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夜明けのルカ  作者: 真山慶
プロローグ
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第1話 発火

朝が来る前に目覚めるなんて、初めてのことだった。

 目の前の暗さに驚いたまま日向(ひなた)は考える。

 どうして目が覚めたのか、ぼんやりとした頭のまま考える。

 違和感。いつもの夜ではないという感覚。

 1階から聞こえる物音や父と母の話し声が、そんな感覚にさせるのか。

 おもむろにベッドから身体を起こし、カーテンを開いた瞬間、日向は瞳を大きく見開く。

 窓の向こうの、ずっと向こう。

 真っ暗なはずの街の一部が、歓声を上げるような勢いで燃え上がっていた。

 まるで、昼間のように明るい空と街の一角。

 窓も開けてみれば、つんと冷たい風が日向の頭をはっきりさせた。

 それと、鼻に刺さってきたのは、おぞましい程の臭気。

 それが何が燃えていることによる匂いなのか、7歳の子供である日向には想像し難い。

 それでも、これが単なる火事ではないことだけは、はっきりとわかる。

 何かとんでもないことが起きているという確信があった。

 焦る気持ちを抑えつつベットを降り、廊下へ出る。

 嫌な汗が手のひらを覆い始めると同時に、1階から父と母の話し声が聞こえてきた。


「ダメだ。警察や軍を待っている時間なんてない」

「でも、そこまでするなんて…殺されにきたようなものじゃない」

「彼らには失うものがない。死さえ、彼らにとっては罰に値しないんだ」


 階段を下りつつ1階を覗けば、丁度部屋から出て来る母の姿があった。

 お母さん──そう呼びかけようとして、日向はすぐにやめる。

 母の服が既に外出用のものであることに、気づいてしまったからだ。

 階段の途中で足を止めた日向に気づき、母が声をかける。


「今すぐ着替えて、下に降りて来なさい」


 いつもの、穏やかに微笑む母の顔ではない。

 日向と同じ栗色の髪が、ブラウンの瞳が、動揺と緊張に揺れている。

 こんなにも険しい表情の母を見るのは、初めてのことだった。


「ここも危ないって」


 慌てて来た道を引き返し、日向は部屋に籠る。

 大丈夫、やることはわかっている。

 ベッドの近くに畳んでおいた服を着て1階に下りる。ただそれだけ。何も考える必要はない。

 しかし頭ではわかっているはずなのに、日向の身体は思うように動かなかった。

 だって、昨日まではいつも通りだった。

 いつもの朝が来ると信じて何も疑わなかった。

 だから明日着る服だって、ちゃんと用意して眠りについたのに。

 その日常を今すぐ捨てろだなんて、納得いくはずがない。

 苛立ちにも似た感情を抱えたまま、再びカーテンを開いてみれば、先程よりもずっと近くの家々が燃え始めていた。

 どうして──と思う。

 誰が、どうしてこんなことを。

 呆然と立ち尽くしたまま街の様子を眺めていると、視界の端を駆け抜ける集団がいた。

 自分と同じように街を抜け出そうとしている人々かもしれない。

 そう思い目を凝らした瞬間に、日向は気づかされる。

 ──違う、人間じゃない。

 まず、ここらに住む人間とはまるで異なる服装をしていること。

 4人程の集団のうち、おそらく3人は男であり、1人は女だろう。

 その全員が、まるで僧侶が着るような袈裟を身につけていた。

 袈裟の色については赤や焦茶とそれぞれ異なり、施された装飾もそれぞれに意味を持つ工夫がなされているように見えた。

 首元と耳には、巨大で色とりどりな装身具。

 こちらも普段店で見かけるようなものではなかった。

 しかし、日向が人間ではないと判断したのは、服装が原因ではない。

 それよりも、もっと大きな部分が人間とは明確に違っていたからだ。

 ひとつは、身体の大きさと肌の色。

 特に男は、2メートルをゆうに超える身長を有しており、身幅も人間の男2人分と言っても申し分のない程の屈強さである。

 さらに、全員鉛のようなを肌の色をしており、顔や手足の所々が粉を塗したかのように、金色に輝いていた。

 加えて、顔と同化するような形で頬骨近くに空いた耳穴。

 老人のように真っ白な頭髪と、炎のように真っ赤な瞳。

 どれもこれも、人でなしの特徴を持った奇物。

 ──亜種(あしゅ)だ。

 大慌てでカーテンを閉め、窓に背を向ける。

 炎や水、風を操り、動植物と語らい合う。驚異的な寿命や身体能力をその身に宿し、生きる。

 それをなぜ為せるのか、どういう理屈によって成り立つのか。

 人間はその理を解明することもできなければ、扱うことも当然できない。

 人を惑わし、災いをもたらす不善なるもの。

 それを魔力と名づけ、魔力により生きるものを、人は亜種と定義する。

 そういったことを、日向は少し前に知識として身につけていた。

 しかし知っていただけで、その存在を見たことなんてのは当然ない。

 日向が暮らすこの龍江(りゅうこう)地区が、元々亜種達の住処だったということは知っている。

 が、それも今や昔というべき事柄であり、西側に住処を追いやられた亜種が辛抱強く抵抗しているということを、外交官である父から伝え聞く程度であった。

 そんな亜種が、なぜ今更この地区に姿を見せたのか。

 その理由を想像するだけで、日向の呼吸は無意識に浅くなった。

 今すぐにでも父と母を呼ぶべきだなんてことは、わかっている。

 それでも日向が躊躇したのは、いつかの父との記憶を、思い出したからだ。

