9 霧の都2
諸外国から訪れた賓客を歓迎する意味をこめて、王宮では前夜祭が行われていた。ジェラールの護衛として同行したテオドールは、慣れない空気に悪酔いしそうだった。
贅を凝らしたダンスホールは華やかだったが、どこか虚栄が見える。実際、王国は緩やかに墜落している最中だ。魔術の輸出は全盛期の半分以下に落ち込み、外国への影響力も弱くなった。魔術で繁栄し、世界の中心だった頃の遺産を食い潰しているのが現状だ。
「――素敵な護衛をお連れですね。ダンスはお嫌い?」
ジェラールと和やかに談笑していた令嬢が、テオドールに目を向けた。
「無様ではない程度に踊れたはずですよ。君、彼女の相手をして差し上げなさい」
臨時の主人はテオドールの代わりに答えると、こちらの意思に関係なくパートナー役を押し付けてきた。
勤勉で忠実な護衛に偽装している身で、断るのは悪手だ。嫌な態度など欠片も見せず、営業用の微笑を浮かべて令嬢の手をとった。
ジェラールが言っていたように、多少はダンスの心得がある。ただし腕前は平凡で、相手に恥をかかせないようにするのが精一杯だった。
「稚拙で申し訳ありません。少し緊張しているようです」
「いいえ、とても踊りやすかったわ。緊張しているのは、私も同じです」
曲が終わって拙さを詫びると、令嬢は上品に微笑んだ。離れようとしたテオドールを引き寄せるように、肩に手を置く。
「ぜひ庭園にバラを見にいらして。霧の都に咲く花の、本当の色をお教えいたしますわ」
密会への誘いのように、熱を帯びた声音だった。だが目の奥に情欲はない。令嬢はテオドールを残して、庭園に隣接するテラスへと歩いていった。
直感で罠とは感じなかった。人を陥れようとする者が放つ、粘り気を帯びた空気がない。
テオドールは令嬢の後を追って、テラスから外へ出た。
陽はすっかり落ち、青白い光が夜の庭園を照らしている。細い支柱の先に吊り下げられているのは、王宮の魔術師たちが灯したランタンだ。魔力を燃料として光を放つ構造で、オイルの火とは違い、周囲に燃え移らない利点がある。だが一時間ごとに魔力を補充しなければならず、使い勝手が悪い。
ふんだんに魔力を使える資金力は、豊かさの象徴だ。客が目につくところ全てに、王国の見栄と自尊心が詰まっている。
テラスから見える噴水に、仮面をつけた女性が立っていた。先ほど踊った令嬢とは違う。ドレスから判断できるのは、仮面の人物が既婚者らしい落ち着いた色を纏っているということだけだ。
「ようこそ華の都の狩人様。闇を照らすカンテラはいかが?」
ゆったりとした喋りかたは、外国人のテオドールにも聞き取りやすい。
「いくつか頂きましょう。対価はいかほどですか」
「あら、こういった駆け引きはお嫌い?」
「田舎者ですので。華やかな会話は慣れておりません」
この回答は彼女に好印象だったらしい。鈴を転がすような声で、優雅に笑う。
「素直な男性は素敵よ。隠し事が多い女は、可愛い男に惹かれる生き物なの」
「幻滅されないように気をつけるとしましょう」
女性と共に噴水から庭園の奥へと向かう。腕を組んで静かに暗がりへ歩く姿は、傍目には逢引きに見えるだろう。
「十七年前の夜、子供を抱えたメイドを保護しました」
唐突に、女性が語り始めた。
「まだ臍の緒が付いていて、とても健康だった。銀色の髪と、濃く青い瞳の女の子よ。わたくし、そのメイドとは顔見知りだったの。この庭よりも奥にあるところで、何度も会ったことがあるわ」
誰が、と聞かずとも、探している子供のことだと察した。十七年前なら、王太子妃が死産をした時期と重なる。
――死んでいたと偽って、子供を王宮の外へ逃したのか。子供を連れ出したメイドは、輿入れについてきた腹心の部下といったところか?
