第13話 胸がいっぱい
目的地の川まで移動し、待ち望んでいた水を日向は目一杯に飲み込む。港町を出る際に汲み取っておいた水も、実は少し前に底をついていたのだ。
近くの岩に腰をかけつつルカを探せば、少し離れた場所で水中を眺める姿を見つけた。靴を脱ぎ裸足になったようで、亜種の血で汚れた靴が午後の日の光に照らされている。
それを見つめながら、つい数時間前の出来事を日向は思い出していた。
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「わかった。君と一緒に、俺も戦う」
数時間前、自分と一緒に戦って欲しいと願う日向にルカが頷いた直後。
後方の開けた山道に、亜種が一瞬姿を見せた。
それを見逃さず、ルカに向けたままだった銃口をそのまま亜種に向け、冷静に足を撃ち抜く。ぎゃっと短い悲鳴と共に、亜種が地面に倒れる音を聞きながら、すぐさま日向は近くの木の影に身を隠した。
1人はルカが腕を切り落としたから、あと2人。近くにいるはずだと注意を払いつつ、装填して再び銃口を山道に向ける。
が、亜種も日向の動きに気づいたのだろう。残り2人の亜種は日向と同じく脇に茂る木々の影に隠れたようで、気配は感じても姿は見えなかった。おそらくまだそれなりに距離はあるが、近づかれれば力で勝てる相手ではない。このまま隠れて相手が尻尾を出すのを待つか。
そう思いながら、日向ははたと気づく。いつの間にかルカが目の前から消えていたのだ。
一体どこに、と思考を巡らせた瞬間、銃を乱射する音と2人の亜種の断末魔のような悲鳴が聞こえた。どうやら日向が亜種を1人撃ち抜いた瞬間から、既にルカは後方へと向かい、こちらへ近づこうとする亜種に攻撃を仕掛けようとしていたらしい。
ルカから逃げてきたであろう亜種の1人が、肩を抑えながら山道へと踊り出る。ルカとしては日向に撃たせるつもりで山道に追い込んだのか、それとも無意識なのか。どちらにせよ逃すつもりはない。
血の気が引いた顔でこちらを見る亜種に銃弾をまた日向は1発、撃ち込んだ。
腕や足を切り落とされた亜種に対しても、日向に撃ち抜かれた亜種に対しても、ルカは止めを刺さなかった。気絶しているかどうかだけ確認し、その両手足を縛るのみのルカに対し日向は思わず尋ねた。
どうして殺さないのか、と。
「これくらいの怪我なら、1日もあれば動けるようになってしまうと思うけど」
流石に腕や足が生えてくることまではないだろうが、人間と異なり致命傷になるほどの怪我ではない。亜種はそういうものだという知識を既に日向は持ち合わせていた。
しかし、ルカは歯切れ悪く答えた。
「彼らが俺を追わなきゃいけない理由を作ったのも、元はといえば俺だから」
どういう意味なのか尋ねたいとは思ったが、それ以上は踏み込めなかった。一方でこれからどうするつもりなのかと尋ねると、ルカは「特に行き先はない」と素直に答えた。
どうやら亜種に追われて逃げてはきたが、目的地があったわけではないらしい。思わず呆れた反応を示しそうになるが、エルの生態を考えればそれも当然かという結論にすぐに達する。
脳天を撃ち抜かれても数十秒後には起き上がるという脅威的な回復力を見た後では、何千年も生きるという資料の記載も信憑性を増していた。
一体今まで、何年生きてきたのか。それを知るには時間も会話も足りなすぎた。
「アモウから追ってきた亜種が彼らだけとは限らないでしょ。だからエルのあなたに好き勝手動かれると、私みたいな普通の人間にはとっても迷惑なの」
思考を巡らした末に日向が出した結論はそれだった。案の定、日向の言葉にルカはひどくショックを受けた様子で「ごめん、確かに軽率だった」と謝った。それに対し罪悪感が生まれなかったわけではない。
一方でこういった時、適度にそれらしいことが言えるところが自分の長所であることを、日向はよく理解していた。
「本当は、あなたみたいな亜種は軍に差し出して、政府の人間に処遇を委ねるべきなの。だけど、私はあなたの行動に救われた。だからこそ、あなたがどうするかは、あなたが決めるべきだと思う」
半分本音、半分偽り。そんな日向の言葉を迷いと怯えが混じった、それでいて真っ直ぐと澄んだ瞳でルカは聞いていた。
こんなやり方はずるいと自分でも思う。
それでも、ルカのそばにいたいという思いが日向の口を開かせた。
「とりあえず、私は軍の基地がある大和の首都に向かうから…そこまでは一緒に来てもらえると、ありがたいんだけど」
