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夜明けのルカ  作者: 真山慶
第2章 御坂
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第19話 知らない天井

 目を覚ますと、知らない天井が目の前にあった。そんな経験をするのはいつ以来かと日向は思い返す。

 ああそうだ、あの日だ。初めてルカに出会い、そのまま気を失った日の数日後。

 目の前にある真っ白な天井は、あの日見た病院の天井によく似ていた。

 

 起きあがろうと腹に力を入れた瞬間、日向は激痛に呻く。

 反射的に右腕で腹を押さえようとするが、頭上に響く金属音がそれを妨げた。見上げた視界に入ってきたものに息を呑む。右手が、手錠に繋がれていた。

 仕方がないので自由な左手で腹を抑えながら、何とか起きあがる。

 ふと周りを見れば、白衣の男が日向の元へと向かってきていた。恐らく医師である男は、日向がこれまで会ってきた医師の中でも一段と若く、穏やかな雰囲気をしていた。

 医師がほっとした様子で日向に声をかける。


「よかった。随分長い間眠っていたから、心配していたんだよ」


 どれくらい眠っていたかを聞こうとして、また痛みに日向は眉を顰める。


「まだあまり動かないでね。奇跡的に内臓は傷ついていなかったけど、出血はそれなりにあったわけだから。今日は安静にしておこう」

「…わかりました」


 日向の返事に頷きつつ、医師が曖昧に微笑む。

 その微笑みの理由を察してしまい、日向としては少し申し訳ないような気持ちになる。この手錠の意味がわからないほど、日向も愚かではなかった。


「それに…僕がいいと言うだけでは、君をここから出すことはできないんだ。許可が出るまでは申し訳ないけど、ここで待機してもらう必要がある」


 医師の言葉に、意識を失う前の出来事を改めて日向は思い出す。

 日向の腹を貫く銃弾と、闇夜に消えていく銃弾。

 倒れまいと踏ん張る程に湧き出る真っ赤な血。思うように動かなくなっていく身体。

 そして、日向を見下ろす男の静かな雨のような瞳。


 あの時、自分はここで死ぬのだと思った。

 死んでもおかしくないほどの怪我を負い、死んでもおかしくない程の選択をした。ルカがエルであることを知りながら共にあることを選んだ。

 それでも日向はまだ生きている。

 それはあの時の男が、日向を生かすという選択をしたことを意味していた。


 医師の話によると、日向のいるこの部屋は御坂や、御坂を所管する特殊作戦軍の敷地内にある病院の一角らしい。


「となると、ここも病室の一つですか?」

「いや、ここは僕の仕事部屋、兼診察室かな」


 確かにベッドの向こう側には大量の書棚や机、医師のものと思われる荷物が並んでいた。おそらく日向のこの状態では、通常の病室に入れることができなかったのだろう。


「だから他の患者さんや軍の人間も入ってくるけど、今日一日僕はここにいるから。痛み止めが切れてきたり、具合が悪くなったりしたら、すぐに言ってね」


 医師の言葉通り、会話が一区切りした後は診察を受けに来た患者や軍の関係者等、様々な人間が部屋を出入りした。

 幸い、日向のいるベッドは医師の机からかなり離れた位置にあるため、患者や軍の関係者が日向を話題にすることはほとんどない。稀に話題にされたとしても、医師がうまく誤魔化してくれた。