 『彼らについて、どう思う?』

 新聞を読む父の傍で、ぼんやりと記事を眺めていた日向に対し、父は尋ねた。

 彼らというのが誰か、明確に示されなくてもわかっていた。

 眺めていた記事の風俗画。

 その風刺画に描かれた灰色の肌に丸坊主の奇物。

 風刺画の中で、奇物は弓矢と棒切れのような刀を握っていた。

 恨めしそうな奇物の視線の先には、銃や大砲を備えて偉そうに腕組みする人間達。

 どちらが最終的な勝利者になるのかは、幼い日向にも容易に想像できた。

 『なんで抵抗なんて、するのかな』

 『どうせ負けちゃうのに』

 そう言った日向に対し、父がどんな顔をしていたかは覚えていなかった。

 ただ、言われた言葉だけは鮮明に記憶していた。

 『いつか、日向にもわかるよ』

 そのいつかが、今日なのか。

 今日、何かが変わるということなのか。

 日常を、彼らが変えに来たとでもいうのか。

 恐れと不安。それと、ほんの僅かな出来心。

 それらを抱えたまま、日向は再びカーテンを開けた。

 しかし、開けたカーテンの向こう側に見えた景色に、日向は絶叫することになる。


「お母さん!!!」


 その叫びが両親の元へと届く前に、日向の家は崩壊する。

 いつかの自分が順応を願った亜種達による、自爆によって。


 ──────

 

 爆発から、どれくらい気を失っていたのだろう。

 夜空を見上げながら、日向はぼんやりと思った。

 手足がかじかむ程冷えていることから察するに、それなりには時間が経ったということらしい。

 それでも目を覚ました瞬間から、猛烈な痛みとひどい耳鳴りが日向の身体を覆っていた。

 痛みに耐えつつ、なんとか顔だけ動かしてみれば、周囲の惨状が日向の視界へと入ってくる。

 枠だけになった窓に、天井から垂れ下がった鉄線。

 床には絨毯の模様がわからないほどに散らばるガラスの破片と、瓦礫。

 瓦礫は、目の前にあったはずの壁が崩壊したことによるものらしい。

 おそらくあの亜種達による自爆により、壊されたのだろう。

 日向の身体にまで瓦礫降りかかってこなかったことは、幸いというべきか。崩壊した壁からは僅かに月が見えた。

 月明かりを頼りに身体を起こそうとして、思わず日向は左腕の激痛にうめく。

 爆発の衝撃でどこかにぶつかり折れたのだろう。痛みに自然と涙も出てくる。

 しかし、生きている。心臓はまだ、動いている。

 それが何にも変え難い幸福であることを、日向は自覚していた。

 『こんな時代だからね』

 父の仕事に付き添い、数年前にこの地区に引っ越してきた際、父は言った。

 『大和も()()いつ戦争に参加することになってしまっても、おかしくない』

 外交官であるせいか、父は世界の情勢を正しく理解していた。

 『日向のような子供達が、二度とあんな思いをしないで済むようにしたいからね』

 そう言って微笑んだ父の願いを、日向は確かに誇りに思ったのだ。

 だからこそ、ここで寝ているわけにはいかない。

 父と母の無事を確かめなければ──そう決心し立ちあがったその時、耳鳴りが止んだ。

 そうして日向は、初めて周囲を眺め、現実を知る。

 燃え盛る家。崩壊する家。

 逃げ惑い2階から転落する少年。瓦礫に潰された夫の身体に縋り付く妻。

 両目をなくし彷徨う少女。庭に隠れ怯えたまま助けを待つ親子。親を探し泣きながら歩く兄弟。

 そして、それらを1人1人殺して回る亜種。

 悲痛な叫びが、街を覆っていた。


「いやだ、殺さないで」

「助けて、誰か、ねえ私まだ死にたくない」

「熱い、熱いよお」

「ああ死にたくねえ」

「神よ、どうかお許しください」

「我らに救済を、神の救済を!」

「畜生、畜生、畜生」

「怖いよ、おかあさん」


 首を刎ねる音がする。肉が燃える匂いがする。犯される隣人の声がする。

 亜種の笑い声。人間の泣き声。

 赤ん坊の断末魔。老人の最後の祈り。

 変わり果てた街の様子に、日向は言葉を失い、立ち尽くす。

 この世の全ての絶望を詰め込んだかのような場所。

 その中心に自分が立っているかのような感覚。

 そして、家のそばに転がっている、首を刎ねられた遺体と服を引きちぎられた遺体。

 路上に打ち捨てれたそれらは、父と母の姿に、とてもよく似ていた。

 反射的に日向は思う。

 全てが、どうでもいいと。

 なぜ、自分だけが生き残ってしまったのかと。

 どうして、こんな地獄でさえ生きていかなければいけないのかと。

 ──どうせなら、一緒に殺してくれればよかったのに。

 月明かりに照らされたまま立ち尽くす日向に気付き、近くの路上にいた亜種が声を上げる。

 それに気づきながらも、その場に日向は力無く座り込む。

 ガラスや瓦礫の破片で足は血だらけになっていたが、逃げられないことはない。

 そのはずなのに、もうすぐそこまで亜種が来ているのに、日向は一歩も動くことができなかった。

 階段を登る亜種の足音が聞こえてくる。こんな子供に2人も亜種が登場と来た。

 刃物をちらつかせつつ、部屋に押し入る亜種を眺めながら日向は願う。

 もう、生きたくない。

 この絶望から解放されるなら、この先なんてなくてもいい。

 それでも、亜種の真っ赤な瞳を見つめながら願った、本当の願いは違っていた。

 恐怖よりも、絶望よりも、諦念よりも、最後には結局それを願うのが人であると、ぼんやりと思う。


「…誰か」


 願いの全てを口にする前に、亜種の手が日向へと伸びた。


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