第11話 私を離さないで
青空と同じ色。
絵の具か何かと見間違うほどの青色が、木の葉の上に撒き散らされている。
いつもの日向であれば冷静に判断することができる。逃げるべきか、ここに留まるべきか、冷静に判断し行動に移すことができる。
そのはずなのに、少年が撃たれた瞬間から日向の頭は一ミリも働いていなかった。
──自分に気づいたせいで、死んだ。
そんな思いが日向の目の前を真っ暗にした。
それでも後方から複数の気配が近づいてくるのを感じ、慌てて岩陰に身を隠す。後ろを振り向かなくてもわかっていた。10年ぶりの彼ら。
──亜種だ。
「やっと当たったな」
嘲笑まじりの亜種の声が聞こえる。どうやら彼らは少年を追ってここまで来たらしい。軍が情報を掴んでいたアモウの亜種というのは彼らのことなのだろうか。考えているうちに、視界の端に転がったままの少年の近くまで亜種がやってくる。
数は4人。全員が銃を持っていることに気づき、思わず息を飲む。幸い亜種が日向に気づく様子は全くない。
ふと近づいてきた亜種のうちの1人が、地面に横たわる少年に銃を向けた。パンパンと乾いた音が少年の身体を揺らすのを見て、周囲の亜種が愉快そうに笑う。
「おい、あんまり無駄打ちするなよ」
そのまま「今はどの辺にいるのか」だの「報酬に上乗せしてもらわないと足りない」だの事務的な会話が亜種の間で続く。会話の中で山を降りるという結論になったのだろう。少年をかつげと命令された一番若そうな亜種が、渋々といった様子で少年の身体に手をかけた。
反射的に身体が動きそうになるのを、日向はなんとか堪える。
──まだ何も伝えていない。
──まだ何も聞けていない。
自分がどれだけの人々の想いを背負った人間か。頭ではわかっているはずなのに、いっそ少年と一緒にこの場で死んでしまいたいとすら日向は思っていた。
──殺されたっていい。
──もう彼に何も伝えられないのなら、生きる意味なんて、ない。
「…あ」
小さく、日向の口から驚きの声が漏れた。その声と力んだ足が木の葉を踏みしめる音に気づいたのだろう。少年を担ごうとしていた亜種が日向の方を向く。
しかしその瞬間、日向はすでに岩陰から飛び出していた。
声を上げたのは、銃を抱えた亜種への恐怖心でも、少年の姿にショックを受けたからでもない。
頭と腹が吹き飛んだ少年の瞳に光が宿ったのを、この目で見たからだ。
岩陰から飛び出した日向の姿に、亜種が声を上げようとする。その向こうでゆらりと少年が立ち上がるのを、信じられない思いで日向は見つめていた。
──全然死なないんだって、そのエルってやつ。
数日前の陸の言葉を思い出す日向の目の前で、亜種の腕が宙に飛ぶ。
少年が懐に携えていた刀で斬ったのだ。狂ったように叫び声を上げる亜種が落とした銃を拾い上げ、少年が日向の方へと向かう。
そうして日向の手を取り、少年は言った。
「走れる?」
──ああ、あの日と同じ声だ。
それだけのことで頭がわんわんと震え、足がすくみそうになる。
それでもなんとか日向は頷き、少年の手を握り、隣を走る。
少年が走りながら僅かに振り返る。その拍子に見た日向の顔が、あまりにも泣き出しそうなものだったのだろう。戸惑いの表情を浮かべる少年に、ごまかすように小さく笑いながら日向は言った。
「死んだのかと思ったから」
なぜか、再会の言葉を口に出すことができなかった。
日向の言葉に「ああ」と少年が困ったように頷く。
「あれくらいじゃ死なないんだ」
少年が続く言葉を何か言いかけたが、それを待たずして銃声が山中に響き渡る。少年を追ってきた亜種のものだ。少年もそのことに気付いたのだろう。
こっち、と手を引かれ、生い茂る木々の間に2人で隠れる。
「彼らの狙いは俺だ」
静かな少年の首筋を眺めながら、ああまたかと日向は思う。
また、自分は人間じゃないからと、この先は1人で行けと言うつもりなのだと気づく。
それでも少年を見送るしかなかったあの頃とは違う。
手を放さないために何をすべきか。今の日向にはそれがはっきりと理解できた。
「だから、私1人で逃げろと?」
あえて尖った言い方をする日向に対し、少年がまた戸惑いの表情を浮かべる。
その隙を狙い、少年の手から銃を奪う。ほとんど力が入っていなかったのか、呆気ないほど奪うのは簡単だった。
即座に銃を構え、銃口を少年に向ける。
「私、こう見えても大和の軍人なんだ」
軍人、という言葉に少年が表情が抜け落ちたような顔をする。
なんて顔をする、と思わず日向は自嘲気味に笑いそうになる。
「ここであなたの頭をもう一度吹き飛ばして、彼らか軍にでも引き渡せばどうなるのかも、大体想像がつく」
本当はもっと普通の、善良な人間のまま少年に会いたかった。
優しく穏やかな人間のまま、あの日の出来事に対し、少年に感謝の言葉を伝えられればそれでいい。二度と会えなくてもいいと思っていた。
だけど、少年はまた1人で行こうとする。あの日と同じように。
「だけど私、あなたを引き渡すつもりも、あなたを1人にして逃げるつもりもないの」
少年はあの日をおそらく覚えていない。日向のことを、覚えていない。
それでも少年は今日も日向を救ってみせた。誰であろうと少年はそうした。
それが、どれだけ嬉しかったか。
「私と一緒に、彼らと戦って」
目を見開く少年に対し、日向の心の内で誰かが囁く。
──それで本当にいいの?後悔しない?
その声を振り切ることに、迷いはなかった。
少年がどれだけ違うと日向を突き放そうと、それでもいいと言ってやる。
別の道を1人で進むと言うのなら、勝手に後ろをついていってやる。
たとえどんな結末を迎えようと、掴んだ運命を離すつもりはなかった。
「できないって言うんだったら、あなたの頭をこの場で吹き飛ばす」
引き金にかけた指が震えそうになるのを必死で堪える。
お願い、だなんて神や仏に懇願する気持ちはなかった。神や仏に祈ったところで結果は変わらない。だからこそ、日向は少年自身に祈っていた。
──どうか、私を離さないで。
銃口の向こうで、蒼く澄んだ少年の瞳が揺れる。
何が正しい選択か、必死で考えているであろう瞳。
少年が、重たい扉をゆっくりと開けるように口を開く。それを日向が穏やかな表情で見届けたその時。
一つの銃声が山中に鳴り響いた。