 その後、医師から5日間程眠っていたことや、今回の怪我での後遺症はほとんど残らないこと、許可が降りれば来週にでも訓練に混じれるだろうということを聞かされた。

 しかしそれよりもずっと大事なこと、確かめておきたいことが日向にはあった。


「私と一緒に異国の少年がいたはずなんですが…彼がどうなったか、わかりますか?」


 思い切って医師に聞いてみたが、また曖昧に微笑まれるだけだった。

 食い下がっても教えてくれるような相手でないことはわかっていた。だからこそ日向もそれ以上は何も聞かなかった。

 それでも、ルカがもしあの男やその仲間に捕えられ、拷問にでもかけられていたりしたら。自分だけがのうのと生きているのだとしたら。

 それがあのとき、自分があの男を撃てなかったせいだとしたら。

 考えれば考えるほど易々と眠ってもいられず、柔らかな日に照らされる御坂の景色をただじっとりと眺めることしか日向にはできなかった。


 日が暮れ、御坂が夜に染まり始めた頃。

 静まり返っていた医師の部屋を訪れる者がいた。


「零」


 来訪者である男の顔を見て、医師が思わずといった様子で声を上げる。それに軽く返事をした男が医師に何か伝え、医師がそれに頷く。

 そうして医師をその場に残したまま、男だけが日向に向かってきた。

 男の顔を見て日向は気づく。あの時の男だ。日向が撃ち損なった男。

 ルカを捕える選択をして、日向を生かす選択をした男。

 動揺から右腕を動かしてしまったせいで、鈍い金属音が部屋に響き渡る。

 医師が心配そうな顔でこちらを見たが、男の表情は変わらない。相変わらず感情の読めない瞳をしていた。


「順調に回復しているそうだな」


 男が日向のベッドのすぐそばまで来て言う。淡々とした言い方がやけに日向の癇に障った。


「そうですね。この手錠さえなければ、今だってあなたの目の前に立てたんですが」


 あえて嫌味ったらしい言い方をしてみせたが、男は機械的に瞬きをするのみだ。

 初めて会った時にも感じたことだが、どんな状況に陥っても冷静さを保っていられる、極めて理性的な人間らしい。それともそのように見せているだけか。


「君は、あの少年がエルだと知っていただろう」


 いきなり核心をついたことを言われ、内心で日向は動揺する。

 やはりこの男の手によってルカは捕えられているらしい。

 憎悪に似た感情が日向の中から湧き上がったが、なるべく表情に出さないように堪える。


「知っていた上で、共に戦うと判断した。そんな人間を軍が生かしておくわけにはいかない。だから俺は、部下に命じて君の腹を撃った」

「…だけど、あなたも私がそんな人間だとわかった上で生かす判断をした」


 日向の言葉に男の瞳が僅かに軋む。そのことに少しだけほっとしつつ、日向も感情を押さえ込むように瞳を伏せる。

 男はおそらく気づいていた。

 日向が自分が生き残った理由を理解した上で、どうしようもない自責の念を抱えていることを。

 

「なぜか、理由を聞かないのか」

「ルカを御坂に連れてくるために、脅しの材料が必要だったんでしょう。大方予想できます」

「それだけじゃない。いくらエルに関する情報を握っていたとしても、君のような優秀な人材を殺してしまうのは、軍にとっても多大なる損失だ」

「私のような人間の代わりなんて、いくらでもいると思いますけど」

「いいや。女子で士官学校首席卒業は史上初。最年少…とまではいかないが、それとほぼ互角の年齢で御坂に入隊し、文武共に抜群に優秀。君が思っている以上に、君は多くの人間から期待されているということだ」

 

 期待、という言葉に故郷に残してきた仁や陸の顔が浮かび、ちくりと胸が痛む。

 あのとき死んでいたら、仁や陸がどう思うかまで考えなかったわけではない。

 それでも今になってやっと遺された者達の想いを改めて考えてしまう自分が、ひどく情けなかった。

 日向の表情を見て何かを察したのだろう。切り替えるように男が言う。

 

「だが君がエルの情報を握っている以上、軍の監視下に置かざるを得ない。もしあの少年がエルだという情報を、どこかに漏らしたりでもしたら…」


 続く言葉がなくとも、どうなるかということは日向自身よくわかっていた。撃たれた腹の痛みを忘れたわけではない。小さく頷きながら答える。

 

「もちろん、わかっています。でもルカは?」


 真っ直ぐに見上げる日向を、男が無感情な瞳のまま見下ろす。

 

「ルカは、どうしているんですか?」

「…彼の処遇はまだ決まっていない。まずはどれだけできるかを見る、といったところだな」


 淡々とした事務的な回答。

 それでもルカが生きており、状況を知る者が近くにいるということがわかっただけでも十分だった。


「そんなに、あの少年が気になるか」


 安堵の表情を浮かべる日向に、男が疑問を投げかける。


「武蔵への道中に、偶然会っただけかと思っていたが」

「もちろん、会ったのは偶然です。それでもルカは亜種の銃弾から、見ず知らずの私を守ってくれたんです」

「それであの少年がエルだとわかったと」

「はい。そのあと武蔵まで一緒に来るようにと、ルカに伝えて…」

「本当にそれだけか?」


 聞かれ、思わず一瞬思考が止まる。

 

「君は、あの龍江事件の被害者だと聞いている」


 龍江事件というのは、日向の両親が亜種に殺されたあの日の事件の世間での通称だ。


「両親を殺した存在である亜種に対しては、恨みが深いのかと思っていたが」

「…今回の亜種と、あの日の亜種はまた別ですから。それにエルが特別な亜種だということは知っていたので、あまり情報を広めるべきではない。私1人で対処すべきかと思いまして」

「なるほど。それは適切な判断だな」


 不自然がないように作った言い訳ではあったが、男が表面上納得したのを見て胸を撫で下ろす。

 あの日の出来事を、ルカとは再会したのだという話を男にするわけにはいかなかった。

 できるだけルカと一緒にいたかった、なんて言えるわけがない。


「来週、また様子を見に来る」


 男が日向の手のひらに1つ鍵を置いた。おそらく右手の手錠に使うものだろう。御坂に所属する一軍人としての信用を得ることは、一応できたらしい。

 しかしそれを最後に立ち去るかと思いきや、男は日向のそばから離れようとしなかった。

 まだ何かあるのかと首を傾げる日向に、ぽつりと溢れるように男が言った。

 

「あの少年は、ルカというのか」


 どうやらルカはまだ自分の名を語らない程度には、軍に対し心を閉ざしているらしい。

 固まる日向に男が初めて薄く微笑む。遠くを見つめるような、そんな微笑みだった。

 

「いや、君には話したんだと思って。それだけだ」


 そう言い残し男が去ろうとするのを、日向は慌てて声をかけて引き留める。また右腕の手錠が鈍い音を立てたが構っている暇はなかった。

 

「あの、所属とお名前を。まだお聞きしていなかったので」

「大和特殊作戦軍司令部所属、中佐の蒼真(そうま)零だ」


 男がゆるく振り返ったときには、先ほどの微笑みの温度は消えていた。

 初めて見たときと同じ、冷たい雨のような温度をした人間。

 

「君達の生死を左右する計画を立てている者だと、思ってくれればいい」






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