8 探索
しっかりアイロンをかけたリネン類を手に、クレアは王宮内を歩いていた。
洗濯物のうち貴族が使うタオルやシーツなどは、リネン室へ届けることになっている。居住区域の近くにあるので近寄りたくないが、誰かに見つかっても洗濯物を言い訳にできるので、利用させてもらうことにした。
戴冠式に参加する招待客が一度に増え、王宮内はどこも人手が足りなくなっている。客への応接を最優先しろと命じられているため、彼らの周辺には使用人や警備兵が集められていた。
クレアにとって、今は好機だった。下級メイドは基本的に、職場と自分の部屋以外への立ち入りを制限されている。だが監督しているメイド長をはじめとした上級者は、久方ぶりの戴冠式で余裕がない。監視の目が緩んでいる間に、形見が保管されていると思われる部屋を確認しておきたかった。
リネン室へは行かず、メイド長の部屋へ向かう。屋根裏で寝ているクレアとは違い、メイド長は個室を与えられていた。その隣に、目的の部屋がある。
廊下には誰もいない。
暗い色の扉には、取っ手がなかった。魔術を使って開閉させるので、つける必要がないのだ。
クレアは手のひらを扉に近づけた。押し返されるような感触は、何かしらの魔術が使われている証拠だ。網の目状になっているところを広げたら、中へ侵入できそうだった。
――どうしよう。いま入っても持ち出せないけれど。
保管庫から形見を移動させれば、クレアが犯人だと言っているようなものだ。魔術が使えることも知られてしまう。王宮を脱出したあとの働き口がないのに行動に移すのは、自分の首を絞めるのと同じ。
――でも、久しぶりに見たい。
元々はクレアが両親から受け継いだ物だ。自分の持ち物を見に行って、何が悪いのか。
扉の前で迷うクレアの耳に、会話をする声が聞こえてきた。クレアがいるところへ近づいてくる。気がつくのが遅れてしまったせいで、今から逃げると不自然に思われてしまう。
クレアは意を決して扉を覆う魔術に触れた。魔力の動きを邪魔しないよう掻き分け、小さな声で呪文を唱える。
視界が歪んだ。
埃が混ざった空気に咳き込みそうになったが、口を押さえて我慢した。
「――ねえ、しばらく会えないの?」
イライザの声がする。
「離れの接客を担当することになったからね。外国からの客だ。粗末にはできない」
相手はブラッドだろうか。彼らは扉に近いところで立ち止まった。昼間は人が少ない通路なので、密会に便利なのだろう。
「使用人の中に、貴族の隠し子が混ざってるって本当?」
拗ねたようにイライザが言う。彼女は貴族ではないことに劣等感を感じている。自分ではなく同僚が、貴族の一員になれる要素を持っているのが妬ましいようだ。
「隠し子? そんな話は聞いたことがないな」
「だって私、聞いちゃったんだから。戴冠式が終わったら、使用人全員を血統魔術で調べるって」
「へぇ……かなり大々的だね」
「そうでしょ? かなり信憑性はあるわよ。だってこれを言っていたのが――」
聞こえてくる名前は、どれもクレアが知らない人物だった。国の重要な役職についているということだけは、イライザの興奮した声音で伝わってくる。
「頑張って調べたと思わない? あなたが他の女によそ見してる間、暇だったのよ」
「拗ねるなよ。知らない奴の名前を聞いただけで、手を出したわけじゃない」
「私にとっては似たようなものなの!」
二人の声は次第に遠ざかり、やがて聞こえなくなった。
クレアは見つからなかったことに安堵して、ため息をついた。逃げるためだったとはいえ、保管庫の中へ入ってしまった。せっかくだから下見をしていこうと保管庫を見回したが、すぐに無理だと気がつく。
