6 ブラッドとコリン
「大変そうだね。手伝おうか?」
野菜屑が入った木箱を運んでいると、軽薄そうな口調で声をかけられた。メイドたちの間で、良くも悪くも有名なブラッドだ。クレアと目が合うと、人好きのする顔に優しい笑顔を浮かべて手を振ってくる。
「……いえ、結構です。慣れているので」
クレアは丁重に断った。
ブラッドが誰にでも優しく、陰で仕事を手伝っているのは知っている。だからこそメイドたちから人気があり、声をかけられた子の大半が応じていることも。面と向かって会話をするのは初めてだが、きっと性格が合わないだろうと感じていた。
飄々とした態度で話しかけてきたブラッドが、一瞬だけ探るような視線を向けてきたことが引っかかる。男性が女性に向けるような、熱がこもったものではない。むしろ警備兵が初対面の人間に向ける類に似ていた。
「いつも忙しそうだね」
ブラッドに気分を害した様子はなく、勝手に木箱を取り上げて運び始めた。行き先が鶏小屋だと知っているのか、足取りに迷いはない。
「あの」
「これ、本当は厨房の料理人の仕事だろ? 家畜の餌運び」
「あなたには関係ありません」
「見た目以上に重いね。誰かに押し付けたくなる気持ちは分かるけど、メイドにやらせるのは違う気がするなあ」
凄いと褒められて、クレアは心がざわついた。どんな仕事でも命令されたらやるのが当たり前で、断るなんて許されなかった。同僚のランドリーメイドが手伝ってくれることもあったが、洗濯に関することだけだ。
――この人は、こうやって他人の心を開いていくんだ。
取り繕ったところが全くないせいか、不愉快ではなかった。ブラッドはクレアが警戒しているのを察して、いきなり距離を詰めるようなことはしない。この程度なら許される範囲だと、経験で知っているらしい。
その手慣れている行動が、逆に警戒心を抱かせる。
どうやってブラッドから離れようか考えているうちに、目的の鶏小屋が見えてきた。厨房で出た野菜屑などは、細かく刻んで鶏の餌になる。いつもは手が空いた料理人が届けるが、来客が増えたことで多忙になった。たまたま目をつけられたクレアに押し付けられたのだ。
「クレア。今日は君が来たんだね」
鶏小屋から使用人が出てきた。細身で背が高い男性だ。一つに束ねた褐色の髪と、いつも落ち着きなく動き回っているところが特徴的だった。食肉用に何羽か選別していた最中だったようだ。両脚を縛られた鶏が小屋の中にいた。
使用人――コリンは、クレアと一緒に来たブラッドに怪訝そうな顔をした。
「あんたは……」
「重そうな荷物を持ったメイドがいたら、手伝うのが王国紳士だろう?」
そつなく言い返したブラッドは、木箱をコリンに押しつけた。
コリンは納得いかない様子だったものの、黙って中身を小屋の餌入れに移す。彼が空になった木箱を返したのは、クレアだった。
「言ってくれたら、俺が取りに行くのに」
「そんなの、手間がかかります」
「遠慮しないで」
偶然のように手に触れてくるところが苦手だ。
コリンは分かりやすい好意を見せてくる時がある。頻繁に会う間柄ではないので、気がつかないふりをして避けていた。
彼の笑顔を見ていると不安になってくる。人がいい笑顔の裏側には、クレアを獲物としか思っていないような素顔が隠れているのではないかと疑ってしまう。実際のところはわからないが、逃げ場がないところに追い詰められているような息苦しさを感じている。被害妄想だという自覚はあるので、誰にも言えなかった。
「早く離してあげなよ。彼女が困ってるよ」
いつまでも手を離そうとしないコリンを、ブラッドが茶化した。力が緩んだ隙に、クレアは木箱を抱えて距離をとる。
「あの……クレア」
「失礼します。まだ仕事があるので」
クレアはコリンに会釈をしてから鶏小屋から離れた。自然と早足になったクレアに、ブラッドが遠慮なく話しかける。
「恋人?」
「違います」
自分でも驚くほど冷たい声が出た。
「向こうは気があるようだけど」
「苦手なんです。彼は」
どうして自分に構うのかわからない。
放置してほしい。
好意を向けられるほどのものを、クレアが持っているとは思えなかった。油断させて奴隷として売り飛ばすためと言われたほうが納得できる。
「その感情は大切だね。俺みたいな男に引っかからなくて済む」
ブラッドは面白いものを見つけたように笑った。いつも女性に向けている種類ではない。今まで見たどの表情よりも自然で、魅力的に見えた。最初に見たのがこの顔だったなら、クレアはあまり警戒していなかっただろう。
「ろくでもない人間だという自覚があるんですね」
「もちろん。自分の都合で女の子を振り回してる自覚はある」
「いつか刺されますよ」
「どうせ刺されるなら、絶世の美女がいいな」
本気とも嘘ともつかないことを言い、ブラッドは去っていった。
完全に姿が見えなくなると、クレアは礼を言いそびれていたことを思い出した。掴みどころがなく厄介な同行人だったが、木箱を運んでくれたりコリンから逃げるきっかけを作ってくれた。
感謝はしている。
クレアは空になった木箱を厨房に返した。料理長に断りを入れてから、灰が詰まった壺に火種の炭を入れる。
そろそろ洗濯物が乾く時間帯だ。アイロンの中に炭火を移して、仕上げに取り掛からないと間に合わない。特に王妃の衣装を担当している侍女は、時間にうるさい。引き渡しの時間を一秒でも過ぎると、すぐにメイド長に苦情が届く。
時間の大切さはクレアたちも理解しているが、天候を相手にしているのだから、数秒は大目に見てほしかった。
アイロン室へ向かう道すがら、窓ガラスに映る自分の髪が気になった。光の反射のせいか、本来の色である銀色に見えた気がする。慌てて毛先を確認してみたが、ずっと纏っている茶色のままだった。
――銀の髪も、星の瞳も、すべて雲の中に隠してね。
不意に優しい声が脳裏に蘇った。魔術を教えてもらったときに、約束した言葉だ。
――あの人は誰だったんだろう。
母親に連れられて、秘密の通路を通り抜けた先に、いつも彼女がいた。高貴な身分ということは、子供だったクレアにもわかった。
目立つと良くないことがあると、いつも言っていた。その通りだった。抜きん出たところがあれば、目をつけられて仕事を押し付けられる。上の人間に重宝されたところで、報酬が増えるわけではない。休憩する時間を削られて、労働力を搾取されるだけ。
「もう会えないのかな……」
彼女はクレアの助けになるようにと、王国の魔術師に気づかれない魔術を教えてくれた。
とても優しくて、もう一人の母親のような人。別れ際にいつも悲しそうにしてたことを、よく覚えている。