仮面をつけた女性の正体は、王太子派だった公爵家の人間だろう。王太子が諸々の問題を片付けるまで預かるという、密約が結ばれていたのではないだろうか。
「子供が一歳になるまでは、わたくしたちが守っていたの。けれど野蛮な人たちに目をつけられて、周辺を探られるようになった。子供を抱えたメイドは目立つでしょう? 落ち着いて子育てができないだろうと考えて、紹介状を用意したのよ」
当時の王宮では、子供と一緒に雇われる使用人が大勢いたそうだ。幼い頃は人質にして、成長したら使用人契約を結ぶためだ。
人員を補充するやり方は、まるで家畜のようだった。特権階級以外は人間と思っていない傲慢さそのものだ。
「彼女は貴族と関わりが薄いランドリーメイドとして雇われたわ。ある日、メイドは慣れない王宮で道に迷ってしまった。子供を連れてたどり着いた先は、王宮の最奥。そこで優しい王太子妃と出会ったのよ」
そういう筋書きになっているらしい。女性は黙って耳を傾けるテオドールに満足して、続きを話す。
「静かに喪に服してした王太子妃は、メイドが連れていた子供を我が子のように可愛がったそうですわ。万が一を考えて、母と呼ばせることはありませんでしたが。たびたび王太子妃に与えられた庭園に招いたり教育をすることもあったとか。けれどそれも、王太子妃がご病気で儚くなるまでの話。後を追うように病で母親のメイドも亡くなり、子供の行方はそれっきり」
行方を知らないはずはないだろう。テオドールの疑う視線に、女性は扇で口元を隠した。
「知らないことになっておりますの。生まれる前から命を狙われ続けて、今も続いておりますので」
「それは」
「秘密はいつか暴かれるもの。彼女が生きているのではと疑っている人間は、いたる所にいます。彼女を捕まえたい理由は様々ですけれど」
弟殿下――新たに即位する王もその一人だと彼女は断言した。
「ご存知の通り、新しい王は評判が良くありません。改革を拒み、旧態依然とした魔術で栄える王国を夢見ている。自分が王となることを強く望み、そうなるように行動してきた方ですわ。己の地位を危うくさせる存在は、決して許さないでしょう」
「障害になるなら、親族でも切り捨てるとは。なかなか苛烈な人柄のようだ」
「そして殿下とは別に、現在の国を変えるには無垢な王が相応しい、と考える者もおりますわ。自分たちが操りやすいようにね。宿敵の領土という土産つきなら、なおさら受け入れられるでしょう」
育ちや性格は関係なく、亡くなった王太子夫婦の子供だという証拠があれば十分なのだろう。玉座に座らせるだけで、発言権は与えない。重大な問題が起きたときに責任を取らせる道具として。
「彼女を見つけたら、古い約束の通りに外の世界へ解き放ってくださいませ。わたくしは檻の鍵を探しておきましょう。解錠しようとしている紳士にも、そうお伝えしてね」
女性が仮面をずらした。あらわになった唇が動く。内緒の話かと思ったテオドールが屈むと、頬にキスをされた。
「次にお会いする時は、敵ではないことを祈っておりますわ」
元通りに仮面をつけた女性は、庭園の暗がりへと去っていった。
――これだから貴族は苦手なんだよ。
普通に会話をしているはずが、支配下に置かれて、彼らが望む行動を取らされている気がする。
本音が掴めない。好意があるように振る舞っていても、真逆の感情を持っているなんてざらにあるのだ。気を使うだけで収穫が少ない。
テオドールは口付けされた頬を手の甲で拭った。
前夜祭の会場は、まだ賑わっている。警備兵の多くは付近に集まっているはずだ。人目を避けて王宮を歩き回るには、絶好の機会だろう。