扉の鍵よりも複雑な網目が張り巡らされているのを感じる。クレアの技術では、複雑な檻を潜り抜けることはできない。せいぜい自分にとって危険な魔術を察知できる程度だ。
また振り出しに戻った。クレアは落胆して廊下へ出た。誰にも見つからないうちに髪の色を変え、リネン室へ小走りで向かう。手早く本来の仕事を済ませると、アイロン台がある仕事場へ戻った。
「遅かったわね」
部屋に入るなり、ポーラに珍しがられた。クレアはいつも寄り道をせず、用事が終わればすぐに帰ってくるので、余計に目立ったようだ。
アイロンがけは全て終わっていた。あとは引き取りを待つだけらしく、畳んで種類ごと籠に入っている。洗濯物を持ってきた使用人が回収してくれないと、部屋の鍵を閉めることができない。
「ちょっとね。厄介な人に会って」
正確にはすれ違っただけだが、二人が保管庫の外にいたので帰れなかった。真実から遠いだけで嘘ではないはずだと考えて、クレアは自分を誤魔化した。
「また適当な雑用を押し付けられていたの? あっ……それとも、あの人がらみ?」
楽しそうな声に、他の同僚たちも集まってきた。
「鶏小屋の人? コリンって名前の」
「あれは完全にクレアを狙ってるわよ。だって、いつも視線で追いかけてるもの」
クレアはどう思っているのかと話題を振られ、何もないと答えた。
「苦手よ。その、うまく言えないけど」
「性格は良さそうなのに?」
「えっ。そう? 私も苦手」
聞いていた一人から意見があがった。
「いつも笑顔の人ってさ、なにを考えてるのか分からないじゃない? 嫌なこと全部、心の中に溜めこんで、いきなり爆発する感じ」
そう考えていたのは彼女だけではなかったらしく、何人かうなずいている。
「あのね、あの人が笑顔で鶏を絞めるところを見たのよ。それから鶏小屋には近寄りたくなくて」
「かなり独特よね。クレアの気持ちも分かるわ」
一部の同僚は他の仕事があるので、部屋を出ていった。戴冠式の皺寄せだ。掃除などの雑用に回されるのだろう。
時間に余裕があるポーラたちと雑談をしながら待っていると、最後の一人が受け取りにきた。幼い王女についている若いメイドで、よく洗濯物を取りにくるので顔を覚えている。
「もう限界。休ませて」
メイド――ディアナは自身が持って帰る籠を見て、うんざりした様子で言った。
「どうしたの?」
「国賓の相手をする人が足りないから、先輩たちが引き抜かれたの。おかげで王女だけじゃなくて王子の雑用もこっちに回されて……王様の見栄にも困ったものね」
人手が足りない原因は、招待した客が多すぎたことらしい。厨房に積まれた食材の量を見て、嫌な予感はしていた。
「しかも執事とか警備の責任? 隊長? とにかく偉い人たちが、帝国人には関わるな、彼らに言われたことは全て報告しろって一方的に言ってきてさ。わざわざ責任者を探して密告できるほど、メイドは暇じゃないのよっ」
よほど高圧的な言い方だったのか、ディアナは怒りを吐き出すように叫んだ。
「関わるなって、なんで? 向こうから話しかけてきたら、どうするのよ」
ポーラたちが話すことを聞きながら、クレアは帝国について考えていた。
海を挟んだ隣国で、長く戦争をしていたと聞いたことがある。クレアが産まれる前に帝国から皇女が嫁いできて、表向きは関係が改善した。だが人の感情が完全に好転することはなく、王宮のあちらこちらで帝国への誹謗中傷を耳にすることがあった。
「帝国のお客様には、戴冠式以外にも目的があるって噂よ」
ディアナは秘密の話だからねと前置きをした。
「お客様から昔の話を聞かれても、知らないって答えるように命令されたわ。特に年配の使用人は要注意だって。喋ったら牢屋行きですって」
「昔の話って何よ?」
「私の予想では、王家の秘密に関わるようなことね」
