7 霧の都
箇条書きにされた名前は、半分以上に斜線が引かれていた。テオドールは役に立たない情報だと思いつつも、名前を記憶していく。
「シャルロット王太子妃の死産から、彼女が亡くなるまでの間に勤めていた使用人のリストだ。輿入れに同行したメイドは、彼女の死後に帝国へ戻っている。病気で亡くなった者以外はね」
ジェラールは従僕が広げた上着に袖を通しながら、リストの情報を補足した。彼自身はほぼ立っているだけで、身支度が整えられていく。周囲にいる使用人は、きっとジェラールの手足の延長なのだろう。
「それらのメイドは、当然ながら出産に関することは知らないのでしょうね」
「限られた者しか部屋の出入りを許されなかったからな」
流行病は身分に関係なく猛威を振るったらしく、使用人の入れ替わりが激しい。その他にも行方不明や事故で死亡した者もいる。出産に関わったと思われる者が王宮に残っているのか怪しい。
「当時の御殿医は飲酒問題で退職、ですか。その後は帝国に渡ったとありますが」
「当人は老衰で亡くなった。彼の遺族によると、晩年は酒の勢いで死産ではなかったとこぼすこともあったとか」
御殿医の息子が、その言葉に危機感を覚えて帝国へ亡命したそうだ。懸命な判断だろう。王国の裏側に関することを喋る人間は、家族ごと始末される未来が待っている。
「実は亡くなった王太子と比べると、弟のジョン殿下はいまいち冴えなくてね。そして兄ほど評判が良くない。他人の言葉に耳を貸さず、己の意見を押し通す頑固さが目立つ。老衰で亡くなった先の王は、最期までジョン殿下を後継者として認めなかった。無駄な抵抗に終わってしまったがね」
「国王崩御から戴冠式まで二年を要したのは、周囲が反対していたから、ですか」
「ああ。他の王位継承者を暗殺したり、継承権を放棄させるのに二年かかった、ということだ」
「それを王宮内で仰いますか」
「どうせ君が盗聴防止の細工をしているのだろう? ならば真実を話しても、ジョン殿下の耳には入らないさ。それに、君も殿下の人柄を知っておきなさい。我々の目的を知った彼が、どのような妨害をしてくるのか予想できるようになる」
着替えが終わったジェラールは、衣装を置いている部屋からさっさと出ていくと、ソファが並ぶ談話室に入っていった。自身の屋敷ではないはずなのに、誰よりも主人らしい振る舞いだ。
後からついていったテオドールは近くに座るよう示されたので、手頃な席を選んで腰掛ける。
扉や窓の付近にはジェラールの護衛が控えている。会話が聞こえる距離にいるが、何も聞こえていないかのように立っていた。テオドールがただの追加戦力ではないことは、とっくに知っているだろう。
「王太子夫妻の子供が存在しているなら、きっと新たな王として期待されるだろう。このたび国王に即位する弟殿下は、大臣たちにとって制御しにくい。何も知らない子供を担ぎ上げたほうが、国を動かせる」
ダルニール王国では性別に関係なく王位につくことができるそうだ。大切なのは王の血統だという。
暴君の片鱗を見せる弟殿下か、操り人形か――どちらを選んでも国が荒れそうだ。
「王国側に我々の動きを知られるわけにはいかない。兄の子供は、弟にとって権力を脅かす存在だ。けれど、帝国の継承権に横槍を入れる道具にもなれる」
「……そうですね」
いずれにしろ子供にとって不幸な未来しか待っていないだろう。ジェラールは見つけた子供をどう扱うのか、まだ方針を明かしていなかった。テオドールがやっていることは、子供を殺すきっかけになるのかもしれない。
戦争の火種を作らないためだと、頭では理解している。納得したくないものを抱えるのが嫌だから、ジェラールの依頼は受けたくなかった。彼から持ちかけられる仕事は、断れない上に線引きが曖昧なものばかりだ。
テオドールはリストの最後に視線を落とした。一人のランドリーメイドが公爵家から王宮へ転職している。紹介状を書いてもらって働く家を変えるのは、珍しくない。引っかかるのは、彼女が子供連れだったことだ。
「君も気がついたか」
ジェラールが意地悪く微笑む。
「その公爵家は王太子派だった。今は中立だと主張しているらしいが、当然ながら弟殿下から煙たがられている」
公爵家の家令あたりに接触できないだろうか。テオドールは庭で会ったブラッドを思い出した。他人の心に入り込んで情報を引き出すなら、きっと彼が適任だ。
――うまく喋らせる魔術もあるが……警戒されると厄介だな。
爵位を持たない使用人だからといって、魔術に耐性がないと思ってはいけない。主人に近いところで働いているからこそ、身を守る手段を与えられているはずだ。
諜報用の魔術が使えることは、王国の人間に知られたくない。監視の目が増えると、子供を探す上で障害になる。この国にいる間は、魔術など使えませんという顔をして、サーベルを佩いて誤魔化すつもりだった。