第17話 代償
水の色、空の色、海の色。自らの血に塗れたエルを見下ろしながら、アスカはふと考える。
どの色が一番近いのだろう、この青色というのは。空の色はもっと澄んだ色をしている気がするし、海の色では濃紺が過ぎる気がする。
ーーでもまあ、どれでもいいか。
すぐに考えるのをやめ、地面に伏すエルの腹に刀を突き立てる。近くには数秒前にアスカが斬り落としたエルの右腕と左足が、所在無さ気に転がっていた。
それでも既に新たな腕と足が再生し始めているのだから、恐ろしい再生力という他ない。いくら魔力量のある亜種でもここまでの再生力をもつ種はいないだろう。
それは確かに感心に値する。それにしても、だ。
「あんた、弱すぎ」
世界中の亜種や人間から狙われ疎まれる、世界最強・最厄の亜種。そう呼ばれる存在がエルであると零からは聞いていた。しかし蓋を開けてみれば、特筆すべきは驚異的な自己再生力くらいで、アスカの予想よりも遥かに戦闘能力は下であった。
アスカの言動にエルの瞳が大きく見開かれるが、その瞳の青さにさえなぜか無性に苛立った。
「これくらい動ける亜種なんて、そこらじゅうにいると思うけど」
このエルは何も知らない。自分とは何も接点がない。そんなことはわかりきっている。
それでもアスカは許せなかった。受け入れることができなかった。
ーーこいつらさえ、いなければ。こいつらさえ、生まれてこなければ。私はこんな半端な身体にならずにすんだのに。
そんな黒々とした感情を押し殺すように大きく息を吐き、そのままエルの動きを注視しつつ待機する。
ふと背後に気配を感じ振り向けば、零と颯の2人がアスカの方へと歩いてきていた。
「アスカ」
颯に声をかけられ、思わずアスカは刀を握る力を緩める。しかし零の背中にいる存在。エルと共にいた少女が背負われていることを、アスカが認識した瞬間。
エルの身体に突き立てていたはずの刀が、大きく揺れた。
「…っ!」
ーーこいつ。
瞬間、慌てて刀に力を込めるが間に合わない。刀が突き刺さったままの肉体を、エルが無理やり引きちぎったらしい。あたりに散乱する青色にアスカが目を奪われている隙に、エルが身体を起こし片膝をつく。腕も足もまだ完全には再生しきっていない。それでもエルは、筋肉が丸見えの状態の右手で刀に手をかけた。
同時にアスカはあることに気づく。先程まで青色だったエルの瞳が、いつの間にか真っ赤に染まっていること。そしてその瞳に映る存在が零ではないこと。
エルの視線の先にあるのは、零が背負う少女の姿だった。
しかし、それもすべてわかっているかのような声で零が言う。
「俺を殺して、その後どうする?」
エルの動きが刀に手をかけた状態で止まる。
今のうちに腕を吹っ飛ばしてやろうかとアスカは殺気立ったが、颯の視線で察する。まだ動くな。颯の瞳はそう言っていた。
「俺を殺したら、こいつらも殺すんだろう」
零の言葉に、エルは何も答えない。
「だが、この子も死ぬだろうな」
零が背中から少女を下ろし、地面に横たえる。少女の顔色は暗闇の中でもわかるくらいに悪く、死にかけの状態であることが察せられた。
「…あなた達がやったことでしょう」
僅かな静寂の後、エルが初めてアスカの前で口を開いた。想像していたよりも随分と幼い声であることに、少しだけ拍子抜けする。
「そうだな」
一方で零の声はどこまでも澱みのない色をしていた。命令を下す司令官としての声。アスカにも聞き覚えのある声だった。
「だが、お前のせいだ」
零の言葉にエルの瞳が大きく揺れる。
「お前と彼女がどう知り合ったか、経緯は知らない。だがお前ひとりで歩んでいれば、彼女は死なずに死んだ。お前と共に歩んでしまったせいで、俺達は彼女を殺さなくてはならなくなってしまった」
あえてエルを傷つけるような言い方をしている。そのことはあまり感が鋭くないアスカでさえわかった。
零から少し離れた位置で見守る颯だってとっくに気づいているのだろう。あえて、エルを焚き付けるために言っていると。
「すべてお前のせいだ。お前のせいで、彼女は死ぬ」
だが零の言葉に、エルはわかりやすく傷ついていた。刀を握る手だって、おそらく力なんてほとんどこもっていないのだろう。零を見つめる瞳も憎しみや怒りの色はほとんどなく、今にも泣き出しそうにさえ見えた。
そうしてアスカは初めて気づく。
ーーああこいつ、自分を守る術を知らないんだ。
素直で、染まりやすく、壊されやすい。そんな自分を取り繕うこともせずに、エルはそのままの自分で零の言葉を受け止めようとしていた。
「まあ、死なない選択肢も選べるがな」
零の発言に思わずアスカは颯を見たが、事前に決めてあったことのようだ。仕方がないとでも言いたげな顔で2人の会話の行方を、颯は見守っていた。
「…嘘ですよね。俺がどうしようと、あなた達はその子を殺すつもりでしょう」
「いいや、お前次第だ」
零が懐に携えていた刀を抜く。それを見たエルがハッとした様子で刀を構えたため、アスカも刀を構えたまま牽制する。
しかし零はそれに臆することもなく、小さく息をする少女の首元に刀を近づけた。
「やむを得ず気絶させたが、彼女はこの春からうちの部隊に配属される予定の子でね。まさにこの国の未来を背負う期待の星というわけだ」
零の言葉にアスカも合点する。道理で零と颯を以ってしても、捕獲に時間がかかったのだ。
「そんな優秀な人間に死なれるのはこちらとしても損失が大きい。後処理だって色々と面倒だ」
そこで意味あり気に零が言葉を切る。言わずともわかるだろうとでも言いたげな沈黙。
そうしてまた数秒の静寂の後、エルが心底侮蔑するような口ぶりで言った。
「彼女を死なせたくなければ、大人しくあなたたちの元へ降れと」
「そうだ。彼女もお前も我々の監視下の元で動いてもらう」
その瞬間にアスカは察する。
エルの遠くを見つめるような瞳。零を見ているはずなのに、そこにはいない誰かを見つめているような瞳。
誰かを殺されたくなければ。誰かを死なせたくなければ。我々に従い、我々のために死ね。
そう命じられたことが、これまでにもあったのだ。多分数えきれないほどに、何度も。
きっと零だってそんなことはわかっている。それでも零は淡々とエルに対し命じた。
「この国のために働いてもらうぞ、エル」