「……王様と子供の血が繋がってないとか?」
「あり得ないわ。鏡に写したようにそっくりなんだもん。あれで親子じゃないほうが恐ろしいわ」
クレアたちランドリーメイドは王族の顔を知らない。関わることなどないからだ。だが新しい王とその子供たちが似ていることは、ディアナがことあるごとに喋っていたので覚えていた。
「ねえ。クレアは子供の頃からいるのよね? 何か知らない?」
ディアナが期待をこめて尋ねてきた。
「ごめんなさい。勤めている期間は長いけど、王家のことはよく知らないの。ディアナのほうが詳しいと思うわ」
下級メイドは自分の仕事に関する範囲なら、自由に歩ける。誰かに仕事を命じられた時は例外だが、貴族の前に出されることは滅多にない。王宮にはまだクレアが入ったことがない場所があった。王族が生活している区域など、その最たるものだ。
「そっか残念。まあ偉い人が口止めするような話なんて聞いたら、面倒なことに巻き込まれそうだしね」
ディアナは落胆しつつも、己の安全を優先すると決めたようだ。
籠に入った王族の着替えを持って帰ろうとしたディアナだったが、ふと思い出したように言った。
「帝国から来てるお客様って、皇帝の弟なんですって。意外と若いのよ」
「会ったの?」
「少しだけね。国王がお客様を招待した昼食会があったの。家族ぐるみの付き合いってやつ?」
王子や王女も参加していたため、ディアナも給仕役をしていたそうだ。
「はっきり言って、うちの王族よりも魅力的だったわ。使用人にお礼を言ってくれるしね。帝国の護衛も見た目は厳つい人ばかりだけど、優しかったし」
「帝国の人って私たちを見下してるって聞くけど」
「私も会うまではそう思ってたわ。噂なんてあてにならないわよ。絶対にダルニール語を喋らない人たち、なんて言われてたけど、通訳なしで喋ってるし。丁寧に頼んでくるから、自分の主よりも優先したくなるわ」
よほど好印象だったのだろう。ディアナはうっとりとため息をついた。
「私のおすすめは、メガネをかけた護衛ね。第一印象は冷たそうに見えるんだけど、あの人が一番、使用人に気を遣ってくれるわ。ダルニール語に帝国語の訛りがあって、それがまた色っぽいの」
「おすすめって言われても、会えないじゃない」
同僚が恨みがましく言うと、ディアナも残念そうに項垂れた。
「そうね。私が一番それを実感してるわ。王女様は子供だから、もう国賓が絡む行事には出ないそうよ」
暇を持て余し、わがままぶりを発揮しているらしい。振り回されているディアナをはじめとしたメイドたちは、早く戴冠式が終わってほしいと願っている。
「あーあ。ディアナですら出会いがないなんて……私たちなんか絶望的じゃない。資産家に見初められて嫁ぐなんて、おとぎ話の中にしかないわね」
ポーラが小さな声で嘆いた。彼女は本気で資産家に嫁ぐことを夢見ているわけではない。夢も希望もない現実に、少し疲れている。今の生活からは抜け出したいが、使用人同士で結婚しても苦労するだけというのが、彼女の持論だ。
ディアナが帰ると、クレアとポーラは一緒に厨房へ向かった。いつもの下拵えだろう。扱う量が増えようと、やることは変わらない。
廊下はクレアたちの他にも、厨房で雑用を命じられた使用人がいた。みなどこか疲れた顔だ。
「ねえ、あれ。コリンじゃない?」
ポーラがクレアの袖を引いた。
窓の外にコリンの背中が見える。一緒にいるのは、国王専属の使用人だ。顔は知らないが、その制服は何度も洗い場で対面している。コリンは何かを命じられているのか、笑顔のまま無言でうなずいていた。
「早く行きましょう。遅刻するわ」
なぜか寒気を感じたクレアは、ポーラを急かして窓の前から走り去った。