かけていた眼鏡を外し、上着の胸ポケットに入れた。ランタンを見上げると、青白い光とは違うゆらめきが見える。庭園の奥に光っているのは、侵入者を探知する魔術と思われる。
生まれつき、テオドールには魔力が見えた。同類に会ったことはない。魔術を教えてくれた師に話すと、魔眼の一種だろうと教えられた。
空中に漂っている魔力や、人の体内から放出された魔力は、魔術で縛られた通りに流れる。一定の方向に流れている箇所を発見したら、高確率で魔術が仕掛けられていると言ってもいい。
日常生活に支障が出てしまうので、普段は特別に加工した眼鏡で見えないようにしている。王宮に張り巡らされた魔術を避けて歩くには、自分の目が最も役に立つ。
仮面をつけた女性の話から推測すると、探している子供はランドリーメイドをしている可能性が高い。会場から宿泊している離れまで、下級メイドの姿は見かけなかった。ならば反対側を探ってみようと、建物の中へ戻る。
会場内を素通りしたテオドールは、喫煙所へ行くふりをして廊下へ出た。立哨している警備兵の隙をついて、照明がない通路へ入る。暗いまま放置されているのは、前夜祭に参加している客には関係ない区画だからだ。このまま光がない廊下を進んでいけば、王宮の裏側を覗けるだろう。
廊下は月明かりが差し込んでいる。照明を用意しなくても歩ける程度には明るい。
窓の反対側には等間隔に扉があるが、物理的な鍵とは別に魔術が使われている痕跡があった。侵入者対策だろう。正しい鍵を使わないと開かない構造をしている。魔術による堅牢な守りは、王国が最も得意な分野だ。複雑な魔力の流れを見て、テオドールははなから侵入を諦めた。
目的は亡き王太子夫妻の子供を見つけることだ。人の気配がない部屋には用がない。
いくつか角を曲がって進むにつれ、扉や窓の装飾が減ってきた。廊下の先は直進と右に分岐している。どちらも王宮の華やかさが消え、ただ白いだけの壁が続いていた。
――使用人の居室や作業場が近いのか?
右の廊下は螺旋階段に繋がっていた。上の階から話し声が聞こえてくるが、壁に反射しているためか詳細は聞き取れない。もし使用人の居室があるなら、声の主が眠る深夜にならないと安全に捜索できないだろう。
あまり長く会場を不在にするわけにはいかない。今は引き返し、時間をおいて忍びこむべきだ。テオドールは廊下を引き返した。
分岐まで戻り、前夜祭の会場へ向かう。来た道を進んでいると、今度は男女の声がした。
「コリン、私の手伝いは必要ありません」
「でも……君はいつも仕事を押し付けられているから、心配で」
コリンと呼ばれた男が手伝いを申し出ているようだが、女は丁重に断っている。彼らがいるところを通らなければ、会場へ戻れない。テオドールは強引に割りこむことにした。
「仕事中にすまない」
貴族に見えるようジェラールの口調を真似すると、二人は廊下の端に下がって頭を下げた。条件反射のようなものだろう。黙って命令を待っている。
「散歩をしていたら、うっかり迷いこんでしまった。君、会場まで案内してくれないか」
コリンの肩を軽く叩き、早くしてくれと急かす。
「俺――あ、いえ。私ですか?」
「彼女は仕事中だろう?」
コリンに見えないよう合図をすると、もう一人は安堵して軽く礼をした。
三つ編みにした茶色い髪に、白い帽子をかぶっている。着ている黒いメイド服に装飾は一切なく、地味だ。離れに配属された接客用のメイドとは、明らかに待遇が違う。普段はもっと奥で働いているのだろう。顔はよく見えず、両腕にワインがついた布を抱えていた。
――魔術?
メイドの髪を、うっすらと魔力が覆っている。月明かりにすら負けそうな、弱々しい光だ。裸眼でなければ見逃していただろう。
詳しく解析する前に、メイドは逃げるように去ってしまった。