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バシャバシャと飛沫を立てながら、ルカが上流へと向かう。平均よりそれなりに身長がある日向に比べても、まだ10センチ以上ルカの背は高い。
そのはずなのに、その仕草からは幼い子供のような純粋さと危なっかしさを感じた。思わず「あんまり遠くへ行かないでよ」と声をかけるが、振り返らないままでの「うん」という返事だけが元気よく返ってくる。
動き回るルカの後ろ姿。痩せっぽちの、まるで鍛えられていない少年の身体。
ーーやはり、何も変わっていない。
日向にはルカが10年前から時間旅行をして、ここまで来たようにさえ見えた。
川での休憩の後、日が落ちるまでの間にもう少し歩みを進める。
野営になりそうなことをルカは心配したが、日向は構わないと答えた。
1人だったら麓の村まで降り宿をとっていたが、今は違うから、と。
「本当に疲れないんだね」
丸一日歩き詰めだというのにペースを全く崩さないルカに、日向の口から思わず独り言のように言葉が溢れる。
僅かな沈黙の後、歩きながらルカが平坦な口調で言った。
「俺たちは魔力でなんでも治してしまうからね」
俺たち。そして、なんでも。
どちらから尋ねるべきかと迷うが、まずは後者からだと判断し「なんでも?」と日向は問い返す。
「なんでも。傷も、疲れも、空腹も。全て体内の魔力で補っているんだ」
言葉の意味はわかる。が、原理がわからなかった。腑に落ちないという顔をする日向に対し、ルカが困ったように視線を揺らす。
「それはつまり…人間の体内にある臓器や筋肉がエルにはないってこと?」
「いや、あるにはあるよ。でも人間みたいに機能していないというか…」
そこで言葉が途切れ、また沈黙が続いてしまう。やはりもっと他愛のない話をすればよかったか。そう、例えば今日の夕食は港町で買った弁当にするつもりで、それが結構美味しそうだとか…。
腹が減ってきたせいもあり、そんなことまで考え始めた日向の目の前でルカが足を止める。
そうして肩で息をしたまま立ち尽くす日向に対し、ルカが腕を差し出した。
「ほら」と言われても、首を傾げ動かない日向の手を掴み、自らの腕の手首のあたりを掴ませる。思わずギョッとするが、何をさせようとしているかを察し、手首に感じるはずの動きを読み取ろうとする。
「わかるかな」
諭すようなルカの言い方に返事をしようとする。
が、日向は小さく息を飲むことしかできなかった。
人間にも亜種にも、犬や猫の動物にさえ絶対にあるもの。
ーー脈が、ルカの身体にはなかった。
つまりそれは心臓も動いていなければ、呼吸さえしていない。
それはまるで、“モノとしてそこにある“としか言えない状態なのではないか。そんな考えたくもない思考が日向の頭を覆う。
しかし脈のない身体で平然と歩きながらルカは言う。
「だから食べたいとか、休みたいとも思わないし。疲れるとか、甘いとか苦いとか、そういう感覚も正直よくわからないんだ」
多分ルカは味覚という言葉の意味を、本当の意味では理解できていない。
眠りにつくことも、お腹がいっぱいになることも、疲れを癒すことも一切ない。そんな人生。
そんな生き方を、一体この生き物はどれだけ続けてきたのだろう。どれだけの朝を迎えてきたのだろう。
夜に染まり始めた空の下、野営の場所と決めた岩陰にて、夕食用の弁当を日向は黙々と口に運ぶ。弁当は空っぽの胃を確実に埋めてくれているはずなのに、ひどく空虚な感覚がしてしまった。
ふと、日向の目の前で焚かれる火を眺めていたルカと目が合う。何を言うべきか、一瞬迷っている隙にルカの方が先に口を開いた。
「日向、お腹いっぱいなの?」
また、子供のような言い方。
「いや、なんか」
「胸がいっぱいで」なんて言葉が無意識に口から出てきてしまい、日向は内心で頭を抱える。ルカに再会してからというもの、どうも芝居がかった言い方をしてしまう自分がいた。
「そっか、その感覚はちょっとわかる」
なのに、ルカは笑うのだ。楽しそうに、嬉しそうに笑うのだ。まるで日向の心の内なんて知らないとでも言うように。その事実がほんの少しだけ、日向の心を脆いものにさせた。
弁当を食べ終わり一息つく。
ふと、ルカが真っ暗で何も見えないはずの山のある一点を見つめていることに気づき、日向は声をかけた。
「何? 何かあった?」
「…いや、なんかちょっと」
すぐにルカが山から視線を外し、日向の方を向く。
「ちょっと変な感じがしただけ」




