怪我をしたとしても、結局治りますし」
「実に傲慢な考えだな。どうせ自分は治るから、いくら傷ついてもいいから、真剣勝負を挑んでくる相手に対し手を抜くと」
「不誠実だとは思います。それでも、相手を傷つけるよりはずっとマシです」
だんだんと喧嘩のような言い合いになっていく2人を、後方に控えていた兵士たちが不安そうに見つめる。
その視線に気づかないふりを決め込みながら、零はさらにルカを追い込む。
「お前の実力が人間や他の亜種と遜色ないと上の人間が判断してしまえば、お前はこの牢獄で残りの一生を過ごすことになる。何百年、何千年という日々をただ壁を見つめて過ごすことになる。その力をただ自分の可愛さのためだけに浪費し、誰のためにも使うことなくな」
それでもいいのか、という思いを込めてルカを正面から見据える。
だが、ルカはこちらを見なかった。
「それなら、その方がずっといいです」
これほどの言葉が出てくるまでにルカに何があったのか、今の零には確かめようがなかった。
「もう、誰かに使われるのも、誰かのために戦うのも、うんざりなんです」
絞り出すように吐き出された言葉。
それ以上の答えが、今のルカの中にはないのだ。
深く目を瞑り、零は大きく息を吐いた。
「模擬戦は2日後だ。最終的にどうするかは、お前が決めろ」
椅子から立ち上がり、ルカに背を向け立ち去ろうとする。
それでも、最後にこのことだけは伝えておかなければならないと思った。
「お前がどう思ってるかは知らないが、あの子はお前に救われたと言っていたぞ」
今のルカを叱る資格が自分にないことを、零はよくわかっていた。
誰かのために何かを為すなんてのは、うんざりだという気持ち。
その気持ちをかつて零自身も抱えたことがあったからだ。
「それだけは、知っておいてくれ」
結局、ルカは最後までこちらを見ようとはしなかった。




